第6話「カカオの仮面」
花宮陽菜
生徒会室の空気が、あたしの喉を締め付けるみたいにズッシリと重い。
目の前には星野さんがいる。赤みがかった栗色の髪の影で、あの紫色の瞳が半分隠れていて、まるで世界を燃やし尽くせるような秘密を宿しているみたい。心臓がドクン、ドクンって、制御不能な太鼓みたいに鳴り響く。
(ヤバっ、あたし、やっちゃった!)
アレクサンダーくんのこと好きなのかって聞いちゃった。そして今、この沈黙が刃物みたいにあたしを切り裂く。なんで黙ってられなかったの?なんであたし、いっつも口を開いちゃうわけ?!
「花宮…先輩…」
彼女の声が震える。今にも切れそうな、細い糸みたい。あたしはゴクリと唾を飲み込んだ。汗ばんだ手が、後ろにある机の縁をギュッと握りしめる。
(とんでもない地雷、踏んじゃった感じ?)
胃がキリキリ痛む。星野さんが爆発して、あたしを憎んで、最悪なのは――フラヴちゃんに告げ口して、あの金色の瞳で射殺される未来を想像しちゃう。
でも、その時だった。彼女はドサッと膝から崩れ落ちた。その手はスカートを強く握りしめ、顔は絶望と苦痛で歪んでいる。
「どうすればいいのか、わからないんです…!」
その言葉は押し殺した叫びとなって、静かな部屋に響いた。「この胸の痛み…私、アレクサンダーくんとは小さい頃から知っていて、いつもフラヴィアンさんと一緒でしたのに、こんな気持ちになったことなんてなかった…!どうして今?どうして彼なんですの?」
あたしはカチンと固まって、肺から空気がなくなったみたいだった。
(彼女…フラヴちゃんみたい…)
胸がキュッと締め付けられるけど、なんて言えばいいか分からない。いつも冷静で、どこか見下しているような星野さんが、今は迷子の女の子みたいに、潤んだ瞳を部屋の弱い光の中で輝かせている。
「星野さん…」あたしは口を開いた。声が震える。「あなた…怖がらなくてもいいんだよ。ただ…自分の気持ちに正直になれば…」
彼女は首を横に振った。涙がポロポロと流れ落ち、雨粒みたいに床に染みを作る。「そんなに簡単なことではありませんわ、先輩!高橋先輩が…あの方はいつも彼と一緒で、笑っていて、とても自然体で…お二人が一緒にいるのを見ると、まるで私が存在しないかのようです。あの方の隣で、私に何ができるというのかしら…!」
頭の中が真っ白になる。直美ちゃん。アレクサンダーくんのことでからかうのは好きだけど、彼女が本心を言ったことなんて一度もない。そして今、自分を粉々に砕きそうな恋心を抱えた星野さんが、まるで勝てっこないライバルみたいに直美ちゃんを恐れてる。
(…ちょっと、罪悪感を感じるかも…)
彼女を見る。こんなにも脆くて、あたしが前に見た、崩れ落ちたフラヴちゃんの姿と重なった。
(心が、頭より先に決めた。)
「星野さん」あたしは言った。まだ震えは残ってるけど、声は前よりずっとしっかりしてた。「誰かと競争する必要なんてないよ。もしアレクサンダーくんのことが好きなら、あたしが、告白するのを手伝ってあげる」
彼女の目がカッと見開かれた。その顔は、あたしがゆうくんに作ったチョコレートみたいに真っ赤だ。
「で、でも、先輩、私、まだ心の準備が…!」彼女はガクガクと震える手で口ごもった。
あたしは、自分自身の不安を隠すように、ニッと笑ってみせた。「じゃあ、準備をしましょ。一歩ずつ、一緒に。あなたが勇気を持てるまで」
彼女はあたしを見つめた。その瞳は恐怖と希望で揺れていて、そして、笑い出しそうに呟いた。
「師匠…」
あたしはホッとして笑い声を漏らしたけど、心の奥では、カバンの中に隠したままのゆうくんへのチョコレートを思った。
(あたし、彼女に求めてるのと同じ勇気を、自分も持てるのかな?それとも、星野さんみたいに、『自分は十分じゃない』って恐怖に、ドキドキしながら囚われたままなのかな?)
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高橋直美
バレンタインデー。女子が好きな男子に告白――っつーか、それに近いこと――するために、ガヤガヤと狂ったみたいになる日。
正直、今までマジでどーでもよかった。チョコを分け合う友達もいなかったし、ましてや夢見る男子なんて、ね。あちしの世界はカメラの中。遠くから見てた人生の欠片を切り取るだけ。はるちゃんは例外で、あちしの錨みたいな存在だったけど、あの子でさえ、あちしには届かないキラキラした場所にいる感じだった。
でも、今は…違う。はるちゃん、フラヴちゃん、魁斗くん、金髪くん。
友達。その言葉、まだ重い。ちゃんと現像できてない写真みたい。このピンクの袋とクスクス笑いが溢れる日は、全部を鮮明にしすぎんだよね。まるでピントを合わせすぎたレンズみたいで、ちょいウザい。
授業が終わって、開盟高校の廊下はカラフルなカオス。ハートの袋が揺れて、声が光の反射みたいに響く。あちしはデザイン・写真部に向かって歩く。首からぶら下げたカメラが、あちしを地面に繋ぎ止める重り。隣には、金髪くん。ポケットに両手を突っ込んで、短い金髪が蛍光灯の下で光ってる。あいつの目――曇り空の下の凍った湖みたいな青色――が、あの春先に撮った時みたいな、落ち着いた集中力で廊下を眺めてる。
(別に、あちしが気にしてるわけじゃないし。ただのディテール。あちしは、ディテールを見るだけ。)
「今日、静かっすね、高橋先輩」あいつが言った。その声はしっかりしてて、なんかいつも奥まで見通してきそうな好奇心が混じってる。別に、あいつが近くにいる必要はない。でも…楽なんだよね。こいつは、楽。
「考え事」あちしは短く答えた。口調は乾いてて、視線は光が床に落とす影。完璧な構図。「そっちは?バレンタインショー、生き残ったわけ?」
あいつは肩をすくめた。世界なんて、ただの背景ボケみたいに。「いくつかチョコもらっただけっすよ。大したことない」
(だろうね。金髪くんは、あの時代遅れの騎士みたいな雰囲気で、努力しなくても視線を集めるし。あちしには関係ないけど。)
「で、コンテストは?もう話してないじゃん」
あちしはカメラのストラップを調整する。冷たい革の感触。「延期。学校のシステムがイカれたから。今週末だって」あのコンテスト。あいつにレンズを向けた時。ボールを蹴る、その瞬間の、全てを切り裂くような眼差し。あの写真の何かが、あちしを揺さぶった。ただ…何か。それから、友達になった。まあ、いいんじゃん。
「じゃあ、頑張ってください」あいつが言った。その半笑いが、妙に正直に見えた。一瞬、胸がキュンッてなった。光の角度が変わったみたいに。横を向く。何でもない。ただの廊下のノイズ。
部室のドアに着いて、あいつは立ち止まって、うなじを掻いた。「先に生徒会、寄ってきます」
「ん」あちしは肩をすくめた。どーでもいいし。あいつは手を振って、あちしは中に入ろうとした。でも、鋭くてハイテンションな声が空気を切り裂いた。
「直美ちゃん!アレクサンダーくん、ちょっと借りていーい?」
はるちゃんが現れた。赤い髪をなびかせて、その笑顔は友情以上を物語ってる。胃がグルッとひっくり返る。
(バレンタインだっつーのに、はるちゃんはいつものからかいモードじゃん…あちしと金髪くんが、少女漫画のカップルかなんかみたいに。ないわー。)
「マジではるちゃん?」あちしは呟いた。その声は低くて、ほとんど警告。
彼女は無視して、アレクサンダーくんの腕を掴んで廊下を引っ張っていく。あいつは真っ赤になって、「花宮先輩、やめてください!」って抗議してるけど、本気で抵抗はしない。騎士様すぎるっしょ。あちしは突っ立ったまま、腕を組んで、二人が角を曲がるのを見てた。時間の無駄。
嫉妬じゃないし。あちし、そーゆーのしないから。でも、はるちゃんのああいうおふざけとか、あの視線とか、マジでイラッとすんだよね。ピントの合ってない写真みたいで。後を追う。別に気にしてるわけじゃない。ただ、あの子がこれをサーカスにしないように、見張るだけ。隣の廊下で、いた。壁に寄りかかって、あの皮肉な笑顔があちしの目を回させる。口を開く前に、彼女が近づいてきた。その目は、彼女らしくない真剣さ。
「直美ちゃん」彼女は言った。声は低くて、ほとんど挑戦みたい。「アレクサンダーくんのこと、好きなの?」
心臓がドキッと跳ねた。一瞬、ペースが速くなるのを感じた。
(金髪くんのこと?バカじゃないの?)
「ないね」あちしは答えた。乾いた声、閉じた顔。彼女のゲームには乗らない。あちしは恋する乙女じゃないし。
陽菜はパチクリと瞬きした。笑顔が消える。あちしの答えが、不意打ちだったみたい。「そっか…」彼女はそう言って、あちしが何か言う前に、腕を掴んで隣の廊下へ引っ張った。
「はるちゃん、ちょっ―」と言いかけたけど、彼女は指差してあちしを黙らせた。
そこにいた。アレクサンダーくんと星野さん。星野さんは真っ赤で、手が震えながら、ラッピングされたお菓子を握ってる。アレクサンダーくんは彼女を見てる。落ち着いてるけど、眉間に混乱のしわ。
「うちの教え子、やるっしょ」陽菜が、誇らしげに囁いた。(教え子?)あちしは眉をひそめて、理解しようとした。
そして、星野さんがお菓子を差し出した。声がほとんど消えそう。「アレクサンダーくん…あなたに、ですわ」彼は受け取って、会釈で礼を言う。ただの日常みたいに。でも、彼女の目は輝いてた。新しい何かに満ちて。彼女、あいつのこと好きなんだ。
あちしは見てた。軽い驚きを感じながら。「へぇ、よかったじゃん」あちしは言った。口調はニュートラル。陽菜はあちしを見て、もっと柔らかく笑った。星野さんは、まだ何も理解してない顔のアレクサンダーくんを通り過ぎて、あちしたちの前で止まった。
でも、星野さんはためらって、カバンからもう一つお菓子を取り出すと、あちしに差し出した。「高橋先輩…あなたにも、ですわ」
あちしは固まった。手の中のお菓子の温もり。彼女は真っ赤で、紫色の瞳は伏せられていた。あちしたち、そんなに話す仲じゃないし。
でも、何かが、あちしにカバンを開かせた。自分のお菓子――(部活のため。バカなロマンスのためじゃない)――の一つを取り出して、彼女に渡した。「ん、星野さん」
彼女は驚いてそれを受け取った。そして、はにかんだ笑みが浮かんだ。あちしの口の端が、知らずに少しだけ上がるのを感じた。
もう、はるちゃんだけじゃない。フラヴちゃん、魁斗くん、金髪くん、そして今、星野さん。友達。
もしかしたら、この言葉も、やっとピントが合ってきた写真みたいに、そんなに変じゃないのかも。
後ろで、アレクサンダーくんがうなじを掻いて、途方に暮れてる。「光希、何が起きてるんだ?」って聞いてる。陽菜が笑って、星野さんはもっと赤くなって、あちしは首を振った。
(金髪くん、あんた、思ったより鈍いんだね。)
でも、部室に向かって振り返った時、カメラが胸で揺れる。ふと、彼の視線を捉えた――あの凍った湖が、あちしにはまだ名前のつけられない何かを映してる。そして、今は、それを知らなくても別にいいやって思った。
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花宮陽菜
夕日が差し込み、開盟高校の廊下を暖かなオレンジ色に染めていた。まるで世界が燃えているかのようだ。あたしは生徒会の最後のファイルにガチャン!と鍵をかけ、一日の重みがようやく肩から滑り落ちていくのを感じる。他のメンバーはもう帰ってしまい、隣の机でフラヴちゃんが本のページをパラパラとめくる音だけが、静かな部屋に響いていた。
あたしの肩にはもうバッグがかかっている。そしてその中には、こっそりと…彼が。心を込めて作った、チェリー入りのハート型チョコレートが…ゆうくんのために。
考えただけで、心臓がドキドキして、頬がカァーッと熱くなる。
(べ、別に、大したことじゃないんだから!ただの義理チョコ!ぎ・り・チョコ! …なんて、誰を騙そうとしてるんだろ、あたし…)
「よし、フラヴちゃん、全部終わったよ」あたしは軽い口調を装って、ドアに向き直る。「じゃあ、あたし、行くね!」
「あら、行かれるのですか?」フラヴちゃんが本から顔を上げた。その黄色の瞳に、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。彼女は艶やかな黒髪をさらりと横に流す。その仕草は大げさで、まるで練習したかのようだ。「それとも、兄上にそのチョコレートを渡しに行くのかしら、義妹さん?」
心臓が止まった。
(義妹さん?!)
「ち、違うってば、フラヴちゃん!」あたしはどもり、まるで意志の力だけでチョコレートを隠せるかのように、両手がバッグに飛んでいく。「これはただの…義理チョコだってば!大したことないの!」声が上ずって、顔から火が出そうだ。クソッ、なんでこの子、いつもこうなの?!
フラヴちゃんは身を乗り出し、笑みを深める。「はるちゃん、嘘が下手ですわね。でも、ご存知?あなたならできますわ」彼女はウインクし、声のトーンがふっと柔らかくなった。「さあ、行ってらっしゃいな、義妹さん。兄上に、あなたの気持ちを見せてさしあげて、です」
あたしは突っ立ったまま、口をパクパクさせるだけで声が出ない。心臓が、破裂しそうなほど速く鼓動している。「フラヴちゃん…」あたしの囁きに、頬が燃える。
彼女はただ笑い、まるで壮大な任務に送り出すかのように手を振った。
もう逃げられない。あたしはバッグを掴み、深呼吸をして部屋を出た。チョコレートの重みが、千キロもあるように感じられた。
ゆうくんの隠れ場所は、もう知っている。今日、彼は生徒会に来なかった――当たり前だ。バレンタインデーに、チョコレートの箱を持った女の子たちが追いかけてくるんだから。もちろん、学校の忘れられた隅っこに閉じこもるに決まってる。たぶん、誰も行かない三階の廊下にある、あの廃教室だ。
階段を下りていくと、外の空はオレンジ色から柔らかな紫色へと変わっていた。あたしはバッグの持ち手を強く握りしめる。チョコレートの包み紙がカサカサと小さな音を立てて、あたしをさらに緊張させた。
(ただ渡すだけ、陽菜。それだけ。あなたならできる。)
隠れ場所のある廊下に着くと、建物の静けさがあたしを飲み込んだ。角を曲がると――ドンッ!
誰かとぶつかり、その衝撃であたしは後ろに飛ばされた。**ドサッ!と床に尻もちをつき、バッグが横にスルッ…**と滑る。「いった!ごめんなさい!」あたしは額をこすりながら立ち上がった。
「いえ、わたくしの不注意ですわ。申し訳ありません」と、甘く、まるで嘘のように丁寧な声が返ってきた。
顔を上げると、そこにいたのは長い艶やかな赤髪の女の子。転んだのが嘘みたいに優雅に立ち上がっている。彼女は微笑み、その顔は穏やかで、蜂蜜のように暖かい金色の瞳をしている。でも、その時、床に落ちているものが見えた。淡い光の中で輝く、ラッピングされたチョコレート。そしてその横には、完璧な筆跡で書かれた名前が。『椿 理香』。
あたしの胃がキュッと冷たくなった。
(理香ちゃん?!)
「だ…大丈夫、理香ちゃん?」あたしの声が、少し震えた。
彼女はあたしの手を軽く取り、立ち上がる。その微笑みは少しも揺るがない。「ありがとうございます、花宮さん。わたくし、おっちょこちょいですわね?」その声は蜜のようだったが、あたしはゾッとした。
「理香ちゃんに好きな人がいたなんて、知らなかったな、へへ…」
「あら?これですの?ええ…『誰かさん』が、おりますのよ…」彼女は手で口元を覆い、微笑んだ。
「理香ちゃん!好きな男の子がいるなんて、一度も話してくれなかったじゃない!」あたしは抗議した。
「それは…花宮さん…」彼女は、顔をそむけた。
その時、思い出した。
(お台場…あの「デート」!)
理香ちゃんとゆうくんが、一緒に。胸が締め付けられ、考える前に言葉が口から滑り出た。「それって…勇太先生に?」
彼女の額の血管が、ほとんど見えないくらいにピクッと動いた。でも、微笑みは甘い毒のように、そのまま。「あら、花宮さんはお知りになりたいのですか」彼女の声は柔らかく、視線をそらした。「ただの感謝の印ですわ。大したことではございませんの」彼女は床からチョコレートを拾い上げ、丁寧に包みを撫でた。
「ふーん」あたしは目を細めた。その声は、思ったより鋭くなった。この天使みたいな顔に、誰も騙されないんだから。
二人で歩き始めると、彼女が同じ方向――ゆうくんの隠れ場所へ向かっていることに気づいた。心臓が速くなる。彼女が歩調を速めるのが見えた。
(あたしより先に行かせるもんか!)
仮面が剥がれ落ちる。あたしたちの視線が交錯し、火花が飛んだ。ライバル宣言だ。「理香ちゃん、走らなくてもいいじゃない」あたしはそう言って、自分もペースを上げた。ほとんどつまづきそう。
彼女はククッと低く、挑発的に笑った。「あなたこそ、花宮さん。その短い足で、先に着けるとお思いですの?」
「あんただってでしょ!」あたしは言い返し、もう本気で走っていた。バッグがお尻にバシバシと当たる。
彼女が肩を押してきて、あたしが押し返す。お互いを追い抜こうとして、腕が絡まりそうになる。もうめちゃくちゃだ――靴音が**タッタッタッ!**と床を叩き、髪が舞い、二人でほとんど殴り合いだ。
(ゆうくんは、あたしのなんだから!)そう思うと、恥ずかしさと怒りで顔が熱くなった。
教室のドアに同時にたどり着き、手がドアノブに飛ぶ。一緒にドアを開けると、壁に**バァン!**と激突した。
そして、声が聞こえた。「これは、あなたに、だって、勇太さん!」
あたしの世界が止まった。中にいたのは、小柄な女の子。前が短く、後ろが長いオレンジ色の髪。彼女が、ハートでいっぱいの箱をゆうくんに渡していた。そのライラック色の瞳は誇らしげに輝き、その手はまるで王国を征服したかのように、しっかりとしていた。
(光ちゃーーーん!!!!)
ゆうくんは箱を受け取り、居心地悪そうに「あぁ…ありがとうございます…」と呟いた。その顔は、他のどの惑星にでもいたい、と物語っていた。
あたしは崩れ落ちた。隣の理香ちゃんが、「藤堂光、あなた…」と、歯を食いしばりながら、怒りで震える声で言った。
光ちゃんはすっと背筋を伸ばし、あたしたちを上から見下ろすような目で見ると、「失礼しまぁぁすっ」と言った。ドアの前で固まっているあたしたちの横を通り過ぎる時、フンッと大きな音を立てて、まるで虫けらでも見るかのように顔をそむけた。
膝が震え、心臓が沈んでいく。
(チャンス、逃しちゃった…)
「勇太先生!」あたしは叫んだが、理香ちゃんの方が早かった。
彼女は彼の前に駆け寄り、チョコレートを差し出す。足は震え、視線はさまよっている。「勇太先生、わたくし…これを、あなたに…」彼女の声は途切れ途切れで、顔は真っ赤だ。
(ここで来るな、この泥棒猫!)血が沸騰する。
あたしは彼女の隣に駆け寄り、危うく机をひっくり返しそうになった。「勇太先生、あたしも持ってきたの!」あたしの声は大きく、震えていた。チェリーのハートを、彼の手の中に押し付ける。
ゆうくんは瞬きをし、その退屈そうな顔はかつてないほど深かった。彼はあたしのチョコレートを受け取り、それから理香ちゃんのを受け取った。まるで税金でも徴収しているみたいに。「…はい、どうも」と彼は呟いた。その目は虚ろで、まるで地面に飲み込まれたがっているかのようだった。
何かを言おうとした――何でもいい――でも、声が喉に詰まり、足はガクガクで、心臓が、破裂しそうなほどうるさく鳴っていた。
理香ちゃんがこちらを向き、その瞳は毒で輝いていた。「可愛らしくて純粋な女の子を演じようとなさって?滑稽ですわね、花宮さん」彼女の声は、刃物のように鋭かった。
「あんただって、その聖人ぶった顔で誰かを騙せると思ってるの?」あたしは言い返した。顔が熱い。「何でも知ってるつもり、理香ちゃん?」
あたしたちは睨み合い、火花が飛び、声が大きくなる。「可愛い?あなたがか?夢の中だけですわ!」と彼女が投げつける。
「あんたこそ、その天使の仮面が通用するとでも?馬鹿らしい!」と、あたしは指を突きつけて言い返す。
もうめちゃくちゃだ。言葉がナイフのように飛び交い、空気は怒りで重かった。
ふと、静寂に気づいた。横を見ると、ゆうくんはもういない。彼は隅の机に座り、まるで自分たちがただの背景雑音であるかのように、携帯をいじっていた。「勇太先生!」あたしは絶望して叫んだ。「あたしと彼女、どっちが可愛いの?!」
理香ちゃんも同時に振り向き、彼を指差した。「勇太先生、はっきりおっしゃいなさい!」
でも、もう一度見ると、彼はまた消えていた。ドアが少しだけ開いていて、軽く揺れている。まるで彼が蒸発したかのようだった。
心臓が、ズシンと落ちた。
(負けた。)
ゆうくんと話すチャンス、自分の気持ちを伝えるチャンスを、逃してしまった。隣の理香ちゃんは拳を握りしめ、顔は怒りで真っ赤だ。「クソッ…」と彼女が呟くのを聞いて、彼女もあたしと同じくらい打ちのめされているのだと分かった。
あたしは突っ立ったまま。チョコレートはもう渡したけれど、胸の重みは、かつてないほど大きかった。
(ゆうくん…なんでいつも、逃げちゃうの?)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教室は、あたしの壊れた心の音が反響するほど、静かだった。机の上にうつ伏せになり、冷たい木に顔を押し付けながら、世界が終わったかのようにため息をつく。向こう側では、理香ちゃんが同じ格好で椅子にぐったりと倒れ込み、その赤い髪が敗北のカーテンのように広がっていた。
外の空はもう紫色で、午後の光がゆっくりと消えていく。ゆうくんにチョコレートを渡したけど…光ちゃん。理香ちゃん。あたし。あたしたち全員がいたのに、彼はただ、あの退屈そうな顔で見ていただけ。
(どうして、ゆうくん?なんで逃げたの?)
「最悪…」あたしの呟きは、史上最長のため息だった。
理香ちゃんが小さく「フン」と鼻を鳴らした。同意しているようだったが、あたしの方を見ようとはしない。ここに、二人の打ちのめされたライバルが、戦う気力もなく座っている。その時、ドアが**ギィ…**と軋みながら開いた。
「はるちゃん?」フラヴちゃんが入ってきた。鍵束がチリンと音を立てる。「なぜまだここにいるのです?もう施錠の時間ですわ」彼女は立ち止まり、その黄色の瞳が部屋の光景を捉え、そして理香ちゃんに固定された。彼女の視線が、まるで怪物でも見たかのように、瞬時に硬くなる。「あなた。」
理香ちゃんは動かずに頭を上げ、あの甘く毒のある笑みが顔に戻った。「シルバーハンドさん。奇遇ですわね」彼女の声は穏やかだったが、あたしの胃をキリリとさせる響きがあった。
フラヴちゃんは腕を組み、その黒髪が淡い光の中で輝いた。「あなた、はるちゃんと何を企んでいるのです?」しかし、あたしは弱々しく手を上げた。ほとんど机から滑り落ちそうだ。「ううん、フラヴちゃん…あたしたちはただ…敗北を分かち合ってるだけ。ね、理香ちゃん?」
「理香ちゃん?!」フラヴちゃんが、信じられないというように繰り返した。
理香ちゃんはあたしを見て、その金色の瞳を細めたが、頷いた。「ええ、花宮さん。敗北ですわ」彼女の声はあまりに乾いていて、あたしはほとんど同情しそうになった。ほとんど。
フラヴちゃんは瞬きをし、混乱していた。「敗北ですって?」彼女はあたしを見て、それから理香ちゃんを見て、突然、彼女の瞳が輝いた。まるで点と点が繋がったかのように。「お待ちになって!」彼女は理香ちゃんを指差し、声が爆発した。「あなた、わたくしの兄を盗もうとしましたのね、この泥棒猫!選挙のことで復讐するおつもりですのね?!」
理香ちゃんはすっと背筋を伸ばし、笑みは消え、代わりに苛立った表情になった。「お願いですわ、シルバーハンドさん」彼女の声は、まるで侮辱されたお姫様のように、甘ったるい響きになった。「あなたの奇妙なお兄様になど、夢の中でも興味はございませんの」
「奇妙ですって?!」あたしは立ち上がり、血が頭に上った。「ゆうくんは奇妙じゃないわ!彼は…彼は…」声が途切れ、顔が燃えるのを感じた。
(優しくて、反抗的で、完璧…)でも、それは言わなかった。代わりに、理香ちゃんを指差した。「じゃあ、なんであのチョコレートを持ってそこにいたのよ?説明して!」
理香ちゃんはためらい、その金色の瞳が素早く瞬きをした。まるで、あたしが弱点を突いたかのようだ。「わたくし…それは、あなたの知ったことではございませんわ、花宮さん」彼女はそう言って逸らそうとしたが、フラヴちゃんが前に出て、その声はナイフのように鋭かった。
「どうしてわたくしたちの知ったことではないの?あたしたちはお友達でしょう?!お友達は、好きな男の子のことをお互いに話すものか!」
「話すですって?!」理香ちゃんは、少し怯えたように言った。
「白状なさい、椿!」フラヴちゃんが**バン!**と机を叩いた。その音が、部屋に響き渡る。「兄上に何を望んでいるのです?はっきりおっしゃい!」
理香ちゃんは立ち上がり、顔は真っ赤だったが、一歩も動く前に、**カチャリ!**という音が聞こえた。
フラヴちゃんがドアに鍵をかけたのだ。彼女は理香ちゃんに向かって歩き出す。その視線は暗く、その足取りはゆっくりで、まるで捕食者のよう。あたしでさえ、ゾッとした。「もし今日、家に帰りたいのでしたら、椿理香」彼女は、低く恐ろしい声で言った。「全部、お話ししていただきますわ」
理香ちゃんは震え、その金色の瞳は見開かれ、怯えたような笑みを浮かべていた。「わ、わたくしに触らないで!」彼女はどもり、まるで甘やかされた子供のように手を振った。「分かった、分かったわよ!話せばいいんでしょ!」彼女の声はあまりに甘ったるく、まるで別人のようだった。
あたしは瞬きをした。驚いて。
「可愛い…」あたしの口から、無意識に言葉が漏れた。
理香ちゃんの顔が紫色になり、両手が顔に飛んでいった。「可愛くなんかないわよ!」彼女は叫んだ。お姫様の声が、全力で戻ってきた。
フラヴちゃんとあたしは顔を見合わせ、それから口元を覆い、一緒に叫んだ。「「か、可愛いーっ!」」
「やめてよ!」理香ちゃんは腕をブンブンと振り回し、顔から火が出そうだ。彼女はわざとらしい咳払いをし、背筋を伸ばし、あの甘く毒のある笑みが戻ってきた。「申し上げました通り…」彼女は真剣な声で始めたが、あたしたちがまだ笑いをこらえているのを見て、ため息をつき、敗北を認めた。「あなたの兄上が欲しいわけではありませんの、シルバーハンドさん。ただ、情報が欲しいだけですわ」
フラヴちゃんは眉をひそめ、腕を組んだ。「情報ですって?わたくしたち、あちら側の一族とは連絡を取っておりませんの。ご存知でしょう」
理香ちゃんは、鋭い笑みを浮かべて首を振った。「シルバーハンドのことではございませんわ。木村との戦いのこと。そして、お台場でのあの日のこと、ですの」
心臓が止まった。
(お台場。銃弾。ゆうくんが、あたしの前に飛び出した瞬間。肩から流れる血。その目は硬く、でも優しかった。フラヴちゃんは知らない。あたしと…理香ちゃん以外は、誰も知らないはず?!)
彼女がそれ以上何かを言う前に、あたしは椅子から飛び出し、絶望して、彼女の口を両手で塞いだ。「何も言わないで!」あたしは叫んだ。顔は彼女の顔にくっつき、パニックがこみ上げてくる。
理香ちゃんは目を見開き、あたしの手をどかそうとしたが、あたしは強く押さえた。フラヴちゃんは瞬きをし、混乱していた。「お台場で何があったのです、はるちゃん?」彼女の声は好奇心に満ちていて、ほとんど危険な響きだった。
理香ちゃんはあたしを見つめ、その金色の瞳は「言うべきではないのですよね?」と問いかけていたが、その時、いたずらっぽい輝きが宿った。クソッ、彼女、あたしを陥れる気だ!
あたしは彼女の口を離したが、もう手遅れだった。理香ちゃんは制服を直し、お姫様の笑みが戻ってきた。「ええ、シルバーハンドさん、クリスマスのことですわ。あなたのお兄様が、お台場でのデートにわたくしをお誘いになったのです。彼はとても甘く、優しく、紳士的で…あの反抗的な服装は、まるで漫画のキャラクターのようでした。デートは、魔法のようでしたわ」彼女は一息置き、その瞳は悪意に輝いていた。あたしの心が、粉々に砕け散るのを感じた。
(嘘つき!あたしの気持ちで遊んでる!)
「ですが」理香ちゃんは続け、あたしを見た。「花宮さんが現れたのです。そして勇太先生は、彼女に全ての注意を向けました。わたくし、とてもイライラしましたわ。何かになれたかもしれないのに、ですのよ?」
叫びたい。泣きたい。消えたい。
(ゆうくんが、あたしをそんな風に見たことなんて一度もない!あれは、あたしを守るためだった!)
でも、言葉が出なかった。隣のフラヴちゃんが、怒りで震えている。「あなたたち二人とも!」彼女は爆発し、携帯を取り出した。「今すぐ兄上に電話して――」
「だめ!」あたしと理香ちゃんは同時に叫び、彼女の腕を掴んだ。携帯が、フラヴちゃんの驚いた手から危うく滑り落ちそうになった。「あなたたち…今は仲が良いのですか?」彼女は、目を細めて尋ねた。
「ええと…」あたしは始めた。
「夏休み明けから…」と理香ちゃんが言った。
「夏休み明けからですって?!」フラヴちゃんは、あたしを殺さんばかりの、致命的な視線で睨みつけた。あたしはただ口笛を吹いて、何も知らないフリをした…
理香ちゃんんはわざとらしい咳払いをし、お姫様の姿勢に戻った。「ただ、好奇心があっただけですの、シルバーハンドさん。彼がわたくしに近づいてきたので、理由が知りたかっただけ。花宮さんの彼氏を盗むつもりなどございませんわ」
「彼はあたしの彼氏じゃない!」あたしは言い返した。顔から火が出そうだ。理香ちゃんは目を回し、嘲笑的な笑みを浮かべた。
「あなたが馬鹿だからですわ、花宮さん。彼が最初の一歩を踏み出すわけがないのは、明らかでしょう」
あたしは口を開いたが、フラヴちゃんが頷きながら割って入った。「彼女の言う通りですわ、はるちゃん。あなたは遅すぎますの」二人は顔を見合わせ、それから、あたしを軽蔑するような目で見つめた。あたしは、穴を掘って消えてしまいたかった。
「あなたたち、今、妙に仲が良いじゃない!」あたしは二人を指差して言った。「一体、何が起こっているの?!」
フラヴちゃんは微笑み、その目に危険な輝きがあった。「わたくしも、兄上に興味があるのです」彼女は椿さんに手を差し出した。「休戦ですわ、椿理香。わたくしをお手伝いくださる気はありますの?」
理香ちゃんんはためらったが、彼女の手を握り、あの甘い笑みが戻ってきた。「ええ、シルバーハンドさん」二人は見つめ合い、ありえない同盟が、あたしの目の前で結ばれた。
あたしは安堵のため息をつき、椅子に倒れ込んだ。彼女たちは、それが休戦のせいか、あるいは理香ちゃんがゆうくんを好きではないからだと思っただろう。でも、違う。
(彼の秘密――あたしを庇って銃弾を受け、理香ちゃんを守ったヒーローの秘密――は、まだ安全だから。少なくとも…今のところは。)




