157 騎士、そして姫【ようやく森の】
ようやく森の木々が薄くなってきた頃。少し開けた場所に馬車のようなものが待っているのが視界に入った。いや、荷車…のような。前後で径の違う車輪が付いた木の箱を馬が引いている感じだ。まぁ、立派な馬車が居たところで悪路なら荷車と乗り心地は変わらないのかもしれないけれど。
そんな馬車…荷車のところには男性が2名立っていた。1人は荷車の御者なのか綺麗に色が変わった白髪のおじいさん。だが、山に似つかわしくない燕尾服のような恰好が、ザ・執事といった感じだ。モノクルもとっても似合ってる。もう一人は山に詳しそうな青年だ。…たぶん、青年だ。その面差しはまだ丸みを帯びた輪郭を残し、猫のような金の瞳に濃い赤毛はボーイッシュな女性とも見える。自然の緑より黒が強い暗めの色彩の服を身にまとい、両手に川の手袋をして大きな弓を背負っている。パッと見で思いついたのは野伏だ。
何故この男性を「男性だ」と判断できたかというと、執事っぽいおじいさんと口論に近い話し合いをしていた身体。乱暴な口調と低い声色は女性のものでは無い。
気配を殺すことなく近づいて行けば、先に気づいたのは赤毛の方だった。パッとこちらを向いた顔は安堵の色を見せた後、連れてきた見知らぬ2人に警戒をあらわに眉を寄せる。赤毛の行動でこちらに気づいた執事っぽいおじいさんはそんな赤毛を押しのけてこちらにかけてきた。
「姫様!突然飛び出して行かれて心配しましたぞ!」
「あ、爺。すまぬ、緊急事態ゆえ説明している暇もなかったのだ、許せ!」
「まったく、年齢を召されて少しは落ち着きが出てきたかと思いましたのに…ところで、そちらの者は?見たところ…人間のように見受けられますが」
ペニキラに話しかけていた時は本当に優しそうなおじいさんだったのだが、その視線がジュリアンと夏輝をとらえたとたんに冷え切ったものに変わる。思わずゾクリと悪寒が走り、夏樹は両手で二の腕を摩った。
「コラ、その目を止めぬか!…こちらは人間のナツキ、そしてジュリアン殿だ。失礼のないようにな」
「殿?ちょっと姫さんこんな人間に「殿」とかつけて読んじゃってるわけ?」
名前だけ簡単に紹介されて、名を呼ばれた後で軽く会釈する日本人2人。であったとたんに相手が喧嘩腰でも平和に済めばいいな、と考える程に平和ボケだ。すると紹介する時の敬称に引っかかったのか赤毛が突っかかってきた。これでもかと目を細めて不機嫌そうな気配を隠しもしない。
「だからやめろと言っておろう!詳しくは後で話す。とりあえずは我の屋敷に…」
「なりませぬぞ、姫様。こんな得体のしれない輩を勝手に拾ってこられては困ります。さぁ、元居た場所に戻してくるのです」
「ガラ…この2人は犬猫ではないのだぞ?」
爺と呼んでいたおじいさんをペニキラは「ガラ」と呼んだ。これが名前なのか、愛称なのかはわからないが、覚えておくに限るだろうとジュリアンは心のノートに書き留める。
「そうだよ、動物じゃない。人間だ。…ねぇ姫さん。俺らの地域が中央部から離れてるから直接的な戦は知らないにしても、人間がどれだけ非道な奴らなのかは知らないわけじゃないでしょ?」
「そのことも含め、説明をすると言っておるだろ!?」
「何で今じゃダメなわけ?此処はグルエルに接しているけど、デンタティタルにも近いんだよ?」
「…何が言いたい?」
「分かってるくせに。人間を簡単に信用しちゃダメって事だよ」
本人の前であけすけにものを言う赤毛にジュリアンは嫌な気はしなかった。植物を使って物事を探れるジュリアンは、裏でネチネチ言われる方が強く耳に入って来る場合もある。逆に隣にいる夏輝は渋い顔だ。まぁ、悪口とは言えないが、良くない感情をまっすぐぶつけられて喜ぶ人間も珍しいだろう。若干好感度が上がったジュリアンはまっすぐに視線を向けて言い合うペニキラと赤毛を観察する。
と、ペニキラは素早い動作で赤毛に胸倉をつかんで引き寄せた。まるでヤンキーが喧嘩を売るような鋭い視線で睨みつければ、赤毛が「あ…」と間抜けな声を上げて笑顔が引き攣っている。
そのまま口元が動いたから、彼女は何かを伝えたのかもしれない。赤毛の視線がチラチラと此方に向くのに気付くが下手に動かずにじっとしていると、ペニキラが赤毛を突き飛ばす様にして手を離した。少しだけよろけるように後ろに下がるが、そのままジュリアンの方にツカツカと歩み寄りその右腕を掴む。なんだ、腕輪が見たかったのか。抵抗せずにされるがまま、再び袖を引かれて右手首にはまる腕輪を晒すと、赤毛と一緒に執事のおじいさんも驚いたように息をのんだのが分かった。
「「っ!?」」
「僕は人間です」
あぁ、また勘違い人口が増えていく。とっさにもう反射になりつつある否定文を口にしたが、信じてもらえるかは謎。もうどうしよう。どうしたらいいの?これは誤解させたままで良いの?悪いの?冷静な顔で最大に混乱していると乱暴に腕をつかんだ赤毛はグイっとその腕を引っ張って腕輪を凝視した。
「う、嘘だろ?偽物なんじゃ…」
「何をしておるかファンパブロ!無礼にもほどがあるぞ!?」
「ファン、とりあえず移動しましょう。その間に状況を話してもらうくらいはできるはずです」
マジマジと観察する赤毛、名をファンパブロというらしい。彼を窘めるペニキラは怒った顔で駆け寄ってきて彼の背中をばしりと叩いた。そんな2人を見ながらガラと呼ばれた執事っぽい人が提案を口にして、荷車を指さす。それを見てから互いに顔を見合わせた赤毛とペニキラは、渋々ながら頷きあった。
「そうじゃな。2人には話しておいた方が良いかもしれぬ。屋敷に帰ってからうまく立ち回るためにも、動ける駒は多い方が良かろう」
「まじ意味わかんない。なんでこんなところに精霊様が?…とりあえず移動には同意。早く説明ください」
そう言って赤毛が腕を下ろすと、掴まれていたジュリアンの腕も下がることになる。そしてそのまま離す時、意図せず指先が腕輪に触れた。
-リンッ-
「あ」
音がなる物はついていないのに、鈴のような小さな音が聞こえたジュリアンが声を上げた瞬間。
光が彼を包み込み、光の闇に包まれた。思わず目をつぶり腕で目を覆ってガードした。何という既視感、これは学園からこちらに来た時と似ているな、と思った次の瞬間に辺りの光が落ち着いてくる。そろりそろりと目を開けてみれば、見たことのある廊下、壁、そして張り紙。
「…はぁ?」
どうやらデンタティタルの学園ドルチェスに戻ってきたらしい。クラス分けでにぎわっていたはずの廊下が静かなのは、すでに授業が始まっているからだろうか?ポカンと立ち尽くすジュリアンを笑うように、学校のチャイムが鳴り響いた。