130 前に立つ、そして前衛【“…シーン…”】
“…シーン…”
ドアがパタリと閉じた後。部屋に残った冬威、シェルキャッシュ、獣人の子、そしてクロはそれぞれ自分の胸の内で考え込んでしまい沈黙が辺りを支配した。
一番最初にそのことに気づいたのは意外にもシェルキャッシュで、パッと顔を上げて俯き加減の周囲をぐるりと見渡してからおずおずと口を開いた。
「あの。…先ほどの質問は流れてしまいましたが、もう一度聞かせてもらえませんこと?貴方のお名前はなんとおっしゃるのかしら」
シェルキャッシュの声に反応した冬威もパッと顔を上げて彼女を見てから、彼女の視線の先に居る獣人の子に顔を向けた。確かに、質問をしておいて回答を聞く機会を逃してしまっていたなと気づくと数回頷く。
「そうだった。せっかく名前聞いたのに、返事を聞く前に脱線しちゃって…ごめんな。俺は冬威っていうんだ」
「わたくしはシェルキャッシュです。見てわかるかと思いますが、エルフですわ」
「さっき出て行った男の方がジュリアンで、俺と同じく人間。で、後を追いかけてった女の子はシロっていうんだ」
シロの事はとりあえず名前だけにしておいた。臭いが薄いとか言っていたから、もしかしたら精霊に近いとか、普通の人間じゃないとか、察してしまって居るかもしれないけれど明確な発言は意識して避ける。
「…我はクロ。して、おぬしは?」
最後にクロが名前を名乗って再度名を問いかけると、獣人の子は少しだけ顔を俯けてしまった。
「名前?…名前…俺、呼ばれたこと無いかも…」
「え?」
そのつぶやきは小さかったが、静かな室内では聞き取るのに十分な声量であった。仲間と一緒に居て、家族と一緒に居て。大切にされてきていると感じていて、それでいて名前を呼ばれたことがない?
…そんなことがありえるのだろうか。
俯いている獣人の子に悟られないように、視線をシェルキャッシュに向けた冬威。彼女は信じられないと言いたそうな顔で軽く首を横に振り、続いてクロへ視線を向ければ軽く肩をすくめてみせた。
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まだ太陽は真上に上がりきっておらず、そろそろ朝食の時間は終わるだろうという昼間。
寒くもなく、暑くもない穏やかな気候の中をスタスタと歩いていくジュリアンは、目的がはっきりしているために周囲を見渡したり移動速度を緩めたりはしない。
その後ろをトテトテとついてくるシロは、話しかけるでもなく、横に並ぶこともなく、ただ黙ってジュリアンの後ろを追いかけていた。
ジュリアンはジュリアンで、ついてきている事を気づいていながらまったく気にしていない。そのために女性を伴うにしては速い速度で歩いているが、シロは難なくついてきていた。
水は生活魔法でなんとかなる。荷物として用意してしまえば場所もとるし、必要不可欠な物のくせにとても邪魔。アナザーワールドを倉庫というかアイテムボックス代わりに使えそうなので、荷物は多くても大丈夫なのだけれど、時間経過があるみたいだし、水であっても腐ってしまう。ならば水を買う必要はないけれど、いざというときの為に水筒は用意して、各自に配っておいた方がいいだろうな。
狩りが出来れば肉は何とかなるだろう。あまり頼りたくはなかったけれど、クロという強者が居る。最悪の場合は彼女に頼み込んで獲物を捕らえてもらう事も考えよう。山菜なども歩いていれば見つかるかもしれない。その情報を得るために、植物図鑑なんかはおいていないだろうか。あと重要なのが調味料、特に塩は必要だ。これは多少高価でも、多めにキープしておきたい。
旅人が多いせいだろうか。持ち運びに便利なようなサイズの物がたくさんあるし、旅に必要不可欠なものもそろっている。こじんまりとした村ではあるが、結構品ぞろえが良い。
そんなことを考えながらある程度の買い物を終えて、こっそりとアナザーワールドに収納をしたジュリアンは古着屋があることに気づいた。一軒家として店を構えているわけでは無く、ラックにハンガーをかけているフリーマーケットみたいな小さなものだ。それでもふと足を止めてから、そちらに身体を向けて近づいていく。すると店番をしていたおばちゃんがジュリアンに気づいてにっこりと笑顔を向けてきた。
「いらっしゃい」
「こんにちは。これらは古着…ですか?」
「旅人さんが荷物整理で置いて行ったり、持ち主が居なくなってしまった荷物を買い取ったり、ってところだね。新しく作るのは時間も金も必要だからさ」
「確かに。…あぁ、だから子供サイズが多いのか」
「この村の住民も此処を利用するからね」
「成程」
掛かっていた服を1つ手に取り、広げてみる。自分に合わせて袖などの具合を確かめてから目線の高さにまで掲げた。
「…もう少し…これくらいのサイズで、ほかの種類のものはありますか?」
「残念だけど、出てるのですべてだよ」
「そうですか」
自分の物にしては少し大きいが、男性用のシャツと上着。フード付きのコートをラックから外して、見えるように広げる。少し離れてみてみたり、自分に合わせて確かめたり。
しかし、シロはそれがジュリアン自身のための買い物ではないとすぐに分かってにんまりと笑った。
「ジュリアン、ソレ大きいね」
「…僕用じゃないから」
「あの子もそれほど大きくないよ?」
「大きくなるよ。そういう骨格をしていた」
「ついてきてほしく無さそうだったのに」
「僕らの旅は安全ではない。…そうだ。いい機会だから君にも言っておこう、シロ。僕らは僕らの都合で旅をしている。君がついてくる必要はないんだよ?」
「でも、ごはんを食べるのはシロの仕事!」
「…まぁ、あの時は。でももうみんなに暴露してしまったし、食事については隠す必要もなくなったから」
「シロ、じゃま?」
「いや。個人的には大変助かっているけれど(シロが居るとクロもついてくるみたいだし)無理に一緒に居る必要はないって、言っておきたかったんだ」
「大丈夫!」
元気に笑うシロに、少し元気をもらったジュリアンもつられるように笑む。
そのまま見ていた服を買うと、宿を目指して歩き出そうとした。
「若いっていいわねぇ」
お店のおばちゃんが何をもってそういったのか。気になったジュリアンは足を止めかけるが、すかさず伸びてきたシロの手が止まることを許さない。
…まぁいいか。
どう思われていようとも、明日にはここを去る身だし。
さて、宿屋に残した面々は何をしているだろうか。あの子は残るというだろうか。
少しばかりドキドキする気持ちをおちつかせるように右手を胸に当てた時、ふと視界の端に銀色の輝きが目に留まった。