第4話「強さという名の論理」
田中魁斗
信頼なんてものが、俺の足元で固い地面だったことなんて一度もない。物心ついた時から、それはまるで薄い霧みたいだった。他人の中にはっきりと見えるのに、俺自身が掴もうとするとフワッと消えてしまう、そんなものだ。
俺の人生は、ずっと不安定な比較の上で成り立ってきた。家族での夕食、通知表の受け渡し、俺にとっては山みたいにデカい小さな成功のたびに、声が頭の中でガンガン響いた。いつだって同じリフレイン。
「姉さんのようになりなさい」
「お前はあの子の弟なんだから、期待しているぞ」
それは鉛の外套みてえに重い期待で、俺の小さすぎる肩にズシリとのしかかった。そして俺は……一度だって応えられなかった。期待されたものは、何一つ。小学校でも。ゲートのエスクワイアアカデミーでも。一度も……
他人が俺に託した目標に届いたことはない。最悪なのは、俺が密かに望んだ目標にすら、だ。
競争で一番速く、風を感じて周りの音を置き去りにすること。訓練の模擬戦で一番強く、最後に立っていること。障害物コースで一番俊敏に、まるで体とコースが一体になったかのように動くこと。だが現実は、**バチンッ!**と容赦なく頬を張り飛ばしてくる。
俺は最高じゃなかった。それどころか、弱かった。アカデミーの同期の中で、俺はその他大勢。必死に食らいついても、いつもガクンとつまづく。仲間たちはとっくに卒業し、俺よりずっと早く見習い部隊になった。俺がまだ基礎で足踏みしている間に、彼らはナイトになる栄誉を祝っていた。
「田中? あいつはゲート向きじゃない。少なくとも、ナイトとしてはな…」
彼女の声。今でも、水晶みたいにクリアに聞こえる。訓練場の空気をスッ…と切り裂いた、俺のクラスの首席の声。あの日を思い出すと、今でも骨の奥に幻の痛みが響く。また戦闘訓練。また、彼女が俺を虫ケラみたいにグシャリと潰した日。壁に叩きつけられた衝撃の**ドンッ!**という音は、記憶の中で今も俺の息を奪う。
その後、休憩時間。俺は汗臭い金属製のロッカーの陰に隠れて、ただ聞いていた。他の連中が彼女を囲んで、なんで俺にだけあんなに厳しいのかと尋ねていた。
そして、あれが彼女の答えだった。
他の奴らにとって、あの言葉はただ冷酷に聞こえただろう。誰も知らなかった彼女の一面。普段は優しくて、いつもニコニコ笑ってる。周りを引っ張っていく、生まれつきのリーダー。
でも、俺は怖くて顔を上げられなかった。奴らは、彼女の厳しさが侮蔑からだと思ってた。分かってなかった。俺が見ていたものを、見ていなかった。
今でも、空気が動くのを感じる。グッと握りしめた俺の右拳が、苛立ちに任せて彼女の顔に向かって飛んでいく。彼女の、暗い緋色の髪。きつく結ばれている。俺の全てを読み取るような、緑色の鋭い瞳。
彼女は、ヒュッと侮辱的なほど簡単にかわした。反撃は熾烈だったが……どこか静かだった。全てが計算されていて、一撃一撃が強くても……優しかった。
すぐに気づいた。あれが、彼女なりの「全力を出せ」っていうメッセージだったんだ。少し乱暴かもしれないが……俺みたいに、他人の目を見て話せない奴に届く、唯一の方法だった。
俺みたいに、自分の失敗の山しか見えていない人間に語りかける、如月さんのやり方だった。
彼らがナイトになり、俺が自分の苛立ちに溺れて取り残された時、近づいてきたのは彼女だけだった。初めて、戦闘の時とは違う目で俺をまっすぐに見て、暖かくも冷たくもない、全く別の笑みを浮かべて言った。
「私、先に行くね、田中くん」
励ましの言葉じゃなかった。努力を促す言葉でもなかった。でも、そのたった一言、事実を告げただけのあの言葉が、俺に前へ進む力をくれたんだ。
だから、開盟に入学した時、まだ見習い部隊だったけど、俺は変わろうとした。もっと明るく、もっと陽気な人間に。彼女のように、他人を引っ張っていける人間に。
でも……俺はまだ、間違えた。ついにナイトになった後でさえ。罪のない生徒たちを危険に晒した。一人の教師を危険に晒した。その教師が、まさかクルセイダーだったなんて、カケラも知らずに……
だが、そんな俺を再び立ち上がらせたのは、そのクルセイダーの言葉だった。彼の許し。彼の修正。俺自身が自分を信じられなかった時に、彼がくれた信頼。
彼は俺に新しい道と、背負うべき新しい名前をくれた。
「頼んだぜ、ロニン」
でも……それでも……俺は、負けた……
全力を出した。自分の体と魂が耐えられる限界を、ギリギリと超えた。筋肉の繊維一本一本が叫び、汗の一滴一滴が努力の証だった。それでも、アイリスを倒すには足りなかった。
負けることの一番の苛立ちは、ただの痛みじゃない。その後に来る、静寂だ。口の中に広がる血の鉄の味が、無力感の苦さと混じる。俺たちの戦いの瓦礫の中で横たわりながら、俺が感じたのは、自分の失敗の圧倒的な重さだけだった。
そして、傷口に塩を塗るように、屈辱がやってきた。俺は救われた。ずっと追いつくべきだと誰もが思っていた、その人に。俺が彼女を見る前に、その影が俺を覆い、混沌の中に差し込む弱々しい光を遮った。
姉ちゃん。
姉ちゃんが戦うのを見るのは……まるで自然の力を見ているようだった。流れるような、正確な動き。俺には決して真似できない、静けさ。彼女の戦いを見るのは、苛立たしくもあり、そして痛々しいほどに、心を揺さぶられた。
苛立ちは、俺たちの間の絶望的な距離から。心を揺さぶられたのは……いつか彼女の隣に立ちたいという、メラメラと燃える願いから。守られる者としてじゃなく、対等な仲間として。
俺は姉ちゃんのようになりたい。彼女のように強くなりたい。応えたいんだ……
埃が舞い、アドレナリンが引いていくと、彼女が近づいてきた。叱責されるか、失望されるか、あるいはアカデミーの教官たちと同じ冷たい沈黙を覚悟していた。だが、代わりに彼女の声が空気を切り裂いた。柔らかく、しかし、どんな裁きも含まない、しっかりとした声で。
「ご無事で…何よりです、ロニン」
その言葉が……どんな敗北よりも、俺を打ちのめした。彼女は俺の弱さに失望してたんじゃない。俺が生きていたことに、ホッとしていたんだ。
彼女の期待に応えたい。他の誰かの、「あいつの弟」としか見ていない連中の期待じゃない。気にかけてくれる、彼女の期待に。姉ちゃんが二度と、あんな心配そうな安堵の表情をしなくて済むように、強くなりたい。彼女が、もう二度と俺のことで心配しなくていいように!
彼らのように――姉ちゃんのように、勇太先生のように、如月さんのように――、ついに地面にある自分の欠点から目を逸らせる人間になりたい。
世界に、胸を張って向き合える人間に。
_________________________________________________
竹内勇太
古いコーヒーと紅茶の、苦くて諦観に満ちた香りが、桜井理事長の部屋には必ず漂っていた。
本館の五階にあるその部屋では、静寂など幻想に過ぎなかった。窓の外からは、ガガガガッ!と絶え間なく機械の音が響いてくる。講堂やイベントホールを再建するため、クレーンやトラクターが金属の虫のようにせわしなく動き回っていた。
世界が傷跡を消そうとするその速さは、ほとんどシュールだった。(俺が引き起こした破壊の痕跡を消すのに、そう時間はかからんだろうとは思っていたが…一ヶ月もかからずに終わるとはな。)来週には授業も新学期も始まる。俺のささやかな「休暇」――強制的な診断書による休み――は、正式に終わった。
「活動のスタイルを変えるのじゃ、勇太くん」
桜井さんの声が、俺の思考をプツリと断ち切った。彼女はいつものように、非の打ちどころのない黒いブレザーを着て近づいてくる。そのルビーのように赤い瞳は、顔の皺や髪の白髪では衰えぬ権威を際立たせていた。
俺はくるりと窓に背を向けた。淡い陽の光が俺をシルエットに変え、顔の疲労を隠してくれる。「…どういうお考えでしょうか?」
書見台の近くで、石田先生と安藤先生が話していた。自分たちの世界に没頭しているように見えたが、桜井さんが口を開くと、空気が変わった。二人の体がそわそわと落ち着きなく動くのを感じた。まるで、彼女が口にすることを恐れているかのように。
「木村くんはもう任務部隊にはおらん。となると、敵地を調査する者がおらんようになった、というわけじゃな?」その視線は鋭かったが、顔にはどこか迷いが見える。彼女にはもう考えがある。だが、俺を全く違う道へ無理やり進ませる前に、俺の反応を窺っているのだ。
(アークビショップ…)俺は呟いた。友美と安藤先生の顔が浮かぶ。理論上は完璧な駒だ。だが、そんな風に使える駒じゃねえ。
俺の視線は安藤先生と石田先生にジッと注がれた。二人はまだ話しているフリをしていたが、そのそわそわした様子はありありと伝わってきた。安藤先生は、間違いなく優れたインクイジターだ。だが、今の教師としての任務と、何年もの戦場からの離脱で、その反射神経はかつてのような殺人的な正確さを失っているだろう。あのような潜入任務に彼女を送るのは、理想的とは言えん。
友美は…命令されれば、間違いなくやるだろう。だが、あいつはもう学校にはいない。社会復帰プログラムの生活に戻ったんだ。たとえ一時的だとしても、あいつがやっと手に入れた平穏を奪って、あんな任務に送り込むなんて…それは、俺が越えたくない一線だった。
それでも、誰かが必要だ。だが、誰を?
「迷っておるようじゃな」桜井さんが、目を細めて言った。
「私にはまだ、そのような任務に送れる者がおりません…」
「一つ、提案があるんじゃが、どうかの?」桜井さんはピクリと片眉を上げた。
「…と、申しますと?」
「他のエージェントを探してみるのはどうじゃ?」
「他の…エージェント?どこでです?」
「大学で、じゃな」
は? 俺の頭の歯車が、ガチリと金属音を立てて止まった。「…なんですと?」大学に戻れ?こんな、いきなり?
「お主のことじゃから、生徒たちから距離を置くと思っておった。そして、その通りになった。だからこそ、私はお主を生徒会の顧問にしたのじゃ。もっと彼らと関わってほしくてな」
彼女は隣の小机へ歩み寄り、正確な仕草で自分のためにお茶を淹れ始めた。フワッと強い香りが部屋に広がる。
「私がお主をパーマネント・ティーチャーの一人になってほしいからじゃ。じゃがそのためには、大学を卒業してもらう必要があるのじゃ」
「本気ですか?この状況で、そんな話を?」
「そうじゃ。お主は生徒会から外れてもらう、勇太くん。前のように、ただのクラス担当教師に戻るのじゃ。そうすれば、午後は大学の授業のために空くじゃろう」
その言葉を聞いて、安藤先生と石田先生がカチンと固まるのが分かった。二人の声は、喉の奥で死んだ。
「…生徒会の顧問は、どなたが?」
「凛くんじゃ」
「なんですと?!」
「っしゃあ!オラ!オラ!オラ!」
安藤先生は、顔を恐怖に歪ませて、ギャーッ!と全力で否定の叫びを上げた。その一方で、石田先生はガッツポーズで勝利の拳を空に突き上げ、ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべていた。
俺たちの視線が、グッと二人に向けられた。桜井さんは、面白がるようにふふっと穏やかに笑う。俺は…俺は、完全にポカーンとしていた。
「…マジかよ…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大学に戻る、か。この一年があまりにも濃密すぎて、「普通」の大学生みたいに勉強するなんて可能性は、頭のカケラもよぎらなかった。
午後になり、開盟での俺の教師としての仕事が減ることも確定した。命令によれば、俺の時間は「個人的な」成長と任務部隊に向けられるらしい。まるで、この調査が始まった頃に戻ったみたいだ…
太陽がジリジリと照りつけ、容赦なく熱い。目の前の巨像――空にそびえ立つ、黒いガラスと鋼鉄のモノリスである開盟大学のキャンパスからの反射で、その輝きは増している。
ここ数日、回復のためにこの敷地の一部で過ごしてはいたが、校舎のフロアに向かって歩いていると、嫌な感覚がこみ上げてくる。幸い、授業はまだ正式に始まっていないから、知った顔に会う可能性は低い。心の底から、そうあり続けてほしいと願った。
とはいえ、面倒な遭遇は避けるに越したことはない。俺は建物の裏手、隔離された翼棟から中へ入った。エージェントが使うための直接アクセスだ。これで、誰かにバッタリ会うリスクも避けられる。
俺たちのために用意された医務室まで上る。「医務室」とは、大学の構造に組み込まれたミニ病院に対する、都合のいい婉曲表現だ。多くの公立病院が嫉妬で泣くような技術がそこには詰まっている。
「ワイトさん。何かありましたか?」受付の女性が、プロフェッショナルで控えめな声で尋ねてきた。
「ロニンに会いに来ました」俺は、声にのしかかる疲労を感じながら答えた。そして、それと共に、罪悪感も。喉の奥に、苦い塊がつかえる。俺の失敗、俺の戦略のせいで、ロニンは命を落としかけた。
「理学療法のウィングにおられます」
「ありがとうございます…」
理学療法?もう体を動かしているのか。俺なんて、ようやく運動を再開したばかりだというのに、あいつはもう全開でいくつもりか。ったく、どいつもこいつも…
奴を見つけるのに、そう時間はかからなかった。最新鋭のジムにしか見えない訓練室で、彼は木刀を手に素振りをしていた。動きは速いが、筋肉が収縮するたびに、痛みの波がズキッと体を走るのが見て取れた。
俺は廊下の大きなガラス窓から彼を眺めていた。ドアに向かって歩き出したが、俺の注意は、同じく田中くんを観察している、ベンチに座った人影に奪われた。女。青みがかった瞳に、低い位置で結んだ、淡いピンクの長い髪。
彼女はスッと静かにこちらに視線を上げた。その青い瞳はほとんど無表情だったが、氷の破片のように鋭く、突き刺すような深みがあった。
「ローグさん…」
「エドワードの弟」彼女は、感情の抑揚を一切含まない、ゾクッとするほど冷たいモノトーンで言った。
「勇太と…呼んでください」俺は、彼女の分析的な視線の下で、奇妙な圧迫感を感じながら答えた。
「分かりました、勇太。あなたがご自身の名前を捨てたので、どうお呼びすればよいか迷っていました」彼女はそう答えると、まるで俺がもう彼女の注意に値しないとでも言うように、視線を弟の方へ戻した。
俺の視線も、木刀で空を切る彼へと戻った。
「良い仕事をしましたね」彼女は、ぽつりとそう言った。
「…どういう意味です、ローグさん?」俺は混乱して尋ねた。良い仕事?結果は大惨事だった。
「ここ数年、あの子は常に自分を疑っていました。ですが、この学校に入ってから、彼にやる気が出てきたように見えます。そして、彼があなたのことを話す様子から察するに、それはあなたのおかげでしょう、勇太」彼女の声は感情がなく、まるでロボットが報告書を読み上げているかのようだった。
「その評価を、私が受け取るべきかは…」
(受け取るべきじゃない)俺の心がそう付け加えた。(俺のミスのせいで、俺の生徒が、俺の指揮下にあったエージェントが、死にかけたんだぞ。)
「万が一、弟の失敗で罪悪感を感じているのでしたら、その感情は的外れだと言わなければなりません」
俺は彼女の洞察力に驚いて顔を上げた。「どういうことです?」
「ロニンが喫した敗北は、彼の弱さの結果です。あなたのミスのせいではありません、ワイト・ガントレット」彼女の、冷たく深い青い瞳が俺をじろりと睨んだ。「何かを責めたいのであれば、ご自身の弱さを責めるべきです。戦略家として下した選択ではなく」
彼女の視線が、再び弟へと戻った。「あなたは、誰よりもご存知のはずです。ある状況では、犠牲を払わなければならないことを。あなた自身、大学を支援するために一人でデスブローに立ち向かうことを選んだ。ロニンが他のエージェントを救うために一人でアイリスに立ち向かうことを選んだように。あなたは死ぬ覚悟ができていた。彼も同じです。そして、二人とも弱かったがために、死にかけた」
彼女の言葉は残酷だったが、否定できないほど論理的だった。フッと、歪んで疲れた笑みが俺の唇に浮かんだ。「ローグさんは、本当に強さに執着しておられますね」
「誰かがそうでなければ!特に、私のチームの担当者が腰抜けなのですから!」ようやく、彼女の口調に少しだけ生気が…そして怒りが宿った。
「…兄のことは、申し訳ない」俺は、力なく笑いながら首筋を掻いた。
「ご心配なく」彼女は答え、感情はすでに氷の壁の向こうへとスッと後退していた。
「ところで、ローグさん…」(聞くべきじゃない。だが、聞きたい。俺にだって好奇心くらいある…)
「何です?」
「あなたと…兄上は…」彼女の視線が、刃のように鋭く俺に突き刺さった。「その…お二人は…」早く言え、俺!「…お二人は…」
「違います」彼女の視線は訓練室へと戻り、まるでメスのように正確にその話題を切り捨てた。
「そうですか…兄が、いつもあなたのことをあんなに褒めているものですから!てっきり…」(なんで俺は、こんな内気なガキみたいになってるんだ?!)
彼女は立ち上がり、俺の隣まで来ると、頭のてっぺんからつま先まで、じろりと俺を分析した。「初めてお会いした時より、あなたの体は弱くなっています」
「あれは五年前ですよ!」
「その通りです」彼女は背を向け、訓練室のドアへと向かった。「あなたは万全ではない、ワイト。あなたの心はあなたを裏切り、体は弱くなった。だからこそ、あなたは何度もデスブローに負けたのです」
ズキンッと、胸に痛みが走り、魂が揺さぶられた。
「結局、あなたは最後の対決でも彼に負けた」彼女は横を向き、俺と目を合わせるのを避けた。「戦略家が最前線に立つべきではない…ですが、もしそうするのであれば、少なくとも勝利を保証できる者でありなさい」
そして、ついに彼女は俺の瞳の奥をグサリと見つめた。
「死んだリーダーなど、何の役にも立ちませんよ、勇太」




