154 騎士、そして姫【サラサラと流れる】
サラサラと流れる水を飛び越えて、川を渡った2人はいったん休憩をとることにした。夏輝の話では、森の中に国境があるのだが魔物も多く管理する人も居ないため、この川が国境の代わりとなっていて居るらしい。
「でもそれ、おかしくない?」
「ジュリアンもそう思うか?普通国境って言えば厳重に守られるはずだ。しかも国境の近くに人が住む場所があるならなおさら。流れてくる人間を管理するためにも、戦争時に拠点となりえる場所を監視するためにも、それなりに大きな砦が必要だろう。こちら側には小さいとはいえ人の集落はあるけれど、川の向こうに建築物は見えない。…まぁあの集落も此処からでは見えないけれど…」
「あるけど分からないという可能性もあるね。でも、この国境沿いに集落があると気づいていないのか、作る必要が無いのか」
「作る必要が無い?」
「森が壁の役割をしているという事さ。強い魔物がいるとか、険しすぎて進軍するのは無理とか。自然の要塞といったところか」
「成程…では、むやみに足を踏み入れないほうが良いという事だろうか?」
「中の様子が分からないうちは迂闊に飛び出ないほうが良いだろうけれど…」
そう。内側が分からないから不安になるのだ。ジュリアンはそっと近くにあった木の幹に手を置いて、目を伏せた。あまり長時間植物の探知を使っていると怪しまれるかと考えて、ざっと周囲を見わたすだけに済ませたが、少なくとも周囲に人の気配はない。生物も、人間ほど大きい個体は見つけられなかった。
「今のところ、周囲に脅威は迫っていないみたいだ。でも、いつまでも安全とは言えないから、この後どうするかは速やかに決めないと」
「さっきも思ったけれど、それは君の魔法なのか?便利だね」
「僕の事はとりあえずおいておいて…それより、君は元居た場所を逃げ出してきたといったね。良くここが国境だと分かったね?」
「いつもはじかれる軍事会議に聞き耳を立てていたんだ。正しいという保証もなかったけれど、今を逃すと本当に逃げられないと思って行動に起こした。…あぁ、そう考えると俺の無謀な脱走にジュリアンを巻き込んでしまったんだね」
「いや、ぼくの事はどうでも良いけれども…脱走を考えてたのなら、なおさら武器を用意するべきだったんじゃないのかい?」
「武器なんて、包丁くらいしか持ったことが無かったんだ。剣術の経験もないし、弓矢なんてもってのほか。まとに当たるかすら定かじゃないし、扱いを間違えて自爆する可能性の方が高かったから。刃物よりは鈍器の方が、手入れも簡単だし現地調達も出来ると思ったんだ」
「まぁ、気持ちは分かるけれど…」
あの集落から離れたせいか、夏樹の顔にも笑顔が浮かぶ。川沿いにゆっくりと下っていきながら、そう会話を続けている中で、ジュリアンは冬威の事を口にしようとした。似た服装をした子を見たことがある、という出だしで良いだろう。少しだけ緊張をしながら口を開きかけたとき、ザワザワと揺れていた木々が一瞬ピタリと止まった。
一瞬の空白。特に珍しくもないと気にしないジュリアンとは対照的に、夏樹は身構えるように姿勢を低くして周囲を見渡した。その様子を不思議に思いながらもつられるように周囲を観察し始める。目視では何も見つけられない。木々の力を借りなくては。ジュリアンは川沿いから数歩分森よりに移動して樹の幹に手を振れようとするが、彼の腕を夏輝が掴んで行動を妨げた。
「どうしたの?」
「…静かだ」
「偶然風がやんだだけかもしれない。もし、周囲に何か来ているならば、警戒しておくべきだろう?」
「…」
すぐそこまで行くだけだ、と側の樹に向かって指をさすジュリアンを見てそっと手を離した。夏輝は、自分が目の前で誰かが消えるという現象についてトラウマになっているかもしれないと感じ、腕をつかんでいた自分の手を見下ろす。
「次は絶対、離さないぞ」
ジュリアンは今さっきであったばかりの良く知らない人だけれど、彼は自分を奇異の目で見たりしない。少なくとも今は、隣に居て安心できる気がする。一人は少し、心細い。ギュッと拳を握った彼の耳に、再びザワザワと木々の揺れる音が戻ってきた。変な陣が発動するかと思ったが、勘違いか。取り越し苦労で良かったと安堵の息を吐き出したが、今度はジュリアンが慌てた様子で距離を縮め傍に来た。
「何か来る」
「え?!何かって?」
「分からない。移動速度は速いけれど、人間に出せない速度ではない。木々をジャンプで渡るように駆けているみたいだが…」
「こちらに来るのか?」
「まっすぐに近づいているわけでは無いけれど、探知能力に優れていたら見つかるだろう距離には近づくかもしれない」
それを先に察知できるジュリアンに少し驚くが、無言で頷いて見渡しの良い川沿いから少し森の中に入ることにした。何処からどのように来るのか、何処に身を隠せば気づかれないか。短時間で考えをまとめたジュリアンが少しだけ森に入った場所の茂みに身をかがめると、それに習うように夏輝も隣に身を伏せた。
「…来る」
突然出て来て驚くよりは、と気を聞かせてくれたらしいジュリアンの言葉通り、ガサガサと大きな葉音がした後に小柄な影が飛び出してきた。それは川の中に頭を出していた岩の上に飛び乗ると、背筋を伸ばして立ち上がる。
「え…女の子?」
サラリとこぼれる薄桃色の髪は長く、下手をすれば踏んでしまうのではないかというほど。ツインテールにしていてその長さなのだから、髪をほどけば身長よりも長いだろう。服装は山を歩くには適さない、和服のような上に、プリーツのあるひざ丈のスカート。色合いはどちらも淡く、白みが強いため土の汚れが目立ちそうだ。履物も白い編み上げのブーツで、これまた山には適さない。都会を歩くおしゃれさんだ。
思わずつぶやいた夏輝の言葉に反応したのか、ピクリと肩を震わせたその子は勢いよくこちらへ顔を向けた。
「だれじゃ。この地に何者かが侵入してきたことは知っておるぞ」
声は幼さの残るかわいらしいものだった。そしてこちらを向いて分かったその容姿も驚くほど整っていた。髪と同色の薄桃色の瞳、赤い唇。思わずその美貌に見とれてしまった。