第十三話 「あっちとこっち」
昼間の明るさを取り戻した世界は、平常通りの風景を映し出していた。
「それにしてもレア物引いっちゃったか」
空木さんが目頭を押さえながら、大きくグッと体を逸らせる。
彼の膝には未だ意識が戻らない蓮牙の頭が預けられており、揺らさないように気を配っているのが見て取れる。
「本当まさかよね。完全体の獣型だけならともかく、人型まで」
その声に、外の風景を見ていた濡羽さんは試験管へと視線を落とす。細い指の間をツルツルした壁面が泳ぐ。
あの後、濡羽さんの連絡で到着した岩瀬さん含む複数の隊員により破壊された車は破片と共に回収された。勿論、回収されたのは車だけでなく僕達もそうなのだが……濡羽さんがいるからか、なんて言うか、その……すごく丁寧な対応をしてもらった気がする。
到着次第、慌てて駆け寄ってきた隊員の方々は少し砂に汚れているだけの僕にも着替えが必要か聞いてくるくらいだ。なかなかな高待遇だと思う。
それに今、手元には半ば押し付けられるように頂いたペットボトルまで。さっきまで気にしてなかったパッケージに意識を向けると、見慣れたデザインのそれに思わず口をつけた。忘れていた喉の渇きがじんわりと姿を見せたものの、口内へと注がれた濁流と共に腹に収まる。
「でも怜士は、人型に会うのは二回目なんだろ?」
「何で、慣れてるだろ?みたいな聞き方するのさ。そもそも、前回遭遇した時は会話すらしてないんだから、ほぼほぼ一回目みたいなものなんだけど」
「でも現場じゃ、その一回が大きな差になるんですー」
「それはそうかもしれないけど」
戦闘が日常の一部と化している人達と未だ背中側が冷たく感じる僕との温度差に、思わず飲み物を口から離し小さな溜息を溢す。
文字通り二度死にかけた。
それでも、僕なんかが想像できないくらいの死戦を掻い潜っているであろう彼らからすればこれくらいなんてことないのだろう。死が隣り合わせになると同じ生き物にでもこうも変わってくるのかと、揺れる車内で一人悶々とする。
この感情を共有できる彼はいつまで生死の境を彷徨っているのだろうか…?
ギリッーー
無意識で締めたキャップの蓋がこの先はないと不服な声を上げる。
「てか何で迎えの車あんた達なのよ」
「え、くぅちゃんもしかしてまこっちゃんの運転じゃ不満?僕の方が良い?」
「そうゆう意味じゃないのわかるでしょ!」
「あっぶな。くぅちゃんが一番後ろの席だからこそ回避できたツッコミ」
軽口を叩いた助手席の人物は、戯けたように自信を抱き締め肩を窄める。僕の横に座る濡羽さんが伸ばす手はひたすらに空を切り続けていた。
「そもそも、俺たちだって暇だから呼ばれたわけじゃないんだって」
なぁ、まこっちゃん?と、運転に集中している蓋雫さんに話題を振るが彼は相槌一つ返さない。これもいつものことなのだろう同僚を気にすることもなく知座さんは一拍置いて話を続けた。
「ぼく達だって、それぞれ二体づつ出現した完全体と不完全体の片付けの帰りなんだからさぁ。もうちょっと労ってくれても良いんだけど?」
「多いわね…」
「四体?」
「え?」
口を尖らせ冗談めかして告げられた内容は、僕だけでなく彼の同僚二人を驚かせるには十分だったようだ。
つまり、先ほどのタイミングでフォスタシスが対応しなければならない煤が最低でも六体同時に現れたていたということになる。
確かに多い……けれど、煤に普段対峙している彼らが驚くほどの量なら、僕が考えているより重大な出来事なはず。確かに、あんな強さの人型や獣型がじゃんじゃん出てこられたら実際に対応できるのは人数はどれほどなのか。今回は僕や蓮牙がいたとしても二体とも逃走に成功しているし、それに最後のあの殺気……
無意識に肩が震える。背中は当分温まりそうにない。
「確かに、あいつら以外にも四体出現の痕跡があるわ」
隣を見れば濡羽さんが前回同様、何処からともなく取り出したタブレットで何かを確認していた。
彼女は色付きのグラスを外すと胸元にかける。その艶やかな仕草に目が奪われそうになるのを我慢し、正面を向く。
「くぅちゃんも怜士も何も言ってこないから何事かと思ってさぁ。ぼく珍しく指示出しなんてしちゃって」
シートベルトを引き延ばし体ごと後ろを向く彼は褒めて欲しい大型犬のようにしか見えない。ほら、今も無いはずの尻尾がブンブン振られている。
「蓋雫、君、一昨日完全体の獣型とやったばかりでしょ?」
空木さんは大型犬がかまって欲しそうにしているのを無視するとつい先日の出来事を口にする。
今回の会話には答える気があったらしい彼は前を見据えたままコクリと頷く。答える、答えないの基準は何なんなのか。まだ出会って日の浅い僕には彼の判断基準は難しいが、言葉数の少ない人だとはわかる。
「………あまりにも頻度が高すぎやしないかい?」
「そうなんだよなぁ」
知座さんはかまってもらうのを諦めたのか、今度はちゃんと前を向いてシートに体重を預けながら気の抜けた返事をする。
「あんた達、二人で一体?」
「ん、や?俺は割と近場、まこっちゃんは遠方担当」
「それで車ね」
「知座の回収ついでに俺らも拾ってくれてる感じなんだ」
「あぁ」
「回収って……お迎えって言い方がいいな、ぼく」
ウィンカーの音が鳴った直後、車が滑かに右折する。思わずシートベルトをギュッと掴む。それとほぼ同じタイミングに前から「あ、いでっ」と聞こえたのはたぶん気のせい。
「たまには別行動させてみるもんね。」
「俺的には、セットの方が監視しやすいけど。で、完全体の対応は二人が?」
「俺と第二が完全一ずつ」
「不完全一」
「残りは?」
「第三が言うには到着時に反応無くなってたってさ。多分、アライかカエスラでしょ?」
「……おかしいわね。いつもはすぐ連絡くれるのに」
「たまには忘れてることもあるんじゃないか?」
「そうね。後で聞いておくわ」
迷いなく液晶を滑る手に視線が釘付けになる。様々なウィンドウが画面の中で誕生し積み重なっていく。そこに映し出される内容に理解が及ぶわけもなくただただ目が滑る。
「気になる?」
濡羽さんの手元を見ていた事に気付かれたのだろう、慌てて視線を逸らす。膨大な情報を入れながらまさかこちらの視線にまで意識を向けれるとは思わなかった。
でも、確かに友達がスマホを触り出したら意識しなくても目が一瞬つられる時があるし、逆の立場なら案外それに気づく。あぁ、思い出した視線というのは存外うるさいものだった。
返事は返せず思わず俯く。
ーー自分の間抜けさに恥ずかしくなったわけじゃないからこちらを見ないで欲しい。近くに穴はないのだろうか。……ないのなら掘るしかない。
「何が知りたい?」
「え、あっ……」
心に軽い傷を負った今、そっとしておいて欲しかったけれど聞こえた言葉は大きく予想とずれていて。思わず開いた口も結局意味のない平仮名を溢しただけだった。意図せずとも盗み見るような形になってしまったため指摘されると身構えていたのに。
続かぬ言葉におずおずと顔を挙げたものの、不意打ちを喰らわせた本人にはそんな意図はなかった様で涼しい顔で作業を続けていた。
「ずっと黙って聞いてるみたいだけど、気になることだらけでしょ」
動揺で停止した脳に油を刺してどうにか動かす。正直、どうやって出現を観測してるとか、人型流暢に話し過ぎでしょとか、何より二人……いや蓋雫さん含め三人のランタンの発色が変わった事とか………ねじを巻き終わったブリキのロボが歩き出すように疑問が押し寄せてくる。
「濡羽。さっきの今だ。そっとしておいてあげたほうが良いんじゃ…」
「あら、ないの?」
空木さんの言葉を半ば遮る様に話を続ける彼女は、言葉に詰まる僕を試す様にこちらを見る。
「……蓮牙は大丈夫ですよね?」
「外傷もないし気絶しているだけの様だから、今の所問題はなさそうだわ」
「本部に戻ったら念のため医務室で見てもらう様にしよう」
蓮牙の頭を大事に抱える彼はこちらを振り向くと穏やかな笑みを向けた。その気遣いに申し訳なさも感じつつ思考を巡らせる。
濡羽さんの言う通り聞きたいことは山の様にある。でも、それ以上に一向に目を覚さない友人に不安を覚えない人間はいないだろう。彼女達の様子から、容体はまずいものでは無いはずで……それでも、一般人からすれば非現実的な現実の元、突然聞こえた死の足音は彼が目を覚さない限り僕の耳元で不審な音を鳴らし続けるだろう。
「他には?」
そんな僕の胸の内などつゆ知らず、彼女は再び質問の機会を投げて寄越す。
僕が一番知りたかった内容はあまりにも軽く流されてしまったのに、だ。それはまるで「お前が本当に知りたいことはそんなことじゃ無いだろう」と、言われている気分で。友の容態より自身の知的好奇心を満たす人間だと思われているのは癪に触る。けれど、こうしている間にも好奇心の泉に溜まっていく疑問の数々を見て見ぬふりできない自分にその意見を否定しきれないでいる。
一度落ち着き考える。彼女の思い通りになるのは、あまりいい気分ではないけれど知見を深めるには小さなことで引っかかってはダメだと思い直す。小さく深呼吸をして今思いついている質問をザッと並べる。そしてその半数以上が返答の期待できない内容だってことは、彼女達との浅い関わりの中でも想像に容易くない。ならば、当たり障りの無い、気になることを……
「第二と第三って部隊のことですよね。もしかして、知座さん達は同じチームに所属してるんですか?」
「それについては本人達に答えてもらいましょう」
少し乱暴にタブレットの電源を切ると蒼みがかった瞳を外に預ける。視線の後を追うといつの間にか他の四人は車から下車し本部へと歩を進めていた。
続くように車から降りた彼女がひどく退屈そうな表情をしているように見えた。




