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第十二話 「滲みと歪み」


 緊張感が増していく中、僕は先ほどの戒めなど忘れ自分の目を擦る。

 しかし、何度視界を塗り替えてもそこに移るのは白。今目にした色は何なのか、と空木さんに視線で問かける。けれど、彼は此方をチラリとも見ない。


 その場を一歩も動かず矢を再びつがえると、狙った先は自身の真上。


 上?

 奴が出入りできるのは地面じゃなかったのだろうか。

 

 彼は(おもむろ)に緑の閃光を放つ。

 その瞬間、まるでタイミングを合わせたかのように獣型が姿を現した。


「ぼうーーーーーーっ!」


 奴の声が鼓膜を震わせる。

 (やじり)が標的の右肩を捉えた。


「ビンゴ」


 矢が貫通した肩は血の代わりに大きな穴で此方を見下ろしていた。内側まで覗かれている、そんな感覚に陥る。


 奴は空中で体を捻ると、次々と射込(うちこ)まれる緑から器用に逃れている。

 その見事な身のこなしに、現在の状況も忘れ見入ってしまう。


 避けきれず、矢が掠めた部分は煙のように拡散するものの直ぐに元の形へと収束する。


「ほう?そんなこともできるだ」


 前回遭遇した獣型は、刀が掠った部分は斬られた形のままだったのに……そんな事を考えていると、僕の考えに同意とも取れる空木さんの発言が降ってくる。

 やはり、イレギュラーなのか。

 それともこの獣型の特性なのか。


「こいつ、『落ちる』のが得意みたいだから。

潜った後、出てくる時は足元より上下左右警戒しといた方がいいよ」


 トプンッ


 矢から逃れた獣型が地面に飛び込んだ後も彼は直ぐに緑を掛ける。

 その弓はいつの間にか初めに見た大弓へと形を変えていた。


 先程と似た様な状況に、僕は辺りを注意深く見回す。


ーー冷静に。黒を見るんだ。


 周囲の音が遠のいて、自分の拍動が耳にこだまする。視界が狭くなっていくと同時に体の感覚も段々と遠のいていく。

 でも、その中で一箇所だけはっきりと冷たさを感じる場所がある。


 まるでそこだけ水が滲んでいるかの様に。

 

 まだ見ない。

 今はただただ、周囲を観察することだけに集中するんだ。

 次は見逃さないためにも。


 すると、真っ暗な視界の隅に何かポツポツと丸い跡が見えた。それは僕らの周囲を取り囲む様に大きく円を描いている。

 数は一定、薄くなりそして濃くなる。まるで同じ跡を何度もなぞっているかのようだった。


 

 ある時、薄くなった輪が段々と滲んでーー消えた。その数が増える一方、濃い四つがふいに此方に近づいてくる。

 

 その瞬間、僕は叫んだ。

 

「そこだっ!!!」


 後ろを振り返り拳を構える。

 ここから来る確証はない。

 けれど間違っている、そんな風には思えなかった。


 予想通り、目の前から黒が飛び出す。


ーー早かった。


 拳は空を切る。

 伸び切った腕が無防備に晒された。


「いいね。その調子」


 声が聞こえるよりも先に僕の髪を緑が揺らした。


 刹那、獣型の左肩が抉られる。

 先程よりも大きな咆哮を響き渡らせながら、奴はその場に叩き落とされた。


「そう何度も見逃さないから」


 再度、弓弦が鳴る。

 数筋の緑光が瞬いた後、轟音と共に粉塵が辺りを舞う。僕は慌てて蓮牙に覆い被さった。



 砂埃が落ち着き、奴のいた場所に視線を移す。

 そこには、抉り取られた地面だけが横たわっていた。黒い塵が舞い、奴の形はどこにも残っていない。



 静寂を裂くように声が響いた。


「僕のカデンテに……何してくれてんだよ!!」


 顔をそちらに向けると、そこには獣型を抱えた人型が地面に座り込んでいた。


「掻っ攫われちゃったか」


 空木さんは弓を人型へと向ける。

 人型の側では拳を構えた濡羽さんが、距離を測る様に間合いをとっていた。


「調子に乗るのも大概にしろよ」


 奴は声を震わせ、地面を叩く。

 周囲の空気が歪んだ、そんな気がした。


「……お前達の顔、覚えたからな」


 鋭い目で此方を射抜く奴の輪郭が黒に溶け始める。 闇が、彼の足元から這い上がった。


「逃すかっ!」


 濡羽さんは目にも留まらぬ早さで間合いを詰め、右の拳を振り抜いた。

 しかし、彼女の手が届く寸前、奴は地面に吸い込まれるように消えていった。






「逃しちゃったか」


 空木さんが弦から手を離すと、弓は圧縮されランタンの形へと姿を変える。


「人型ってどんな感じなのかと思ったけど、あれは手強そうね」


 噛み砕かれたはずの試験管は、此方に近づいてくる濡羽さんの胸元で左右に揺れ自身の存在を主張していた。


「で、谷本君は無事?」

「え、あっ、はい。たぶん変わりないと思います」

「それなら平気そうね。一旦本部戻りましょう。話はそれから」


 彼女は道の端に寄せておいた車に向かって歩き出す。


「濡羽もう忘れた?車、あいつらにやられてるって」


 空木さんは蓮牙を軽々と背負うと、停めていた場所から数メートル先で横転している車を指差す。


「げっ、忘れてた。くっそ……多少無茶してでも捕まえるべきだったわ。次会ったら修理代の代わりに情報を洗いざらい吐かせてやる」


 彼女はぶつぶつ文句を言いながらその足を早めた。


「あの……」


 僕は、彼女ならって足を早めた空木さんを呼び止める。


「なに?」

「さっきの光って……」


 僕のランタンが一瞬緑に見えた事、そしてあの滲み……あれはいったい……。


 僕の濁した質問に彼は、こう答えた。


「俺が今教えてあげられるのは、濡羽達の勘が当たってたってことぐらいかな」


 その瞬間、閃時がパッと晴れた。


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