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7/12

7:再考の日々


 いつも通りの日常が始まる。

 テレビを観ながら朝食を食べ、アクビをしながらシャツに腕を通し、ランドセルを揺らしながら登校し、おはようを言いながら席につく。

 いつも通りだ。

 目を擦りながら授業を受けて、サッカーボールを追いかけながら給食のメニューを考え、ソフト麺をほぐしながら友達の漫才を眺め、ゲームの話をしながら箒を動かし、イライラしながら配られてくる宿題プリントを受けとる。

 いつも通りだ。

 遊びにいこうと思いながらも裕一は塾だからと断念して、落ち込みながら歩いていると肩を叩かれ、ドキマギしながら竹藪の秘密基地に集まり、吐息が耳たぶを擽る度に身体をびくりと震わせる。

 いつも通りか?


 それからの二週間は濃厚だった。つまらない冗談を前屈みになって笑う雨宮、触れた手の小ささに驚いたり、女子特有の香りに呆けたり、それでも緊張していることが悟られないよう強がったり。

 一つ一つが今もまぶたの裏側で蘇る。


 放課後。早足で帰宅しランドセルを放り投げると、そのまま自転車にまたがって児童館へ向かう。駐輪場から裏手の竹藪まで息を切らせて走りきると、大学ノートを広げた雨宮が「遅い」と出迎えてくれるのだ。

「直接来てるわけじゃないんだから、仕方ないだろ」

 それに文句をつけるのが、家出会議のスタートだった。


 彼女のノートには様々なことが書かれていた。

 パソコンの授業中調べた山梨の駅までのルートに切手の買い方、運賃と乗り換え表。

 銀行でのお金のおろし方や、暗証番号。

 当日の行動予定表や、祖母に宛てた手紙、の文面。

 それらが生真面目にもビッシリと書かれているのだ。

 正直バカだと思った。

 いまでもそう思っている。

 家出ってのは衝動的にやるもので、断じて計画性を持って行うものではない。

 しかもあろうことか、彼女が祖母に宛てた手紙には「心配しないでください。落ち着いたら連絡します」と丁寧に綴られていた。


「だっていなくなったあとで警察に捜索願いとか出されたら困るし」

 大人が子供の皮を被ってるじゃないかと疑ったが、ごくたまに無邪気にはしゃぐ姿を見ると、ちぐはぐすぎて違和感にとらわれる。

「だから事件性がないってことを、目一杯アピールしとくの」

 とふんぞり返ったが、小学生の女の子の失踪が、大事にならないはずがない、その時はまったく気にしなかったが。


 別に実行犯はオレじゃないし、電車の乗り方とか、家出人と疑われない立ち振舞いとか、そういうテキトーなアドバイスして日々を楽観的に過ごしていた。

 事件が起こるまでは。


 ゆとり教育に足を踏み入れる寸前? 踏み入れたあと? の俺たちの年代には、第一、第三土曜日だけ、半日だが授業があった。俗に言う半ドンってやつだ。

 まあそんな中途半端な世代だったが、いつの時代でも同じようにそれぞれの楽しみ方ってのがあって、オレたち男子の間ではトレーディングカードゲームがめちゃくちゃはやったのだ。


 木曜日の夕方、だったか。

 その日も雨宮と家出の算段をたてて、夕焼け小焼けのチャイムでお別れし、適度な疲労感を夕方アニメで癒していた時だった。

 チャイムが鳴った。

 台所に立っていたおかんが「はーい」と声を挙げながら玄関に向かう。

 どうせ新聞の集金とかご近所のお裾分けだろうと考え、オレはテレビのチャンネルを変えた。海外のコメディドラマが教育テレビでやっていて、別に興味ないけど、次のアニメまでの繋ぎで眺めてみた。

 ブラウン管から響くわざとらしい笑い声を縫うように、玄関ドアから会話が漏れ聞こえてくる。

 神経質な女の人の声、と、

「……裕一?」

 友達のすすり泣く声。


 オレはそっと立ち上がりおかんの背中から玄関扉を窺い見てみる。

 半べその裕一が自らのツマサキをジッと睨み付けている。なんで泣いてるんだ、と疑問に思いながら唾を飲み込んだ。彼の横には裕一のお母さんがいて、オレのおかんと何やら話している。世間話をしている風はなく、なにやら真剣な面持ちだ。

「晴太、ちょっと来なさい」

 ふいにオカンが俺を呼んだ。

 心臓がドキリと跳ね上がる、オレは無表情を決め込んでいそいそと玄関に移動した。


「……ごめんな」

「え」

 おかんと並び立ったオレに裕一はぼそりと謝罪するとなにかを差し出してきた。

「裕一?」

 カードのデッキだった。受け取って、戸惑う。

「なんだよ、どういうこと?」

 裕一の光属性で固めた強力なデッキだ。なんでそれを半べそで謝りながら差し出してくるのか意味わからなかった。

「この子、カードやめることになったから、あなたにそれあげるわ」

 オレの質問に答えたのは正面に立つ裕一ではなく、隣のオバサンだった。

「え、やめるってどういうこと? だって今度新しいパック出るって……」

 それを無視して尚も裕一に話しかけるが、

「ほらぁ、勉強に支障がでるじゃない? それにカード代だってバカにならないし、いっそスパッとやめさせることにしたのよ」

 返事をするのはやっぱりオバサンで、オレの前の友人は悔しそうに唇を噛んでいるだけだった。

 大人は下らないと笑うかもしれないし、成長すれば納得するかもしれない。

 それでも、些細な変化が重大な懸案事項なのだ。

 友達の輪に入れなくなること。

 いままで集めてきた時間 、貴重なコレクション、それらすべてが無駄になってしまう。

「ほんとうに、やめるの?」

「……うん」

 親子間に何があったのか知らないが、涙目で頷く裕一が、その選択に同意しているとは到底思えなかった。

「やる。オレのカード、全部」

「あ、あぁ。ありがとう」

 たどたどしく繋げられる言葉の断片が、胸を柔らかく締め付ける。

 多くの質問を投げつけたかったが、彼の落ち込んでいる様子に、かける言葉が見つからなかった。

 それに、一つの懺悔をするならば、貴重なカードが多く手にはいることが、嬉しくもあったのだ。

「それじゃあ、失礼するわね。裕一はこれから勉強で忙しくてなかなか遊べなくなるけど、よろしくね」

 オバサンは他人を見下すような声音でそう言って、裕一の手を引いて帰っていった。

「……」

「晴太、お風呂はいりなさい」

 母さんは閉じられたドアに鍵をかけると、今のイベントに対してコメントをすることなくオレの頭にぽんと手をやった。



 ショックで間の記憶が抜けている。


 時系列順で辿れば、オレの記憶は次の日の休み時間、昼飯後にぶち当たる。

 廊下の喧騒と、時おり聞こえてくる校内放送、オレらはそれらに集中を乱されることなく夢中になってカードを引いた。

 吹き荒ぶ秋風の冷たさを恐れ、内にこもって先生には内緒のカードバトルを楽しむことにしたのだ。

 資料室で行われる秘密の会合は、学校に娯楽物を持ってきてはいけないという背徳感とスリルを備えた魅力的な遊戯空間だった。

 加えて仲間でわいわいやるのは楽しかったし、単純にカードが面白い、というのもある。

 低学年の時分は泥団子を作り酒蓋を回し、六角形の鉛筆を転がしたりしたもんだが、四年生のトレンドはトレーディングカードだった。

 ホコリ臭さと窓から射し込む明かりと、息を潜めてデッキをシャッフルする音が未だに五感に残っている。

 その日はオレの圧勝だった。

 連戦連勝の無敗のチャンピオン。

 当たり前だ。

 デッキに新たに組み込まれたカードは、オレが欲して止まなかったレアカードたちで、 ただしそれは、二人分の思い出がつまっている分、余計に空しく感じるものなのだ。

「裕一のじゃねぇか」

 異議を唱えたの栗田だった。負けず嫌いの自己主張の強い少年だ。いまは連絡をとっていない。

「もらったんだ」

 懐疑的な視線が集まる。

 栗田の他には長谷川に中谷、石井に坂上といろんなクラスの友人達がいた。

「嘘つくな。バクッたんだろ!?」

 栗田は口から泡を飛ばんばかりの勢いで怒鳴りつけ、表情筋がクシャクシャをした。負けっぱなしが余程癪にさわったらしい。

「本人に聞いてみろよ」

「サイアクな人間だな、お前」

「貰ったっていってんだろ」

「パチこいてんじゃねぇよ!」

 強く押されたので、カッとなって押し返してしまった。

 それが発端。

 あまり暴力に慣れていないオレの喧嘩スタイルはひたすら相手をつかんで転がす、というものだった。

 五月生まれで身長こそ高くはないが、同級生よりも筋力はあり、喧嘩をすれば勝つことはないにしろ負けることはなく、この日も栗田を押さえつけたはいいが、決め手に欠けて、グダグダと昼休み終了を迎えてしまった。他の友人たちに引き剥がされて、そこまでいうなら直接裕一に訊いて白黒つけようじゃないか、という結論に至った。


 放課後。

 ランドセルに道具箱から取り出した教科書を詰めていた裕一に、みんなで詰め寄る。一瞬だけギョッとした表情を浮かべた裕一は、すぐに冷たい視線になって一同を見渡した。

「それだけ?」

「……え」

「今ちょっと忙しいんだけど」

 絞り出すような声だった。

 予想外の解答に混乱の渦に叩き込まれる。

「そのカードは確かにあげたもんだよ」

 意地っ張りとは言えない声だ。オレたちに視線を一切やらず帰り支度を整えている。むしろ他クラスの奴等の視線の方が痛かった。

「裕一、お前……」

「……なに?」

「わるい。なんでもない」

 それは、

 それはなんというか。なんだか微妙な気分になった。

 悔しくて仕方ないが、オレの手にあるカードは裕一にとって興味をなくしたオモチャなのだ。

「下らないことで熱くなるなよ」

 黒板横の壁掛け時計から、視線をオレたちに向けた。

「どのみち、オレはやめることにしたし」

 他人をたしなめるには、未練が感じられる声音だった。

「もっと生産的に生きるべきだよ」

 小学生に似つかわしくない発言はもしかしたら彼の母親の受け売りだったのかもしれない。

 ともかくオレたちはユウイチのシビアな一言で我に返り、……いや、呆気にとられたのだ。

 小さいと笑われても構わない。

 幼いと同情されても別にいい。

 ただ、その時のオレにとって、その言葉は、酷い裏切りに感じられたのだ。いつかのときよりもずっと深い裏切り。

 友人に泥棒扱いされ、身の潔白のために得た証言が、「下らない」という単語にカテゴライズしたことが。

 弱った精神にナイフを突きつけられたみたいだ。


 その日、オレはたくさんの友人を失った。

 栗田と言い合いになるのは珍しいことじゃないけど、何がきっかけで疎遠になるのかはわからないもので、

 極わずかなキッカケで、口を利かなくなってそのままというパターンは往々にして存在する。

 カードで繋がっていたメンバーに訪れたキッカケがそれだった。

 一人きりの帰り道、いろんな思いが脳裏を巡る。

 どうしようもないほど、むしゃくしゃして仕方ない。

 強く握りしめた両こぶしをズボンに突っ込んで、高く冷えた秋空を見上げてみても、オレの気分が晴れ渡ることはなかった。


「伊瀬!」

 秋の空気を震わせる高い声。

 苗字を呼ばれて振り返れば、目の前に雨宮の黒い瞳があった。

「っ」

 あまりにも近い。

 吐息を肌で感じる距離。オレは慌ててバックステップを刻んだ。

「なんでこんな近づいてんだよ!」

 もつれかけたバランスを調整し、ふけれ面の少女に怒鳴り付ける。

「だっていくら呼んでも返事してくんないんだもん」

「か、考え事してて気付かなかっただけだろ! ビックリさせんなよ」

「もういいよ、気付いてくれたから。それでさ」

 雨宮はオレの事情など一切関せずといった風な様子でニマニマと微笑んでいる。

 イライラが不思議と晴れていくのがわかった。

「もうすぐ実行日だから最終調整に移ろうって話だよ」

「昨日言ってたやつか。……悪いけど今日は帰っていいかな」

 昨日の家出会議の時、今日は銀行でお金を下ろしたり荷物をまとめたりと、最後の準備をすると決めていた。

 でも今はそんなことより、家に帰って寝たかった。

「もしかして気分が悪いの?」

「まぁ」

「そういえば五時間目からずっと下向いてたもんね」

「……あぁ」

 気分が優れないわけではなく、ただ漠然とした怒りをどこに降り下ろしたらいいか分からないだけだ。

「それなら、……しょうがないね」

「わりぃな。最後まで付き合えなくて」

「いいよ別に。伊瀬のおかげでどうすれば電車乗れるか分かったし、曖昧なプランがしっかりと固まったから、感謝してるんだ」

 オレはほとんどなにもしていない。強いて言えば柿泥棒だ。

「伊瀬」

「ん」

「ありがとう!」

 始めてまっすぐ正面から向けられた彼女の笑顔はオレが抱えたちっぽけな悩みを吹き飛ばすほど、清浄な光を放っていた。

「あ、あぁ」

「それじゃあね、伊瀬! もしかしたら、……もしかしたら、もう会えなくなるかもしれないけど、また会ったらよろしくね!」

「え、何で会えないの? だって、お前母親に会いに行くだけじゃないの?」

「んふふ」

 その質問を待ってましたばかりに微笑んで続けた。

「雪乃ね、お願いするんだ。ママと一緒に暮らしたいって」

「……」

「だから、もしかしたら、こっちにいるのは今週までかもしれないんだよ」

 準備があるし、そうとんとん拍子に事が運ぶはずないと今なら予想できるが、当時の脳みそでそんな不確定な未来の予想がつけられるはずもなく、オレはただショックで打ちひしがれていた。

「だから、バイバイ!」

 もしかしたら、それが今生の別れになってしまう。そういう可能性を提示され、オレは酷く狼狽え、自分が置かれた現状を正しく認識するすでを失った。

「あ、あのさ、雨宮」

「ん?」

「……やっぱ今日会議しようぜ」

「えっ、いいよ、無理しなくて。会議っていっても、明日の支度と買い物するだけだけだし」

「あと……」

 言おうか言わざるかを悩んだが、自暴自棄のオレは誰よりも強気で、物見遊山な気持ちが、彼女の役にたちたいという欲求に高まっていくのがわかった。

 本日の出来事を忘れたい、という気持ちもなきにしもあらず。

「オレもお前についていきたい」

 言ってから、ワンテンポ遅れて心臓が早鐘になった。




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