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4:熟れて実れば


 エントランスのガラス戸を開けると少し肌寒い秋風が前髪をふわりと浮き上がらせた。池の水が波紋を作り、側溝では落ち葉がカサカサ音をたてている。時計台を見上げると短針は四時を指していた。

 いそがなくては。

 特別な用事が有るわけではない。有料チャンネルで一昔前のアニメを再放送しているので、出来れば観たいと考えていただけだ。

 履き潰したスニーカーの踵を引き延ばし、足早に校門へ向かう。

 やることがないから宿題をしていただけで、時間潰しの目的は既にすげ替わっていた。

「こんにちは」

 校門を出たところで声をかけられた。

「はい?」

 反射で返事をしてしまう。話しかけてきた相手を見てハッとした。

 紺のニット帽。特徴的なほくろに所々に刻まれたシワ。

「あなたは神様を信じる?」

 宗教ババアだ。


「あの、おれは……」

「名前なんていうの?」

「えっ、えっと」

 脳が熱くなり、一月前に帰りの会で配られたプリントの文面がぐるぐる回る。無視して、無視? こんな状況で? 完璧にロックオンされてるんだ、どうしようもない。

 名乗るべきか否かで悩むオレを置いてけぼりにし、ババアは大きく口を開けた。

「ご存知かしら? 神様がこの世界を創ったのよ。だから私たちも神様に造られたの」

「す、すみません、急いでるんで、その」

「飢餓や貧困は与えられし試練なの。裕福な暮らしをしてる人は、試練を受けに行かないといけないの。山中鹿之助が七難八苦を祈ったようにあなたも苦労しなきゃいけないわ。じゃなきゃ魂が洗練されないもの」

 ババアはともかく話が長く、そしてマシンガントークだった。

 解き放たれた言語が異国の言葉に聞こえ始めると、もうなんでもいいから早く終わってくれと思うようになる。

 いま思えばそれすら勧誘テクニックだったのかもしれないが、彼女の話術は熱心過ぎて不器用さのほうが目立った。

「だけど私たちに任せてくれれば苦しみを自ら進んで受ける必要はなくなるの。最近嫌なことない? その与えられし苦難を分かち合えばきっと未来が拓けるはずよ」

 頭が痛くなってきた。

 昔から自分と立場が同じ人や年下には存外フレンンドリーというか強気に出れるのに、少しでも目上になると萎縮してしまって普段のパフォーマンスの半分も出せなくなってしまう。

 治したくても治せない性格だ。


「矛盾してませんか?」

 ふやけた頭に凛とした声が流れた。ダムが決壊したみたいに正常な意識が流れ込む。

 宗教ババアは眉間にシワを寄せオレの背後を眺めていた。

 雨宮だ。雨宮雪乃がランドセルの背負って立っていた。

「苦労をしなきゃ魂が洗練されないって言ってたのに、ついていけば苦労しなくてすむなんて。それでは試練でもなんでもないじゃないですか」

 雨宮は鋭く宗教ババアを鋭く睨み付けていた。

 原付が派手なエンジン音を響かせて車道を走っていく。突然過ぎる出来事に脳がついていかない。なんで雨宮が毅然とした態度でババアに対峙してるのか。

「信仰心さえあれば神は赦してくれるのよ」

「随分都合のいい神様です」

「理不尽な世の中さえも平等に救ってくださるの。子供にはまだ難しいかしら」

 しばしの沈黙が訪れた。的はずれなパバアの発言に、雨宮は呆れたように唇を尖らせた。

「……その男子に用事があるんです」

 小走りで駆け寄り、雨宮は恥ずかしげもなくオレの手をとった。

「おっ、おい!」

 そのまま彼女は強引に手を引き、横断歩道を渡りきった。

「雨宮!」

「……」

 なにも応えない。

 ババアがヒステリックに何事かを呟いていたが、手を引かれたオレにそのボヤキは届かなかった。手のひらの温もりを感じて真っ赤になるのに忙しかったからだ。


 道を折れて景色が変わると同時に、手を離して何事もなかったかのようにスタスタと歩き始めた。

 一声もなく、帰宅の途についているだけ。

「あ、雨宮」

 華奢な背中に声をかける。雨宮は首だけを動かしてオレを見た。ボタンのように丸い瞳に見つめられて萎縮してしまう。ババアもこんな感じだったのだろうか。

「なに?」

「用事って」

「用なんかないよ」

「じゃあさっきの」

「プリントに書いてあったから」

「プリント?」

「うん。校門で話しかけてくる中年女性は無視するようにって」

 オレが渡したプリントだ。話しかけられてもシカトしようと心に決めたはずなのだが、イメトレの成果はうまくいかないらしい。

「それなのに話してたから」

 助けてくれたのだ。

 そんなこと、いくら鈍くても理解できる。

 でも、どうしてオレを。

 微かに感じた疑問で呆けるオレに雨宮は小さくため息をついた。

「だめだよああいうのは無視しなきゃ」

 そう言い残すとスタスタとまた歩き始めた。

 オレは慌てて、横並びになるよう歩調を合わせる。

「でも、……でもさ!」

 突発的なゴーサインに、呼吸は乱れ、意識していないのに大きな声を出してしまった。

「かわいそうじゃん」

 後悔にもならない、どうでもいい話だが。

 隣のクラスでハブられているやつがいるらしい。イジメとまでは行かないが、それに付随したお達しもでるほどだ。

 そもそも学校という閉鎖的かつ小規模な社会構造で問題が起きない、はずがない。

 もし仮に、オレが隣のクラスに所属していたとしたら、いないものとして扱われているソイツと仲良くすることが出来ただろうか。

 答えはノーだ。波風立つことを恐れる小市民が自ら進んで暴風雨に突っ込むとは考えづらい。それでも、一抹の義侠心が訴えかけるのだ。

 かわいそうだろ、と。

「伊瀬は、優しすぎるんだね」

 雨宮は力無く微笑むと元のシビアな表情に戻って続けた。

「だけどそれじゃあドツボにはまるだけだよ。無関心を決め込まなきゃ巻き込まれるだけだもの」

 芯を持っているはずの言葉はいつもよりも弱くみえた。本心は別のところにあるのかもしれない。

 存在しているのに、無いものとして扱うのに、罪悪感を感じているのだ。

「あぁ」

 オレと雨宮は強い人間じゃない。

 そういう共通点をもっていた。


「お腹すいたな……」

 未熟な心理分析を行ったオレは、気まずさを誤魔化すために、無理やり話題をそらすことにした。

「雨宮、お金持ってる?」

 通りがかった商店街のはずれの駄菓子屋を流し目で見ながら尋ねる。

「持ってない。学校にお金持って行っちゃだめって」

「くそ真面目だな」

「なにそれ。じゃあ伊瀬はお金持ってるの?」

「何かあったとき公衆電話から電話しなきゃいけないから、お金くらい持っとけよ。……いまはないけど」

 いつもならランドセルのポケットに百円玉を忍ばせているのだが、一昨日ゲーセンで散財してしまい生憎持ち合わせがなかった。

 オレの隣にいるのが悪友であったなら自動販売機の下を漁って、はした金を得ているところだ。いや、もうこの歳にはモラルに反したことはやめていただろうか、……思い出せない。

「しゃあない、ムカゴでも食いにいくか」

 精肉屋のコロッケの香りに空腹を刺激されたオレはため息混じりの提案をした。

「ムカゴ?」

「もしかして知らないの?」

 首を捻るだけで返事をしない。

「じゃあ行こうぜ。団地の裏の茂みで採れるからよ」

 親子連れが夕飯の相談しながらスーパーマーケットに向かうのを尻目に、オレと雨宮は墓石のように建ち並ぶ団地群に足を踏み入れた。

 今思えばよく黙ってついてきたものだ。もしかしたら彼女も放課後という時間をもてあましていたのかもしれない。


 古びた団地群にそびえる給水塔は、秋のオレンジ色の光を浴びて長い影を道路に落としていた。その周囲を紅葉した自然が取り囲んでいて、なんだか異次元空間の目印みたいだった。

 当時住んでいた又根市馬賀野は都会に成りきれないベッドタウンであり、だからこそ季節をリアルに体験できた。

 冬は雪、春は花見に夏は虫取り、そして秋は味覚を楽しむ。

 中途半端な田舎という不自由を対価にクラクションと排気ガスにまみれた都会の子供では味わえない自然体験をいくつもしてきたのだ。


「てか雨宮はこの辺りの住人になったんだから、ムカゴスポットくらい知っとけよ」

「なにそれ意味わかんない」

「ほらこれだよ」

 ムカゴとは、ヤモノイモ科のツルにできる実のことで、それ自身が小さな山芋のようで美味いのだ。

 つまりは食べられる野草だ。

 意気揚々と案内をし、団地の裏の生け垣に這うツルの実を一粒丁寧にむしって彼女に差し出した。小石のような種芋だ。

 受け取った雨宮は人差し指と親指でそれを摘まむとビー玉を太陽に透かすみたいに掲げて思案顔を浮かべた。

「なにしてんだよ。さっさと食えよ」

「そのまま食べるの? 皮はむかないの?」

「皮が一番栄養あるんだぜ」

 ピーナッツのように放り投げたムカゴをパクリと食し、これ見よがしに「うめぇ」と呟く。

「……」

 それを冷淡な瞳で見ていた雨宮は、

「洗ってこよ」

 と一号棟の前にある手洗い場に小走りで向かっていった。


 ムカゴを食べた雨宮の感想は「凝縮された山芋だね」と、ひどく淡白なものだった。そりゃ山芋の実なのだからあまり前だ。

 彼女の発言は負けず嫌いの火をつけた。

「それならもっとすごいもん食わせてやるよ」

 オレは斜に構えるでもなしに奮起すると、ついてくるように言った。彼女は「まだやるのか」といったような呆れ顔をしていたような気がする。

 次に向かったのは児童館の近くの丘陵地帯だ。そこにはオレと裕一しか知らない秘密基地があった。

「これだよ、食ってみろよ」

 グミ科の赤く柔らかい木の実をちぎって渡す。雨宮は訝しむ瞳を俺に向けながら恐る恐る前歯でそれを噛んだ。半分ほどを口の奥に送り込み小さく顎を動かして咀嚼する雨宮に、オレは「どうだ?」と感想を急かす。

「甘くて美味しい。まあまあ」

 言わされてる感丸出しの感想だったが、当時のオレは得意になった。

「そうだろ。んじゃあこれはどうだ?」

「え、やだ。これ地面によくつぶれてるやつじゃん。絶対不味いもん」

「いいから食ってみろって」

「……わかったよ」

 小さなため息をついてから雨宮はそれを口に含んだ。

 その時オレが差し出したのはオオシマザクラの木の実である。春に白い花を咲かせるオオシマザクラの実は食べ頃になると熟して黒くなる。何と無くグロテスクで口に含むのに抵抗があったのかもしれない。

「不味い……」

「はぁ?」

「なんか酸っぱくて、食べられなくはないけど、好んで食べようとは思わない」

「この味のよさがわかんないなんてお前はまだまだ子供だな」

「九歳は子供だもん」

 完熟しているのは仄かな甘みもあって間違いなく美味しいのだが、この時彼女が食したのは少し未熟なやつだったのかもしれない。

「わかった。よし、じゃあ究極を食わせてやる」

「ふふっ」

 雨宮は耐えきれなくなったように口許を綻ばせた。ガキの見栄張りに失笑を浮かべたのかもしれないが、当時の俺には意味がわからなかった。悔しいが……素直な形容を行うのなら、ただかわいいな、と思っただけだ。

 土の臭いを感じながら、山を下り、児童館の陽当たりのいい裏手に出る。むき出しの地面に一本の木が力強く根をはっていた。境界線のフェンスに足をかけ上部に成った実をちぎって下に落とす。

 雨宮は持ち前の運動神経の良さを発揮してそれをキャッチした。

「柿?」

「おう」

「柿ドロボウって現実にいたんだ……」

「児童館の児童だったら大目に見てくれるよ。オレは違うけど」

「それならなおさら勝手に採っちゃダメじゃん」

「知らね。でもほっといてもカラスに食われるだけなら、食べていいんじゃないの。ばれなきゃさ」

「数が減ってたら怒られちゃうよ」

「だからオレらはこれ食っていいのは三日に一個だけってルール作ったんだ」

 自分の分もちぎって「よっ」と地面に着地する。

「行こうぜ。ここで食ってるとバレるからさ。誰にも言うなよ」

 たぶんこれから先、裕一といっしょに森に足を踏み入れることはないだろう。

 黙って塾を始めた裕一に多少なりとも怒りを感じていたからか、友情に苛まれることもなかった。

 竹やぶを進んだ先の拓けた空間に、スーパーで貰える段ボールと廃棄置き場のガラクタ、それにビニールシートを組み合わせて作った簡素なテントがある。俺と裕一、それと何人かの友人とで作った秘密基地だ。落とし穴とか秘密の抜け道とか無駄な労力をさいて出来た宝物だった。

 そこで最後に遊んだのは二年前で、みんな基地があったことさえ忘れているだろう。

「座れよ」

 キョロキョロと物珍しそうに視線を動かす雨宮に、落ち葉に埋もれた粗大ごみ置き場で拾ったソファーに案内する。今思えば長く放置され過ぎたそれの上に案内するのは無粋過ぎたかも知れないが、右手で持った柿に気を取られ、そんなところまで頭が回らなかった。

 竹林の隙間を夜の気配をはらんだ風が通りすぎる。たくさんの竹の葉がクルクル回りながら地面に落ちていった。雨宮は少しうつむいてモソモソと柿を食べている。夕焼けみたいに熟れた柿は今まで食べたどんなものより甘くてほっぺが落ちそうになった。

「おいしい」

 頬を紅潮させた雨宮が蚊の鳴くような声で呟く。

 熟れすぎた柿は柔らかくて、指の腹で押すと皮が寄って皺ができた。


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