とある使徒の勤務記録(1)
ただしイケメンに限る、というのは、全くの事実だと思う。
それを俺は、今までの人生で嫌と言うほど感じながら生きてきた。
俺の名前は、国木田光。
俺は、自分の名前が、正直嫌いだ。
母ちゃんがつけてくれた名前…多分母ちゃんは、俺に文字どおり「光る」ような人間になってほしい、太陽のように光輝く人生を送ってほしい…そう思ってつけてくれたんだろう。
けども、俺は「光る」どころか、薄汚れたトイレの電球よりも遥かに暗かった。
ぎらぎら輝く蒼空の中の太陽なんか、俺には眩しすぎて目も開けられない。
ぶっちゃけた話、名前負けしてしまってる俺の人生は、つまりはその時点で詰んでいたんだろう。
俺が人生をあきらめ始めたのは、たぶん小学校高学年の頃だったと思う。
その頃になれば、クラスの中で順位と言うものが決まる。
仲間に囲まれた人気者、ケンカが強いガキ大将、可愛くてちやほやされる女、頭がよくて先生のお気に入り…
そーゆー奴にとって、学校というのは楽しいところなんだろう。
だが、俺にとっては違った。
要するに俺は、友達もそうおらず、ケンカも弱く、おまけにクラス1ブサイクだった。
体型は「デブ」の一言でまとめられるし、顔のパーツの配置もまずく、その上生来のやぶにらみ。
しゃべるのもそんなにうまくはない、おまけに頭まで悪かった。
そのせいか知らないけれども、担任からも嫌われていたような気がする。
小6の担任が俺にだけ誕生日カードをくれなかったのは、多分忘れられてた…そんなところだったんだろう。
それでも、小学校の頃はマシだった。
俺が本格的に人生を絶望しはじめたのは、中学校からだ。
その頃になれば、クラスの中で俺が「いじられ役」として認定されるのも自然なことで、そしてそのいじりがいじめレベルになる、と言うのも、これまた自然なことだった。
不思議なものだが、どうして奴らはいつでも人の弱点を見つけることが上手いのだろう、… 「リア充」と言う奴らは。
「プロレスごっこ」と称してさんざん痛めつけられたし、教科書には下衆な落書きをされた。
何より運が悪かったのは、俺が元々天然パーマだったことだ。
奴らが俺につけたあだ名が簡単に想像できるだろう?
もちろん、 「陰毛」だったさ。
男子も女子も、ゲラゲラ楽しそうに笑いながら、そう呼ばれる俺を見ていた。
休み時間はトイレに逃げたが、運が悪い時はそこでもひどい目にあった。
ホースで水をぶっかけられた時は制服がすっかりずぶぬれになって、その後授業にも出れなかった…
まあ、教師も探しに来なかった…俺の存在がどれほど薄かったのか、わかろうってもんだ。
俺が頭さえよければ、こんな奴らとは3年間でお別れできたのかもしれない。
けれども、ああ―おまけに、俺は馬鹿だった。
だから、進学校を選んで、そーゆー低能な奴らから離れることもできなかった。
俺の高校生活がどんなものだったか…もう続ける必要もない、すぐ察せるだろう。
…それでも俺は、学校だけを休まずに通った。
ちょっとばかり熱が出たって、それでも通い続けたんだ。
それは別に、学校の先公どもが好きだったわけでもなく、同じようにスクールカーストの底辺にいながら一緒に耐えていた友達がいたからでもなく、単に―
母ちゃんを悲しませたくない、それだけだった。
母ちゃんは、苦労ばっかりしていた。
顔も見た事ない俺の親父は、文字通りのろくでなしだった。
俺が生まれる前に、ギャンブルで借金を作りまくり、その挙句に行く姿をくらましたらしい。
母ちゃんは、たった一人で、残された借金を律儀に返しながら、俺を必死に育てるしかなかった。
朝から夕方までは事務員として働いて、そこから家に帰ってばたばた家事をした後は、深夜まで倉庫の整理作業。
母ちゃんが1日中家にいた休日なんて、俺が覚えている限り、正月の1日ぐらいしかなかった。
それでも母ちゃんは毎日俺に笑いかけてくれたから。
それでも母ちゃんは俺のことをずっと心配していてくれたから。
そんな母ちゃんをさらに悲しませることだけはしたくない。
それだけが、俺があんなクソみたいな奴らに囲まれた学校に通い続けた、ただ1つの理由だった。
高校卒業が近くなって俺が選んだ進路は、就職だった。
早く金を稼げるようになって、母ちゃんに楽をさせたかったから。
成績もそんなによくなかったが、ほとんど欠席がなかったことが幸いして…俺は小さな工場への就職を決めた。
さびれた小さな工場で、仕事といえば…大手企業から回ってくる下請け作業で、 1日中鉄板を機械で折り曲げる、そういった仕事だった。
空調も効かないような小さな工場中で1日中働いて、汗と鼻水をだらだら流しながら働く。
そうして1日が終わる頃には、俺はすっかり疲れ切っている。
けれども、少なくとも俺はそこで毎日、地道に働き続けた。
もちろん、そこでも友達なんかできやしなかったし、俺を手ひどくからかって楽しむようなクズな奴らもいたわけだけど。
だが、給料日になって。給料袋を社長からもらって、そこから万札を10枚抜いて、母ちゃんに渡した時…
母ちゃんが苦労で年以上にしわくちゃになった顔をさらにしわくちゃにして、満面の笑顔で俺に言う…「お疲れ様」 。
それを聞くその時ばっかりは、俺は確かな充実ってものを感じていた。
毎日工場と家との往復で、他に趣味もない。
もちろん女と出会うこともないし、俺はずっと童貞のまま。
そんな事は既に諦めきっていた、と言うべきかもしれない。
ただ、ただ、毎日を淡々と。
分不相応な夢や希望を持つこともなく、淡々と。
そうやって暮らしてきた。それだけだった。
退屈な日々が、淡々と続いていく…
俺は、そう思っていたのだけれども。
けれども、案外あっさりと、それは崩れた。
母ちゃんが、死んだ。
本当に、突然だった。
朝、なかなか起きてこない母ちゃんを起こしに寝室に入ったら、ちゃんと母ちゃんは布団の中に寝ていた。
いつもと同じように。
そう、いつもと同じように、布団に横たわったまま―そのまま、死んでいた。
死因は、心臓麻痺だった。
あまりにもあっけなく人間は死ぬんだ。
そんなボケた感想しか、出てこなかった。
ずっと働きづめだった母ちゃんにも、友人らしい友人はほとんどいなかった。
これで母ちゃんに隠し財産でもあれは、今まで会ったこともない、名前も顔も知らなかったような遠い親戚が現れるんだろうが…そんなものは当たり前に無く。
親戚が数人と、喪主の俺と。たったそれだけの、寂しい葬式だった。
もちろん悲しかった。だが、不思議と涙は出なかった。
別にこらえていたわけじゃない、そうじゃなく…それ以上の何かが、身体中から引き抜かれたような気がして、泣きわめく力も入らなかったんだ。
葬式が終わり、火葬が終わり、墓は金がなくて作れなかったから、遺骨を家に持ち帰り―
小さく小さくなっちまった母ちゃんを、磁器の壺に入った母ちゃんを、両手で抱きかかえて家に戻ってきた時、俺は―
「ああ、もう何もかも意味がないんだな」とだけ、思った。
そうして俺は、家の中でいちばん太い梁にロープをくくりつけ、小さな輪っかを作る。
死ぬことが怖い、と言う事は一切なかった。
ただ、ただ、これ以上生きていくということに対して、何の価値も見出せなくなったんだ。
母ちゃんの遺骨を足元に置いて、踏み台に上って、首輪をおもむろに首にかけ。
さあ、台から飛び降りよう…と思った、その瞬間だった。
…目の前に、そいつが現れたのは。
そいつの背中には、でっかい白い羽が生えていた。
…天使。
それは、異世界からやってくる、と言われていた。
信じられないことだけれども、世界には似たような別の世界が無数にあるという…
その平行世界から「ゲート」と呼ばれる門をくぐって現れ、人間を狩っていく。感情や魂を奪っていく、「天魔」。
今までこの世の中で「神の使い」として崇められてきた「天使」…それも、人間を糧とする、いわば「化け物」だった。
その化け物が唐突に目の前にあらわれた…
俺を殺すつもりか、そう言い返そうとしたその前に天使の口から出てきた言葉は…まったくの予想外、だった。
「以前からお前に目をつけていた。…お前にその気があるのなら、我が使徒とならぬか?」
…思いもかけなかったことだが、俺には意外な才能があったらしい。
どうやらその天使の野郎は、俺を自分の部下にしたがっているようだった。
天使はそれに重ねて言う。
「お前は自分の命を断とうとしていたのだろう。ならば、一度捨てようとした命だ…どうせなら我がために活かしてはみぬか? 」
逆らえば…どうせ俺を殺すのだろう。そんなことはわかりきっていた。
恐怖感はなかった。むしろ、「何故、俺なんかを?」という疑問だけがぐるぐると頭を回っていた。
けど。
こんな俺が、世間から無視され続けてきた透明な俺が、…必要とされている。
初めてだった。
そんなことは、初めてだったんだ。
俺がそいつの誘いに乗ったのは、別に大したことはない―
憎い人間を叩き潰したいとか、そういうものがあったわけでもない。
俺がシュトラッサーになったのは、ただ、こう思ったから…それだけだ。
『自分が死んですぐに息子もそっちに行ったら、母ちゃんはきっと哀しむだろうしな』
こうして、天使の部下になった俺だが、意外なことに…だからといって俺の生活が大きく変わるわけでもなかった。
もちろん工場からは姿を消したし、母ちゃんと二人きりで住んでいた小さなアパートも引き払った。
捜索願い?きっと、出なかったんだろう。
そうして俺は…今は、東北のとある県、その中規模都市のひとつにいる。
ここは既にある程度天使が占拠した土地で、たいがいの人間は感情…天使は人間の感情を必要としている。それらを大量に集め、戦う力とするのだ…を吸われるだけのただの入れ物として、そこここでかき集められ、放置されている。
サーバントと呼ばれる従者、まあありていに言ってしまえば怪物たちがその守りをしている。
シュトラッサーとなった俺の仕事は、そのサーバントを率いて街を警備することだった。
すでに天使の手に落ちたこの町はとても静かで、俺達以外に動くものはない。
なので、俺の毎日はとても単調だ…
街を時折巡回し、サーバントたちから問題なし、順調との報告を受け、それを上役の天使に伝える。それだけだ。
ただ、俺達以外に動くモノがいる…そんな時もある。
撃退士、と呼ばれる人間たち。
人間の中にも、天魔の影響を受けたのか…「アウル」と呼ばれる、天魔に対抗しうる力を持つ者達がいる。
その力を発揮するための武器、それを持って俺たちに戦いを挑んでくるのだ。
時折はそんな乱入もあるが、たいていは何の問題もない。
…ただ、今日は。そんな乱入者がいる日だったようだ。
鳥型サーバントの一匹が、甲高い鳴き声を鳴らし、上空で旋回しているのを俺は見た。
蒼空の中でぐるぐると円を描く、黒点。
「あーあ…」
どうやら、侵入者らしい。
俺は手近に放り出してあった、自分の武具を担ぎ上げ、そちらの方に向かう。
「お前ら、一応3匹ほどついて来い…念のため、ってことがあるからな」
俺の呼びかけに応えて、ぎゃおおおお、と、怪鳥たちが吼え、空に舞い上がった。
サーバントが知らせる場所は、そんなに遠い場所ではない。
だらだら歩いても、5分でついた。
があん、ばきっ、という、格闘音が聞こえてくる。
どうやらすでに、この近辺の警備をしていたサーバントと戦闘しているらしい。
…ここら辺を守らせている狼型サーバントは、動きこそ素早いが、多少打たれ弱い。
俺が出てこなくてもよかったかもしれないが、まあ放っておいても意味がないしな。
と…俺の目に、遠くからこちらに向かって走ってくる連中の姿。
サーバントが見た、というのもこいつらの事だろう。
「…めんどくせぇ」
思わずため息が漏れた。
奴らと戦うのが気が引ける、というわけでもなく、ましてや奴らがシュトラッサーの俺に勝つということはありえない。
だがあいつらは、きいきいとうるさいのだ…
学校の休み時間、鬱陶しい連中が出すあの怪音波、耳障りな笑い声みたいに。
しかしながら、こうやって来てしまったものは仕方がない。
間を置いて、対峙する。
俺を見て、その手に剣だの槍だの弓矢だのと武器を構え、険しい表情で睨み付けてくる撃退士たち…
…あーあ、どいつもこいつも美男美女でいらっしゃって。
撃退士連中は、何故だか知らないが…イケメンや美人が多いんだよなぁ。
さすが選ばれし者たち、って奴だ。超常能力の上に見た目もいいって、どんなチートですかそれぇ?
ふへ、と、緩い笑いが俺の口から勝手に漏れた。
「今からでもいい、帰れよ。サーバント連中ならまだしも、シュトラッサー相手は無理だろ?」
一応警告のつもりで、いつもそう言うのだが…
「ふざけるな!俺たちは貴様ら天魔を許しはしないぞッ!」
「ここがあなたの墓場になるんだから!」
…ほらな、こいつらはいっつもこう言うんだ。
そのまますたこらさっさと帰ってくれた方が、こいつら自身にとったっていいだろうに。
けど、まあ、いいさ。
こいつらが望んでるんだから…
俺は、かついでいた武器を構える。
俺の武器は、破壊鎚。
それこそ、1mもあるような巨大な鉄の塊に、持ち手の棒がついただけの、武骨な得物だ。
昔から、馬鹿力には自信があった。それこそ、人間だった頃から。
それに―俺みたいな不細工なバカには、ちょうど似合いの武器だろう。
剣だの槍だのなんてのは、それこそ美男美女が振り回せばいい。
「…ここまでのこのこ侵入してきた、お前らが悪いんだからな? 」
俺はそれだけ言って、武器を構える。
雄叫びをあげて奴らが襲い掛かってくる、それを俺は何の驚きもなく見る。
そうして、タイミングを計って…俺は、思い切り、鎚を振り上げた。
その後勢い良くアスファルトの道路に振り下ろすと、そこを中心に一気に衝撃波が広がっていく!
砕ける灰色の大地、震撼する空間!
使徒となった俺には、それなりに強力な戦闘能力が備わった。
そう…ただ鎚を地面に叩き付けただけでも、このレベルだ。
「うわあッ?!」
「き、きゃああッ!」
様々な悲鳴をあげて一気に吹っ飛んでいく撃退士たち。
ビルだの道路だのに勢いよく叩き付けられ、ごぼり、と血反吐を吐いている。
正直、たったの7、8人でかかってこられてもなぁ…
なんつーか、ドブネズミが数匹ちょろちょろかかってきても、踏みつぶして終わり…そんな感じなんだよな。
ま、一気に数十人とかかかってこられたら、ドブネズミでも人間を噛み殺せるように、俺も終わるだろうけど。
でも、今目の前にいるこいつらは、それもわからない馬鹿どもだったようだし。
さっきの一撃だけでもだいぶダメージを与えたはずだが、念には念を入れなくては。
そうだ、工場で働いていた時も、ダブルチェックが重要だ…と言われたっけな。
一回機械で鉄板を折り曲げたら、正しい角度で出来ているか二回確かめる…っと。
とりあえず、手近に転がっている撃退士を、 1つずつ潰していくことにした。
「!…あ、あ、ああ」
いつの間にか近くに寄っていた俺に気付いた撃退士は、驚愕で目をこれでもかと言うほど見開いていた。
髪を紅く染めたチャラ男っぽいスタイルのそいつは、右手の片手剣を使うことも忘れて、凍りついている。
だが、すぐに何も見えなくなる。俺のスレッジハンマーで視界がふさがれるから。
俺は、軽く上からそれを振り下ろした。
ぐちゃり、という手応え。
さらにもう一回確認の意味を込めて、振り下ろす。
また何かが細かく砕ける感触がして…一気に飛び散る、真っ赤な水。
結構整った顔した男だったが、こうなってしまっては、何の価値もないな。
撃退士どもはただの人間と違って体力自体は相当あるのだが…ただ、ここまで徹底的に粉砕してしまえば、どんな治療だって無駄だろう。
あんまり見たくもないが、鎚を軽く上げて、ちらり、とチェックする。
…うん、大丈夫。頭蓋骨含め全身の骨は確実に粉々だな。
そんな俺に、残ったゴミどもがわめく声が飛んでくる。
「よ、よくも…ッ!」
「なんてことするの…この外道ッ!」
…だから、こいつらは嫌なんだ。
どう考えても俺たちにはかなわないくせに、ぎいぎいぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。
そうして、決まっているのだ…「それでも元は人間なのかよ!」って言うんだ。
「それでも元は人間なのか?!シュトラッサーめえッ!」
…やれやれ、案の定だよ。
そうだ、その通りだ。
そりゃあ、最初の頃は、同じような姿をした人間なんだ…こうするのにちょっとした抵抗もあったさ。
けれども、それはすぐに失せた。
よく考えれば、人間社会にだって「人種差別」なんてものがあるだろう?
あれだって、同じ姿、同じ人間にもかかわらず、ドひどいことをしているじゃないか。
そんなものだと、俺は思ってる。
ま、それはさておき…残った撃退士どももしっかり潰さなくては。
またこいつらがめんどくさいことに、連携して攻撃を仕掛けてこようとするのだ。
「俺が防御する!だから、今のうちに回復を!」
「わ、わかった…援護は任せろ!」
はいはい、わかったわかった。仲間同士の助け合いは美しいでちゅねえ?
でも、結局は同じだ。
「だからさぁ…帰れよ、って言ったのになあ」
俺の残念そうな言葉を、奴らは聞いていたのかどうか。
一気に飛び掛かってくるケダモノみたいな連中は、ぎらぎらした殺意で目を光らせていて、そのあたりはわからなかった。
しいん、と、また街が静まり返る。
「ふう…」
どすん、と、破壊鎚を地面に降ろし、一休みする。赤黒く染まったスレッジハンマー。
ようやく不利を悟ってくれたのか、ばたばたと逃げ出していく撃退士の背中を見送りながら、俺は空を見上げた。
「おうい、とりあえず他の奴らにももう大丈夫だと伝えとけー」
今だぐるぐる旋回していた空中の鳥型サーバントにそう言いつけ、戦闘はもう終わったと知らせる。
「…ん? 」
と。
ふとビル陰に目をやった俺の視界に、なんだかぶるぶる震えたものが映った。
…逃げ遅れた、撃退士。
すっかり腰が抜けてしまったのか、立ち上がって走りだそうともせず、ただ俺を見上げてがたがた身体を震わせている。
間抜けなことに小便をもらしたらしく、ズボンの股間の部分を真っ黒にしながら。
恐怖に歪んだ上に、涙と鼻水でぐちゃぐちゃにぬれた顔は…いくらイケメンでも醜いものだな。
そんなことを思いながら俺は、とっととこいつを終わらせてやろうと思い、鎚を振り上げた―
「ひ、ひいいッ!!」
すると、奴は無様な悲鳴をあげて、とっさに両腕で頭をかばう。
まぁそうだろうな、こうなることがわかっているなら、初めからこんなとこに来なければいいのに…
「…。」
だが、ふと俺は、ちょっとしたことを思いつく。
鎚をいったん地面に置く。ずしん、と、鈍い振動が地面から伝わる。
武器を手放した俺に、撃退士は一瞬間抜けに顔を緩めた―
が。
「う、うええっ…な、なに、を、」
奴の服の首根っこを掴み上げ持ち上げた俺に、踏まれたカエルみたいな汚い声を上げる撃退士。
ぶらんぶらんと揺れる両脚、まだ漏らす小便が残っていたのか、ズボンの膝のあたりまでまた黒い染みが広がっていく。きったねぇ。
「…。」
俺は何も答えず、そのまま、思いっきり、
息を吸い込んで、一旦止めて、太陽目掛けて―
「…ふんッッ!!」
そいつを、全力で放り投げた―撃退士どもが逃げた方向に向かって。
「ひぎゃあああああああああーーーーーーーッ!!」
悲鳴が長く長く尾を引いて、青空に散逸して行く。
空にどんどん吸い込まれて小さくなっていく、撃退士の姿。
まぁもちろん、俺の全力で放り投げたんだ。
どっかのビルだか何かにぶち当たって、ペタンコになって潰れるんだろうけど…
できれば、と。俺は思った。
あいつを見捨ててとっとと尻尾を巻いて逃げ帰った、 「仲間」とやらの背中にでも突き刺さればいい。
少なくとも、死体くらいは持って帰ってってほしいものだからな。
「…さて」
少し暴れたものだからちょっと埃をかぶってしまった。
ぱんぱん、と、手を払って、俺はため息をつく。
「おい、お前ら。これでしばらくこっちの方にはあいつらは来ないだろうから…
向こうのエリアの方、警戒を続けとけ。何かあったらすぐに知らせろよ」
サーバントたちにそう言い捨てて、俺は帰途についた。
ちょっとした邪魔が入ったが、今日も結局、いつもと同じ。
街の巡回をして、何も無いことを確認して、上役に報告する。
いつもと同じ、退屈な1日だった。
それは単に、人間だった頃、俺が家と工場をひたすら往復していた…そのこととあんまり変わらない。
それにしたって、今日も空は本当に蒼い。
いつまでたっても変わらない、胸糞の悪い色だ。
天使の配下になったって、あの頃とちっとも変わらない。
太陽に照らされ、まばゆいくらいに透き通った…それこそ、俺には眩しすぎるくらいの蒼空だ。