144 理事長、そして入学【穏やかな笑顔は】
穏やかな笑顔は忘れようもない。数日前に別れたばかりだというのに、勘違いだとか、そっくりさんだとか、なぜかそう微塵も思わない程に「同じ存在だ」と強く感じる。混乱している一同は視線をきょろきょろと動かして神樹様を観察してしまうが、いち早く我に返ったジュリアンがコホンと軽く咳払いをすることでみんなも我に返った。
この中でクラックだけは面識がないために、警戒をしつつも仲間の反応をみて不思議に思っているようだ。
「えっと、僕たちあなたによく知った存在を知っているのですが…」
とりあえず、一緒に行動していたわけではない神樹様を「別人だ」と仮定して質問を投げかけてみた。すると彼はニコリと笑ってうなづいて見せる。
「はい、存じておりますよ。エルフの里の御神木でしょう?」
その言葉に、冬威は「ご神木?そうだったの?」という顔をシェルキャッシュに向けた。神樹として君臨していることは知っていたが、それは町長的な存在だと思っていた。御神木といわれると祀られている神様的な存在を連想して、エルフの里の神樹様と一致しなかったようだ。その視線を受けたシェルキャッシュは軽く肩をすくめながらも説明をしてくれた。
「えぇ、そうよ。神樹様は我らエルフの里を守る大切な存在。里の長でもあり、我らが崇める神でもあらせられるの」
「神…そうだったのか…」
「あら、知らなかったの?あれだけエルフの皆から崇められている場面を見ていたというのに」
「崇め…られてた…のか?」
シェルキャッシュの言葉を受けて神樹様の行動を思い返してみるが…世間話したり、森の中では茶目っ気たっぷりに襲われたり、良い方に考えても世話焼きのお兄ちゃんという印象が強かったようだ。困ったような視線をジュリアンに送る冬威に、ジュリアンも困ったように笑っただけで言葉は返さなかった。
「ふふふ。お客人には相当砕けた対応をしたようですね。ですが、その理由もわかります。あなた方は特別だ」
目の前の神樹様のそっくりさんはそう言って笑みを深くした。その笑い方もそっくりだ。直感でジュリアンは彼こそが神樹様が手紙を託した相手ではないのか?と思い、鞄を探る振りをしてアナザーワールドに置いておいた荷物の中から預かったものを取り出した。しかしまずは、人違いだったら失礼だと手紙を胸に抱いたままで少しだけ首を傾げて質問を投げかける。
「あの、僕たち神樹様から指名依頼を受けていました。…あ、エルフの里の彼を知っているのですよね?混同しないようにあなたの名前を伺いたいのですが」
「私?そうですね。周りの人からは理事だったり学長と呼ばれているのでそれで呼んでもらってもかまわないのですが」
学長。手紙を渡す相手は確か出世して理事長になったと聞いている。彼の線が濃厚になったところで、隣に居た冬威が口を開いた。
「でもそれは、名前じゃなくね?」
「…そうでしょうか?」
「だって、学園の長という意味だろ?それは役職の名前であると思うんだけど」
学長が名前だなんて、からかっているのか?という思いも少しばかり感じたためにちょっと強い言い方をしてしまったかもしれない。しかしその様子を少しばかり吃驚したように見てから神樹様にそっくりの彼は声を上げて笑った。
…何かおかしなことを言っただろうか?
「確かに、正論です。学長は人名として名乗るにはいささか失礼であると言えるでしょう」
「…はぁ、そうです…よね」
「ですがあなたたちは私の名前を知る権利を持っていません」
「…どういう事ですか?」
なんだ?試練か?いじわるなのか?ストレートに内容を教えてくれない神樹様のそっくりさんにイラッとした冬威は、隠すことなく顔をしかめて不機嫌を現したが、彼は相変わらずの笑顔のままで先を続けた。
「神樹様。…シンジュサマ。これは彼の名前でしたか?」
「…え?」
「あ。そう言われれば、神樹様も…もしかして役職名?」
「うっそ!マジか!?…そういわれるとそうかも。でも俺まったく違和感まったく感じなかったぞ」
「シンジュって響きが名前に近いせいかもしれないね。神の樹っていう意味があると説明を受けたけど…」
そっくりさんの質問に、ハッとして顔を見合わせた冬威とジュリアン。そう言われれば、神樹様も名前では無いかもしれない。そんな驚きの2人よりも、もっとショックを受けたような顔をしていたのがシェルキャッシュだ。両手を口にあってて、まるで身内の不幸でもあったかのように顔が青ざめている。
「まさかそんな…何てこと!…わ、わたくしあのお方の名を把握していなかったというの!?」
「でも、他のエルフ達もまったく違和感を感じてなかったようだが?」
「クロも名前と思ったの?シロも!シンジュさまって名前と思った!」
「それにしてもなぜ誰も名を尋ねようと…あ、もしかして、知ってはいけない事なのですの?」
慌てた様子でそっくりさんに詰め寄るシェルキャッシュに上半身を少しだけ引いて彼は少し視線を下げた。
「私は様々な名で呼ばれているますが、正しくは1つ。賢者様が下さった、唯一無二の存在名。ゆえに簡単に名乗れないのです」
「簡単には名乗れない?」
「名前とは個人を特定する大切な鍵。…魔法を使うものにとっては特に重要なキーなのです」
「…成程」
名を縛るとか、真名を知られると従属するとか、そういう手の話はごまんと合った。たった1つの名、というのが神樹様とそっくりさんでどう関係しているのかは分からないが、とりあえず名乗ることは出来ないのだと推測する。
「とりあえず理事長、でいいですよね。エルフの里の神樹様から理事長あてに手紙を預かっています。名を聞いてこなかった、と思いましたが、名乗れないのが相手だとしたら聞かなかったのではなく伝えることが出来なかったのだと推測します。その上でしつもんです。この手紙のあて先は、貴方であっていますか?」
持っていた手紙を軽く振って視線を投げれば、理事長はクスリと笑って頷いた。
「いかにも。彼が託した手紙、あて先が理事長であるならば、その相手は私以外にいないでしょう」
…なんとも胡散臭い。しかしそっくりな顔が疑う事を出来なくさせていた。