164 睨む瞳は未来を見つめ
その人は街道に立ってまっすぐと視線を森に向けていた。実際に見ようとしていたのは森ではなく、その向こうにある人間の国。警戒の色を濃くその視線に乗せているが、警戒しているものは魔物ではなく、人間だ。人間自体は力も魔力もそれなりで、個別であれば特別注意しないといけないわけでは無い。ただ、奴らは群れる。おのれの非力を数の暴力で補うのだ。長くて100年という短命である代わりに繁殖力が高く、成長力も高い。負の感情を強く持つほど、反骨精神によって成長に当てることが出来るのかもしれない。
正直言えば、敵対したくはない。彼らの数を減らすのは簡単だ。脆い命は簡単に散ってしまう。しかし、虐げられれば虐げられるほど、人間は憎しみをためて、道具をそろえ、チャンスを狙い、そして復讐を果たすのだ。
此方の領域に入ってくるつもりだろうか。今まで小さいいざこざを起こしてはいたが、ここまで顕著にちょっかいを出してこなかったはずなのに。
この場所からでは直接視界に入れることはここからでは出来ないが、こうやって真っ直ぐ見つめていればその空気や雰囲気を感じ取れるような気がした。
真剣な視線をまっすぐ森に向けていたその人の周囲を、風が吹き抜けていく。
茶色の瞳に、黒い髪。体系はムキムキのマッチョというほど筋肉質ではないが、普通の人よりは多めの筋肉、そして青みがかっている狼の毛皮を首に巻いているワイルドな男性。
彼こそがペニキラの父で、アルバリエスト領の領主。辺境伯。名前を…
「アラステア様」
彼を発見して側に近づいてきた騎士の恰好をした男性がそう声をかけた。それにこたえるように一度瞬きをしてから視線をそちらへ向けると、騎士は胸に手を当てて頭を軽く下げる。
「村人への説明は完了しました。早急な避難の心配はないが、いつ避難勧告が出ても良いように準備はしておくこと、その際は戦闘にまで発展する可能性もあり得る為各自備えを、と通達してあります」
「そうか。分かった。農民たちの様子はどうであった?」
「さすがに不安そうでした。不安をぬぐうために騎士や自警団が見回りの回数を増やすことを検討しています」
「平和であったから、余計にそれが崩れることが怖いのだろう。騎士は他に街路の巡回もあるから厳しいだろうが、自警団なら進んで見回りをするだろう。後で肉でも差し入れておこう」
「は、仰せのままに」
報告を受けて、アラステアは1度頷いてから身を翻し森に背を向けた。少し離れた場所に馬車が用意されていて、彼が近づいていくと傍についていたガラ・レベリアーノがスッと扉の前に移動する。乗り込むなら自動ドアのようにあけるのだろう。堂々とまっすぐ歩いていくアラステアを追いかけながら、先ほど報告をした騎士が不安そうにチラチラと視線を森とアラステアへ交互に向けた。その不安そうながら強い視線に顔を向けずとも気づいたアラステアは、少しだけ首を振って少し後ろに居る騎士を振り返る。
「気になるのか」
「え」
「人間の国だ。過去に幾度と和平条約を結んだが、それを破るのもあちら側。ゆえに不安なのだろう?」
「そんな事ございません。アラステア様のいらっしゃるアルバリエストの騎士たちがいるのです。たかが人間ごときに…」
「だが、彼らは復讐の為に命を散らすことを厭わない。短命種のくせに…いや、一生が短いからこそ命をかけた特攻ができる種族だ」
そして虐げられた記憶を糧に必ずその思いを遂げる。どちらが先に手を出したかなんて関係い。短命だからこそ、真実はいいようにゆがめられて伝えられ、やられた、だかららやり返すという単純な思考に陥ってしまうのだ。
「今すぐにどうこうなるわけでは無いだろう。平和的解決も、ありえないわけでは無い」
「…はい」
それでも不安そうな騎士の肩を軽くたたいてから、アラステアは馬車に近寄った。ガラがスッとタイミングよくドアを開けば、歩調を緩めたりすること無く乗り込むことが出来て、何やら合図をしてからガラも乗り込み、そして静かにドアが閉められればスムーズに馬車は走り始める。
簡単そうに見えて、御者とのガラの阿吽の呼吸に感嘆の意を示さずにはいられない。ほうと小さく息を吐いて口の端を持ち上げてにんまりと笑えば、ガラも静かな微笑を返した。いつもの事ゆえに「凄いな」なんて言葉をかける事はしない。その段階はとうに超えているのだ。それをガラも分かっているから、特に気にした様子はない。
「それで、屋敷の方はどうなっておるのじゃ?ナツキという人間は行動を起こしたかの?領主であるワシがおらんようになれば、何やら腹に抱えておれば動くと思ったが」
「彼は最初に顔を合わせたときからまったく変わっておりませんよ。人間ではありますが、善良な方で間違いないかと」
「ふむ。そうれは朗報。素直で良い子じゃとペニキラも言っておったでな」
そして2人になったとたんにアラステアの口調は崩れた。本来ならばこれが彼の真の姿なのだが、一応人前に出るときは意識して格好良くしているのだ。ただ、これをペニキラが真似てしまい、彼の本来の口調がこちらであるという事は周知の事実なのであるが、それを知らぬは本人ばかり。微笑ましいと表情を緩めつつも声に出すことは無い。
「それと、精霊様が顕現なさいました」
「なに!?…やけに素早く森の中の人間をあぶりだしたと思ったが…」
「はい、精霊様がお力を貸してくださったのです」
「なんと。…いや、それにしても恐ろしい。森の中の人間をピンポイントで探し当てるとはのぉ。隠されるようにしてあった砦まで暴いたのじゃろ?」
「凄い力でございました。森の入り口に立ち、森の中を指さして「あちらへ500メートル、崖下」などと言い出したときは何かと思いましたが」
「森の中を感知できるようじゃ。精霊様の母体は、森、もしくは大樹かもしれん」
「そこまで聞き出すことは出来ませんでしたが…精霊様の事をお伝えするのが遅れて申し訳ありません。外を回られていて屋敷に戻る機会がなかったため、連絡が遅れました。一応伝令を走らせたのですが、タイミングよく行き違いになったらしくアラステア様に出会えなかったようで」
「あぁ、連日、山のふもとに集落を広げる小さな村に顔を出していたからな」
「本来ならば領主様のすることではございませんよ?」
「仕方なかろう。ここはワシの領地で、彼らはワシの民なのだ。民は国王から承った大切な宝。わしが守らずして誰が守るというのだ」
「…ご立派でございますが、ご自愛なさってください」
この間もガタゴトと馬車は道を行く。目的地は我が家、アラステア辺境伯の屋敷。そこに顕現したという精霊様が滞在しているとなれば、早く戻って挨拶をしなくては。
「人間と争うとなった場合、精霊様はどちらに助力するかの?」
「…静観される可能性も、高いかと」
「じゃが、すでに一度森の中の人間をあぶりだし、ワシらを助けた」
「それでも、攻撃を期待してはいけません」
精霊は大地。大地は星。星はこの世の命の土台。そんな精霊に、一個人の、一種族の願いをぶつけてはいけない。精霊の怒りは大地の怒り。大地が怒れば、星も起こる。星の怒りは大災害を引き起こし、一種族を綺麗に排除するなんて器用な結果にはならないのだ。
「ままならぬの」
「まずは情報を集めましょう」
「そうだな」
人間を追い返してくれと頼んだばかりに、大地が揺れて地震を起こし、小さな村がなくなるなんてことになってはならない。強大すぎる力というのも、扱いにくいなと溜息を零した。