167 つながる、そして隠れる【世界に船がつながった時】
世界に船がつながった時。ジュリアンは一時的に魂の本来の姿である「八月一日アコン」の姿に戻っていた。それは魂だけのアコンが自分の本来の世界の建造物である船に引っ張られて、存在の比率が傾くからだ。
体格さがあったり怪我をおっていれば修復される痛みに悶えることになるが、大体は本来の自分と同じような背格好の死体に降りるためそこまで痛みをこらえたことは無い。部屋がつながる確率も低いため、あまり検証らしいことは出来ていないけれど。
今回もまた、異世界を渡る船がこの世界に接続された気配を感じた。
魂が呼び合っているのか、その存在を感じることが出来るのだ。引き合う、呼ばれる、そんな感覚を今まで間違えたことは無かったのだけれど、今回は何かがおかしい。
第一に、自分の姿が変わっていない。周囲に自分の姿を確認できる物がある機会が少なかったために、少し慌ててしまったが、アルバリエスト領はある程度文明が発展した建物の中だ。鏡をとっさに探すことは出来なくても、窓ガラスや磨かれている机、飲み物である紅茶の水面を鏡代わりに顔の形を確認することもできたはずだ。しかしパニックから傍にいた夏輝の瞳を鏡代わりにしてしまった。そして姿形が変わっていないことは周囲の人間の反応で判断することも出来た。突然姿が変われば驚くだろう所だが、みんなは突然呆然としたジュリアンを気にしている様子は見えるが変化に驚愕している風ではなかったのだ。
第二に、気配がぼんやりとしている。水の中で文字を見ているような、妨害電波が発せられているような、カチリとはまらないモヤモヤとする、そんな違和感。
何物かに妨害されているのだろうか?だが、この仕組みを知っている人間がこの世界に居るとは思えない。何か別の要素が悪い方に作用して、分かりにくくなっているとでもいうのだろうか。
「…いかがした?精霊殿」
夏輝をガシリと掴んだり、キョロキョロと視線をさまよわせるジュリアンに不思議そうな顔をしながらも問いかけられた、そんな気遣いの言葉にもなんと答えれば良いのか分からない。自分自身でさえ何が何だか良く分かっていないのだ。
「いえ。何でもないです…」
思わず視線を向けてからとっさに外して床を数秒見つめた後、右手首にはまっている腕輪を左手で包むように触れて首を横に振った。
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父、アラステアたちと手紙の事でやり取りをしてから早4日。領主アラステアは情報を集めるために自ら王都へ出かけて行き、とりあえず連れて行くことを保留となった夏輝たちは自らを鍛えようと思い至った。そして今は庭で剣術の稽古をしているファンパブロに習うように剣を握る夏輝を見ているジュリアンを、ペニキラは横目で観察していた。
状況は特に変わっていない。人間の国、デンタティタル国を注視しつつも静観というスタイルでレシロックアーサは様子を伺う待機の姿勢。両方が近場でにらみ合っている形なら国境を固めろとか行動すべき点が分かりやすいのだが、2つの国のその間にグルエル国が挟まっている。今はこの国はどちらにも敵対する行動をとっていないが、一応人間がおさめる国だ。しかし魔族の国のレシロックアーサともある程度交流があり、友好関係をきずいている。いざ争いとなった時にどちらの手を取るか分からずに、こちらの国の動向にも注目している訳なのだが、王都から遠いせいもあり情報が来るのも遅く、そのせいで数日前のあわただしい様子はなりを潜めてのんびりとした空気が漂っている。
立ち止まっていた足を動かして皆に近づいて行き、ペニキラは持っていたトレイを傍のテーブルに置いた。
「少し休んだらどうじゃ?昼食後、食休みをはさんでからずっと身体をうごかしておるじゃろ?」
持ってきたのはレモンを絞った物を入れた水。魔法でキンキンに冷やしていて、運動した後に飲むととても美味しいのをペニキラ自身も知っていた。給仕のような動きに気づいたロスカルシェが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「お嬢様!そのような事、申しつけてくだされば私がいたしますのに!」
「良いのじゃ。お主は自分で精霊様とナツキの世話役を名乗り出たのじゃろ?今の仕事は私よりも彼らを優先するべきじゃ」
「ですが…」
ペニキラがコップを差し出すと、反射で受け取ったロスカルシェ。困ったような顔で言い募ると、カラリと氷が揺れる音がした。そんな彼にジュリアンも気づいて苦笑いを浮かべつつ近づいてくる。
「ロスカルシェさんをつけてもらった事には素直に感謝してます。この世界の事を教えてくれる彼の存在は大変助かりますから。でも、ここは貴方の領域で、この場所にはこの国のルールが適用される。僕らよりも、主であるペニキラさんを優先させてもらって構わないのですよ」
「だからこそじゃ。我らは招いた客人を丁重にもてなす。ましてや精霊様は王のように扱ってもいいくらいじゃ」
「それはさすがに…」
「じゃろ?精霊様は嫌がられる。じゃから、普通の従者のようにロスカルシェをつけておるのじゃ」
「確かに。精霊様にでしたら膝を折ることも頷けますが…ならばなぜ、このトレイには人数分の飲み物が載っているのですか?」
「何を言っておるのじゃ。1人に配るなら2人3人でもかわらぬじゃろ。ついでじゃついで」
「お嬢様!」
ロスカルシェはジュリアンには甘々対応なのだが、夏樹には激辛対応なのだ。たぶん人数分の飲み物というよりも、夏樹の分があることが許せないのだろう。だが、それでも用意されたものを排除したり取り上げたりしないあたり、だいぶ懐いてきたというか、慣れてきたように見える。そんないつものやり取りを見ながらファンパブロと夏輝も近づいてきた。
「あい変わらず良くやるなぁ」
呆れた顔で呟く夏輝に、ペニキラがホイとグラスを差し出した。
「ツンデレという奴じゃな。ロスカルシェは友達も少ない故な、対応が分からぬのじゃ」
「なるほど。それはそれは」
「違う!お嬢様何をおっしゃっているのですか!そして貴様も適当にうなずくんじゃない!」
はっはっは。と笑い声が響く中庭。穏やかな時間に人間の国とにらみ合っているという現状を忘れそうだ。そんな空気の中にガラがやってきた。
「お嬢様、こちらにおいででしたか。探しましたぞ」
「うむ?ガラ。何かあったのか?」
「それが、人が訪ねてまいりまして」
「…それで?」
スッと細められたペニキラの瞳。それを見つ目返すガラも、少しだけ冷たい視線をチラリと客を待たせてあるだろう方向に向けた。
「違和感がございます」
「違和感?」
「人のような、獣のような。見た目は普通の人なのですが」
言いよどむガラにペニキラは口元に手を当てて少しだけ考える時間を有した。
「今、この屋敷の主である領主は不在じゃ。私が主代理として、その客人を見極めよう」
先ほどまでカラカラと笑っていた少女から一変、辺境伯のお嬢様に変わったペニキラにガラは深く頭を下げた。