戦況を何も動かしえない、小さな、だが尊い戦い<あるいは「とある使徒の勤務記録(3)」>
その街は、静けさに支配されていた。
人間のいない街というのは、これほどまでに静かなものなのか。
感情を吸い取る結界の中で、風の音だけがゆるやかに鳴り渡っている。
いや、時折それに混ざる…空を切り裂いて舞うモノの音。
悠々と奇怪な翼を広げて飛ぶ、哨戒のサーバントたち。
蒼空に灰色の点となって移動するそれは、ほどなく遠ざかっていく…
「…行ったようですね」
青年が抑えた声で呟いた声に、仲間たちはうなずいた。
ふちなし眼鏡のガラス越しに、意志の強そうな黒い瞳。
若杉 英斗(ja4230)の背後には、共にこの依頼を受けた仲間たち。
「…依頼人にも、少し同情する所はあるな…」
小柄な少女そのものの姿ではあるが、一世紀以上の齢を経た悪魔、緋打石(jb5225)。
「問題はない。敵が立ちふさがれば、砕くのみ」
「そうですね。あくまで目的はアルバムと指輪を手に入れることですから」
白面にて素顔と過去を隠す青年、クライシュ・アラフマン(ja0515)の言葉に、赤い髪の奇術師、エイルズレトラ マステリオ(ja2224)が応じる。
「さあ、早く行こう。時間が惜しい」
淡々と語るのは、鴉乃宮 歌音(ja0427)。いつ敵が現れてもいいよう、すでにクロスボウを手にしている。
その隣に立つのは、全身黒づくめの堕天使・命図 泣留男(jb4611)。本人は「メンナク」と呼ばれたがっているため、ここでもそう呼称しよう。
「磨き上げた己を、伊達ワルの神は裏切らないものさ」
虚空を見つめて彼が放った奇矯なセリフは、仲間に受け止められることなく宙に散る。
「さあ、行きましょう!」
気持ちを切り替えるように熱のこもった、若杉の言葉。
依頼人の話によれば、結界の境界から、彼女の家はそう遠くない。
ここは天魔にとっては縄張り。いつ何時、敵が現れてもおかしくない。
六人の撃退士が、動き出した。
目につきやすい大通りから一本路地に入り、そこから依頼者宅を目指す。
人の手から離れた町は、少しずつ、少しずつ自然の侵食を受けていた。
生命力豊かな緑に喰われていくブロック塀に身を隠しながら、じりじりと進む一行。
「…案外、楽な仕事かもしれんな」
緋打石の率直な言葉が、風に混じって消えていく。
「だが、油断は出来ん…ここは敵地なのだから」
「ですね、さっさとすませて…」
クライシュの言葉に返す若杉のセリフが、唐突に凍る。
―彼の黒い瞳、その視線の向こう。
路地の角に、黒い影。
ただの影ではない、
それは、その表面には…
「?!」
「しまっ…」
一対の、獣の目。
濁った緑色の瞳が、狼の瞳が―そこに、あった。
うおおおおおーーーーーーーーーん。
「ぐ…!」
身をそらし雄叫びをあげる狼、その行動が意図するものは明白。
「…来ますね」
マステリオは魔具の爪を手に顕現させ身構える。
呼び寄せられるのは、おそらくはサーバントの群れ。
奴らをいなしつつ、目的を達さねば…
「とりあえず…終わらせておきますか」
刹那。少年の姿が、影になる。
風になる。疾風となって、消え失せる。
狼が風の到来を感じ、向き直ったー瞬間。
銀が、深々とその頭蓋に突き刺さった。
不快な断末魔を最後まで聞くこともなく、一行はすぐさまに走り出す。
新たな敵がくる前に、目的地…依頼者の家だった場所に向かわねば、とにかく近づかねば!
「…。」
空を見上げる。
空中に響きわたった遠吠えが、かすれ途切れしながらも…確かに、聞こえた。
「侵入者、かよ。くそったれ」
短く毒づいた男は、ため息をつき。
そうして、自らの武器である破壊鎚を手に取った…
(お前ら、仕事だぜ。行けよ)
念話が見えない軌跡を描き、宙を飛ぶ。警備に当たっていた周辺のサーバントたちが、これで現場に集うだろう。
そして、一体何が忍び込んできたのか…
自分自身でも、確かめる必要がある。
「…。」
男は、歩き出す。重い足取りで。
シュトラッサー・国木田光が、動き出した。
一行の足が、自然に止まる。
集まってくる敵の気配が、彼らにそうさせる。
「来たようですね」
スネークバイトを顕現させ、若杉が小さく呟く。
彼の視界の中に、蒼空を割る黒い影。
古代の巨鳥めいた、奇怪な鳥…
そして、走り寄ってくる幾つもの足音は…先ほどの狼の同類か。
「ともかく、蹴散らすか」
「ええ…」
アラフマンの言葉に返す奇術師の少年の言葉が、妙なところで止まる。
「…!」
マステリオは思わず目を見張る。
同様に、仲間たちも、それを見た…
獣たちの群れの向こう、…二足で立つ、新たな影。
その影は確実に、ゆっくりと…こちらに向かって、近づいてくる。
―それは、人間の姿に見えた。
(…この結界の中で、普通に歩けてる人間…?!)
ゲートに感情を吸い取られてしまうこの場所で…長時間いればアウルの力を発現させる撃退士ですら影響を避けられないこの場所で、平然としている人間。
「…敵、か」
白面の男が、何の抑揚もなくつぶやく。
程なくして、その影ははっきりと…男の姿を為す。
黒いくせ毛の髪、やや小太りでそこまで背が高くない。
工場の職人が着るような鼠色の作業服が、いやに奇妙に見えた。
そして、その右手に握っているのは…巨大な破壊槌の柄。
巨大な鋼鉄の塊、と形容していいような、相当な重量を誇るだろうスレッジハンマー。
しかしその重みをさほど感じている様子もなく、男をはそれを引きずりながらこちらに来る。
顔には、無表情を張り付けたまま。
狼も怪鳥も、その男に攻撃するそぶりすらなく。
むしろ、その周りにはべるがごとく。
すなわち、それが示すのは…
「…あんた、何者だ!」
スネークバイトを構え直し、若杉が吼える。
―ふ、と。
その男の視線が、揺らぐ。
眼前に立ち並び自分をねめつける一群に向かって、その男は言う。
「…決まってんだろ。こんな場所にいるんだ」
そんなことを聞くなんて、馬鹿じゃないか?
そう言いたげな侮蔑を、その目の色に混ぜ込んで。
「俺は…シュトラッサーだよ」
シュトラッサー…
使徒。
人間でありながら、天使に自ら望んで隷属する者。
そうして強大な力を得、人間を狩り集める先兵となった者―!
「…ッ!」
しかし。
身構えた彼らに向かって、その使途が言った次の言葉は…まったくに、予想外だった。
「悪いことは言わない、出て行けよ」
「何だと…?!」
「それっぽっちの人数で使徒に勝てるわけないだろ、撃退士?
いまなら見逃してやるからさあ、帰れよ」
ちっとも面白くなさそうな様子で、ぼそぼそと。
如何にも陰険そうなその男は、冗談や挑発で言っているわけでもなさそうだ。
こうやって自分たちと戦うのが、どうにも面倒らしい…
けれども、相手の言っていることは、まぎれもない事実だ。
たったの六人でシュトラッサーを相手取って、勝てるはずはない。
「…」
奇妙な間が、流れる。
悪魔の少女が、はねつける。
「…あいにく、そんなわけにもいかないのでね」
「…」
緋打石の言葉に応じるように、強い敵意をもって見返す撃退士たち…
はあ、と。
けだるそうに、作業着の男は、ため息をついた。
「ちっ…面倒くせぇが、仕方ないか」
黒縁眼鏡の奥、胡乱な瞳が…にわかに、殺気を帯びる。
「おい、お前ら!適当に…喰い殺しな!」
主の命に、従って。
同時に雄たけびを上げる、上げる、ケダモノの群れ!
一挙に膨れ上がる殺意が、黒い煙のごとく、サーバントたちを包み込む。
けれども。
怖じることなく。むしろ、闘気を燃え上がらせて。
その邪悪な一群を、睨みつける。
―刹那の空白を、飛び越えて。
撃退士たちが、吼え返す。
「俺は、あいつを抑えます!」
「ああ、私も行こう!」
耐久力・防御力に優れたディバインナイト…若杉が、アラフマンが、すぐさまに使徒に向かって駆け出す。
「やれやれ…数で押せば勝てると思ってるあたりが、僕としては嫌いですねえ」
「ああ、返り討ちにしてやろうぞ」
神速と回避力に長けた鬼道忍軍…マステリオが、緋打石が、雪崩を打って襲い来るサーバントたちに斬りかかる。
「ようし!ブラック・ロック・サバイバルの始まりだ!」
「…」
そして、遠距離攻撃が出来る魔具を持つメンナクと鴉乃宮が後詰めに。
…しかし。
クロスボウを手に、矢を怪鳥に向かって撃ち放ちながらも。
少年は、すでに次の一手を選んでいた。
彼は、隣に立つ黒づくめの男に言う―
「行け」
鴉乃宮が視線をふらりとも揺らがさず、魔法書で自らも魔弾を放とうとしていたメンナクに短く命じた。
「!だがよ…」
敵に包囲される仲間を放っておけ、ということか。
そう言い返そうとしたメンナクの先を制し、歌音はさらにクロスボウの矢を狼に向かって放ちながら、繰り返す。
「行け。目的を忘れるな…大丈夫、それまではもたせる」
「…わかったぜ!この伊達ワルが、ケイオスあふれるこのストリートを一瞬で駆け抜けてみせる!」
仲間の叱咤に意を決したメンナクが、ばさり、と神々しき白銀の翼を顕現させる。
別れのセリフを最後にそのまま低空を飛び去っていく彼のほうをやはり見もせず、新たな敵を狙撃しながら、鴉乃宮の気のない返答だけが彼を追いかける。
「いいから早くな」
使徒の男に立ち向かい、それぞれの魔具を突き付ける若杉とアラフマン。
シュトラッサー相手にたった二人とは無謀だが…それでも、やるしかない。
…使徒が、手にした巨大な破壊槌を振り上げる。
なんて緩慢な攻撃だ、まるで子供でも避けられそうだ―
そんなことを想った、瞬間だった。
「…ほいっ、と」
使徒がそれを叩き付けた―地面に!
何故、と思った時には、もう…遅かった。
視界がぶれる、空気が歪む。
「?!」
「うおッ?!」
地面が震えているのだ、使徒の放った攻撃で大地が悲鳴を上げているのだ…!
それを悟っていた時には、すでにその衝撃が彼らの全身に喰いこんでいた。
「う…!」
それほど大したダメージではない。
しかし、今の一撃はむしろ…彼らに知らしめるための、挑発。
シュトラッサーたるこの男の、とんでもない強力を…!
(こんなもの直に喰らったら…!)
若杉の頬を冷や汗が伝う。
彼が惑った、その瞬刻に。
けれども、もうひとりの男は―すでに、翔んでいた。
手に握っていたのは、ただの柄。
だが、アラフマンの全身にたぎるアウルが注ぎ込まれた時、そこには…眩く輝く、長大な刃が生まれる!
「喰らえ…!」
「!」
その身を戒める地断撃からいち早く脱した男の影に、一瞬使徒の反応が遅れる。
「おらぁ!」
巨大な破壊槌が、エネルギーブレードの斬光を防ごうと振り上げられ―
「!」
白銀の刃が、破壊槌と喰らい合う。
音はなく。
力と力がぶつかり合うそのインパクトだけが、反響して攻撃手にびりびりと振動を伝える。
「…」
白面に隠された表情はわからない。
だが、これだけは確かだ―
暗殺者としての過去を持つ彼は、使徒に対してすら、怯んでは、いない。
「…鬱陶しいぜ」
「?!」
ちっ、と、苛立たしげな舌打ちと同時に、振り抜かれたスレッジハンマー。
すぐさま防御の構えを取るが、それでも強烈なGを耐え抜くには至らず。
「アラフマンさんッ!」
吹き飛ばされたアラフマンを、すぐさまに受け止める若杉。
「ぐう…ッ」
「大丈夫ですか…?」
たった一発喰らっただけなのにもかかわらず、全身を砕かれるかのような衝撃。
苦悶のうめき声を、だが、彼は唇をかんで押し殺す。
「ほら、言っただろう?」
そんな撃退士たちを見下し、使徒は吐き捨てる。
「とっとと帰ってた方がよかっただろうが?…潰しちまうぞ?」
憎しみでもなく、怒りでもなく。
ただ、邪魔くさい、と。
まるで、道端の野良犬にでも言うような、冷淡な口調。
圧倒的な力を誇る相手を前に。
若杉の表情が、一瞬揺らぐ―
「冗談はやめてくれよ…まだまださ」
だが。
それすらも無理やり、砕けない意志で覆い隠し。
若杉は攻守一体の盾・プロスボレーシールドを呼び出し、装備する。
貫くは、鋼の意思。
防ぐは、敵の一撃。
純粋な騎士としての誇りを燃え立たせ、彼は戦う―
「俺は、みんなの盾になる!」
「次は…お前だ!」
忍刀・蛇紋が描く軌道上に、運悪く位置していた怪鳥が。
一瞬、ぐわ、と鳴き、そして次の瞬間には…ずるり、と切断面から砕け堕ち、黒赤い血をぶち撒いてぐちゃり、と地に潰える。
空を飛翔しながら、怪鳥たちを牽制し戦う緋打石。
その動きに怪鳥たちはついてこれず。
一体、また一体、斬撃を喰らい堕ちていく。
しかし―
一体堕ちればまた別の一体が、他の一体を引き連れてやってくる…
少しずつ、少しずつ。彼女を囲う敵の円陣が、縮まっていく。
地では、マステリオが狼たちを薙ぎ払う。
「奇術士の一撃…とくとご覧あれ!」
アウルがカードデックとなり、そして一気に爆散し―敵を切り裂く!
狼の悲鳴をバックグラウンドミュージックに、黒いマントを翻し微笑う―
仲間の死を悼む知恵すらない狼は、群れを成して襲い来る。
次々とやってくる増援を前に。
それでも狼の牙を軽々と避け、マジシャンの少年はひるまない。
「僕のショウタイムは、まだ始まったばかりですよ!」
「くっ…何処だよ、一体!」
一方、その頃。
依頼者の家に到着したメンナクは、必死にアルバムと指輪を探す。
タンス、戸棚、引き戸の押入れ…
思い当たるどころか目についた空間全てをひきさらしぶちまけ、とにかく探す探す探す。
(早くしねえと、あいつらが…!)
彼の心中を焦燥がちりちりと追い詰めていく。
仲間が傷つくことを何より厭い、自分の癒しの力をそのために使いたいと望む心優しく堕天使にとって、彼らを敵の真っただ中に放置していることがどれほど苦痛か。
だが、歌音の言った通り…「目的を忘れるな」。
依頼人の女性が望んだ、小さな願い。
この世の絶望的な状況を変えられるはずもない、たとえかなったとしても彼女以外救われない、小さな願い。
けれども、彼らはその願いのためにここに来たのだ。
だから―
「!」
思いっきり引っ張ったクロウゼットの引き出しが、勢い余って飛び出し、がたん、と音を立てて床に転がる。
ばらばらと散らばる、かつてここに住んでいた人々の息吹。
カメラ。ノート。家計簿。文具、それに…
「あっ…」
ころり、と、床の上で、丸まっている。
薄暗い室内で、それでもそれははっきりと輝いて見えた。
…ビロード張りのケースからこぼれおちた、金剛石の指輪。
「くっ…!」
「大丈夫か!」
瞬間的に展開されるアウルの盾。
だが振り抜かれたスレッジハンマーは重く、強烈なエネルギーを展開する。
衝撃のもたらす苦痛に思わず顔をしかめる若杉を、すぐさまにアラフマンがカバーする。
(…この人数では、さすがに無茶だな)
使徒、シュトラッサー。圧倒的実力を持つ者。
目の前の陰気な顔をした男は、自ら戦闘意欲を見せてはいないが…だからと言って自分たちを見逃すつもりもないようだ。
「うわあッ?!」
と、後方であがる緋打石の悲鳴。
怪鳥の嘴が、とうとう彼女の腕をとらえる。
身をよじってなんとか攻撃の軌道からずらしたものの、切り裂かれた腕からは血があふれしたたり落ち、アスファルトを赤く汚す。
応急処置を、と思うが、鴉乃宮は今シュトラッサーの牽制で手いっぱいだ。
(そろそろ、離脱したいところだが…!)
彼の頭蓋に、わずかな焦りが生まれ始めた、その時。
ばさり、と。
純白の羽が、青空に映えた。
「?!」
突如、彼女を包み込む、暖かい光。
それはアウルの輝き、ライトヒール…
「!」
「よう!待ったかい?」
真っ白い翼を広げ、宙にブラックノワールが舞う。
メンナクが間に合ったのだ…
その腕に例のアルバムを抱えて!
「助かった、恩に着る」
「なあに…迷える子羊を救うのも伊達ワルの使命、さ」
自分を助け起こしながら微笑うメンナクに、緋打石は笑顔で応じる。
同様に。
仲間たちの間にも、自然に生まれる…
勝利を確信した、笑みが。
―さあ、もう十分だ。
「皆!」
アラフマンの声。
「行くぞ!」
「…!」
「ええ!」
呼びかけに、一斉にうなずく。
求める物は既に得た、後は―
この戦場から、この使徒から逃げおおせるだけだ!
「ちっ…行かせるかよ、ただで」
が、彼らの狙いを察したか、国木田が短く毒づく。
彼らを逃がすまいと振り上げられるスレッジハンマー。
醜い塊が地面を穿ち、大地を揺るがす衝撃をもって侵入者たちを捕らえんとした…
その、刹那。
「?!」
国木田の全身が、硬直する。
何処かより現れた無数のカードが彼を束縛する!
「僕のクラブのA…如何です?」
「…うぜえ」
技を放ったマステリオに吐き捨て、全力でその戒めから逃れんとする使徒。
「今です!」
シュトラッサーなら、長くは束縛できないだろう…
全力で踵を返し駆け出す撃退士たち、その背を狼たちが追う。
「ふん…」
ほどなくして、力技でカードの呪縛を振り切った国木田が、撃退士を追う狼に命ずる。
「足をやれ!一人でも、捕えろ!」
るおおおおおん!
命を受けた銀色の狼たちが、だっ、と強く地を蹴り、ひときわ素早い風になって走る!
だが、それは…読めていた。
「ふむ、それは困るからな」
平坦な言葉とともに、空を翔けるは白銀の矢。
鴉乃宮の攻撃が、狼を貫く。
「…邪魔だ、堕ちろ!」
闇の翼が舞い上がる。
忍刀をひらめかせ、飛びかかってくる空中の怪鳥を斬り捨てる緋打石。
一体、また一体と、追っ手の数が減っていく。
国木田の網膜の中、撃退士たちの姿が、どんどんと小さくなっていく―
「もうすぐ結界の切れ目です!皆さん、早く!」
若杉の言葉に、無言でうなずき。
これが置き土産だとでも言わんばかりに、もう一度撃ち放つ。
「…ちっ」
鴉乃宮の放った矢が、追いすがっていた最後の狼の額を打ち抜いた瞬間。
国木田はこれ以上撃退士たちを追うことに利がないと気づく。
『引きあげろ…奴らはエリアから出た、これ以上追っても意味ねぇ』
念話をサーバントたちに飛ばす。
ほどなく、狼や怪鳥たちが、動きを変える。
『今まで以上に結界周辺の警護を厳しくしろ…襲撃か何かの調査のつもりだったのかもしれねえからな』
新たな命令に従い、戦列を為していたサーバントたちはほうぼうへと散っていく…
撃退士たちが消え失せた先をじっと睨みつけたまま、使徒は立ち尽くす。
「何をしに来やがったんだか…」
彼の独言に返答を返す者もなく、ただその疑問は散っていく。
ゲートを襲撃に来たわけでもなく、あっさりと去っていった。
撃退士が徒党を組んで、しかも武装していたわけだ、この結界にただ迷い込んだわけでもあるまい…
だが。
ともかく、奴らは逃げ去った。
ゲートはおろか、まだ感情を吸い取りきっていない人間どもの「保管庫」にも、近づくことさえできずに。
(なら…今日のところは、たいして心配するような段階でもない、か)
はんっ、と短く息を吐き出して。
スレッジハンマーを肩に担ぎ上げ、国木田光は踵を返す。
上役にするいつもの報告も、今日はさすがに「異常なし」とはいくまい。
また撃退士の襲撃あり、しかしながら結界境界付近にて追い返した…
そいつらに殺された分のサーバントを補充する必要がある、と。
それくらい報告して、終わりにしよう。
「…さあて、帰るか」
誰にあてたでもない独り言は、ただ風に散る。
孤独なシュトラッサーは、そうして、結界中枢にある城…天使の根城に向かい、歩き出した。
帰ったら、あの本の続きを読もう…と、ぼんやり思いながら。
数日後。
「受け取るがいい」
「…!」
アラフマンが差し出した、赤い表紙のアルバムと、輝く指輪。
その二つを目にした女性は、息を呑み…
そして、次の瞬間、はじけとんだ感情のままに、泣きじゃくった。
「あ、ああ…!ありがとうございます!ありがとうございます!」
「本当にありがとうございます!まさか、本当にあそこからとってきてくださるなんて…!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、何度も何度も女性は頭を下げる。
今にもくずおれそうになる彼女を支えながら、男性も…きっと彼が、彼女の夫になる人なのだろう…同じように泣きそうになりながら礼を繰り返す。
「なあに、気にすることはない。それほど大したことではないのじゃ」
緋打石がにいっと笑いそう返事するのに続いて、
「お幸せに、花嫁さん」
「いい式になるといいな」
マステリオや鴉乃宮もそれに和する。
メンナクは、ニヒルに笑って窓の向こうを見ているだけ。
「せっかくだから、それ…つけてみてくださいよ」
と、若杉が彼女を促す。
一瞬目を瞬かせた彼女は、にっこりと微笑んで…自分の左手の薬指に、その古い指輪を滑り込ませた。
すんなりとはまった指輪は、白銀の光を散らばす。
きらめくダイヤモンド。まぶしい彼女の笑顔。
ああ、幸せな女性というものはこんなにもきれいなんだなあ―
ぼんやりとそんなことを若杉は思う。
いつか、自分にもそんな女性が現れることをこころのどこかで夢想しながら。
彼女は君を見つめている。
笑顔で君を見つめている。
君は彼女にとって魔法使い。
君は彼女にとって異能の戦士。
君は彼女にとって超能力者。
君は彼女にとって…救いの光。
たかが指輪と写真アルバム。
なくったって人は死なない、生きていける。
結婚式だって、つつがなく終わる。
それでも、君たちはそのために戦った。
命を賭けて、使徒という強大な敵と遭遇しても、それでもその小さな願いのために戦った。
戦況を何も動かしえない戦いだ、とても小さな戦いだ。
だが、その戦いは、だからこそ尊い。
何故なら、君は人間のために戦う戦士。
そう…撃退士。
戦う力を持たない人々の代わりに剣となり、盾となり、戦う者。
踏みにじられた人々の願いのために、その身を賭す者。
だからこそ、君たちは撃退士なのだ。