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10;可視光線のリフレクター


 雨宮の案内にしたがって、小高い丘を上った先の公園で一息いれることにした。ちょうど小腹も空いてきたし、お弁当に舌鼓を打つのも悪くないだろう。

 ささくれだった木製のベンチに腰かけ、漠然としたプランを二人で練った。

 最初から最後まで夢物語だ。

 行き当たりばったりがオレたちらしい。



 結論から言うとオレと雨宮が北海道にたどり着くことはなく、天国を目にすることもなかった。

 紅葉も終わる晩秋の空。

 期待に胸を躍らせ、何処へでもいけると勘違いした幼年期。

 それでも、幸せだった。

 拙い恋愛感情うんぬんよりも、ただ単純に楽しかったから。



 寂れた駅に電車の到着を知らせる機械音声。古ぼけた駅に残響がおきる。

 目的地が決まればあとは目指すだけ。

 駅員さんに「北海道にはどうやっていけばいいですか?」と訪ねるのはいま思い返しても愚かな質問だが、パソコン室という味方がないオレたちにとって、大人に頼るしか残された道はなかったのだ。

 にっこり笑って「次来る電車の一番最後の駅で降りて、また窓口に寄ってね」という教え従い、がらんとした車両に乗り込んだ。


 旅というのはいいものだ。

 見知らぬ景色が新鮮な気持ちにさせてくれる。

「寒くなってきたな」

 すべてがゆっくり流れていき、

「もうすぐ冬だからね」

 このまま線路がどこまでも続けばいいと思った。

「雨宮は冬好き?」

「うん。寒いのは苦手だけど。伊瀬は?」

「オレは冬というより雪が好き」

 雨宮は照れ臭そうにうつ向いた。

「どうした?」

「んーん、なんでもない」

 歯を見せて笑う。先ほどまでの強ばった精神が弛緩したように見えた。

「で、お前は雪はどうよ」

「うん。真っ白な雪が降る夜空を見上げていると、飛んでいるみたいに感じられるでしょ、それがすごい好き」

「そうか、ユキノだもんな。」

「……」

「どうした? 急に黙んなよ」

「突然名前呼ぶからビックリしちゃった」

「……」

「急に黙んないでよ」

 意図知れず下の名前を呼んで彼女を紅くしたこと、それを指摘されて紅くなったこと、すごくどうでもいいような小さな記憶だ。 

 揺れる車内での雑談は、旅の高揚にあわせて、話題に事欠くことはなかった。


 終着駅で降りて、電車とホームの隙間をピョンと跨いだとき、冬の匂いが鼻をくすぐった。肌寒い風を浴び「少し寒いね」と微笑む彼女を改めて可愛いと感じたのを覚えている。

 出発点の駅員さんの教えに従い改札窓口に向かった。

「あの、すみません」

 声をかけるとメガネの駅員さんは顎を引いてオレたちを見た。

「ホッカイドーにはどうやって行けばいいですか?」

 駅員さんはレンズの奥の瞳を細め、

「北海道か。すごく遠いね。ここからだとだいぶかかるよ。ちょっと調べるから待合室で待っててくれないかな」

 構内の待合室に案内した。

 女性の駅員さんが一緒に来てくれジュースとお菓子をもらいながら学校のこととか根掘り葉掘り聞かれた。


 しばらくすると警察官が来てオレたちは近くの交番に連れていかれた。


 また大人に裏切られたのだ。


 お察しのように全てに騙され、オレたちの逃避行はちょっとした家出になって過去のものにされた。

 トンボは飛ばないし、鈴虫も鳴かない、秋の終わりの一ページだ。

 交番の黒電話で親に連絡されているときが一番辛かった。心臓がバクバクいって首の後ろに変な汗をかいた。

 渡された受話器は固くて冷たく、手の平にかいた汗で何度も落としそうになった。スピーカー部を耳にあてると同時に母親からどやされたことがいまだにトラウマだ。

 半べそのオレの後に受話器を受け取った雨宮は、無表情で電話口に「ごめんなさい」と謝っているだけだった。


 電車で片道二時間の道のりを初めて乗ったパトカーで送られる。不覚にも興奮した。

 通りすぎる景色はカラフルで、すぐそこまで迫る冬を一切感じさせないものだった。風で倒れるススキの原っぱが、頭を垂れて見送ってくれているみたいだった。

 車内での会話は覚えていない。空しさが全てを塗りつぶしてしまった。



 季節は晩秋で、時刻は夕暮れだった。

 地元に着き、駅前に下ろされたとき、見慣れた景色を視界に捉え、オレは静かに旅の終わりを悟った。

「晴太、このバカっ」

 オカンがこちらに走り寄ってくる。

「お母さん、あまり叱らないでやってください」

 ここまで送ってくれた警官が、オレの頭をグリグリなでながら、にっこり笑った。

 駅前でそんなことやってたら目立ってしょうがない、オレは気恥ずかしさからうつ向いて薄汚れたタイルだけを見ていた。視界をシャットダウンする。

 鳩が羽ばたく音、カラスの鳴き声、

「ありがとう」

 駅前の喧騒に混じって小さなお礼が聞こえた気がした。


 雨宮のお祖母さんは静かに彼女の頬をしわしわの両手で撫でると、オレとオカンに小さく一礼し、手を繋いで帰っていた。黄昏に照らされて影を長くしている。

 それを無言で見送ってから、うつむき加減に家に帰ることになった。

「いまは詳しく聞かないけど、あんたはもっと大人を頼りなさい」

 隣を歩くオカンはこちらを見ずに、そう言った。

 大人を頼ったから、失敗したんだ、とは言えなかった。


 オレと雨宮の関係が学校で噂になる、なんて事はなかった。どうやらオレたちの逃避行は誰にも知られず闇に葬られたらしい。そっちのがほうがありがたかったが、それはそれで寂しく感じるのだから厳禁だ。



 一週間後の土曜日、お昼過ぎに裕一が家のドアを叩いた。

「遊ぼうぜ」

 連休でハイになってるのか、すごく楽しそうだった。嬉しい誘いだったが、塾が忙しいとあんなに口酸っぱく言っていた彼がそんなこと言うなんて不思議でしかたない。

「塾の量を減らしてもらったんだ」

「え、なんで?」

「ぶちギレた」

 あっけらかんと笑う裕一はやっぱりオレの親友だと思う。

「カードしようぜ。デッキ返せよ」

「あー、あれねぇ」

「どうした?」

「いや、裕一やめるっていったから、オレもやめたんだよ」

「あ、そうなの。まあいいじゃん、再開しようよ」

「売っぱらった」

「え?」

 いつもの彼には考えられないくらい表情が崩れていた。

「まじで?」

「まじ」

「……ま、まあいいや」

 不満たらたらな表情だったが、すぐにいつも顔つきに戻った。

「それなら久しぶりに児童館でもいこうよ」


 提案に賛同し自転車で児童館にむかう。

 側溝にたまった落ち葉が茶色のクッションみたいになっていた。

 休日といえど児童館は子供の声で学校以上に賑やかだった。知ってる子や知らない子まで幅広くグラウンドを走り回っている。

 小学四年にして運動が好きではないオレと裕一は隅のベンチに座って、雑談ばかりを楽しんでいた。

 キンモクセイはすべて抜け落ち、空はどこまでも高い。

「あれ、伊瀬のクラスの人じゃん?」


 裕一の声で顔をあげる。

 視線の先に雨宮がいた。

 いそいそとはや歩きで児童館の門前を逆の方向に歩いていく。

 裕一が近くにいると雨宮と遭遇するパターンか多い気がする。グラウンドの砂ぼこりが彼女の姿を隠そうとしていた。


 視線が、足が、膝が、胴体が、自然と動いていた。

「あ、おい。どこにいくんだ」

 オレは立ち上がっていた。

「わかんないけど、行ってくる」

「……なにそれ?」

「悪い裕一、ちょっと待っててくれ」

「え、おい」

 できるだけ、はやく、速く、走る。

 小さくなりかけた雨宮の背中を捕まえるために。


 足音で背後のオレに気づいたらしい雨宮は「ははは」と楽しそうな笑い声で乾いた空気を震わせて駆け出した。

「なっ、おい待てよ!」

 彼女は立ち止まらず、走り続けた。

 まさかの短距離走のスタートだ。

 追いかけても追い付けない。

 雨宮は五十メートル走、女子でトップスリーに入っていたし、追いかけるオレは男子の平均くらいだったから。性差はあろうが同じくらいのスピードだった。

 それでも、追い付かなくちゃいけなかった。

 追い付いて、捕まえて、なにを話すかはその場の流れだけど、なにかを伝えなくちゃいけないはずだから。

 走り続けた彼女の目的地を悟ったのは、山道に入ってからだった。


 秘密基地に向かってる。

 元はオレと裕一たちの秘密基地だったが、いまはオレと雨宮の場所になった。

 踏み締める落ち葉にいつか見た秋の彩りはない。追いかける雨宮の残り香が、土の匂いに混じって不思議な世界を演出していた。


 ふやけた段ボールの前で立ち止まった彼女は肩で息をしてオレが来るのを待っていた。


「鈍足だね」

 追い付いたオレに辛辣な言葉がぶつけられる。ニヤニヤしてるからからかっているだけだ。

「うるせぇよ、急に走るなよ。疲れるだろ」

 高鳴った心臓が酸素をくれと嘆いている。

「すごい運命だよ。伊瀬と話したいって思ってたけど、勇気がなかったからメッセージだけ残そうって思ってたの」

 そう思ってたのはオレも同じだ。

 学校で顔を付き合わせてはいるが、特に言葉を交わすこともないし、前以上に他人行儀だったから。

「これ」

 雨宮はオレにノートを差し出し、胸を軽く小突いた。

 家出計画ノートだった。

「伊瀬が持ってて」

「なんで?」

「雪乃のこと、覚えててほしいから」

 全力疾走のあととは思えないくらい、はっきりとした口調だった。

「……卒業したら、お別れだから」


 彼女の言葉で全身が凍る。

「なんで……」

「あのあとお祖母さんと話し合ったの。それで中学生になったら本家に預かられることになったんだ」

「本家ってお前……」

「ママもね、一緒なんだよ」

「……」

 あの母親が近くにいて、雨宮雪乃は幸せになれるのかはわからなかったが、血は水より濃いとよく言うし、その選択は間違いじゃないと信じたい。

「伊瀬のおかげだよ。全部」

 なによりも彼女は嬉しそうだった。

 それでいいじゃないか。

「オレはなんにもしてないぞ」

「全部が全部じゃないけど、いい方向に向かって行ってると思うんだ。だから、だからね、お礼を言わせて。ありがとうって!」

 本当になにもしていない身分として、受け入れられない言葉だったが、納得のためには必要な儀式だったのだろう。

「どういたしまして」

 オレは返事をして微笑んだ。



 それから、卒業して雨宮がお別れを言うまで、言葉を交わすことはなかった。

 まるで何かの儀式みたいにオレたちは他人のふりをし続けた。

 あんな出来事があって、恥ずかしさがあったからかもしれないが、一番の原因はノートに書かれてた最後の一文だ。


『もし大人になったとき、伊瀬が雪乃のことを覚えていたら、そのときはまた会ってください。ずっと待っています』




 中学校の制服は、成長期を見越してブカブカで、胸に差した花のワッペンが不格好さを際立たせていた。

 ほとんどの同級生が近くの公立中学に上がるから、その前哨戦みたいな卒業式に真面目に取り組む六年生はいない。

 私立組は一クラスに三割くらいで、遠くの中学に行ってしまうのは雨宮や裕一のような一部の生徒だけだった。見慣れぬ制服は名も知らぬ進学校で、彼らはオレたちとは違うレールを走るのだと思うと少し寂しかった。

 校歌と仰げば尊しの斉唱が終わり、「素晴らしい卒業式だった」といつもと同じ表情で淡々と告げる元担任の横で、クラスメートたちは打ち上げにボーリングに興じようと盛りあがっていた。その波をかき分け息を切らせた雨宮がオレに声をかけてきたのは、普段のクールな彼女からは考えられない大冒険だったに違いない。

「伊瀬、ありがとうございました。お世話になりました。またね」

「あぁ、元気でな」

 淡々としたお礼は実に彼女らしい。

 それだけ言うと口角を上げて、スカートを翻し、仲のいいグループの輪に戻ろうとした。

 中澤が「ユッキー、写真とろぉー」と遠くで手を降っている。

「あ、おい」

「ん?」

 ここで別れた二度と会えない、そんな予感がした。

 寂しい予感を覆すために、オレはなんでもない質問をすることにしたのだ。

「大人っていつ?」

 二年前の家出計画ノートの一文を思い出しての質問だ。

 いくら自分で綴った文といえど二年前のことだ、思い出せないかな、と心配しつつした質問だったが、雨宮は少しだけ頬を紅く染め上げ、

「大人は大人だよ。おっきくなったら」

 と早口で捲し立てた。

「何歳だよ」

「大人だから、コーコーセー、……卒業して、十八才とか、かな」

「テキトーだな」

「じゃあ、お互い十八才の、十一月二十一日ね!」

「なにその日付」

「ふふふ」

 笑みを浮かべるだけで返事はしなかったが、よくよく考えてみれば家出を実行した日だった。

「覚えてられるかな」

「覚えててよ」

 いまでこそ年の積み重ねは簡単に進んでいくが、当時十八才というとひどく大人に感じた。

「ユッキー! 写真ー!」

「すぐ行くー!」

 教室に響く中澤の呼び掛けに大声で返事をした雨宮は、最後にもう一度オレの方を向いた。

「打ち上げのあと、ママとレストランに行くんだよ」

「……よかったな」

「なんだかまだぎくしゃくしてるけど、今はけっこう幸せなんだ」

「お前の頑張りは無駄じゃなかったんだ」

「私たちの頑張りは、ね」

 卒業式の終わりは慌ただしくて、先ほどまで体育館で感じた感傷などは一切ない。

 中澤に急かされる雨宮は、ハッと顔をあげ照れ臭そうに頬をかいた。

「じゃあね」

「ああ、……秘密基地でな」

 はとが豆鉄砲を食らったような顔、とはこの事をいうのだろう。舞い散る桜よりも紅く染まった雨宮雪乃は飛びきりの笑顔で頷いた。

「うん。またね!」



 女子と男子の壁の隔たりは、子供のときは分厚くてとてもじゃないが破れない。


 それから雨宮と会うことはなかった。






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