155 騎士、そして姫【ポカンと見上げる夏輝】
ポカンと見上げる夏輝、それをまっすぐ見返す少女。サワサワと風が通り過ぎれば、長い髪が穏やかに揺れる。そして次の瞬間『トンッ』と軽い音を響かせて飛び上がった少女は、ふわりと重力を感じさせない軽い感じを滲ませつつ川の中央から岸に立つ2人の前に着地した。手を伸ばしても届かないが、1歩踏み出せば攻撃が届く絶妙な距離だ。それを瞬時に理解したジュリアンは、夏樹の後ろに半歩下がった。別に彼を盾にして逃走できるようにしたわけでは無く、ばれない程度に半身を隠して装備していたナイフの柄にそっと手を乗せたのだ。
「もう一度問うぞ?おぬしら何物じゃ。この森は精霊の住む清き森、許可なく入る事は出来ぬ場所じゃ。返答によっては許さぬぞ」
手ぶらで武器すら携帯していない様だが、自分の強さに自信がありたとえ男性2名でも倒せると自覚しているのか凛とした声が空気を震わせる。強い口調で責めているような芯のある声だが、かわいらしい声色のおかげでさほど恐怖は感じない。しかしまっすぐに突き刺さる視線に圧を感じてたじろいだ夏輝は困ったように視線をさまよわせた後、視線を下げたため必然的に俯く恰好になった。
「すまない。隣の国から逃げてきたんだ」
「…何?」
ざりっと砂利を踏んで半歩前に出た少女は訝し気に眉を寄せる。そんな表情も似合っているのだから美人は特だな、なんて考えが脱線してしまった。
「隣国、グルエルはそれほど厳しい国政を強いているという話は聞かんぞ。目的を正直に話せ」
「グルエル…グルエル国?」
何処かで聞いた気がする。ぽつりとつぶやいたジュリアンに気づいた少女は、夏樹にまっすぐ向けていた視線を半歩後ろに居るジュリアンに向けた。そしてスッと目を細めると、次の瞬間驚きに目を見開く。
「お、おぬし!?その腕…」
「え?何?腕?」
先ほどまで冷静だった少女の突然の変貌にはジュリアンもさすがに驚いた。腕に何かついているのか、それとも変な事態が起きているのか、少女に言われてパッと腕を観察するべく手を上げて視線を落とすがしかし、特におかしな点は見受けられずに「いったい何を見て発言したのか?」と聞いてみようと再び顔を上げたと同時に右手首を掴まれた。その指は細く、男である夏輝ではない。上げた顔、向けた視線がとらえたのは線の細い女性の顔。桃色の髪をなびかせる少女だった。思った以上に接近されていて思わず後退しかけたが、思った以上に強い握力がジュリアンを逃がそうとはしない。
少女はジュリアン自体には特に気を向けていないようで、掴んだ彼の右腕、その手首にはまる木製の腕輪を凝視していた。
「ま、まさか…その腕輪は…」
あぁ、そういえば神樹様に貰った腕輪が…と自分もそれを見た時思わず首を傾げてしまった。デザインが変わったというわけでは無いのだが、シンプルな木目の落ち着いたものだったと記憶していたのだが、その模様に鮮やかな緑色が入っていたのだ。
「あれ?僕、こんな腕輪…」
自分で着脱した記憶はないから取り換えられたりはしていないはず。スッと表面を撫でてみるとその感触は短期間ながら慣れ親しんだもの。形自体は変わっていないから、やはり見た目が違うだけであの腕輪のはずだ。袖に隠れて見えていなかったため気づくのが遅れてしまったようだが、そこに鮮やかな色の腕輪があるのは事実。そうだな、感想を言うとしたら長い年月の間に風化してしまった物が作られたばかりのころによみがえったような感じだ。ただ、どうしてそうなったのかはまったく分からないので、少女の反応を見ることにした。
「本物を見るのは初めてじゃが、書物にある情報通りじゃ。間違いない、これは精霊の腕輪。…は!も、申し訳ない事をした。精霊様とは知らず、無礼なことを…」
「いや、僕は精霊じゃないです」
流れに任せてしまおうかと思ったが、このまま勘違いが進むと面倒になる気がして早々に自分は人間だという事を暴露した。精霊と言われるとシロの事を思い出すが、彼女もアレでかなりのパワーを秘めていたのだ、もし「困っていることがあります。精霊様のお力を貸してください」なんて言われても、ただの人であるジュリアンには対応できない。しかし、それを見て胸の前で祈るように手を組んだ少女は恍惚とした視線を彼に向けた。先ほどの凛としていた姿とはすごい違いである。
「何と…いや、そうであった。精霊様はそのお力のせいで狙うものが堪えぬ。そのため最初に出会った存在に擬態すると聞く。うむ、そうだ、貴方は人間、そうであるな」
「いや、だから本当に…」
「ジュリアンは精霊だったのか…だから俺を見ても動じなかったし、助けてくれたのか。そういえば、何となく森の中に集落があるのに気付いている感じだったし、森の精霊なら木々を使って周囲の探知を…」
「ちょっと待って。ぼくは本当に人間だ。特にこれと言って得意なことは無いただの…」
「そうじゃぞ!彼は人間だ。精霊だとほかの場所で口にしてはならぬ!存在を狙われたら命が危ないのじゃ!」
「わ、分かったよ。ごめん、次は気を付ける」
「いや、だから本当に僕は精霊じゃないんだって!」
だめだ、いくら否定しても「分かってるよ」という生暖かい目で見られて信じてもらえない。もういいや。諦めた。最初に自分は否定した。話が違う!と後で言われても自分は違うと否定した、と突っぱねよう。
「こほん。精霊さ…じゃない。えっと…そうじゃ。数々の無礼を詫びる前に、名を名乗らせてもらってもよろしいだろうか?」
「えぇ、構いませんよ」
とこか態度が投げやりなのは仕方ないだろう。ジュリアンの声色に特には特に気にした様子は見せないまま、少女は掴んでいたジュリアンの腕を放すと2歩ほど下がって身なりを整えた後胸に右手を当てて軽く頭を下げた。
「我の名はペニキラ。グルエルに一番近い土地の領主の娘じゃ。種族で言うと魔族になるのかの?じゃが基本人間と変わらぬ。どうか人に擬態した貴方様とも仲良くさせてほしい」
「…ペニキラ…。そうか。僕の名前はジュリアン、彼はナツキ。こちらこそ、仲良くしてほしいと思ってるよ」
あれ?ペニキラ…ってペニキラ国が…うん?なんだか頭がごちゃごちゃしている。いや、そうだ。ペニキラは物語になった姫の名前だったと記憶している。登場人物の名を貰う事はそう珍しくもないだろう。
互いに名乗りあった後、軽い握手を交わした。