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第5話「ロニン」

田中魁斗


 道場の空気は冷たく、古い木と汗の匂いがした。休みが明けてからまだ数日しか経っていないというのに、勇太先生は容赦なかった。俺と藤堂さんが、先生との厳しい武術訓練の真っ只中にいた。道場のガラス張りの壁には淡い午後の光が反射し、外の静かな庭園を映し出している。中の緊張とはあまりにも対照的な光景だった。


「はぁぁっ!」俺は叫び、ありったけの力と速さを込めたストレートを、先生の顔面に叩き込んだ。


 先生はピクリともしない。物理法則を無視するかのような滑らかな動きで、スッと身をかわした。先生の手が俺の手首に触れる。防ぐためじゃない、導くためだ。俺自身の攻撃の勢いを利用して体勢を崩され、腕を横に引かれて完全に無防備になる。


 その瞬間、先生の後ろに影が迫った。彼女は天井の梁から飛び降りた。オレンジ色の彗星が空から降ってくるように、その足は破壊的な蹴りの形をしていた。完璧に連携された攻撃。相手が勇太先生でなければ、あるいは決まっていただろう。


 先生は、ただ身を屈めた。単純で、ほとんど退屈そうな動きで。


「先輩!?」藤堂さんの声が空を切った。


 彼女の蹴りは、先生の頭があった空間をビュンと音を立てて通り過ぎ、俺の顔面にゴッと命中した。


 ドン!


 目の前に星が散った。鼻に激痛が走り、俺は後ろに倒れる。口の中に鉄の味が広がった。藤堂さんが着地するよりも早く、勇太先生の手が空中で彼女の足首を掴んでいた。


 逆さまのままでも、彼女の顔には「やられた」とはっきり書いてあった。対照的に、先生の顔には悪戯っぽく、危険な笑みが浮かぶ。彼は右手で彼女の足を引っ張り、左腕を彼女の背中に当ててテコのように使うと、素早い回転で彼女を道場の壁にドサッと投げつけた。


 こうして、俺たちは二人とも床に転がっていた。俺は止まらない鼻血を押さえ、藤堂さんは壁に逆さまに凭れかかり、その足は痛々しいほどコミカルな角度を向いていた。


「どうした?」勇太先生はシャツの襟を直しながら、からかうような、挑発的な声で言った。「前はもっと歯ごたえがあったが…」


「先生の方が変わったんですよ…」藤堂さんはぶつぶつ言いながら、何とか体勢を直そうとしていた。


「ええ…休み明けから、先生の方が厳しくなりました…」俺は鼻を押さえる手でくぐもった声を出した。


「ああ…」勇太先生がそう言うと、一瞬、その表情に純粋な驚きが見えた。だが、その金色の瞳は鋭くなる。何か気づくべきではなかったことに気づいたかのように。一瞬俺たちを分析すると、またあのわざとらしい笑みに戻った。「悪い、悪い。今日はこの辺にしておこう」


「嫌だって!」藤堂さんは抗議し、やっとのことで座り直した。


「私には他の用事がある。一日中、君たちの訓練に付き合ってはいられない」


「でも、エクソの共鳴についてまた話してくれるって言ったじゃないですか!」


「ああ?あれか?」先生はまた驚いたように答えた。「もう言ったはずだ。君がコンベンションで見せたのは、エクソの共鳴ではない」


「どうしてそう思うんですか、勇太先生?」俺は床に座ったまま、血が垂れないように顔を上げて尋ねた。


「エクソの共鳴は、音声コマンドでしか起動しないからだ。君はバイザーに命令しなかった。だから起動しなかった。単純なことだ…」まるで世界一当たり前のことのように彼は答えた。


「でも…でも…!」藤堂さんは言いかけた。「待ってください!」彼女が叫ぶと、勇太先生は苦悩に満ちたため息をついた。彼女はロッカーへ駆け寄り、数秒後、戻ってきた。銀色のチェインメイルが彼女の小さな体に第二の皮膚のように装着されていく。右手には、手首から前腕までを覆う衝撃用ガントレット。「これを見てだって!」


 俺と先生は彼女を見ていた。俺はその頑固さに少し驚き、先生はそれに付き合う忍耐力がない、という顔をしていた。彼女はマスクを装着し、その暗い金属が首筋を伝ってメイルと繋がる。最後にバイザーを連結させ、起動させた。途端に、ガントレットがバチバチと音を立て、青い火花が彼女の腕で踊り始めた。


「でも、こうすると…」彼女はそう言って、マスクからバイザーを取り外した。


 その瞬間、電気の火花はさらに激しくなり、完全にエネルギーが解放された。彼女の手から放たれる光はあまりに濃く、道場を眩ませるほどだった。バイザー装着時の何十倍も強い。


「どうですか!?」彼女は光線を消しながら叫んだ。


「エクソの共鳴ではないな…」勇太先生は、きっぱりと言った。


「でも、どうして…?」


「バイザーがガントレットの出力を制限してるんですか?」俺は興味津々で聞いた。


「まあ、そんなところだ…」先生は首を振った。「実際のところ、ガントレットが『電気』に関して行うのは、ただのエネルギー放出だ。君の『ウェーブ・フィスト』は、藤堂さん、ただのエネルギー放出であって、技というわけではない」


「なんですって!?」彼女は侮辱されたように言った。「熱っ!」ガントレットを外そうとして、帯電で熱くなった金属に触れ、指を火傷したようだ。


「正式名称は『高出力放電』だ」


「つまらない…」彼女は痛みを和らげるために指を口に入れながら答えた。


「確かに…」俺も同意した。


「全くだ…」勇太先生は腕を組んで続けた。「ガントレットは大量のエネルギーを放出できるが、それがバイザーのシステムに干渉する可能性がある。だから、バイザーが出力量にリミッターをかけているんだ。だが、君はあの時バイザーを外していたから、最大出力で放電できたのも当然だ」


「じゃあ、エクソの共鳴はそのリミッターを解除するものなんですか?」俺は聞いた。


「違う」彼は素っ気なく答えた。「リミッターを外したいなら、バイザーにそう命令すればいい…」


「え、そんな単純なの…」藤堂さんはがっかりした様子だった。


「じゃあ、エクソの共鳴って何なんですか?」俺は食い下がった。


 彼は俺たちを見た。その表情が変わる。からかうような教師は消え、そこにいたのは歴戦の勇士、クルセイダーだった。


「エクソの共鳴は、装備の『機能』のようなものだ。我々の場合、衝撃用ガントレットは『ハイランダー・モード』に入る。それはリミッターを『解除』するだけでなく、放出の全密度を体中に拡散させる」彼は藤堂さんを真剣な目で見つめた。「君の『ウェーブ・フィスト』が一発の放電であるのに対し、ハイランダー・モードは一度に何十発もの放電を叩き込むことを可能にする!」彼女は魅了されたように彼を見ていた。「だが、その代償はあまりにも大きい!前に言わなかったか?最後に使った時、私の両腕は完全に砕け散ったと」


 藤堂さんは唇を尖らせて、視線を逸らした。「わたし、あなたを超えたと思ったのに…」


 彼は彼女のオレンジ色の髪を、乱暴に、でもどこか優しくかき混ぜた。「ああ、ああ、一撃だけなら、君が俺を超えたさ」


 そして、彼は俺の方へ向き直った。その歩みはゆっくりで、重々しかった。


「エクソの共鳴は切り札でも、エースでも、ましてや奥の手でもない」藤堂さんが乱れた髪を直そうとしている間、彼は俺に向かって歩き続けた。「それは最後の選択肢だ。全てを懸ける時に使う!」


「俺にとってもですか?」俺は尋ねた。


「君にとっては、特にだ。エクソの共鳴には二種類ある。衝撃用ガントレットのような『強化型』。そして、君のような『強襲型』。どちらを使っても、結果は同じだ。地に倒れ伏す…」彼の目は真剣で、そのメッセージが俺の心に突き刺さった。「唯一の違いは、君は装備のエネルギーが尽きて動けなくなるだけだが、藤堂さんは文字通り体が砕けているということだ」


「怖いだって!」彼女は答えた。


「もちろん、彼女の方が君よりずっと強力だ」彼は、彼女のことよりも自分自身について語るかのような、一抹の誇りを持って言った。「だが、君の方が汎用性は高い。強化型は平均して二、三分しか持たない。だが君のは…使い方次第では、戦闘中ずっと維持できる…全ては…」彼は俺の肩に手を置き、その金色の瞳が、鋭く、決意に満ちて、俺を射抜いた。「お前がどれだけ熟練しているかによる、ローニン!」


 この記憶…なぜ今になって蘇る?これが俺の初めての「大一番」だからか…それとも、勝てないと、そう感じているからか…あるいは、俺がここで死ぬからか…


 どうでもいい。あの言葉は…最高の瞬間に届いた。


 俺の刃のピンク色の輝きが揺らめき、周りの瓦礫に幻のような光を投げかける。光は右腕を駆け上り、肘から現れて背後で脅威的に湾曲する、三日月形の刃へと姿を変えた。左手で逆手に握った剣。その柄からは、ピンク色の光の奔流が伸び、広げた右手の平に繋がっていた。眼前に、瓦礫の中から姿を現すイリス。その金属の触手が、獰猛な蛇のようにうねっている。


 ありがとう…勇太先生!


「エクソの共鳴、完了。モード『霊刃解放』、起動」バイザーから響いた声は、金属的で、冷たかった。


 ピンク色の刃が俺の腕に沿って伸びる、まるで俺自身の魂の延長のように。足は痛み、腕はこわばり、手は震える。息をするたびに肺が氷の刃で刺されるように痛み、視界は霞み、全身を温かい血が濡らすのを感じる。


 だが…なぜだ…なぜこんなにも…生きていると実感する?


 霊刃解放のエネルギーが俺の体を駆け巡る。それは異質な力ではなく、ずっと昔からそこに眠っていたものが、この瞬間のために目覚めたかのようだ。痛みはただの背景音。俺がまだ立っていることを思い出させるだけの、ノイズだ。


「ロオオオオニイイイイイィン!!!!!」


 イリスの叫びが響き渡った。それは、舞踏への獣のような誘いだった。


 彼女は跳んだ。怒りと金属の彗星が、俺に向かってくる。俺の足は、意識するよりも先に動いていた。鋼の触手が空気を切り裂きながら、殺人的な速さで迫る。


(ーー舞の始まりだ。)


 世界は死の舞踏へと姿を変えた。最初の一本が頭上から、俺を叩き潰すための槌のように振り下ろされる。俺の体は左へ回転し、右の前腕の刃が直感的に上がる。キンッ! 金属と金属がぶつかる音が響き、俺は彼女の力を利用して横へと自らを押しやった。逆手に握った左手の剣が俺の重心となり、右手と繋がるピンク色の光の糸が、生きている筋肉のように伸縮する。


 ビュン! さらに二本の触手が側面から襲い来る。考える暇はない、反応するだけだ。左手の剣が残像となり左からの攻撃を弾き、前腕の刃が右からの攻撃を塞ぐ。ただ防いでいるだけじゃない。攻撃の間で踊り、周囲の空間をピンク色の蜘蛛の巣に変えていた。彼女の一挙手一投足に、俺の反撃が呼応する。全ての突きに、回避を。全ての打撃に、受け流しを。光の糸は鞭となり、盾となり、俺の意志の延長となって、剣をありえない軌道で飛ばして俺を守った。


 霊刃解放 モードで、俺の戦闘スタイルは完全に変わった!左手で剣を握るのは、糸を操るためだけじゃない、なぜなら…!!!!!


 一本の触手が空を裂き、俺の顔を掠めて金属の床を凄まじい力で叩いた。ドゴォォン! 床が衝撃で砕け、俺たちの足元に穴が空く。床が、消えた。一瞬、俺たちは階層間の虚空に浮かび、そして落下した。俺は下の階の天井――ケーブルと鉄骨だらけの金属の台座――に、しゃがみ込むように着地した。


 イリスがすぐ後ろに跳びかかってくる。その触手は、さらに激しさを増していた。だが、空中で、俺は左手から剣を放した。


 イリスの目が、マスクの下で驚きに見開かれた。戦いの流れが急に変わったのを察知したのだ。彼女は来ることのない攻撃から身を捩る。別の触手が背後から俺を貫こうとし、俺はそれを前腕の刃で受け止めた。**キィィン!**と金属が軋む。


 そして、その一撃を受け流した瞬間、俺は右腕を横に振るった。ピンク色の糸が伸び、宙に浮いた剣が俺の命令に応える。剣は俺の右側から、まるで幽玄な鎌のように空中で回転し、その輝きで空気を焦がした。


「紅ーーー閃ッ!!!!!」


 彼女の触手が防御のために動き、鋼鉄の盾を形成する。だが、俺は腕を強く引いた。糸はさらに伸び、剣は触手の間で回転し、イリスごとそれらを縛り上げた。今や自由になった左手で光の糸を掴み、ありったけの力で引き下ろす。


 イリスが俺の前に、体勢を崩して落下した。自由になった触手が、反射的に俺に向かってくる。


 彼女は俺を見た。その顔は驚きと怒りの仮面。だが、俺自身のエルモも故障し、静電気の向こうに俺の素顔が映し出される。彼女は俺の血走った目を見た。彼女は、俺がここで全てを懸けるのを見たのだ!!!!!


 前腕の刃が、目を眩ませるほどの輝きを放った。


「紅閃!」


 空気を切り裂く音。そして、全てを焼き尽くし、切り刻むピンク色の炎の輝き。彼女の触手は、ただ一つの滑らかな動きで、全て断ち切られた。


「俺のエクソギアは、剣じゃない…」俺の目が彼女を射抜く。彼女が俺を見つめるその顔に、混乱と恐怖が浮かぶのが見えた。俺の体の動きでマントが翻り、そして彼女は見た。俺の右腕は、ただの「鎧」ではなかった。肩までを覆う義手。その金属の亀裂から、ピンク色の光が脈打っていた。


「…俺のエクソギアは…」俺は右腕を上げた。握りしめた拳に、ピンク色の光が耐え難いほど強く収束していく。俺の声が、金属音と共に響いた。「…霊刃武装だ!!!!!」


 俺は身を屈めた。俺の全存在、俺の魂が、その一点に注ぎ込まれる。時間は引き伸ばされ、一瞬一瞬が永遠に感じられた。叫び声が胸の奥から生まれ、その力の化身となった。


「紅…閃…!」


 俺の拳が、彼女の顔に叩きつけられた。


 それは、ただのパンチではなかった。爆発だった。


 **ズドオオオオォン!という、全てを掻き消すような轟音が響き渡った。衝撃点からピンク色の衝撃波が咲き誇る。一瞬のうちに広がる、破壊の花。イリスのマスクがバキッ!**と音を立て、蜘蛛の巣状にひび割れ、そして砕け散った。彼女の足元の金属の床は、ただひび割れたのではない。崩壊した。水面のように波打ち、ねじれた金属と火花の雨となって下階へと爆散した。


「…岩ッ!!!!!」


 叫びの残響は、落下の中に消えた。エレベーターの天井は完全に崩壊し、俺たちは二人とも闇に飲み込まれた。世界は金属と風が入り乱れる混沌とした景色に変わり、俺自身の心臓が肋骨を叩く音だけが響いていた。そして…水の、氷のような衝撃。


 前の階にあったオリンピックプールから、俺はよろめきながら這い出し、床に崩れ落ちた。びしょ濡れだった。血が、体から流れ落ちる水と混じり合う。剣がピンク色の糸に引かれて右手に戻り、そして、共鳴は終わった。俺の装備の光が消える。全身が痛む。立ち上がろうとしたが、ほとんど不可能だった。剣を支えにして、何とか立ち上がる。


「…先生は正しかったな…この後、俺は本当に動けなくなる…」


 プールを見た。水に混じる赤い染みが見える。俺の血だ。だが、その先には、黒い染みがゆっくりと広がっていた。オイルか?それとも、彼女の血か?あるいは、彼女は本当にタコで、あれは墨なのか?


 確認しに行く力はない…俺は…


 俺は踵を返した。ここから立ち去るために。だが、空気を切り裂く音を感じた。俺が素早く振り返ると…視界が霞む中、一本の触手がまっすぐ俺に向かってくるのが見えた。

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