8:車輪と揺りかご
通学路なのでたくさんの児童が好奇の視線を浴びせて去っていく。気恥ずかしさが立ち上る。
「場所を変えよう 」
近くの公園に移るや否やオレはすぐに続きの言葉をはいた。
「ついて行くっていっても、途中までだぞ。お前が電車に乗れるか不安だから目的地に着くまでだ。……家出には付き合わねぇからな」
突然の提案に少しだけ戸惑いの表情を浮かべた雨宮は、すぐに平坦な口調になって返事してくれた。
「いいよ。このあと買い物付き合ってくれたらね」
十一月下旬の肌寒い一日だった。ブランコが木枯らしに吹かれて揺れている。
友達をたくさん失い、爪弾きにされた気分を晴らすため、誰かに必要とされたかったのだ。
だからこれは、断じてデートではない。
そのあと俺たちは徒歩で一駅離れたショッピングモールへ行き、家出に必要なものを買い揃えた。
なにを集めたかは、メモ書きがないので、はっきりと思い出せないが、歯ブラシとか、道中小腹を満たすお菓子とかわざわざ買い集めるほどのものじゃなかったことを覚えている。
「暗証番号みちゃだめだからね!」
途中、銀行に寄った雨宮は通帳とカードをATMに差し込んで、貯めたお年玉を引き出していた。二万円だった。
「これだけあれば、なんでもできるよ」
その大金にビビって声も出せなかった。
「伊瀬の分の運賃も出さなきゃだから、大切に使わないと」
雨宮はそう呟くとすぐに現金をポシェットにしまい大事そうに肩からさげた。
「ば、ばかにすんなよ」
「なにが?」
「自分の電車賃くらい自分でだせるぜ」
「え、出せるの?」
「なめんな」
大見得をきったオレには一つの秘策があった。
学校帰りのランドセルには、裕一から受け取ったレアカードと、今まで大切にしてきたデッキがあった。
友達と遊べないのなら、未練はない。
早速、カードショップに行きカウンターにそれらをデンと並べ、査定を待った。
今は親の同意書がないと売れないらしいが、子供の頃は規制が緩く、持っていけば誰でも売ることが出来たのだ。
全部で三千円になった。
買い集めるのに、その二倍の値段はかかっていたが、三人の夏目漱石にオレはニヤニヤが止まらなかった。うちにある小遣いとあわせて、家出資金は全部で四千円。
どこへでも行けると思った。
「また、明日」
親に内緒の遠出が楽しみで仕方なく、その日はワクワクが止まらなかった。
言ったらどうせ反対されるから事後承諾で十分だ。雨宮みたく手紙を残せばいい。
自分がいなくなったあとどうなるかが気になったけど、たった数時間くらい構わないと楽観的に考えていた。
実行日は勤労感謝の日と合わせて三連休だし、初日くらいはっちゃけたって構わないだろう。
「夕方にはもどります。しんぱいしないでください」
そういう置き手紙をこそこそしたため、九時に床についた。
明け方、朝一番の電車で、夜が残る冷たい朝を旅立った。
日の出が町を照らしていく。雨宮は紺色のカーディガンにカーキ色の長ズボン、それにでっかいリュックサックを背負っていた。とてつもない大荷物だ。
「大切なもの全部もってきたんだ」
「ふぅん。何はいってんの?」
電車のドアが開く度、冷たい空気が車内に流れてくる。車掌は節約のためか、暖房は一切いれておらず、初冬の朝には厳しい温度だ。そんな中、隣の優しい体温だけが唯一の安心感をもたらしてくれた。
不安はなかった。
どこへでも行けると思っていたし、なんにでもなると考えていた。
浅はかかもしれないが、楽観的な方が物事はうまくいくのかもしれない。
何もかもが順調だった。
「服でしょ、本とー、それからぁ」
正面に回したリュックサックから大学ノートを取りだして雨宮は自慢げにそれを掲げて見せた。
「家出計画ノート!」
「持ってきたのかよ。まあ乗り換えとかわかんないもんな」
「あとお弁当」
「旅行気分じゃねぇか」
「あばあちゃんの目を盗んで作ったんだ。伊瀬のぶんもあるよ」
「……サンキュー」
何事に関しても本気度が足りないと思うが、小学生なんてそんなもんだろ。
始発といえど都心に向かう電車であり、疲れた顔したサラリーマンが足りない睡眠を車内で貪っていた。修学旅行気分のオレたちでも分別は弁えているので、ボソボソと耳元でする会話はちょっとした内緒話みたいで緊張した。
人がどんどん増えていく。
ターミナル駅での乗り換えの際、二人であたふたし、駅員さんに訊きに行ったたり、
人の流れにのまれ、離れ離れになりそうなのを、肩に手をあてて防いだり、
そんな無駄なシーンばかりが鮮明に残っている。
落ち着いた会話が出来るようになったのは、ビルが減って、田園風景が広がるようになってからだ。
「雪乃のパパとママもこうやって旅に出たんだって」
電車が揺れる度、心地よい睡眠の波がゆったりと寄ってくる。
「ふーん、旅行好きだったんだ」
波を跳ね返すため、持ってきた携帯ゲームに興じていたオレに雨宮が話しかけてきたのは、地元駅を出発して一時間がたった頃だった。
最初は興味津々で隣で覗き込んでいた雨宮だったが、ものの数分で飽きが来たらしく、退屈しのぎの会話を楽しむように微笑んだ。
「違うよ。駆け落ちしたの」
「駆け落ちって。あぁ、なんか二人でどっかいくってやつだっけ。前に言ってた」
「ほんとはね。男女が家柄とか、そういうのをいっさいがっさい捨てて、愛し合うことをいうんだ」
「は?」
一瞬頭が空っぽになった。
「そ、そうなんだ。なんかすげぇなお前の親」
「それくらい二人の愛は燃え上がったってことだよ」
一瞬の沈黙。
「ところで、伊瀬、雪乃たちのは駆け落ちになるのかな」
「ば、ばかじゃねぇの!? 違うからな!」
「んふふ、わかってるよ。ばーか」
イタズラそうな笑みにからかわれたことをさとってオレは静かにムカついた。
「ママの実家はね、すんごいデカくて、広いんだ。だけどママはパパとの愛をとって勘当させられたの」
「金持ちか。うらやましいな」
雨宮は年齢に似つかわしくない難しい単語をよく用いた。
親子の縁を切る、という意味を持つ勘当もその一つだ。
その時のオレは意味を知らなくて、親戚が『感動』したもんだと勘違いしていた。
「それで駆け落ちた先で雪乃が産まれたんだけど、……最近パパが出ていっちゃって、雪乃だけ遠い親戚の、……お祖母ちゃんに引き取られたんだ」
「ふーん、離婚したの?」
「うん。パパがいなくなってさ。それでママは実家を頼って、だけど、面倒みるのは、……雪乃だけだって。お祖母ちゃんが」
「大変なんだな」
「それでも、雪乃、やっぱりママと暮らしたいから。……家出した」
「へぇ……」
彼女の説明の半分以上が理解できなかった。
今でも深い理由は理解できない。
山梨県の片田舎の駅についたのは、地元駅から三時間近くが経過した九時前のことだった。特急とか新幹線を使えばもっと早くにつけたかもしれないが、金銭的余裕がなかったのだ。
駅名の看板は雨風で錆びていたし、ホームに降り立ったのはオレたちだけの寂しいところだった。
「懐かしいなぁ」
数ヵ月前まで住んでいた土地を前に彼女は目を細めて呟いた。
「遠かったね」
知らなかった頃の彼女がここにいて、また別の生活をしていたと思うと不思議な気持ちになる。友達は多かったのだろうか、好きな人はいたのだろうか。
「にしても、なんもないねぇな。ゲーセンもコンビニも。普段なにして遊んでたの?」
転校時のあか抜けた雰囲気がブラフだったことが驚きでもあった。
「本ばっかりよんでたよ。今も変わらないけど」
花咲く笑顔がそこにあった。
無駄に整備されたアスファルトを歩いて、シャッターに囲われた商店街を抜けると市街地についた。
知らない地名が電信柱に記載されていて、彼女はそのなかを慣れた足取りでスイスイ歩いていた。週末の午前中だからか、人気は全くなく、世界中に二人だけみたいだった。
オレにとっては馴染みのない街並みだ。雨宮の思い出話に曖昧な相槌を打つのがその時の仕事だった。
「雪乃、ママは好きだけど、……パパはそうでもないんだ」
「へぇ、なんで?」
「背中にイレズミいれられたから」
「無理矢理か? でも、かっこいいし、いいんじゃね?」
「かっこくよくなんかないよ。痛かったし……」
辛い話をしているのかも知れないが、近づいてくる自宅に対してのワクワクの方が何倍も勝っているような楽しそうな口調だった 。
「ママとパパは大学で出会って。パパは革命家だったんだ」
「カクメイカ? なにそれ」
「今の国家はダメなんだって、お酒に酔うといつも言ってた」
「うちのおかんもテレビみながらいつも言ってるぞ、政治家はクソだって」
「ううん、そういうのじゃないの」
「じゃあ、なんだよ」
「校門前にいたオバサン、みたいな」
雨宮と宗教ババア。
対峙していた二人の口論を思い出す。
雨宮の声が、鼓膜を震わせる。
「パパが、背中にイレズミがあれば幸せになれるんだって、言ってさ」
「なんで?」
「わかんないよ、パパの考えることは」
「たしかに意味わかんないな」
「でしょ。お祖母ちゃんはなんでもないのに病院に行けって言うし、大人の考えることなんて意味不明だよ」
ちらりと雨宮を見てみる。
別にいつもと同じ平然とした顔つきだ。
「病院で医者とどんな話すんの?」
「別に。なんか学校のこととか」
「そんなん聞いてどうすんだろ」
「だから、わかんないって、大人のことは」
「うーん、意味わからん」
含み笑いをしながらオレはからかうように呟いた。
「意味わかんないよな?」
「意味わかんない」
「意味わかんない!」
「意味わかんない!」
オレたちの意味わかんないコールは、寂れた歩道に響くだけだけで、
「あはははは」
無邪気に笑いあったのは、あとにも先にも、あの時だけだった気がする。
古びた木造アパートに着いたのは、それから間もなくの事だった。
同じように並ぶ茶色いドアに郵便物がたまったポスト。その内の一つにマジックペンで『雨宮』と書かれているのを見つけるのにそこまで時間はかからなかった。
「もうすぐ、ママの出勤の時間だ」
雨宮はアパートの二階の廊下を見上げた。
「出勤?」
「ママはね、パパがいなくなってからスーパーで働いてて。でも、お金がなくなって私だけ実家に戻したんだ」
「へぇ。オレのおかんもスーパーでレジ打ちしてんぞ」
「そうなんだ。一緒だね」
雨宮が微笑むと同時に、蝶番の軋む音がした。
ハッとして顔をあげる。
二階の住人が出掛けるらしい。奇跡的なタイミング。
直感で理解する。
雨宮の母親だ。
外廊下を歩く音。女性は下にいるオレたちに気がつくことなく階段を目指している。鉄骨だからか、足音がよく響いた。
横を見ると雨宮が少しだけ緊張した面持ちで母親が来るのを待っていた。
第一声は、なんだろう。と野次馬魂が好奇心をくすぐったが、この場に他人がいるのは野暮ってもんだ。
オレは親子の再会に水を差すのが気まずくて、急いで遠くへ避難した。といってもアパート前のブロック塀の陰にしゃがみこんだだけだが。
「ママ!」
嬉しそうな声が響く。
後ろ姿の少女が、髪を揺らして母親に手を振った。
階段の一番上でそれを見下ろす女性は、たしかに雨宮雪乃の母親らしく、スラリとした体型にスッキリした目鼻立ちをした美人だった。




