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2:教室に日射しは届かない


 きっと教室のドアを開けると同時に冷たい視線の矢を浴びることだろう。爽やかな朝が憂鬱な気分によって淀んで見える。

 お腹が痛いと母に訴えかけても、我慢して学校に行けと一蹴された。うちの親が子供の精神に敏感な人だったらどんなによかったか、と幼心に不満を感じたものだ。

 飛び出しそうな心臓を唾を飲んで抑えながら、木製の引き戸に手をかけた。

「おはよー」

 予想に反して最悪な気分で教室のドアを開けたオレを待ち受けていたのはいつも以上にいつも通りの日常だった。

 なんでだろう。雨宮はオレのことを糾弾しなかったのだろうか。

 ぐるりと彼女の席に視線をやると珍しく空席だった。誰よりも早く登校して、きらびやかな笑顔でクラスメイトを出迎えるはずの雨宮雪乃の姿はない。

 どうやら欠席らしい。オレの寿命は延びたのだ。


 その日の事はあまり覚えていない。誰だって同じだと思うが、何でもない日常の一ページを振り返ることなんて不可能に近いのだ。ただ帰りの会だけは印象に残っている。

「プリントを欠席者に届けてくれ」

 高松先生はそう言ってプリントの束を欠席者の近所に住む生徒に配って行ったが、雨宮の分だけが彼の手元に残った。

 眉間にシワをよせ、雨宮の近所の人を探す高松先生は、速く厄介事を片付けて、普段の業務に戻りたいという思いがありありと顔に出ていた。教室が、はやく誰か立候補して帰りの会を終わらせろよ、という空気に包まれる。「近くに住んでいる人」にも「仲が良い人」にも手が挙がらない。めんどくさい用事で自分の時間を潰したくないのは誰だって同じだ。先生が今にも「緊急の用はないし、次登校したときに渡すことにする」と妥協案を口にしそうな時だった。

「たしか伊瀬くんは雨宮さんの家の近くです」

 一番前で中澤がしれっとした声をあげた。

「そうか。それじゃあ伊瀬頼むな」

 クラス中の視線が集まる。

「はい」

 オレは首が折れたみたいに承諾の首肯を行った。


「なんでだよ」

 帰りの会が終わり、先生が教室から出ていくと同時にナップサックを肩に背負った中澤に食って掛かる。当時、ランドセルで登下校する児童より家庭科で作ったナップサックを利用している児童のほうが圧倒的に多かった。

「なにが?」

「なにがじゃねぇよ。なんでオレが雨宮にプリント届けなくちゃいけないんだよ。中澤が行けば良いじゃん。一番仲がいいんだからさ」

「別にそこまで仲いいわけじゃないんだど。つうかユキが伊瀬が近くに住んでるって言ってたから先生に教えてあげただけだし」

「別に近くねぇし。引っ越す前ならまだしも」

「だからって遠い訳じゃないでしょ?」

「……」

 返す言葉がない。実際その通りだった。母親がオレに気をつかってか、同じ町内に家を移しただけ。転校でせっかく出来た友達をリセットするのは良くないと、勝手に判断されたのだ。

「まっ、プリントくらいつべこべ言わず届けにいきなよ。ユキと仲良くなれるかもよ」

 そう思うならお前が行けとは言えなかった。中澤は女子のクラスのリーダー格で、事を荒らげると後々面倒だったからだ。


 プリントを持って雨宮のうちに向かう。放課後が奪われて苛立ちしかなかったが、はやく帰れたからといって裕一とグダグダするだけだから不毛にはかわりない。

 元自分の家に着いたオレは早速インターホンを押して在宅状況を確かめる。誰か出てくれという思いとは裏腹に誰もでないでくれという相反する思いがせめぎ合い、わずかばかりの緊張感が全身を渦巻いた。インターホンのチャイムが響いてから数十秒後、

「はい、どちらさま?」

 昨日の老婦人がガチャリとドア開けて顔を覗かせた。

「あの、オレ、雨宮さんの同級生の、伊瀬といいます」

「……何のよう?」

「え、えっと」

 打って変わって冷たい視線をぶつけられる。昨日家に招き入れてくれたときの優しさは一切なく、まるでほっかむりを被った不審者と対峙しているような露骨な警戒心をぶつけられた。

「雨宮さん、今日休みだったのでブリントを届けに来ました」

「そう」

 しわしわの手をグッと突き出された。

 オレは意味がわからずクエスチョンマークを浮かべて眺めていたが、「お届け物は?」と急かされて慌ててランドセルから雨宮宛のプリントを手渡した。

「ありがと」

 端的な礼を述べるとそのままドアを閉められた。

 風圧で前髪が浮き上がる。後に残されるのは静寂、ついでゆっくりと鼓膜が日常を取り戻していく。開放廊下の向こうの空から秋の風の音がした。

 ショックだった。優しかった大人に冷たい態度をとられて、口内が酸っぱい唾に満たされていく。昨日の仕打ちを考えれば当たり前だが、なんだか大人に裏切られたような気がして胸の上辺りがツンと傷んだ。

「なんだよ」

 グジグジしていても仕方ない、コンクリートの廊下で一人ごちてから、もと来た道を引き続き返し、エレベーターの下りボタンを押す。

 鉄の箱が来る前にはオレの脳はすっかり次の予定立てに夢中になっていた。このあと何をして遊ぼうか。切り替えだけは無駄に早い、そういう感じだ。

 チン、と短い音がして扉が開く。

「あっ」

 お互い声が漏れていた。

 エレベーター内で立ち尽くす雨宮雪乃はぷっくりとした唇を薄く開いていた。


 彼女はいちど目を大きく見開くと何事も無かったかのようにすたすたと歩きはじめていた。

 すれ違いざま半月のような瞳で一瞥される。特に言葉を交わすでもない。

 ふわりと漂うシャンプーの香りが鼻孔をくすぐった。

 雨宮の手には家庭科で作った布の手提げが握られている。細く白い手が視界の隅を横切った。

「あの、さ」

 気づいたら声をかけていた。それに一番驚いていたのは他でもない、自分自身だ。

 雨宮はびたりと足を止め、静かに話を聞くそぶりをみせた。

 なんて、何て言葉を続けよう。

 特になにも考えていなかったオレの背後でエレベーターがチンという音をたてて扉を閉めた。

「昨日のこと、誰かに言った?」

 咄嗟に思い付いたのはやはり自らの保身だった。彼女は「ふぅ」と小さく息をはき、

「そんなこと訊きにわざわざ家まで来たの?」

「や、ちがくて。プリントを届けに来たんだ。今日おまえ休みだったから」

「そう。昨日のことは誰にも言ってないよ」

 そう言って振り返った。色素の薄い肌が橙色の太陽光に照らされて輝いている。

「安心した?」

 その笑顔をなんて言えばいいのか、現在のボキャブラリーなら蠱惑的か小悪魔的、いや、違うな、雨宮の笑顔は独特すぎて型にはめられそうにない。

「あ、あぁ」

「ん」

 曖昧な返事をするオレに雨宮は怪訝そうな瞳を向けながら腕をつきだしてきた。

「え?」

「プリントは? ないの?」

「あ、家の人に渡したよ」

「そう。どーもありがと」

 再び回れ右して、玄関口まで移動した彼女はふと何かを思い立ったかのような様子で肩越しに振り向いた。

「ところでなんのプリント?」

「算数の計算プリントと父母会便り。あとシューキョーババアに注意ってやつ」

「宗教ババア?」

「知んねぇの? 不審者だよ」

 思えばソイツが有名だったのは彼女が転校してくる前だった。

 校門の近くで「神様を信じる?」と訊ねてくる紺色のニットをかぶったおばさん。信じる信じないにしろなんだかよくわからない本を手渡される、と、どこの町にもいる熱心な宗教家のことだ。ここ最近大人しくしていたが、また現れ始めたらしい。学校じゃ会っても口をきかず無視をしろと案内していた。

「そう。すごくどうでもいいね」

 今度こそさよなら、って感じの雰囲気を醸し出して彼女はドアノブに手をかけた。

「……」

 その手が静電気にやられたみたいに一瞬びくりとして動きを止めた。

「あ」

 どれくらい静止していたのだろう。渇いた声が喉から漏れる。

 彼女は口をギュッと結んで俺を睨み付けた。

「ねぇ、ところでさ」

 野良猫をあやすみたいな優しい声だった。

「これから、暇?」




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