163 気づく、そして選ぶ【平和な世界からやってきて】
平和な世界からやってきて、争いが起きるかもしれない場所に放り出された。戦いは怖い。戦争は怖い。でもそれよりも、また知り合いが目の前で消えてしまう方が怖い。
ジュリアンは今、夏輝の隣にいてくれる。でもまたいつ腕輪が発動して消えてしまうか分からない。争いに巻き込まれるよりも、また一人になってしまう方が恐怖を大きく感じた。
困惑、迷い、そして緊張した空気を断ち切ったのは、パキリという枝を踏んだ軽い音だった。ハッとして顔をあげて音のしたほうに向けた夏輝は、この人影が思っていたより自分たちの近くに有るのに気づく。慌てた様子でジュリアンを振り替えり「聞かれた!」と目で訴えるが、ジュリアンは「大丈夫」という意味を込めて首を小さく横に振った。
確かに声は届いていて、会話は聞かれていたかもしれない。植物の感知能力でずっとついてきているのは知っていたし、内容を聞こうと少しずつ距離を縮めていたのにも気づいていた。しかし、日本語という外国語を理解出来なければ意味のない音の羅列にしかならない。だからこそ母国語を選んだのでもあるのだけれど、言葉を切り替えていた自覚が無い夏輝は分からなかったようだ。後で教えてあげよう。彼の事だ、その事を伝えれば意識的に話す言葉を切り替えることが出来るようになるかもしれない。
感づかれたと気づいた人影はコソコソするのをやめた様だ。堂々と姿を現したことには褒めてもいいかもしれない。こちらへ近づいてくる人影は2つ。1つは見た事のある赤毛の男、ファンパブロだ。口をへの字に曲げて不満そうな顔をしているのは、人間である夏輝と精霊と思われているジュリアンが一緒に居る事が許せないからだろうか?だとしても直接口にしてジュリアンの気分を害すのは本意ではないようで、グッと我慢しているといった様子だ。
そしてもう1人は見たことのない眼鏡の青年。ファンパブロが戦士という見た目に対して、こちらは簡単なデザインの礼服の様なものを着ていて、どちらかと言えば非戦闘員の文官だろうという見た目をしている。ファンパブロとは対照的な緑の髪色、しかし目は彼と同じ金色の瞳。切れ長の目から送られる眼差しはツンとしていて、簡単に笑顔を想像できないほどではあるが、ファンパブロと眼鏡の彼は雰囲気が似ているように感じた。
「こちらにいらっしゃいましたか。探しました、精霊様」
ずっと追尾していてそばに居たくせに、とは思うがそれを口に出さずにジュリアンは緩く首を傾げてみせた。それをどうとらえたのか、右手を胸に当てて軽く頭を下げる。
「初めまして精霊様。僕の名前はロスカルシェ。この辺境伯の屋敷でバトラーとして働いています。お見知りおきを」
「ロスカルシェ…バトラーって事は、ガラさんの?」
「ガラ・レベリアーノは僕の上司に当たります。彼ほどの働きにはまだ到達していませんが、決して不自由はさせません」
「あ、君が世話役としてついてくれるの?」
「そう仰せつかっております」
うやうやしく頭を下げるロスカルシェに、なんだか面倒そうな人が側につけられてしまったと溜息を小さく吐き出すジュリアン。数秒沈黙が続いた後、会話がひと段落したと判断した夏輝が口を開く。
「俺は…」
「人間の方は存じています」
「…う」
ジュリアンに習って名を名乗ろうとした夏輝の言葉を冷たい視線とともにぶった切ると、その勢いに押されて夏輝は口を噤んだ。その態度にジュリアンが眉を寄せて顔をしかめると、ファンパブロが慌てた様に前に出てロスカルシェとジュリアンたちの間に立つ。
「も、申し訳ない。こいつちょっと頭が固くて…」
「頭が固いとはどういうことだ。ファン、この屋敷は今人間を警戒する動きが強まっている。彼も早々に隔離するべきなのだ。本来ならばな」
「だが、彼は国から逃げてきた異界の民らしいじゃないか。決めつけるのは良く無いぞ」
自分の失敗は棚に上げて夏輝を擁護しロスカルシェを諭すファンパブロに、ジュリアンと夏輝は心の中で声援を送る。下手に口を開いてややこしくするのも面倒だ、と同じことを考えているあたり2人は意外と似たもの同士なのかもしれない。横やりが入らなくてもやり取りはヒートアップしていく。
「君はそう緩い性格をしているから問題をいつも抱え込むことに…」
「ロス、それは今関係ないだろ!?だいいち、ペニキラ様からナツキは精霊様の連れとして丁重にもてなす様にと連絡が来ているだろう?」
「これでも最大限譲歩している。本来ならば僕の視界に納めたくないんだからな」
「そんな事言ってたら仕事出来ないぞ。彼のための教育係も合わせて任命されていたじゃないか!」
「「え」」
目の前で繰り返される言い合いに、もう屋敷に戻っても良いかな?と思い始めていた2人はさらっと告げられたファンパブロの言葉に同時に言葉を発した。それに反応してロスカルシェと向き合うように立っていたファンパブロが振り返って2人を見る。
「まだ正式に通達されていなかったかな。人間であるナツキにこちらの世界を教える役目、そして精霊様をお世話する付き人としてこいつ、ロスカルシェが選ばれたんだよ」
「そんな。情勢を教えてもらえるのはありがたいですが、付き人なんて必要ないよ。誰かに世話してもらったことなんて無いし…」
「遠慮なさらないでください。これは僕が立候補したことでもあります。人間の世話はついでとばかりに付け足されてしまいましたが。」
「またそう言う…取り合えつ引き連れとけって。屋敷内には主以外立ち入り禁止のエリアとかあるし、そういった場面でもわかる奴がいると便利だろ?」
最初は丁寧な口調を心がてていたファンパブロだったが、次第に崩れていき、もう面倒だと思ったらしい。砕けた口調でそう言われて、それもそうかも、と思ってしまう。夏輝はここでも居心地悪そうに少し身じろぎをしたが、とりあえず世話になってる身として怪しまれる行動は慎もうと考えて口をはさむことはしなかった。既にこんな空気の中に約一週間滞在していたのだ。軟禁されていたあの国に比べれば、幾分か自由が認められる今の方が居心地は良いし、何よりもめ事を起こして追い出されたくはない。
「とりあえず一度屋敷にお戻りください。もうすぐ旦那様もお戻りになります。話し合いも再度行われる予定ですので」
「旦那様…アルバリエスト辺境伯、様か」
そういえばペニキラには出会ったけれど、その親とは顔を合わせていない。ジュリアンは頷くことで返事としたが、既に数度顔を合わせたらしい夏輝は少し疲れたように肩を落とした。
「ここ等一帯の領主として、村をまわって被害が出ているか旦那様自ら視察に行かれたのです。戻られましたらちょうど夕食の時間ですね」
「…」
あぁ、食事問題が。どうしよう。
その一言でどっと疲れを覚えたジュリアンもまた、ため息を吐き出して肩を落とした。