165 憂いの瞳は今を眺め
デンタティタル国の中心部。王都と呼ばれるドルァルエクスの中央に聳え立つのは、白い石を積み上げて作られた大きな壁に囲まれた、それは大きく美しい城。その城門の真上に備え付けられた鐘が、正午を知らせる音を響かせた。時間を知らせるときや、何かしらの行事の際に大活躍の鐘の音は、その音を王都の隅々にまで響き渡らせる。
カラン…カラン…
雨雲が近いのか、少しばかり湿った空気に曇った鐘の音がこだましていく。それでも現時点では日の光も差し込むいい天気なのだ。城下町を行き交う人も多く、その賑わいに陰りは無い。
打って変わって場内では、謁見の間にこの国の重鎮たちが集まっていた。どの人も顔色が悪く、不安そうに視線をキョロキョロと動かしているが声を発することは無い。それもそのはず、広い室内の中で数段高くなった場所に置かれた赤い豪華な椅子にこの国の主である王様が腰かけているからだ。
いや、単純に「王」と呼ぶと誤解を生むだろう。その姿は凛々しくも麗しい「王女様」、女性なのだ。
カーキアッシュ色の髪は後頭部でポニーテールのように結い上げていても床につくほど長く、同じ長さのある前髪は緩やかかに後ろに流しているせいで黄緑色のアーモンド形の目を常に片方隠している。傷が有るとか呪いが有るとかそういった類ではなく、しっかり固定していないために前髪の分け目によって物理的に覆ってしまうのだ。しかし吊り上がり気味であるがどちらかといえば大きい瞳を片方隠すことで、どこか気だるげな印象を与えるその雰囲気に一役買っていて、大人っぽい印象を見る人に与えるかもしれない。身にまとうのはワインレッドのドレス。薄い朱色のフリルがアクセントとなって壇を作っていているが、子供っぽさはなく落ち着いたデザインだ。そしてそれと同色のチョーカー、手袋、髪飾りでまとめている。
名を「ゼリティファ」。ゼリティファ・デンタティタル女王だ。
ただ、齢は17の大人と子供の中間にいる少女。彼女は一段上がった場所の椅子、玉座に腰をおろして黒い鳥の羽でデザインされた扇子で口元を隠し、退屈そうに目を細めた。
早朝まではいつも通りの日常だったはずだ。それが崩れたのはいつだったか。朝食を終えた後あたりだったかもしれない。
『勇者が消えた』
そんな連絡が入ったのだ。勇者といえば聞こえはいいが、魔族を一網打尽にするために異世界から呼んだただの人間だ。生贄だと言ってもいいだろう。自国民を傷つけないようによそから持ってきた身代わりを良いように祭り上げて、使い終わったら処分してしまうつもりでいたらしい大臣たちは大いに慌てた。
魔法が使えないという事は分かっているが、使い捨ての道具にどんな力があるかなど調べなかった。ちょっと特殊な体質を持つ只の人間だと思っていたからこそ、油断していたのだ。
『魔力を防ぐ結界は制作が最終段階にはいっているんだぞ』
『この世界の人間ではたとえ魔力適正が低くても影響を受けてしまうほどに強力だ引き金を引くことは出来ない』
『しかし…やはり誰か犠牲を払わなくてはいけないのか』
『駄目だ。国民を犠牲に出来ない。勇者を探せ。見つけ出して取り戻すのだ!』
魔力適正が無い勇者をいったいどうやって対魔族用の兵器に仕立て上げる予定だったのか、その分野に専門的な学のないゼリティファは良くわからなかった。だって適性が無いという事は、魔法は一切使えないという事。魔法が使えないということは、この世界では部屋の明かりをつけたりするスイッチすら作動させられないという事だ。起動スイッチを押せないならば爆弾を纏わせ特攻させたとしても、その手に起爆装置を握らせていては作動しない。
不思議には思うが頭を悩ませるのは彼女の仕事ではないと、すぐさま興味は薄れてしまったが、そのモルモット(勇者)が逃げてしまったとなれば途端に興味がわいてきた。
母である王妃は出産時に亡くなり、父である前王はどこかの貴族の手によって屠られた。世間には「病によって身罷った」と通達されているが、それが人為的なものだと彼女は知っている。ようは王家の血筋をひいていながら、傀儡として操れる駒が高位貴族に必要だったのだ。そのため女王という立場に居ながら、自分に発言力は無い。
勇者召喚なんて話が出た時は「なんて馬鹿なことを考えるのかしら」と思ったが、良くよく考えてみれば自分が害されるわけじゃないのだから構わないかとも思ったりして。しかし、彼は同じような境遇から簡単に逃げ出してしまった。外の世界が怖いと思わなかったのだろうか?この世界に、そして彼の周囲に知人がいるはずもないのに。
“私が王であることに、意味はあるのかしら”
こんなつぶやきを聞き取ってくれる人は傍にはいない。彼と同じく彼女も独り。
「…こんなことなら、もう少し興味を寄せてみても良かったかもしれないわ」
静かな部屋にこぼれた言葉。しかし人と話さなくなって久しい彼女の声は、玉座という人から離れた場所に居たこともあり誰の耳にも届かなかった。そんな静かな空間に扉を開く蝶番の音が響いた。扉をくぐって入ってきたのはデップリと太った貴族の男性。禿げが進行してもうほとんどその頭部に毛は残っていないが、僅かに残る毛色がカーキアッシュであることからも察せられるだろう。彼はゼリティファの親族だ。
「いやぁ、お待たせして申し訳ない。状況の確認に手間取ってしまって。いまは…」
玉座まで続く赤い絨毯をドシドシと歩いていく。位でいえばもっと高い地位の貴族も多いのだけれど、ゼリティファの威をかる狐なのだ。彼女にはきついしつけを施し傀儡とし、実質彼がこの国の実権を握っている。そのことを理解している下級貴族はすり寄るような態度をとるし、愛国心のあるものは軽蔑のまなざしを向けながらも反論はしない。背後に王家の血筋が入った女王が控えているため強く出られないのだ。しかも、今回の勇者の案件は満場一致で可決されたもの、否定的な意見が出るはずもない。
「では、魔族に勇者…そうですな、女王の伴侶となる立場の男性を攫われたという事にして、外交問題に持っていきましょう。賠償金をこのくらい吹っ掛けて…」
おや。知らない間に結婚相手まで決まってしまっていたようだ。それでも王女は顔色を変えない。やれと言われればする。嫁げと言われれば嫁ぐ。彼の言葉に首を振るという事はあり得ない。玉座にすわらないまでも、玉座と同じ位置にまで上がってきた彼はゼリティファ女王の前をウロウロと歩いて演説するように声を張り上げた。
そんな城の城壁の一部。木々がちょうどよく日陰を作る人目に触れぬ一角に、ぼんやりと扉が出現する。
“カチリ”
何かがはまった音がした。