とある使徒の勤務記録(2)
「はぁ…やれやれ」
思わず愚痴めいたため息が口から出た。
だが、必死に上空で旋回し、こーうこーう、と敵の襲来を知らせてくれてる怪鳥型サーバントを、そのまま放っておくわけにもいかず。
ぼすっ、と、俺は読みかけの文庫本をそのまま裏返し、ほこりがうっすら積もった平積みの雑誌の上に置く。
「わかったわかった、今いく」
書店を出て、蒼空をぐるぐると飛び回り、乞う乞う、となおも俺を呼ぶ怪鳥に、それだけ言って。
俺は、自分の武器を手にする。
手の中にあるそれの重みが、ぐうっ、とその存在感をもって俺に「義務」を伝えてくる。
「あーあ…面倒臭ぇ」
また、だるい連中の「掃除」をしなきゃあならんのだ、と。
怪鳥の知らせる先に、俺は歩いていく。
と、どうやら周囲を警戒していた狼型サーバントたちが、すでに戦闘に入っているらしい。
ぐおおおおう、うおおおおん、と言った狼の遠吠えや、それに混じる悲鳴や打撃音、破壊音。
侵入者がこの結界内にいることは、間違いがないようで。
…問題は。
「冥魔どもじゃなきゃあ、いいんだけどなぁ」
くはぁ、と、またため息を俺はつく。
天使…俺の上司が造ったゲート、その周りに生まれた結界は、この中規模都市をすべてすっぽり包んでしまっている。
ゆっくり、ゆっくりと、人間たちの感情を吸い取っていく、異界。
狭いといえば狭い結界ではあるが、ここは確かに天界の縄張り―
そんな中に入ってこようとするのは、二種類。
ひとつは、悪魔たち…冥界側の住人。
こいつらの場合は非常に厄介だ。
理由は単純、強力だから。
以前、悪魔のしもべ…ヴァニタスが襲撃してきた時は、俺も手持ちのサーバントをだいぶ削られた。
相手も手ひどく痛めつけたから、しばらくは来ないと踏んではいるのだが。
そして、もう一種類は、と言うと―
「!」
「あっ…」
狼たちと戦っていたそいつらが、近づいてきた俺の気配に気づき、こちらを見る。
ほうっ、と。
三度、俺の口から吐息が漏れる。
「…なーんだ」
だが、今度は、純然たる…安堵のため息。
「撃退士か…よかった、楽勝で」
撃退士。
人間の中でも、何らかの瞬間から特別な力を得た…天魔と戦う力を持つ人間たち。
並行世界よりこの世界に現れた天使と悪魔たち「天魔」は、人間を自らの力のもととして狩り集めている。
天使たちは感情を、悪魔たちは魂を。
集められたそれらは天使たちの、悪魔たちの戦う力となり、この二者間の戦争で使われる。
瞬く間に人間たちの平和は瓦解した。
だが、人間もただ奪われてばかりいるわけではない…
いまだ原因はわからないが、不可思議な力に目覚めた者たちがいる。
岩を砕き、空を飛ぶ。
光を放ち、闇を喰らう。
常人にはあり得ない、魔法、異能、超能力…
それを、「アウル」と呼び、そして天魔に抗う者たち。
それが、撃退士だ…
しかし、まあ、そんなことは俺には正直どうでもいい。
いやどうでもいいことはないな…悪魔じゃなく、むしろこいつら撃退士でよかった。
「お、お前、…人間か?」
そいつらは八人ほどいたわけだが、そのうちのひょろ長い男が俺を指さして問うてきた。
「…んー、」
てか、阿呆じゃねえか、お前。
人間はずるずると感情を抜き取られていくこの結界の中で(撃退士は多少抵抗できるらしいが、それでも平気ではないようだ)、平然としていて。
自分たちに牙を突き立ててくる狼型サーバントたちが、俺に目もくれないでいるのに。
どうして、そんなことをいまさら言う?
「…結構昔は、そうだったけど」
にへら、と、俺は笑った。
途端に奴らの顔が恐怖と混乱に強張る。
さまざまな武器を手にした撃退士たち。
「き、貴様、まさか…」
「…使徒?!」
甲高い女の絶叫が、俺の今の身分を呼んだ。
「はあ、そうです」
そう呟いて、瞬間、俺は自分で自分のその台詞がおかしくなって、ちょっと微笑してしまった。
なんで俺敬語で答えてるんだろう、俺も阿呆みてぇ。
一人でニヤニヤしている俺に勝手にビビったのか、動揺もあらわな人間たち。
「お、おい、…どうする!」
「どうするったって…!」
ざわめく奴らに、俺はお決まりのように言ってやる。
奴ら撃退士が俺の前に現れた時、いつも言う台詞。
「今からでもいい、帰りな。今なら見逃してやる。使徒相手じゃ、勝てっこないだろ?」
それは、俺からすれば、ちょっとした親切心。
けれども、何故か奴らは、せっかくの俺の気遣いを踏みにじる。
いつもいつも。
「く…うるさいッ!やってみなきゃわかんないだろッ!」
そう怒鳴り散らして、一人の男が槍の切っ先を俺に向ける。
それに続くかのように、次々と武器を構え直す連中。
「…あーあ、」
いつもながらの流れに、俺は今度は呆れ混じりのため息をつく。
「仕方ねぇか…やるぞー、お前ら」
そうして、配下のサーバントたちに念話で命令を飛ばし。
右手のスレッジハンマーの柄を握り直し。
「じゃあ、…行くぜ」
左手で軽く、奴らを指さす。
怪鳥が、狼が、一斉に叫ぶ。
うおおおおおおおおおおん。
同時にわめいた撃退士たちの声を、全て掻き消して。
俺は、前に出ず。
むしろ、後ろに下がる。
そうすると、驚くほど奴らはひっかかる。
念話で呼びつけたサーバントたちが到着するまで、あと少し。
そうそう、言い忘れていた…
どうして俺にとって、侵入者がこいつら撃退士であるほうが都合がいいのか。
答えは簡単。
こいつらは、ヴァニタスやディアボロより、ずっとずっと潰しやすいからだ。
俺の名前は、国木田光。
ずいぶん前は人間だったが、紆余曲折あって…とある天使の部下、使徒と呼ばれる存在になった。
人間世界からすれば、裏切者ってところだろう。
だが、俺にとっちゃ、正直何も変わらない。
俺は俺の仕事をするだけ。
唯一の理解者だった母ちゃんが死んだ以上、人間側にいなきゃいけない理由もないし。
ま、思いもかけない就職口があった、ってところだ。
仕事はこうやって、この結界に守られた街を警備すること。
時折、こんなネズミどもが紛れ込んでくるが、まあそれを潰すくらいがちょっと手間なだけ。
サーバントと呼ばれる配下の獣たちを引き連れ、毎日毎日同じように街を巡回する。
それが俺の、今の仕事。
今日も面白味もない、いつもと同じように仕事は終わる。
ほら、こんなふうに―
「…か、ぉわ」
何だか意味不明な言葉を最後に、俺の破壊槌の下でその男は静かになった。
頭が卵みたいにぺきゃりと潰れてしまえば、どうしようもないもんな。
ただ、卵と違うのは、白身と黄身じゃなくって、飛び散るのが真っ赤な血と灰色の脳と脳髄ってだけ。
そういう真っ赤な砕けた卵が、俺の周りに四つほど。
ちらっ、と視線を投げると、サーバントたちのほうもだいたい終わったようだ。
三匹の狼が一人の女に喰らいついている、その長い髪を喰いちぎられても無反応なのは、すでに腹を破られているからだろう。
その近くには、四肢が不自然に折れ曲がった男が、無力に空を仰ぎながら、怪鳥たちに頭蓋をついばまれている。
「おご、わ、ああ…」
だが、その男は、ぶくぶくと口から血泡を吹きながらも、何か悲鳴らしきものを漏らしている。
うげえ、まだ生きてんのかよ。
とっくに人間やめちまった俺だが、まあ、慈悲がないわけでもない。
「おい、遊んでるんじゃねえ。とっとと終わらせろ」
俺が命じると、怪鳥どもはぐげええええ、と不満そうな声を出したものの…すぐに、素直に従う。
ごっ、と、鈍い音。
怪鳥のくちばしが、同時に、男の左目、喉、心臓を突き破った音。
「…。」
そうすると、さすがに静かになる。
撃退士と言っても、普通の奴よりはるかに強靭なだけで、死なねえわけじゃねえからな。
それにしても、と。
俺はもう何度目かも忘れた、ため息をつく。
どうしてこいつらは、自分たちの力を過大評価してるんだろうか、と。
俺が引くと、何故か何人かは必ず俺に飛びかかってくる。
ただでさえ少ない人数が、さらに少なく分かれる。
そいつらが気づいても、後の祭りだ。
俺に気を取られている隙に、残った連中がその後ろでサーバントの大群に喰われているというのに。
で、その自分の力に溺れた奴らも、俺のハンマーでつぶされる、と。
そこは、いつも不思議な点だった。
いや、それとも…俺の姿を見て、むしろ過小評価しているのかもしれないな。
何しろ、俺はデブでブサイクで目つきも悪い。
やれば倒せる、くらいに思えるんかねえ?
あーあー、まったく…
「ただしイケメンに限る」、ってのは、全くの事実なんだよなあ…やれやれ!
「ふわ、あ~あ…」
…っと。
これはため息じゃない、あくびだ。
とりあえず侵入者はこれで排除したし、そろそろ帰るか…
「よし、それじゃあ通常通り…何か異常があったら知らせろ」
残った狼と怪鳥たちに命じると、奴らはうぉん、おおーん、と叫んで、それぞれ自分の持ち場に向かって散り散りになる。
…後に残るのは、何体かやられちまった俺のサーバントと、撃退士の為れの果て。
うーん、やられたのは4体ってところか。また補充しないとな。
もうちょっと哨戒に役立つ怪鳥型を増やすか…そのあたり、もうちょい上に強めに言っとかないとな。
踵を返すと、にちゃ、と、地面にあふれた血が、俺のスニーカーの下で湿った音を立てる。
そうだ、帰りにまた書店に寄ろう。
店先に並んだ雑誌は、すでに数年前のものになってしまっているけれども…新書や文庫本は、まだまだ読み終わらないくらいの量がある。
人間だったころは、仕事でくたびれ果ててその上余分な金もなく、娯楽なんて何も手につかなかったけれども。
3冊ばかり手にとって、外に出た。
1冊はこないだ読み終わった奴の続きだ、オチがどうなるか楽しみだ。
鬱陶しい蒼空の中、輝く太陽に目を細めながら…俺は、唐突に気づいた。
そうだな。
少なくとも、「本を好きなだけ読める」っていう点においちゃあ…
俺はきっと、人間だったころより、幸せなんだろう。
「お願いです…母の指輪と、アルバムを…取り戻してください」
君の目の前に座る依頼人の女性は、思いつめた表情で繰り返した。
彼女は、今は既に天界側の手に落ちた、とある都市の出身だと言う。
数年前に天使とその配下が街を襲ったとき、命からがら逃げだしてきた…
…自分以外の家族は、その時以来ずっと行方不明だ、と。
他の街に逃げだしたのか、襲撃の際に殺されたのか、それとも…
だが、何はともあれ、彼女は死ななかった。天涯孤独の身になったと言えど、生きているのだ。
生きているから出会いが生まれ、そうして恋をし、それが結実した。
「…来月の結婚式には、私のほうには…来てくれる家族は、誰もいません。
けれど、でも…せめて、」
そこまで口にすると、女性の両方の瞳から、ぼたぼた涙が零れ落ちる。
歯を食いしばり、必死に呼吸しながら、彼女は君を見つめる。
「母の指輪と、家族みんなが写った写真の詰まったアルバムを…式の時に、持っていたい」
彼女は一般人だ。結界に閉ざされたあの街に入るなり、意識を失いかねない。
彼女の話では、結界境界からそんなに内部に入らずともいい場所に、彼女の家はあるらしいのだが…
彼女は君を見つめている。
君は彼女にとって魔法使い。
君は彼女にとって異能の戦士。
君は彼女にとって超能力者。
君は彼女にとって…救いの光。
「お母さんの、あのダイヤの指輪…!せめて、あれをつけて、式に…
だって、」
救いの光がまぶしくて、彼女の瞳は涙でいっぱいになる。
「そうでないと!まるで…私、本当に、ひとりぼっちみたいで…!」
たかが指輪と写真アルバム。
なくったって人は死なない、生きていける。
結婚式だって、つつがなく終わる。
けれども、君は彼女にとって救いの光。
ほら、彼女の瞳は真っ直ぐに君を見つめている―
何故なら、君は人間のために戦う戦士。
そう…撃退士だからだ。