天秤
「君の命と引き換えにして、この人達の命を助けてあげても良いよ」
目の前で交通事故が起きた。
駅前のスクランブル交差点で。
信号は歩行者側が青。なのに、大型トラックが突っ込んできて。五十人くらいが轢かれ千切れ砕け怪我して死んだ。
生き残ったのは、僕を入れて数人。
そこに突如現れた、黒髪の青年が、僕にこう言ったのだ。
☆☆☆
「君の命と引き換えにして、彼女の命を助けてあげても良いよ」
彼女とのデートはおおむね成功して、これから帰るはずだった。
駅前のスクランブル交差点で。
信号は歩行者側が青。だというのに、大型トラックが突っ込んできた。俺の彼女は俺を突き飛ばして、千切れて肉の塊としか形容できないモノに成り果てた。
生き残ったのは、俺を入れて数人。
そこに突如として現れた、白髪の少女が、俺にそう言ったのだ。
☆☆☆
「君の命と引き換えに、お父さんの命を助けてあげる」
今日はお父さんと一緒に、ちょっと市内までおでかけ。
動物園で遊んで、これから駅前のちょっとおしゃれなレストランで晩御飯の予定だった。
駅前のスクランブル交差点で。
信号は歩行者側が青だったの。でも、おおきなトラックが突っ込んできて、お父さんが急にいなくなった。お父さん、どこ?
生き残った人は、私を入れて数人。
そこにいきなりあらわれた黒髪のお姉さんが、そう言ったの。
☆☆☆
同じ光景が、方々で見受けられる。生き残った、俺以外の老若男女七名の前に現れた、白か黒の髪をした人間のようなナニカ。そいつらが、俺以外の生き残りに対して、問いを発している。
年端もいかないような童女が、一番決断が速かった。
「お願いします。私の命はいらないので、お父さんを助けてください」
続いたのが、厳格そうな皺の刻まれた初老の男性。
「自分はもう十分生きたから、孫の命を、どうか助けてやってほしい」
三番目は、眼鏡の気の弱そうな少年。
「僕はまだ死にたくないので……、ここにいる人たち全員のことは、悼みはしますが、僕には関係ありません」
それからしばらく間が開いて、黒髪の生真面目そうな少年。
「俺は……ユカを……愛している。自分の命と引き換えに彼女がこれからも笑い続けられる権利が守られるのなら、こんなちっぽけな命、くれてやる。いや、お願いします。ユカを……ユカを、助けてください!」
五番目、髪を金に染め、ギターケースを背負ったおそらく未成年……と言った年頃の少女。
「あたしの命はいりません……! だから、だから、ナオ、メイ、ユリ……あたしの大好きなバンドメンバー達全員を……全員を、助けてあげて……!」
ほぼ同時に、額が後退し始めている、スーツ姿の中年男性。
「社長は……別に……ぉの……死んでも……すいません、私は自分の命の方が大切なので……」
☆☆☆
最後の一人は、まだ葛藤しているようだった。
その間に、童女の父が生き返り、初老の男性の孫、黒髪の少年の彼女ユカ、金髪少女のバンドメンバー、ナオ、メイ、ユリがそれぞれ息を吹き返し、抱き合った。
そして一分もたたないうちに、童女が死に、初老の男性が死に、黒髪の少年が死に、金髪少女が死に。
白髪のナニカが、葛藤する最後の少年に、再度問いを放った。
「君、君! 君の命と引き換えに、この交差点にいる人の命を助けたかわりに死んでしまった、勇敢な幼女に老人に少年に少女を、助けてやろうじゃないか! さあ選んで! 君の小さな小さな命か、彼らの偉大なる命か!」
童女の父は、少年に叩き付けた。
「君の命と引き換えに、娘の命が助かるなら……、君、頼む、この通りだ……! 死んでくれないか……!」
初老の男性の孫は、少年に問うた。
「お兄ちゃんが、僕のおじいちゃんを助けてくれるの?」
ユカは、少年に乞うた。
「お願い……! ユウタを……生き返らせて……!」
バンドメンバーは、少年に突き付けた。
「私たちは……レイの事が大好きです……」
「ボクたちは四人で一つのバンドだから……レイがいないと……ダメ、なんです」
「なんでもするから……お願い……レイを……レイを!」
少年は叫んだ。
「つまり僕に死ねってことだよね!?」
わかってる?
「自分のために、あなた達は僕を殺そうとしているんだ……! 僕だって……貴方達のことは非常に残念だとは思うし……でも! 僕が死ぬかどうかは関係ない! だろ!」
でも! それでもだ!
「それでも、僕は決断しなくちゃいけない……!」
少年は涙を流した。僕は、まだ死にたくないんだ……! と。
「本当は関係ない人のためになんか死にたくないし、自分が一番大切なんだけど……」
死にたくない死にたくない死にたくない……。歯の根が鳴るのを我慢する。
「だから、僕は死ぬ。良いんだ、死ぬよ。死ぬよ! 僕の命と引き換えに、彼らを!」
★★★
「君の命と引き換えに、ここにいる人を全員助けてあげるよ」
その時だった。突然、俺の前に黒髪の少年が現れたのは。
「ねえ、トラックの運転手さん。お前が死んだら、ここにいる全員、一人残らず、助けてあげるよ」
くすくす、と、ボーイソプラノの笑い声。嗤い声。
「ねえ、どうする?」
★★★
『……ら中継です。本日午後六時、白木丘駅前の交差点で、交通事故が発生しました。赤信号を無視して、トラックが交差点に侵入したと見られています。死者はトラックの運転手を含めて五八人、当時駅前を通行していた人物に、生き残りは一人もいない模様、未曽有の大事故に現場は……』