第6話「紫苑の元大司教」
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暗闇は、慣れ親しんだものだった。
湿った生ゴミと腐敗が入り混じる、あのツンとした酸っぱい臭い。擦り切れた服の隙間から、氷の指のように忍び込んでくるコンクリートの冷たさ。それが、俺の子供時代の香りだった。飢えと恐怖が絶え間なく続く霞のような日々。毎日が、次の一口、次のカビの生えたパン――石ころみたいにカチカチで汚れていて、他の奴らの手や牙がそれを汚い地面から掻っ攫う、ほんの一瞬前に掴み取ったパン――を巡る、野蛮な戦いだった。弱肉強食。そして俺は…決して強者じゃなかった。
全てが変わったあの日のことは、今でもチリチリと焦げ付くように覚えている。破れたシャツの下で、肋骨が骨の地図のように浮き出ていた。腹の虫が、一匹の飢えた犬なんてもんじゃない、まるで群れ全体が吠えているかのようにグゥゥと鳴っていた。でも、手に入れたんだ。一個のパンを!汚れて、踏みつけられて、ブーツの跡がクッキリと刻まれていたが、それでも俺のものだった。それを口に運び、ザラついた感触を唇に感じた、その瞬間。奴らが来た。野良犬どもだ。黄ばんだ牙をギラつかせ、俺と同じくらい飢えた、熱に浮かされた狂気の光を目に宿していた。パンがボスッと音を立てて埃の中に落ち、俺は純粋な本能の塊となってキュッと身を縮こませた。牙が皮膚をザクリと引き裂く、避けられない痛みを待っていた。
だが、その痛みは来なかった。
代わりに、キィィンという甲高い音が聞こえた。路地裏の汚れた空から、ガラクタの天使のように舞い降りてきた、金属の塊。そいつは小さかった。俺自身が盗んだ部品と、ありったけの希望で修理した、ただの廃棄された金属のボディ。俺の創造物。俺の唯一の所有物。だが、あの犬どもにとって、そいつは空飛ぶ悪魔だった。プロペラがブォンと機械的な怒りをもって回転し、そいつは突進した。頼りない守護者は、配線とネジでできた勇気で獣たちを追い払った。あの日、そいつは俺のパンだけを救ったんじゃない。俺自身を、救ってくれたんだ。
そして、俺とボトが、無言の誓いを交わした日だった。永遠に一緒にいよう、と。
それ以来、俺たちは決して離れなかった。ボトと俺。共に戦い、共に働き、互いのために。弱い者を守り、いじめっ子に立ち向かう。それが、俺たちのやり方だったから。
俺たちはヒーローだった。
俺たちはヒーローだ!
ヒーロー?
その言葉が、灰のようにサラサラと心の中で崩れていく。奴のイメージが、ガラスの破片のような暴力性で、俺の夢の帳を引き裂いた。黒髪に、あの苔のように気色悪い緑のメッシュ。ヒーローらしさなんてカケラもない、悪魔のような邪悪さを宿した黄色い瞳。奴らが、ワイト・ガントレットと呼ぶ悪魔。
バンッ!
その音は悪夢の中で轟き、俺の世界を粉々に砕いた。ボトが――俺の唯一の友達、俺の守護者が――火花とネバつく黒い煙をブシュウッと吹き出しながら空中で痙攣し、キリキリと螺旋を描いて墜落していく。俺は叫んだ。走った。だが、悪魔の脚の方が速かった。奴のブーツが俺の胸をゴッと踏みつけ、地面に縫い付ける。肺から空気がヒュッと苦しげな音を立てて抜け、全身を麻痺させる絶対的な恐怖の前では、痛みなど些細なことだった。奴の手が俺を掴み、持ち上げたかと思うと、冷たいレンガの壁にドンッと叩きつけた。その衝撃で、残っていた息も全て奪われた。
(やめろ…頼む、やめてくれ…)
懇願し、泣き叫んだ。だが悪魔は、何の感情も宿さないあの死んだ目で俺を見つめるだけ。その拳が雨のように降り注ぎ、**ボカッ!ゴスッ!**と、俺を情け容赦なく打ちのめし、やがて慈悲深い安らぎのように、暗闇が俺を完全に飲み込んだ…
鋭い痛みと、グイッという暴力的な引きで、俺は奈落から引きずり出された。ザラついた袋が顔から引き剥がされる。光が俺を突き刺した。チカチカと明滅する白い槍が目を貫き、全てが痛みと共に脈打つ霞と化した。俺は縛られていた。腕、脚、胸、全てが冷たく硬い木の椅子に固定され、動こうとするたびに縄がギリギリと皮膚に食い込む。
「おや、目が覚めたかい」
男の声だった。ねっとりとサディズムを滲ませている。叫ぼうとしたが、分厚い粘着テープが唇を塞ぎ、俺のパニックは哀れで絶望的なうめき声に変わった。
「よかったわ…」二つ目の声。女だ。毒を染み込ませた絹のように聞こえた。「ちょうど誰かを拷問したくて、ウズウズしてたところよ!」気味の悪い、正気の欠片もない笑い声が、暗く湿った部屋に響き渡った。
男が近づいてくる。そのシルエットが、光を背に闇の切り絵となった。奴は懐中電灯の光を、真正面から俺の顔に浴びせかけた。その輝きはあまりに強く、熱い涙が勝手に頬を流れ落ち、冷たい肌との対比を感じさせる。光の向こうに、歪んだ笑みの輪郭が見えた。「誰に送り込まれた、このクソ野郎が?!吐けよ!」
話そうとした。懇願しようとした。説明しようとした。だが、口から出たのは「んんんっ!んんんっ!」という音だけ。嗚咽と絶望が喉の奥で混じり合い、窒息しそうだった。
女が近づき、その細いシルエットが光の一部を遮った。「あたしのパートナーを、そう長くは抑えておけないわよ、坊や」彼女は、奴の叫び声より千倍も恐ろしいほどの落ち着きで言った。「だから、さっさと喋ることね。そうしないと…あそこにいる奴みたいになるわよ」
彼女の指が、二つの人影の間の暗闇を指した。俺の目はカッと見開かれ、瞳孔が痛みと共に収縮し、焦点を合わせようとする。
そして、俺は見た。
ギィ…と静かに軋む鎖で吊るされ、金属の杭の上でゆっくりと回転している…ボト。その金属のボディはへこみ、グロテスクで不自然な角度にねじ曲げられていた。そして、その下には…炎。焚き火がパチパチと音を立て、オレンジ色の熾火がその傷ついた体に地獄のような輝きを投げかけ、まるで肉塊のようにゆっくりと炙っていた。プラスチックと金属が焼けるジリジリとした匂いが、鼻腔を突き刺す。
「ぐっ…あああああああああ!」
魂を引き裂くような叫びが上がったが、猿ぐつわに阻まれ、それは人間のものではない、純粋な苦悶から生まれた、くぐもった遠吠えとなった。
「ギャハハハハハハハハ!」男が哄笑した。人の心を持たない、サイコパスじみたその音に、俺の血は凍りつき、ガラスの破片へと変わった。
「さあ、喋りなさい!」女が、今や鞭のように鋭い声で命じた。「あたしが、まだこのパートナーを正気でいさせてあげられるうちにね!」
◇ ◇ ◇
竹内勇太
五階の夜の空気は、いつも希薄で静かだ。日中に下の階でザワザワと渦巻いている混沌とは対照的な、人工的な平穏。学校のエージェントたちが使うために施錠された、生徒たちの好奇の目から離れた一室は、薄闇に沈んでいた。唯一の光源は机の上の裸電球一つ。その黄色い光が、尋問のような色合いで辺りを照らしていた。
俺は椅子に座り、シャツも着ずに、肩の皮膚を針がチクリと刺す、あの慣れ親しんだ苛立ちを感じていた。あのイカれた傭兵との戦いで負った傷が、また開きやがった。
(くだらねぇ茶番だ…)
藤先生が、その真っ白になった髪と、引退した侍のような佇まいで、外科手術のような正確さで縫合に集中している。その動きは穏やかで、几帳面で、部屋の向こう側で繰り広げられているサーカスとは全く対照的だった。
向こうからは、例のガキのくぐもったうめき声と、石田先生と安藤先生の「不気味な笑い声」が聞こえてくる。目を上げると、純粋な困惑と、ありったけの哀れみが混じった表情が俺の顔に浮かんだ。
あの人たち、本気で役に入り込んでやがる。石田先生は、白髪の混じり始めた茶髪で、捕虜のガキの顔に強力な懐中電灯を当てながら、低予算のホラー映画から抜け出してきたみたいな、大げさな哄笑を響かせている。安藤先生は、緑がかった髪と鋭い黄色の瞳で、捕食者のように椅子の周りをうろつき、オスカー級の真剣さで脅し文句をヒソヒソと囁いていた。
そして、「焚き火」…ああ、あの焚き火こそ傑作だ。二人の後ろに、それが見えた。ガキのドローンが、実験用の三脚から吊るされ、まるでロティサリーチキンみたいにゆっくりと回転している。その下には、学校の中庭から拾ってきたであろう、乾いた小枝の山。そして、小枝の後ろで、オレンジ色のセロハンを被せた三つの懐中電灯がチカチカと点滅し、熾火の輝きを模倣しようとしていた。その光景はあまりに馬鹿げていて、肩の痛みがここまでイラつかなければ、笑い出していただろう。
俺の頭は、その馬鹿さ加減をほとんど処理できなかった。ただ虚空に向かって、純粋な不信と哀れみの囁きを漏らすことしかできなかった。
「一体、何やってんだ、あの君たちは…?」
針が再び俺の肉に沈み込み、俺の肩の痛みの交響曲に、冷たく金属的な終止符を打った。**ズキッ!**と、不随意の痙攣が体を走り、筋肉が強張る。
「すまん」藤先生の声は、砂利が静かに転がるような、穏やかな呟きだった。
「平気ですよ」俺は、あの奇怪な光景から目を離さずに答えた。「切られたのを耐えられたんです。縫われるくらい、どうってことありません。」(ただの痛みだ。痛みには慣れている。)
老人の唇に、疲れているが本物の笑みが浮かんだ。「自分をタフガイに見せるのが好きじゃのう?」
ぎこちない半笑いが、俺にできる唯一の返事だった。俺のストイックさは古く、慣れ親しんだ鎧だが、時には重すぎる。だが、俺の注意は再び、ガキのくぐもった嗚咽に引き寄せられた。石田先生と安藤先生が、まだあの馬鹿げた芝居を続けている。
「先生」俺は藤先生に、低い声で尋ねた。「あの茶番は、本当に何か役に立つんですか?」
「ただ、あやつと遊んでおるだけじゃ」と、藤先生は作業から注意を逸らさずに答えた。
「あれは拷問ですよ」俺は、思った以上に苛立ちを込めて言い返した。
「あの若造は、少し恐怖を感じるだけで十分じゃろう」藤先生は、何十年もの経験からくる知恵で言った。「本物の尋問が必要なタイプには見えん。」彼は最後の縫合を終え、俺の肩と胸に新しい包帯を巻き始めた。「済んだぞ。」
俺は清潔なワイシャツを着て、ズキズキと脈打つ痛みが一定の不快感へと変わる間、ボタンは開けたままにしておいた。ちょうどその時、閉ざされた窓の近くにあるドアが開き、一人の若者が入ってきた。脂ぎった緑色の髪が額に張り付き、深い隈が実存的な退屈に満ちた眼差しを縁取り、その佇まいは怠惰と傲慢のオーラを放っていた。
(ああ、クソ。このゴミか。)
奴を見た瞬間、俺の目はスッと細められ、二本の氷の刃と化した。
新参者は藤先生に近づいた。「あのドローン、ハッキングできなかったぜ」と、彼は気だるい声で告げた。
「安藤くんですら、できなかったからのう」と、藤先生は器具を片付けながらコメントした。
若者は、尊大にフンと鼻を鳴らした。「俺ならできた。何せ、日本一のハッカーだからな。」
藤先生は眼鏡越しに彼を見上げた。「ならば、なぜできなかったんじゃ?」
若者は気まずそうに視線を逸らし、やがて俺の視線が自分を貫いているのを感じた。そして、作り笑いを浮かべて、近づいてきた。
「よう、勇太!」
「お前とそんな風に呼び合う仲じゃない、ランデブー」俺の声は冷たく、鋭利だった。
奴は、高圧電線にでも触れたかのように一歩後ずさった。そして、自信なさげに、もう一度試した。「勇太…くん…」
俺の目はさらに細められた。部屋に、重い沈黙が落ちる。
「勇太…さん…」
(一太刀。ただの一太刀でいい。こいつがいなくなっても誰も気にしねぇ。腕のチェインメイルで、こいつの喉を掻っ切る方法は千通りは思いつくな…)
「ワ、ワイトさん…」彼は、ついに正解にたどり着き、臆病な囁きを漏らした。
「許してやる」
藤先生は、罪悪感に満ちた表情でランデブーを見てから、俺を見た。「まだ、この件について話す、ちょうどいいタイミングを見つけられなくてな、勇太」
俺は長いため息をつき、苛立ちが諦めと混じり合った。「否定する権利はありません。結局、あの時、木村を雇ったのは俺ですから…」
ランデブーは、隙を見つけたとばかりに、ぎこちない笑みを浮かべた。「じゃあ、俺たち、問題ないってこと?」
俺はただ、奴に視線を上げた。それだけで十分だった。奴は再び後ずさる。ネズミ同然の男だ。
「お前がここにいることに、私は何もできない。だが、お前と親しくするつもりはない」
彼は視線を逸らし、うなじを掻いた。
その時、部屋の反対側、廊下へと続くドアが開いた。桜井さんが入ってきて、その存在感で即座に場の空気を支配した。彼女の赤い瞳は、まず俺を検分した。開け放たれたシャツ、胸と肩の血が滲んだ新しい包帯、隣の小さなテーブルに散らばる血まみれのガーゼと医療器具。
それから、彼女の視線は右へ移った。今やワンワンと泣きじゃくるガキと、石田先生が自分の唾で濡らした指を奴の耳に突っ込み、安藤先生が携帯でその全てを撮影しながらクスクスと笑っている光景に。そしてもちろん、三脚の上で、あのランタンの焚き火の上で、悲しげなロティサリーチキンのように回転するドローンにも。
(当然だ。この人は、いつだって全部お見通しだ…)
彼女は混沌を完全に無視して、俺の方へ歩いてきた。「勇太くん、大丈夫かね?」
「はい」俺は、先回りして答えた。「ですが、こいつの件は…」と、ハッカーを顎で指した。
「彼は日本でも指折りのハッカーじゃからのう」桜井さんは、それが全てを説明するかのように言った。
「“一番”の、です」と、ランデブーが口を挟んだ。そして、完全に無視された。
藤先生が包帯のゴミを片付け始めると、桜井さんと俺は口論を始めた。彼女はランデブーを任務部隊に入れたがっていた。俺は、断固として反対だった。
「奴は傭兵です。一番高く値を付けた者に情報を売る。信用できません」ランデブーは、自分を重要人物に見せようと、俺たちの周りを神経質にうろついていた。
「ゲートはいつだってそうしておるよ、勇太くん。我らがリクルートするのは、能力を持つ者であって、非の打ちどころのない経歴を持つ者ではない。真の敵が誰であれ、それを追跡する上で、彼の助けは計り知れないものになるじゃろう」
「奴がここにいるのは、逮捕されたくないからだけです!奴に忠誠心なんてありません!」
だが、俺たちの白熱した議論の最中、廊下のドアが再び開いた。石田と安藤がようやく「拷問」をやめたのを含め、全員の視線がそちらへ向いた。
「着いたよー!」
友美の声が、活気に満ち、ほとんど攻撃的なほどの陽気さで、部屋に響き渡った。彼女の笑顔は輝かしく、どんな暗闇をも照らし出す小さな太陽のようだった。「先輩が襲われたってメッセージ見て、すっ飛んできたんだから!」彼女はそれからドアの方へ向き直り、まるで最高のプレゼントを披露するかのように、その笑みをさらに大きくした。「じゃーん!お客さん、連れてきちゃった!」
俺の目は、カッと見開かれた。
友美の自信に満ちたシルエットの後ろで、背の高い、細身の人影がためらっていた。深い紫色の長い髪が、絹の滝のように肩にかかっている。引っ込み思案で、世界と対峙するより本のページに隠れることを好みそうな、あの物静かな佇まい。彼女…小鳥遊
(たかなし) 心花。大学の文芸部の部長。
「皆にご紹介します、小鳥遊心花ちゃん!」友美は、尊大で陽気な笑みを浮かべたまま、青緑の目を閉じて、芝居がかった仕草で発表した。
そして、彼女は目を開いた。
彼女の顔の笑みは、一度に消えはしなかった。ピシッと凍りつき、それから床に落ちた鏡のようにパリィンと砕け散った。彼女の、かつては穏やかな南国の海だった瞳が、ゆっくりと、几帳面に部屋を見渡した。
まず、俺に。胸は剥き出しで、血の滲んだ新しい包帯で覆われている。彼女の眼差しの喜びが、一瞬の心配の色に変わった。
次に、石田と安藤へ。そして、縛られて泣いているガキと、石田が奴の耳に濡れた指を突っ込み、安藤が笑いながらそれを撮影している光景へ。心配は、信じられないという困惑に変わった。
彼女の視線は続き、あの哀れな焚き火の上で回転するドローンを見つけた。困惑は、完全な当惑へと変わった。
そして、ついに、彼女の目は藤先生の後ろに隠れる、震える人影を見つけた。ランデブー。
その瞬間、部屋の温度が**ヒュゥ…**と下がった。彼女の瞳の海は、極地の嵐と化した。全ての温かさ、全ての喜び、俺が知っていた全ての友美が蒸発し、後に残ったのは、ただエージェント・リヴァイアサンだけだった。
「ひぃぃぃっ!」
ハッカーが、人間とは思えないような、細く哀れな金切り声を上げた。そして、溺れる男のような力で、藤先生の背中にしがみついた。
スッと、俺の鍛えられた目でもほとんど追えないほどの速さで、友美はすでに部屋の反対側にいた。彼女の声がした時、それは叫び声ではなかった。もっと悪かった。ゆっくりと、穏やかに、そして感情を一切排した、絶滅を約束する最後の宣告のような囁きだった。
「…殺して…やる…このクズが…」
「俺は今、味方だ!お前のチームの一員なんだ!藤さーん!!!!」ランデブーはパニックで叫び、その声は恐怖で甲高くなりながら、老教授の体を人間の盾として使おうとした。
「友美さん、落ち着きなさい!」藤先生は、驚くほどの力で彼女の腕を掴みながら、理性を説こうとした。その間、エージェントは、冷たく計算された怒りで、致命的な一撃を放つための角度を必死に探していた。
俺の隣で、桜井さんは手を口元に当てていた。恐怖を隠すためじゃない、純粋に楽しんでいる笑いを抑えるためだ。当然だ、この人はこれを楽しんでいる。俺は彼女を横目で見た。俺自身の戦いの疲労、縫合されたばかりの肩の痛みが、十倍も悪化したように感じた。
木が裂ける音がして、俺たちは横を向いた。ガキが、絶望のあまり横に身を投げ、椅子ごと倒れたのだ。彼はまだ縛られたまま床におり、針に刺されたミミズのようにのたうち回っている。その猿ぐつわでくぐもった叫びは、さらに絶望的になっていた。石田と安藤は、「尋問」への興味を失い、今やその哀れな光景を大声で笑っていた。
「一体、これは何なんだ…?」俺は、頭痛がズキズキとこめかみを突き刺し始めるのを感じながら、虚空に向かって呟いた。
だが、その言葉が口から出た瞬間、もっと深く、もっと冷たい恐怖が俺を支配した。俺は忘れていた。彼女のことを。
俺の視線は、ドアの方へ飛んだ。
小鳥遊先輩は、まだそこにいた。立ち尽くし、信じられないという表情で。彼女の顔は磁器の仮面のようで、完全に表情を失っていたが、俺には見えた。亀裂が。彼女の目と唇が、制御不能にブルブルと震え、ありえない現実を処理しようとしていた。教授たちが捕虜を拷問し、大学の同級生が傷を負ってシャツも着ておらず、殺人事件が起き、ドローンが偽の火で炙られている…彼女の世界、俺たちの「普通」の世界が、目の前で砕け散ったのだ。
口を開いた。何かを言おうとした。「これは、君が思っているようなものじゃない」。なんて冗談だ。どうやってこれを説明できる?
彼女は、俺にそのチャンスを与えなかった。
彼女の紫色の瞳が、最後にもう一度、打ちのめされるような一秒間、俺の目と合った。そして、一言も、一音もなく、彼女はただ、振り返った。
ドアが、どんな爆発よりも大きく、決定的な静けさでパタンと閉まった。燃え落ちた橋の音。俺の二つの世界が、永遠に引き裂かれる音。
(クソッ…これは…最悪の事態だ…)
◇ ◇ ◇
カチッ。瞬き一つで、即席の尋問室のグロテスクな混沌は、理事長室の息が詰まるような静寂に取って代わられた。
(グロテスクな混沌から、息の詰まる静寂へか。どっちがマシか、分からねぇな)
ここ五階の空気はまだ重く、高級な茶葉と磨かれた木材、そして何十年もの秘密の匂いが染み付いている。自分の心臓がドキ、ドキと脈打つ音さえ、この重要な決定が下される霊廟の静けさを冒涜しているかのようだった。柔らかい革張りのアームチェアに座っていたが、俺の体はガチガチに強張り、縫合されたばかりの肩の傷が、抑えた呼吸のたびにピキリと皮膚を引っ張った。
小鳥遊先輩が、**ふぅ…**と息を吐いた。それは長く、疲れた溜息で、まるで世界中の幻滅を全て背負っているかのようだった。普段は穏やかで落ち着いている彼女の顔は青白く、信じられないものを見たという表情をしていた。正直、俺が経験していなければ、俺だって信じなかっただろう。彼女はようやく俺に視線を向けたが、その紫色の瞳に浮かぶ失望は、物理的な一撃のようだった。
「また活動を再開したとは聞いていました…でも、まさかこんなことだったなんて…かしら」彼女の声は低く、ほとんど囁くようで、ガラスのように脆かった。その目は、先ほどの部屋の光景――殺気を放つ友美、年老いた教授の後ろでブルブルと震えるランデブー、床でのたうち回る縛られた少年を笑う二人の教師、そしてランタンの火で炙られるドローン――という心象風景をなぞっていた。「…これが、あなたの任務部隊なの…かしら?」
俺は視線を逸らし、血が首筋から耳までカァッと上るのを感じた。その仕草は無意識で、俺が嫌悪する恥じらいの表れだった。うなじを掻く。「いつもこうなわけではありません…」(いや、最近はこんなんばっかりか?)
マホガニーの机を囲む光景は、不条理の縮図だった。先輩と俺が、向かい合って座っている。テーブルの端では、桜井さんが恐ろしいほどの静けさで茶を啜っている。まるで愚かな剣闘士を眺める女帝のようだ。友美とランデブーの間には、藤先生が深い疲労の表情で座り、冷戦地帯の和平調停役を務めている。ランデブーは完全に縮こまってブルブルと震え、友美は獲物が一歩でも踏み間違えるのを待つ捕食者のような鋭さで彼を睨みつけていた。安藤と石田はと言えば、叱られた子供のように、退屈と罪悪感の間を行ったり来たりしていた。
小鳥遊先輩は茶を一口飲むと、カチャリという繊細な音を立ててカップをソーサーに戻した。その音は、静寂の中で銃声のように響いた。「先ほど、あなたがわたしを呼んだ時は驚きましたわ、勇太」
俺の視線は、そのフォーマルな響きに引かれて彼女に戻った。彼女は、穏やかだがしっかりとした声で続けた。「あの時、少し怖かったけれど…でも、安堵も感じていたのかしら」
記憶が、俺を数時間前へと引き戻した。大学の十二階。俺たち二人は、誰もいない廊下の巨大な窓の前に立っていた。街が、きらめく光の絨毯のように眼下に広がっている。沈みゆく夕日のオレンジ色が建物の間に輝き、俺たちの顔の半分を覆い、もう半分は影の闇に覆われていた。
彼女の声は、その時、ただ好奇心とためらいに満ちていた。「どうしたの、勇太?」
俺は躊躇わなかった。地平線を、俺の存在を嘲笑うかのような神未来タワーを見つめながら、言った。「僕はゲートに戻ったんだ。クレリックとして」
俺は彼女の方へ視線を向けた。それまで微かに赤らんでいた小鳥遊先輩の顔から、サッと血の気が引いた。彼女の唇が、声にならない「お」の形に開き、純粋な衝撃の表情が彼女を支配した。彼女は視線を逸らし、本能的に後ずさり、その背中が廊下の冷たい壁にドンとぶつかった。そして、まるで脚の力が抜けたかのように、ズルズルと床に滑り落ちた。彼女はそこに座り込み、膝を抱え、俺に顔を合わせるのを拒否するように、そっぽを向いていた。
俺は彼女の隣に座り、沈黙が二人の間に広がった。「怒らせて、すまない」俺は言ったが、その言葉が弱すぎることは分かっていた。
「ユウタ。わたし…わたし…」彼女の声が、震えるこだまのように記憶の中で響く。
「…まだ、これを受け入れるべきか、分からないの…かしら」今、同じ声が、目の前で、固く、そして確かに響いた。
安藤先生が机に身を乗り出した。その職業的な好奇心が、気まずさを上回っている。「ゲートでは、引退前は何をなさっていたのかしら、小鳥遊さん?」
「アークビショップでしたわ」
その告白が、空中に漂った。アークビショップ。潜入と情報抽出の達人。
「ええ、私が知る中でも最高の一人でした」俺は、その真実が抑える前に口から出るのを感じながら、付け加えた。それは、事実だった。
安藤先生の黄色い瞳が、純粋な驚きでカッと見開かれ、石田先生はヒューと感嘆の口笛を吹いた。
小鳥遊先輩は、明らかに恥ずかしそうで、その頬が繊細なピンク色に染まった。「そんなことは…」
「いえ、本当です」俺は、報告書を思い出しながら言い張った。彼女は完璧以上だった。「あなたの潜入能力、それに、相手が尋問されていることにすら気づかせずに情報を引き出す手腕は…非の打ちどころがありませんでした」
「いえ…ただ、運が良かっただけ…」彼女は、ますます顔をカァァッと赤らめ、俺と目を合わせられずに否定した。
(馬鹿どもめ)俺は目の端で、安藤と石田がニヤニヤと苛立たしい笑みを浮かべ、共犯者のように視線を交わしているのに気づいた。奴ら、完全に勘違いしてやがる。俺にとっては、ただのプロとしての評価だというのに。
桜井さんが、そのいつもの落ち着きで尋ねた。「なぜ迷っておるのじゃ、心花くん?」
小鳥遊先輩は躊躇い、その視線が友美がランデブーを射殺さんばかりに睨みつけている光景を素早く横切った。「説明が必要かしら?」
俺、安藤、そして石田は、俺たちが作り出したこの混沌に対する集団的な羞恥心に襲われ、同時に視線を逸らした。桜井はと言えば、手を口元に当てて、低く楽しげな笑い声を抑えていた。
しかし先輩は、その喜劇を無視して続けた。「友美ちゃんから、詳細は聞きましたわ。少なくとも、基本的なことは」
「友美がお前のところにも行ったとは、驚きだな」俺はコメントした。
「彼女が行ったのではありませんわ」と先輩は言った。俺の驚きは増す。「わたしが…あなたが大学を去った後、ずっと考え込んでいて。それで、彼女のところへ尋ねに行ったの」
「では、我々と合流するのだな?」と、石田が単刀直入に尋ねた。
「いいえ」彼女の返事は、大学の廊下での拒絶と同じくらい、固かった。「わたしは、もう現場のエージェントにはなれません。潜入して、調査するなんてことは…できないし…したくもありません」
(いいだろう。それでいい)静かで、利己的な安堵が、俺の中を駆け巡った。俺も、友美をあのような任務に再び送り込みたくはなかった。
「では、振り出しに戻ったわけじゃな」と、桜井さんは、自分に言い聞かせるように言った。
その時だった。ピースが、名前が、出来事が、ピーンと痛みを伴う音を立てて俺の頭の中で繋がった。俺は声を上げた。その切迫した響きに、全員が俺の方を向いた。
「君を雇った人物の顔を見た、と言ったな?」
立ち上がらずに、椅子に座ったまま体を捻った。俺の視線が、部屋の隅にいるガキと合った。彼はしゃがみ込み、まるで父親のような愛情で、自分のドローンのボディを布で拭いていた。俺が話しかけているのに気づくと、その目は大きく見開かれ、すぐにドローンを抱きしめた。ドローンは、その機関銃の腕で、ぎこちなく彼を抱きしめ返そうとしている。
「私だけか、それともあのドローンには意識があるのか?」と、石田が虚空に向かって言った。
俺は奴を無視した。「もう誰も君を傷つけたりしない」俺はガキに、穏やかだが約束を込めた声で言った。「君のドローンもだ」
ガキはゴクリと唾を飲み込み、その声はまだ震えていた。「俺…俺、誰が依頼人か、なんとなく…分かります」
「結構だ」と、俺は言った。
「実は、俺がこの仕事を受けたのは…奴らが、あんたが…」彼は躊躇い、床を見た。「あんたが、楽しみのために他人を傷つける、残酷で邪悪な殺し屋だって…それに、女子生徒に手を出すために教師のフリをしてるって、言ったから…」
「なんだとぉ?!」
俺は、完全に不意を突かれた。致命的で、気まずい沈黙が部屋に落ちた。
すると、石田先生が、大きくて制御不能な哄笑を**ブハハハハ!**と爆発させた。安藤先生は、無表情で俺を見た。桜井さんは、動じることなく茶を一口啜った。そして小鳥遊先輩は…その顔に浮かんだ、最も純粋で無垢な困惑と共に、尋ねた。
「どういう意味かしら、『生徒に手を出す』って?」
俺はどもりながら説明しようとした。「い、いや、それは彼が言いたいこととは…」しかし、ガキは続けた。
「無防備な女子高生を狙う、プレデターだって!」俺は我慢の限界だった。
「おい、黙れ、クソガキ!」と、俺は叫んだ。奴はビクッとして縮こまり、再びドローンを抱きしめた。恐怖に怯えている。俺はため息をつき、手で顔を覆った。「私がお前を助命した主な理由は」俺は、もっと落ち着いて言った。「お前を使えば、私たちの敵に接触できるかもしれないと思ったからだ」
俺は桜井さんの方を向いた。「何かご異論は?」
「君の判断を信頼するよ、勇太くん」彼女の目が、長い間俺を検分した。「だが、そうなると、心花くんは今、どう役に立つというのじゃ?」
俺の計画が、明確で鋭く形作られた。「彼女には、学校にいてほしい」
小鳥遊先輩は、驚きと、目に見える恐怖で反応した。「えっ?でも、わたしは戦えないと…」
「分かっています」俺は彼女を見つめた。決定はもう下され、戦略は戦闘地図のように俺の頭の中で展開されていた。俺の肩が軽くなったように感じた。道は危険だが、明確だった。「彼女には、私の代わりに椿さんの保護を担当していただきたい。そして、私が敵を調査します」
(誰かが地獄へ行く必要があるのなら、それは俺の役目だ)
桜井さんは、ただ俺を見ていた。その視線は真剣で、刃のように鋭かった。彼女は、俺が提案していることを理解していた。その交換を。俺が、他の駒を守るために引き受けているリスクを。
「承知した」




