コピードール
さあ。作ってみよう。造ってみよう。創ってみよう。
手が動く限り。頭が動く限り。身体が動き続ける限り。
作るコツは自分の限界なんてないと信じること。
想像力を働かして作ってみよう。人間の想像力に限界はない。
諦めることなく作ってみよう。人間の創造力に限界はない。
結果はどうなるかなんて誰に分からない。
さあ。作ってみよう。全てはそこから始まる。
玖瀬綾香は人形師だった。
人形を作ることを生業としている人形師の末裔だ。
玖瀬の家は一族代々続く人形師の家系で父はもちろんのこと、祖父も曽祖父も高祖父も人形を作り、その前ですら人形を作っていた。
人形師の家系の原点は美少女フィギュアを作ることを生きがいとしていた秋葉系だったというのは誰にも言えない一族の秘密だ。
綾香は人形を作る。物言わぬ観賞用のアンティークドールから商業用途で店に配置するマネキン人形。人工知能を搭載したアンドロイドと呼ばれる高度な人形まで幅広く手掛けている。
呼吸や食事を生物が当たり前のようにするのならば、綾香は人形を当たり前のように作っている。
何百と数えきれないほど人形を作り続けてきて、今日完成したのは自分と何ら変わらない人形だった。
絵描きが最も身近にいる自分をモチーフにして絵の技術を学ぶように綾香も練習として自分の身体を見て自分と何ら変わらない人形を作り出した。そこに深い意味はなく技術の向上以外に目的はなかった。
作られた人形は記憶も性格も仕草も全て同じ複製人形だった。案外に出来は良くて困ったものだ。
これじゃあきっと自分以外に彼女が複製人形だと分かる人はいないだろう。きっと自分以外は彼女が玖瀬綾香本人か双子に見えるに違いない。
それはそれで面白い。
面白いけど、問題はある。
不吉な予感があって、その予感がどのような悪い要素を秘めているのかは分からない。
作ってみたからには動かすのがクリエイターの本分な訳で起動させてみた。これが吉とでるか凶とでるかは分からない。どちらにしても結果はその内に出てくる。
偏差値は高くも低くもない、これといって特徴のない高校、その教室で朝のホームルームが始まる少し前、花村遥は挨拶もなしに両手を合わせて頭を下げた。
「綾香。今日の宿題だけどコピペさせて。物理なんて全然分からないよ。もう、物理学なんてこの世界から滅んじゃえばいいのに。リンゴが木から落ちてもニュートンは何も閃かなかったら良かったのに!」
物理の存在否定をしながらも、ニュートンのことをしっかりと覚えている。
朝からテンション高めの遥の声が教室に響いた。
「写すだけじゃ意味なんてないわよ。しっかりと理解しないと」
遥のお願いに頬を膨らませるのは玖瀬綾香と呼ばれている人形だ。完璧に綾香を真似ている。ここにいるのが綾香自身であろうとも人形であろうとも一言一句変わらない返答をしていただろう。
「まあ、でもでも。わたし、次の学年で文系になるし、今後人生で物理なんて一切使わないから、今年さえ乗り越えられれば問題ないよ」
「宿題を写してもテストで赤点越えないと、来年も迎えられないわよ」
「それは問題だ。ねえ綾香、じゃあさじゃあさ。テストの日もコピペさせてよ」
「それってカンニングだから」
人形は遥に宿題を見せるのを最初は渋ったが、熱心な遥の説得で首を縦に動かした。
このやり取りはいつも通りで遠目から見ればコントのようなものだ。
綾香は一部始終を聞いてイヤホンを取る。
イヤホンに線はなく耳にはめる丸っこい部分しかない。このイヤホンは人形が聞いている音を拾うイヤホンだ。無線LANを通じてイヤホンと人形の耳が繋がっている。
机の鏡を見ながらコンタクトを外して入れ物にいれる。このコンタクトは人形の見ているものがそのままリアルタイム映像で流れる。イヤホン同様に無線LANを通じて人形の眼球と繋がっているのだ。通信を行っているエネルギーは生体エネルギーを使用している。
綾香は工房に籠って人形を作る。
現実は人形に任せておけば問題ない。
人形は綾香がそこにいればそうやるであろうことを行って、結果を残す。問題ないはずだ。
さて今日も人形を作ろう。
この世界にまだ作られていない未知なる人形を作ろう。どんな人形ができてくるかなんて、作るまで分からない。
玄関からドアを開く音がする。風がヒューヒューと流れてドアが閉まる。工房の中には時計はないが午後四時半ぐらいだろうと綾香は予想した。着色していな粘土人形を棚に置いて工房を出る。
階段を上っていると制服姿の女子高生に出くわした。鏡で見慣れている自分の顔がある。
「帰ったんだ」
「うん。ただいま」
人形は軽々と挨拶をして階段を下りる。
「よっと」
階段は狭く二人が渡るのにはお互いに身体を横にしないといけない。身体は触れると人間の温もりを感じる。
「どこ行くの?」
「工房に行く」
素っ気なく何を当然のことを聞くのとばかりに人形は答える。
「そっか、そうだよね」
人形は綾香に興味がないようで工房に入ってしまう。追うようにして綾香も工房に入る。
玖瀬の家では一人に一部屋の工房を渡されている。父には父の、弟には弟の、綾香には綾香の工房が地下にはある。
綾香にとって一つの部屋で二人が人形を作る経験はほとんどない。作業中で隣に人かいるというのは落ち着かなかった。人形を作っている最中に視線を人形に向けると、人形の方も綾香の方を見ていることがあった。
お互いに感じていることは同じなのだ。
無言であると気まずいので話をすることにした。同じ感情に同じ記憶を持っているなら上手く会話もできるはずだ。
「そっちの調子どう?」
ついつい無駄口を叩いてしまう。会話の切り口は価値のあるものでなく、どうでもいいものだ。一つの会話で終わってしまえばそれで終わりだけど、二つ続けば二つ、三つ続けば、いくらでも会話は続いて話は深くなる。
「君はどんな人形を作る予定なの?」
どうでもいい会話が続いていき話題が切り替わった。人形は綾香に尋ねる。同じ思考を持っていたら同じ人形を作ってしまう。同じものを作ったところで価値はない。なら事前に作るものを聞いておいて作るものを被らないようにするのは配慮として正しかった。
「棲み分けをするってことね」
「同じ才能だったとしたら、作るものは別のジャンルが良いわ。わたしは人形であれば何を作っても構わない。種類は気にしてない」
人形の言葉に綾香は納得して話し合うことにした。人形の種類を分けることにした。人形はマリオネットを作り、綾香はそれ以外の人形を作ることにした。
綾香は書斎の前で立ち止まっていた。
気が重くてドアをノックするのを躊躇っているのだ。できるならドアを背にして部屋に帰って眠ってしまいたかった。書斎に入ったら碌なことが起こらないと分かっているからだ。
書斎を父が選んだ意味はこれから話すのは父と娘で話す訳ではなく、師匠と弟子との関係で話すことになるからだ。
「怒られるのか、嫌だな」
玖瀬の当主である父が出張から帰って来た。
家族団欒の食事を終えて部屋に戻ろうとする時に父は声を掛けて書斎に来るように言ったのだった。全員が揃った食事で話さなかったのは母や弟に聞かれるとまずい話だからということだろう。
「わざわざ呼ばなくてもその場で言ってくれればいいのにさ」
嫌な事が起こると分かっている部屋に行かなくてはいけないのは億劫だった。
人形に代わってもらおうか考えたが行ってはくれないだろう。それにその行動は父への裏切り行為になるのでできない。
「どっちみち逃げられないか」
綾香は決心して書斎のドアをノックして入る。書斎は両脇を書棚で覆い尽くし、正面にライティングデスクのある重厚な部屋になっている。
いつも気さくに話す父が笑顔一つなく重苦しく娘を見つめている。彫が深く髭を伸ばしている父は古風な雰囲気がある。黙っていると怒っているように見えるから怖い。
「座れ」
食事をしていた時の優しい父に比べると別人だ。
「綾香。人形を作ったらしいな」
父の手始めの言葉は当たり障りのない言葉だった。
嫌な予感しかしない。
「ええ毎日作っています」
「そうか」
話が終わってしまった。これで部屋に戻れれば気楽だけど、そういう訳にはいかない。無言の時間を父が話すのを待つ。手持ち無沙汰で落ち着かない。
お茶でも用意しておけば良かったと綾香は後悔した。
「自分と姿が同じ人形を作ったらしいな」
呼び出された時から父の話題は分かっていた。予想のついたことだったので驚きはなかった。
「はい。わたしが作りました」
「そうか」
また。重苦しい無言が続く。
続きはなかった。
話の続きを促す言葉を口にしようとするのをぐっと堪えて綾香は父が話すのを待つ。父はよく考えて話すようにしている。そのため考えがまとまってからでないと話さないので沈黙が長くなることが多い。
「綾香。お前には教えていなかったんだが、人形師には禁忌が三つある。それがお前に分かるか」
教わってないこと想像するのは難しい。一般常識で考えるしかない。
「一つは人に危害を加える人形の禁止。二つは人間の命令に背く人形を作ってはならない。最後に自分の身を護れない人形を作ってはいけない」
「それはロボット三原則だ。人形師の禁忌ではない」
駄目出しを食らって押し黙る。考えるが答えは見つからなかった。
ただ一つ分かることと言えば、複製人形のことで呼び出されたのだから、それが一つ禁忌に含まれることだけは分かる。あえて自分から墓穴に入ることはないので言わないことにした。
「ふむ。分からないか」
髭をいじって困ったように眉を寄せた。
「一つは人の殺害を目的とする殺人人形の禁止」
常識として理解できる。
「二つ目は姿形を完全に模した人間の複製人形の作成を禁止にする」
オリジナルの劣化を招くため作成を禁止されているのだろう。
「最後の一つは人形を作る人形の作成を禁止としている。最初の二つは最後の一つに比べればそれほど大した問題にはならない。しかし、最後の一つは人形師の最大の禁忌とされている。どうしてか分かるか綾香」
「人形が人形を作って、更に作った人形が人形を作ればネズミ算式に人形が増える。その限りなく無限に増えていく可能性が最大の禁忌となっている理由ではないでしょうか」
「うむ。賢い。その通りだ。それが分かっていれば、何も言う事はないだろう」
禁忌に反すれば罰則が与えられる。知らなかったでは許されない。
だが教えていなかった父も悪い。即座に行動すれば罰則はないと父は言った。
「今夜中に自身を模した複製人形の廃棄を命ずる」
決して覆ることのない決定事項として当主は命じた。
父の眼を見て、反論は無意味だと綾香は口を閉じた。
「最後に話だけさせてください」
それだけ言って書斎を後にした。
工房に戻ると人形は人形を作っていた。
ドアが開いたことなんて聞こえてないかのようで人形を作る手を止めなかった。
頭を悩ませる最大の禁忌がここにいる。
「人形を作るのは好き?」
人形の挙動は変わらない。人形は人形を作っている。人に話しかけられても人形を作るのを止めないのは綾香の癖でもある。周りから止めるように言われていても治らない癖だ。
「うん。好きだよ」
人形が人形を作るのが最大の禁忌な訳で、性格を似せた複製に関しては父を説得できると綾香は考えている。廃棄はしたくなかった。自分の作った人形を自分の手で廃棄するなんて考えられなかった。しかし、当主の決定を断ることはできない。人形師である限り当主には絶対服従なのだ。同じ血族だからといって約束を反故することはできない。人形師は玖瀬家だけではない。他に示しをつけるためにも禁忌は正さなければならない。
当主の命に反すれば破門となるのは間違いない。
破門となれば人形作りをすることはできない。
それだけは何があってもできなかった。
「さっき父さんから聞いたんだけどね。人形師には三つの禁忌があるんだって」
だから、禁忌は正さなければならない。
人形を廃棄して当主の命に準じなければならない。
生まれたこと自体がいけなかったのだと、人形自身に納得させて廃棄しなければならない。
人形に三つの禁忌を教える。それと父に命じられたことも隠すことなく教える。
「わたしを廃棄するの?」
「それが役目だから」
決意は揺れてはいけない。揺れずに真っ当しなければいけない。
「そっか。じゃあ最後にこの人形だけは作らせて」
未練なく終わりたいんだ、そう人形は言った。
「わたしも手伝うよ」
そうして人形と最初で最後の共同作業を行った。
朝方に父を引き連れて地下へと降りる。ドアを開いて自身の工房へと招く。
工房の真ん中には人形がいる。
目蓋が閉じられて指を胸で重ねて静かに眠っている人形がある。父は感情が映らない能面で人形の廃棄を確認する。その後、人形は焼却炉に移動され焼かれた。人形は骨だけとなって骨壷に入った。
有機物を使用して作った複製人形は構成物において人間とほとんど変わらない。そのため供養方法も人間と変わらない。
綾香は人形を作ることができる、思考能力は人間と変わらず、動作は人間と変わらない、そんな人形を作ることができる。作ることができれば全て理解しているように思われるがそうではない。作った人形のことを全部は理解していない。それは人が人を理解しなくても作れるのと同じことだった。
あの人形に魂があるかどうかは誰にも分からない。
きっと誰にも分からない。
魂があるかないかなんて、本人以外には誰にも分からないだろう。
綾香は学校を休んで骨を人形の墓に入れた。何代も続いて壊れた人形を埋めている墓だった。墓を開くと骨壺でぎっしりと埋められた桶がある。
見ていると死を感じ取ってしまって眩暈がする。いずれ綾香自身も同じ末路になるのだと理解してしまうと、どうしようもない運命に気分が滅入ってしまうのだ。
「いれなさい」
桶の前で止まっている綾香に促すよう父は言った。
「はい」
綾香は骨壺を入れる。人形の墓にまた仲間が増えたのだ。
桶を閉じて、しばらくは墓の前で呆けていた。父は仕事に移って綾香は一人何もせずに空を見ていた。
墓が殺風景だったことに気付いて、庭から取った黄色の花を墓石に添えた。両手を添えて祈った。こういう時はどういうことを考えたらいいか分からなかった。何を考えたらいいのか分からない。みんながやっているから真似ているのだ。
横から手が伸びてきて彼岸花が添えられた。真っ赤で綺麗な花だ。
花を添えたのは女性だった。彼女のことは綾香も知っている。
「なんで、ここにいるの」
「それを聞くのは野暮じゃないかしら。花を添えに来たに決まってるでしょ」
マリオネットを腕に抱えている女性がいる。身長も体重も綾香と変わらず、
「二度と近寄らないでって言ったじゃない」
どれだけ危険か分からない。もし知られたら、間違いなく壊されてしまう。それを知らない訳ではないはずだ。
「最後に挨拶を」
墓石を指して彼女は言う。
「わたしの身代わりになった人形に別れの挨拶をしないと呪われそうじゃない」
ふふふ、と笑って人形は綾香を見る。
彼女は複製人形だ。綾香と同じ顔と性格をしていた複製人形だった。
人形が腕に抱えているマリオネットは綾香と共同で作った妖精を模した人形だ。
綾香と人形は妖精の人形を作った。二人で共同で考えて作った人形は早々に作り終わってしまった。朝方まで時間はあったので綾香は身代わり人形を作ることを提案した。姿形は同じで動くことのできない身代わり人形を作れば、父を騙すことができると思ったのだ。
最初は首を縦に振らなかった人形も、熱心に説くと最後には頷いた。
徹夜で姿だけが同じの動かない身代わり人形を完成させることに成功したのだった。
「あなたはもう、この家には戻れない」
当主を騙した罪は人形と半分で割って背負って生きて行く。父にばれたら二人ともただでは済まないだろう。罪は背負う。自分が考えに考え抜いて犯した罪だ。決意はできている。
「この街からも離れた方がいい」
人形は心配するなと笑って答える。
「しばらくは、このマリオネットを使って路銀を稼ぐことにする」
かわいいと一言で言えない、ぶさいく妖精だった。人形は手に入る程度の操作盤を動かして妖精の人形を動かしてみる。
「操作盤を操る動きがぎこちない。それだと二流だよ」
「これから精進していくよ」
「そんなんで生きていけるの?」
「生きていけるし、生きて行くさ」
人形はこれからのことを明るく話した。
旅をするんだと、未来のことを明るく話した。
不安を話すのではなく可能性を人形は話していく。長く話すことなんてできないので、一区切りで話を終える。後は別れの挨拶だ。
「それじゃあ。行くよ」
「うん」
「それでは」
人形が背中を見せると途端に悲しくなる。二度と会うことはないだろう。
仕方ないことだし、生きているということだけで十分だ。それ以上を望むのは傲慢過ぎる。
何かやらないといけないことなんて。
ない訳ない。
「あ!」
思わず叫んでしまった。
「どうした大声で、そんなに別れが辛いの」
「そんな訳あるか。ばか。名前だ名前」
作ったからには名前をつけないといけない。本当だったら作り終わった時には名前を決めているものだが練習用にと作ったため考えが及んでなかった。
「へえ。名前ね。確かに、そういえば名前がないと不便で辛いかも。綾香の名前を使う訳にもいかないし自分でつけるのも変だしね」
何十、何百と作ってきた人形に何十と何百と名前をつけてきた。一瞬でパッと名前は思い付く。
「紫雲寺朱香。それがあなたの名前だ」
気のない返事で朱香は頷いた。
「何だ気に食わないか」
「綾香は安易に名前をつける人だって思い出しただけ。紫雲寺は母型の姓。香は綾香から一文字取ったんだね。朱に関しては今が夕方だからかな。朱色の空ってね。きっとそうだ」
「同じ思考を持っているから。読まれるのは当然だけど。当たるとむかつくな。どうする自分で名前つける?」
「とんでもない。ありがたく貰っとくよ」
調子の良いことに、実に良い名前だとわざとらしく朱香は呟いた。
「それじゃあ朱香」
「うん。これでお別れとするか。産んでくれてありがと」
軽く一言。あっさりと人形は今生の別れをした。
背中を見送る。
人形の墓に一人きりになって、気持ちを整理するため庭を一周する。
「ふう」
息を吐いて。一呼吸。
「さてと、次はどんな人形を作ろうか」
何も考えつかない。次の人形を何になるか目途すらない。頭の中は真っ白い。次はどんなものを作るか想像できていない。
焦ることはない。家に帰ってお茶でもしたら、きっと何かしらは思い付くはずだ。
そういえば新しい紅茶が手に入ったのだった。
よしそれを飲もう。
その後に作ろう。
まだまだ作っていこう。
こんにちは。初投稿の柏菜です。
「奈須きのこ」さんとか「西尾維新」さんとかが好きです。
宜しくお願いします。