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第十一話 「黒と緑」


「今のって……」


 心臓が跳ねる。

 つい最近、耳にしたばかりの音。


「獣型が近くに出現したみたいだね」

「久しぶりだから私が相手してもいい?」

「俺だって、誰かさん達の尻拭いで書類仕事ばっかだったんですけど?」


 二人はその音に微塵も動じず、話を続ける。


ーードゴッ!!


 鈍い衝撃音と共に周囲の草木がざわりと揺れた。


「ーーー!!!」


 その中に混じって微かに聞こえた音に僕はハッとした。


「蓮牙……?」


 外にいるのは、彼一人。

 口の中が急に乾き出す。


 その瞬間、視界を緑が横切った。


 二人は即座に踵を返し、草木を掻き分けながら外へと飛び出していった。


 友人が危険に晒されているのに留まっている僕とは大違いだ。



 何とか足を前へと動かし、茂みを抜ける。

 開けた視界の先には、此方に背を向けた二人。その足元には、手足を投げ出し地面に力無く転がるーー、


「蓮牙っ!!」


 全身が粟立つ。

 足をもつれさせながらも、何とか立ち上がり彼に駆け寄っ……


「あれ?まだいたんだ」


 その声にピタリと足を止めた。

 いや、正確には止めざるを得なかった。


 突如、進行方向に割り込んできたのは豹のような獣型。ユラユラと揺れる黒い影が、不自然に低く地面を這っている。


「おい……」


 濡羽さんのドスの利いた声。

 僕はその声を気にも留めず、長い牙に目が釘付けになっていた。


「だって、さっきこれで全員って言ったじゃん?」

「私は"ここ"に居るのは、と言った筈だ。

彼は"ここ"にはいなかっただろう?」

「なるほど屁理屈ね。まぁいいや、カデンテ」


 知らない声の主がそう言うと、目の前の獣型はゆっくりと道を開ける。

 まるで、進めと言わんばかりに。


 それでも獣型から滲む圧に足が地面へ縫い留められ、動けない。


「燈下くん。こっちおいで」


 空木さんの声に、無理やり足を引き剥がす。

 奴から視線を逸らさないよう、一歩ずつ。


 額に汗が滲む。


 殆ど転がり込むように彼らの元へと辿り着く。

 獣型は見届けたと言わんばかりに立ち上がると、

チャッと地面を蹴り水に飛び込むように闇の中へ姿を消した。


「で?これで本当に全部?」

「あぁ、四人だけだ」

「そっかぁ……」


 空木さん越しに見えたそいつは、人間だった。

 僕らと同い年くらいに見える彼が唯一違うように見えたのは、緑に照らされキラキラと輝いてることぐらい。


ーー人型、なのか?


「じゃあ、こうしよう。その転がってる奴頂戴よ。

ーー僕らの獲物だ。」

「なぜ私達がお前の言うことを聞かなきゃならない」

「えー?だってお姉さん達が狩りの邪魔、してきたんでしょ?」


無邪気な顔で此方を指さす彼の目は、少しも笑っていない。


「じゃあ逆に聞くけど、仮にこの子をあげるって言ったら君はその獣型……くれる?」

「それはないね。カデンテは僕の相棒だから」

「なら、交渉は不成立だよ」


 その言葉を皮切りに二人は左右に分かれて走り出した。

 風が僕の髪を揺らす。


「燈下っ!谷本のそば、離れるなよっ!!」


 濡羽さんはそう言うと、紐の先についたランタンを口元に当てがい、


檳榔子黒(びんろうじぐろ)


ーー噛み砕いた。


 刹那、閃時の中に温かみのある黒が広がる。

 口元から溢れた黒光(こくこう)は彼女の両腕を這い上がり飲み込んで行く。


 心臓が、うるさい。

 紫が、視界の端で何度もチラつく。


ーーあの時と同じ。


 僕はその光景から目を逸らすと、蓮牙の体に縋り付き早くなる呼吸を必死に抑えた。


「大丈夫。落ち着け、落ち着け僕」


 深呼吸を繰り返し、平常心を必死に取り戻す。


 呼吸が落ち着ついた頃、やっと顔を上げる。

 視線の先にいた彼女は両手に煌々と輝く、黒いナックルを、(まと)っていた。

 外骨格に包まれた拳を人型に向かって次々と撃ち込むその口元は、笑っている。


 息もつかせぬ攻防を眺めていて気づく、空木さんと獣型の姿が見えない。


 そう思い右へ視線を振った。

 次の瞬間、視界を埋めたのは先の見えない黒。コマ送りの様に流れる光景に、自分の状況を察する。


ーー避けれない。


織部(おりべ)


 心地よい声と共に暗緑が瞬く。


 刹那、視界から奴が消えた。代わりに砂埃だけが舞っている。


「危なかったね。戦闘中なんだから油断したらダメだよ」


 声の出どころに目を向けると、空木さんが彼の背丈と変わらぬ大きさの弓を地面に突き刺していた。

 いや、それは弓と呼ぶにはあまりにも不完全だった。濃緑(のうりょく)の塊が無理やり弓の形を保っている、そんな風に見えた。


「そいつ地面に出入り自由みたいだから気をつけて」


 そう言うと、矢継ぎ早に弓を引く。


 獣型は彼の放った矢に触れる直前、姿を消した。


「正直、俺との相性最悪だから濡羽に変わって欲しいんだけど、なんか楽しそうだから声掛けれなくって」


 確かに彼女は満面の笑みで拳を打ちつけていた。


 空木さんは再び矢を放つ。

 轟音と共に地面が抉れ、その衝撃が足裏に伝わる。

 先程よりも遥かに威力の高い一撃。


 しかし、彼の放った矢の軌道には何もいなかった。


「あれっ?次、あそこら辺に出ると思ったんだけどな」


 軽い声音とは裏腹に、空気が張り詰める。


 次の瞬間。


 足元で黒が跳ねた。

 僕は反射的に蓮牙の頭を胸元に仕舞い込むと、その場を飛び退く。


「チッ、そっち狙うのはずるいって」


 弦を引き切る前に、空木さんはそれを解く。間に合わないと判断したのだ。


ーー避けなければ。


 しかし、身体が強張り、直ぐには動けなかった。降りかかる爪になす術もなく、ただ体を丸めた。


 ザリッ。


 次の瞬間、鈍い音が弾けた。

 視界の端で緑と黒が絡み合い、地を転がる。


 体当たりを仕掛けたであろう空木さんは片膝をつき、砂を払いながらゆっくりと立ち上がった。その手には先程よりも小ぶりの弓が握られている。

 近距離用に、切り替えていた。


「ほんっと、相性悪いなぁ」


 呟きと同時に、獣型が地面へ沈む。

 追撃の矢が放たれるが、空を裂くだけで終わった。


 空木さんの頬を一筋、血が伝う。

 けれど本人は拭うどころか気にする素振りすら見せない。


「君、遊んでるでしょ?」


 彼は自分が穿った地面へと、軽い調子で声を投げる。


――足手纏いだ。


 胸の奥が焼けるように熱い。

 確かに蓮牙のそばを離れるなと言われた。

 でも、もう少し周囲に気を配っていれば。


「っ……」


 奥歯を噛みしめる。握った掌に爪が食い込む感覚がした。


 その時だった。


 足元で、微かに瞬く。

 空木さんの視線が、こちらへと向いた。


 腰に下げたランタンがほんの一瞬、緑を帯びたように見えた。けれど(まばた)きを挟むと、そこでは白い光がただ静かに揺れているだけだった。


「……」


 空木さんの目が僅かに細まる。


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