第八話 「遭遇」
「さてと、今日のお勉強はこれで終わり」
彼女の言葉と共に壁を照らす光がパッと消える。
「これで終わりですか?」
「まだ聞きたい事があるなら、今度祠に行く時にでも答えてあげるわ。それよりそろそろ帰った方がいいんじゃない?」
彼女は左腕に巻かれた時計をコツコツと叩いた。此方に向けられた文字盤の小ささに、目を凝らしても見えないだろうと早めに見切りをつけ壁掛け時計に視線を移す。
現在時刻は十九時三十六分。今から自宅に帰るとなると二十時を回っての到着になるだろう。
「げ、夕飯の時間過ぎてんじゃん」
「時間過ぎたらまずかった?」
「まあ、そっすね」
歯切れの悪い返答と共にげんなりと肩を落とす蓮牙に知座さんは肩を組むとグッと体を引き寄せた。
「もしかして、晩飯抜き?」
「そんなとこっす」
「じゃあ、俺らと飯行こうぜ」
「ちょ、あんた!?」
軽い誘いに濡羽さんの荒々しい声が飛ぶ。大方、彼らが引き上げてきた仕事がまだ終わっていないのだろう。
「なぁ、まこっちゃん別にいいだろ」
「あぁ」
「俺今、そんなにお金持ってないんで…」
「何言ってんの〜?高校生に出させるわけないじゃん」
友達と騒ぐことが好きな蓮牙は普段ならご飯の誘いにもすぐ乗るはずだ。しかし、奮発してお土産を買った僕らの財布はやけに軽い。
その為、金銭的に無理だからと誘いを断ったのだろう。
しかし、現状は何故か蓮牙が呆れられている。
「かいねんも来るよな?」
「か、かいねん?」
「あれ名前逆?君がれんれんだっけ?」
「いや合ってますけど……あだ名なんですね」
「あだ名だめ?」
「だめじゃないですけど…」
「だめじゃないって事はいいってことだな。
じゃ、くぅちゃん俺ら晩飯行ってくるわ」
蓮牙に回した腕はそのまま、彼をグイグイと引っ張るように出口へと足を向ける。
「ちょ、あんた達抜けてきたんでしょ?こんなに時間経った後に聞くのもアレだけど大丈夫なの?」
「俺らいてもいなくても変わんねーって。怜士が上手くやってくれてるだろ」
「まあ、確かにそうね。あいつには私から連絡しとくわ」
「まじ?じゃあ、お言葉に甘えて〜」
濡羽さんが話しかけているにも関わらず、知座さんは一度も其方を見ずにドアへと向かうと蓮牙の背を押し外に追い出す。
そして、彼女との会話が途切れると自身も扉を出て行った。重い扉が軽い音を立てパタンと閉まる。
彼の明るい声色に対し、なんだか突然冷たくなった行動の不整合さに居心地の悪さを覚える。
「私も行くから戸締りよろしく」
電源を切ったプロジェクターのリモコンを机に戻した濡羽さんは黒衣から取り出したカードキーを蓋雫さんに投げ渡す。彼は目を閉じたまま空中で難なく受け取るとそのまま腕を組み直した。
「そういえば燈下君。いつ暇?」
「あ、この二日休みはどちらも空いてます」
「あっそう、じゃあ、明後日またここに来て。そうね、十時とかどう?」
「大丈夫です」
「じゃ、その日に祠ね。上に岩瀬いるようにしとくから」
そういうと、彼女は颯爽とドアを出て行った。
「行くぞ」
蓋雫さんは先程受け取った鍵を人差し指と中指で挟むと左右に一度振ってみせる。歩き出した彼の後ろを追って僕も続けて外へ出た。
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本部近くの住宅街にある彼らの行きつけのカフェで晩御飯をご馳走になる。そこは、店長が仕事の合間に趣味で経営しているお店らしく基本的には夜しか空いていないそうだ。
初めて食べたこの店の味は外食では珍しく温かな家庭の味がした。
食事も終わり、時間も遅くなってきたのでそれぞれ家まで送ってもらうことになった。
僕は自転車を押しながら街灯が照らす道を蓋雫さんと共にゆっくりと歩む。
腰にはそれぞれ白と緑のあかりが輝いている。
もはや隠す気などゼロな行動に濡羽さんの心労を思うと苦笑いを浮かべるしかなかった。
「態々送ってもらってすみません」
「構わない。何よりお前の家は知ってるからな」
その言葉に驚いて立ち止まりパッと顔を見るけれど、前を向いている彼は此方を一瞥するつもりも足を止める気もなさそうだ。
見廻りをしていると個人の家まで特定できるのかと若干引き気味になってしまったが、慌てて足を動かし再び彼の横に並ぶ。
珍しい苗字だと自覚はあるものの、表札で家がバレている訳ないよな…そんな気持ちを込めて話を続ける。
「あ、あの、なんで僕の家知ってるんですか?」
「あの日、お前達が帰宅するまで尾行していたからな」
全く気が付いていなかった……というかそれ本人に教えてくれるんだ。
それにしても、見廻りした場所の表札を見て家を覚えていたとかそんな超人技じゃなくて良かったと、少しホッとする。
「て事は、蓮牙の方は…」
「あいつだ」
だから店の前で解散する時この別れにしようと知座さんが言い出したのか、と納得する。
「そうだったんですね。お手数おかけしたみたいですいません」
「別に勝手について行っただけだからな」
そこから会話が途切れお互い無言のまま五分ほど歩いた頃、突然顔の前にバッと腕を伸ばされる。
僕は驚いて立ち止まり、視線を遮る掌から持ち主へと移す。しかし、彼は前方を睨み付けるだけで微動だにしない。
遮られた視界の範囲から抜け出すように顔を少しずらす。そして、彼の視線の先ーーこの場所から約三メートル先のほの暗い場所へと目を凝らすと……
「なんか、地面が動いてる?」
「ああ、来るぞ」
砂の中から水が湧き出てボコボコと動くように目の前の道が動いていた。そして、それが見間違いではなく煤によるものだと察する。
オフィス灯や街灯、窓あかりで照らされているこの時間、気付かぬ間に閃時が起きていたようだ。
ついさっき教わった内容を頭の中でザッと振り返りる。道路を薄暗く照らすライトがあるにも関わらず現れるという事は…
「獣型か人型か……」
「まだわからん」
蓋雫さんが何故かランタンに手を伸ばす。
先程のどちらかの可能性が高いのなら照らしてもあまり意味がないのでは、と思ったものの素人が意見するべきでは無いと口を紡ぐ。
突如、沈降を繰り返す地面からヌッと大きな黒い塊がゆっくりと出てくる。それが完全に姿を現すとシャボン玉のようパッと割れ辺りに黒を撒き散らす。
「完全形態か。お前、ここを離れるなよ」
「は、はい」
薄明かりに照らされた煤は全身が黒一色で、大きさは僕の腰ほどの高さだ。特に目を引く脚は体長の半分を占めており、二足歩行のネズミのような見た目をしている。
「これが……煤」
奴は忙しなく顔を動かしキョロキョロと辺りの様子を伺っている。そして、時折タシタシと尾が地面を叩く音を響かせていた。
僕は空気に滲むその姿や動きの一つ一つを必死に目に焼き付ける。初めて生で見るその姿は恐怖という感情よりも先程崩れかけた僕の中の何かを刺激していた。
しかし、そうは言っても此方に危害を与える可能性の高い生物を目の前にして、悠長に観察することはできなかった。
そいつは急に周囲を窺うのをやめると正面に立つ僕らに顔を固定し、首を傾げ短い前足で何かを捏ねるような動きをする。すると、何処からともなく手の中からサラサラとした黒い砂のようなものが溢れ始めた。
それを見て僕は初めて得体の知れない恐怖を感じる。
ーーこれまずいんじゃ?
多少の怪我で済めばいいなと覚悟を決めようとした時、微動だにしなかった彼が動く……
「滅紫」
空気に溶け込むような声で言葉を発し上着からランタンを捩じ切るように引き離す。
ランタンが握られた掌から溢れる光は見慣れた緑ではなく彩度の低い紫だった。




