四人目:盲目のピアニスト
扉の向こうからピアノの音色が聞こえる。流れるような、綺麗な音色。
どうやらここは音楽室のようだ。しかし人気がなく、聞こえるものといったらこのピアノの音色だけ。
少し重い扉を開けると、微かに聞こえていた音色が鮮明に聞こえる。
しかし扉のギィという音に気付き、ピアノを弾く手が止まる。
『…誰ですか』
「おや、止めちゃうんですか?」
『誰だと聞いているんです』
相手は邪魔をされたのが不快のようで、眉間に皺を寄せ、強い口調で言う。
「怖いですねぇ。僕は…そうですね、旅人とでも言っておきましょうか」
『…はぁ?』
まるで不審者を見るような表情で僕の方を向く。なんて失礼な奴なのでしょうか…
「まぁまぁ、落ち着いて話しましょうよ。…僕は貴方の願い事を叶えるために来たんですから」
『何かの詐欺ですか』
「いえ、違います。」
この人は警戒心が強い。先程まではピアノの椅子に座っていたのだが今は椅子を立ち、身構えている。
『じゃあ、何ですか。ここは音楽室だし、何もないですよ』
「いやいや僕は強盗でもないですって。貴方の願いを叶えにきたんですよ」
「…貴方、目が見えないんでしょう?」
『………それがどうしたんです』
「視力を取り戻したいとは思いませんか?僕ならそれを叶えられます」
僕もここまで詰め寄ったのは初めてだ。正直疲れる。
しかし相手も疲れてきたようで溜め息を交えて言う。
『しつこいですね…しかし視力を取り戻したいのは事実。叶えられるなら叶えてください』
勝った、と思わずガッツポーズをしたくなる。でもここは我慢。あと一息です。
「それでは貴方のお名前を教えてください。必要すので。」
『夏目 叶多。』
それでは少しお待ちくださいと言い、準備を始める。僕は懐から、義眼を取り出した。
義眼に血を垂らし、呪文を唱える。
「 」
すると義眼の光彩の部分が叶多の髪色と同じ、栗色に変化する。
「今義眼入れるので動かないで下さいね」
『いっ……』
「すいません痛かったですか?あと1個入れれば見えるようになりますから我慢して下さいね」
実は嫌味も込めて少しだけ乱暴に義眼を入れたのだが、これは秘密だ。
「…よし、できました。」
ずっと閉じていた瞼が、ゆっくり開く。
『…見える…』
その顔は、歓喜に満ちていた。
『これが、机。椅子、黒板……そしてピアノ…』
「どうですか?貴方がずっと望んでいたものは」
『素晴らしい。こんなに世界は素晴らしいんだ…!』
…あぁ、なんて愚かな。世界は素晴らしいことばかりではないんですよ。
ほら、今だって。
「それでは、代償を貰っていきますね」
悪魔が笑っているではないですか。
『代償…?何をあげればいいんです?』
「貴方の一番大切なものです。」
バチン!
何かが切れた音がした。それは…ピアノの弦だ。
はち切れたピアノの弦は、叶多の手首に襲い掛かる。
「知ってますか?切れたピアノの弦は、刃物みたいに鋭いんですよ」
鮮血が大量に吹き出し、床に広がる。しかし手首からの出血は止まることを知らない。
『い゛っ…あ゛ぁあ゛ああ!!!』
血塗れの床に膝をついている叶多に向かって笑顔で言う。
「残念ですね。指が1つでも動かなくなったらピアノは弾けませんから。」
『っご…の…!悪魔が…!』
悪魔?それでも結構ですよ。
だって僕は願いを叶える為だけに存在しているのだから。
「それでは、僕はここで失礼します」
後ろで叶多の悲痛な叫び声が聞こえたが、僕は聞こえないふりをする。
――――青年は大切なものを失いました。
――――それは、大好きなピアノを弾く手です