第3話「いつも通りの朝(…のはず)」
竹内勇太
新年と一月の最初の数週間は、くだらない霞のように過ぎ去っていった。
(クリスマスの事件から四週間…ランフレッドとの対決から)
答えよりも疑問の方が多い。いつものことだ。
ターゲットが椿理香だったことに疑いの余地はない。どうやら、ランフレッドはあの夜、本気で陽菜を彼女と見間違えたらしい。俺たちの推測通りだった。俺を挑発するためだけじゃなかったんだ。それでも、奴の動機は…まだ霧の中だ。
それに、椿本人も…その目的が俺を苛立たせる。なぜ、あんなに簡単にお祭りの誘いに乗ったんだ?この一件に関わっているのか?石田先生によれば、彼女は自分に対する殺害指令なんて知るはずがない。彼女への疑念は深まるばかりだ。あの女、何を隠している?
カオスにもかかわらず、学校生活は忌々しいほどの日常に戻ったように見えた。シャツの下、包帯に隠された肩の肉が抉れた穴は、誰にも気づかれなかった。生徒も、教職員も。その方がいい。
一方、椿さんは授業に積極的になった。クラスメートと話し、教師の話にも耳を傾ける。教師としては喜ぶべきだろう。だが、エージェントとしては、彼女の一つ一つの笑顔が俺の疑いを煽るだけだ。
それは、俺の頭痛の始まりに過ぎなかった。そして、最初の駒が倒れた。武田将吾…いや、酒井将真が…死体で発見された。
(チッ…口封じか。当然だな。)
全てが酒井家を指している。アレクサンダーが言っていた椿テックの買収の試み、木村が渡してきた名前、祖父の酒井甚、そして大叔父の酒井連二郎。ピースは揃っている。
だが、木村の裏社会での調査では、ランフレッドと酒井グループの具体的な繋がりは見つからなかった。奴は今やただの傭兵だ。こんな仕事は奴の流儀じゃない。なら、なぜ?
(クソッ…何もかも、しっくりこない。)
この病的な盤上に、第三のプレイヤーがいるのか?武田が死んだ今、ランフレッドと酒井家を結びつける十分な証拠はない。ゲートのナイトを神未来社の調査に送れば、政治的な大問題になる。奴らはゲートの最大の技術供給元だからな。
だから俺はこの組織が嫌いなんだ!平和だの正義だの口にするくせに、自分たちの都合のいい犯罪には目をつぶる。国際的なゲートの指導者たちが、公然たる紛争を許すはずがない。
本当の敵は酒井グループなのか?椿理香への襲撃は、椿家を脅して会社を売却させるための、ただの布石だったのか?黒幕は酒井連二郎なのか?頭の中がグチャグチャだ。
木村が騙されたのか、名前自体が俺を欺くための罠だったのかと考え始めていた。だが、答えは、俺が最も望まない形で、向こうからやって来た。数日前、非通知の電話が、俺を東京の高級レストランへと呼び出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その場所は金と偽善の匂いがした。黄色がかった照明が店内を黄金色に染め上げ、まるで全てが金で彫られているかのようだ。完璧な白いテーブルクロス、クリスタルのグラス、そしてパノラマウィンドウの向こうには、地に落ちた星屑の絨毯のように東京の夜景が広がっている。そして、彼女はそこにいた。隅のテーブルに一人。黒く、長く、滑らかな髪がシルクのカーテンのように肩に落ちる。黄色い瞳は鋭く、一瞥で魂を切り裂くかのようだ。彼女が着ている赤いドレスは、力と、純粋なエレガンスを叫んでいた。
「あら、お座りなさいな。あなたが気にしないなら、と好物を注文しておきましたわ」
(その声…まるで、絹に包まれた短刀だ。)
「それが本当に俺の好物なら驚きだな、母上」俺は、声に含まれた皮肉を隠しもせずにそう言い返した。教師の制服のまま、彼女の向かいに腰を下ろす。
彼女は優雅な仕草で口元を覆い、挑発的な笑いを押し殺した。
「何の用で俺をここに?」俺は単刀直入に尋ねた。
「酒井グループの件で、助力を申し出たのを覚えていらっしゃいますこと?」皮肉な笑みが彼女の唇に浮かび、その黄色い瞳が嵐の中の灯台のように輝いた。
(知っていたか。当然だな。)
「俺が助けを求めた記憶はないがな」
「まあ、そんなつれないことを言わないで、ジャック!」彼女は腕を組み、プイッとそっぽを向いて拗ねてみせた。その子供じみた仕草に、吐き気にも似た怒りが込み上げる。そして彼女は、テーブルの上にスッと封筒を置いた。
一瞬ためらったが、手に取る。
「何が望みだ?」答えは分かっていたが、尋ねずにはいられなかった。
「もう申し上げましたわ。あなたの弟妹たちを守り続けてちょうだい」彼女はテーブルに両肘をつき、手のひらに顔を乗せ、その皮肉な眼差しで俺を解剖するように見つめた。
「お前からその言葉を聞くと、随分と偽善的に聞こえる、と言ったはずだが」
「わたくしも、確かこう言いましたわね、可愛い息子や。あなたの子供たちが、酒井の名を汚すのは見たくない、と」
「そういうことか」俺の顔に、挑発的な笑みが浮かんだ。「お前の家族の誰かが汚いことに手を染めていて、自分の大切な評判に傷がつくのが怖い、と?」
彼女は答えなかった。ただ、目を閉じて、耳まで届くような満面の笑みを浮かべた。
(答えは、それで十分だ。)
居心地の悪さを感じながら、封筒を開けた。中には、二人の男の写真とデータ。最初の名前に、俺は息を呑んだ。
「あなたの先生のことを、覚えていらっしゃいますでしょう、ジャック?」彼女は、その笑みをさらに大きくした。
マルセル・ランフレッド。
路上で撮られた、明らかに監視下の写真。
「どうやってこれを?」
「わたくしにも、情報屋はおりますのよ」彼女は、まるで些細なことのように手を振った。ウェイターが近づき、皿を運んでくる。ワイングラスが二つと、洋食のステーキ。
「俺が和食好みだと知っているはずだが」と、俺は挑発した。
「ええ、知っておりますわ、息子や」彼女は、あの皮肉な笑みを浮かべて答えた。
(この女…!)
二枚目の写真は若い男だった。二十五歳くらいか。だぶだぶの服にフード、サングラス。いつも顔を隠している。
「こいつは?」
「詳しくは分かりませんわ。でも、インターネットで危険な連中と繋がりがあるようですの」
「ハッカーか?」
「まあ、そんなところですわね」彼女はステーキを一切れ切り分け、優雅に口へと運んだ。
(チッ…上等だ。今度はサイバーテロの狂人か。)おそらく、技術博覧会でドローンを操っていたのはこいつだろう。ゲートのシステムは、ほぼ鉄壁だ。最高の傭兵ハッカーですら侵入に失敗する。捕まれば、組織はたいていそいつらをリクルートするが。だが、この男は…一体何者だ?
「召し上がらないと、冷めてしまいますわよ」彼女が俺の思考を遮った。
「食欲がない」
「あら!お母様にそんなことをなさらないで、愛しい子!」あの芝居がかった拗ね顔が戻ってきた。「お母様が息子と静かに夕食をとれる機会なんて、そうそうないのですから!」
「随分と気にかけてくれるじゃないか。俺が一家の恥だと言い放った後だというのにな」俺は挑発的な笑みを浮かべて言い返した。
「あら?あの子が話しましたの?」あの忌々しい、皮肉な笑み…
「どうでもいい」俺は立ち上がり、その場を去ろうとした。
「ジャック…」俺は振り返った。彼女の黄色い瞳が、脅すように輝いていた。「お母様をがっかりさせないでちょうだいね?」
俺は彼女を一瞬見つめた。
「ああ」それが、俺に言える全てだった。
俺たちの関係は変わらない。彼女は子供のことなど気にかけていない。ただ、自分の地位と評判だけ。彼女に裏の目的があることは分かっているし、俺が駒として使われていることも。だが、彼女も知っている。俺の興味を引くものを提示しなければ、俺が決して彼女の言うことを聞かないということを。そして俺は、空虚な脅しはしない。
あの夜、彼女の車の中で言った言葉を思い出す。「フラヴィアンに近づいてみろ…俺が酒井家を根こそぎ潰してやる」。俺がそれを実行することを、彼女は知っている。
酒井グループが敵である可能性があっても、心の底では、母と戦争をしたくはない。だから、今のところは、ほんの、今のところは…俺たちは味方だ。
そして、このゲームでは、信頼こそが最初に犠牲になる駒なのだ。
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花宮陽菜
キッチンは温かいお味噌汁の匂いで満たされていた。母さんはカウンターでお弁当を詰めていて、プラスチックの容器がカチャカチャと音を立てる。床では、末っ子の百合子がいつものように紙くずとパン屑をそこら中に散らかしている。テーブルの向こう側では、沙希が朝の光でキラキラ光る青い髪を揺らしながら、スマホを見つめてコーヒーを飲んでいた。
(花宮家の、いつも通りの朝…のはずなのに。)
あたしはお味噌汁の椀の中で、スプーンをくるくると回した。湯気が立ち上る。でも、あたしの頭はずっと遠くにあった。
(四週間…クリスマスのあの夜から、もう四週間も経ったんだ…)
あの光景が頭から離れない。血を流すゆうくん、柔らかく静かに降る雪、薄暗い路地裏。肩に怪我を負っていても、彼はあたしを見て、笑った。いつも、まるで世界が退屈で仕方ないみたいな、死んだ魚のような目をしている彼が。
あの笑顔に不意を突かれた。まるで、パンチを食らったみたい。**ズンッ!**って、胸のど真ん中に。彼は死にかけた。あたしのせいで。
もちろん、安藤先生の腕の中で子供みたいに泣いていたあの夜ほど、もう動揺はしていなかった。冬休みは終わり、開盟高校の授業もとっくに再開して、すべてが日常に戻ったように見えた。ゆうくんも。相変わらずの退屈そうな顔で授業をして、何事もなかったかのように。
でも、あたしには分かっていた。あの顔は仮面だ。彼は何かを隠している。
(何があなたを苦しめているの、ゆうくん?)
胸がキュッと締め付けられた。彼の元へ駆け寄って、叫んで、もう危ないことに首を突っ込むのはやめてって、そう懇願したい衝動に駆られた。でも、怖かった。武器と血と秘密に満ちた、彼の世界に足を踏み入れるのが。でも、それ以上に、彼を失うのが怖かった。彼だけじゃない。フラヴちゃんも、アレクサンダーくんも…誰も傷ついてほしくない。
(でも、あたしに何ができるの?ただの高校生なのに…)
「春姉、また呆けた顔してるわよ」
沙希の甘い声。でも、からかうような響きは隠せていない。あたしはハッとして顔を上げ、もう少しでお椀をひっくり返すところだった。
「な、何でもないってば!」あたしはどもり、頬がカァーッと熱くなるのを感じた。沙希はニヤリと笑い、その瞳がキラキラと輝いた。
「勇太さんのこと、考えてたんでしょ?」彼女は、あたしをイライラさせるのが分かっている、あの無邪気な声で言った。
「沙希!」あたしの声が響いた。パン屑を散らかしていた百合子が、あたしを見てクスクス笑う。
「お姉ちゃん、恋してる!」百合子は叫んで、丸めた紙を投げてきた。「お兄ちゃんのせいで、お姉ちゃん、いっつも真っ赤になるんだもん!」
「百合子、静かにして!」あたしは慌てて手を振った。すると、母さんがカウンターから振り返る。手にはご飯を盛ったしゃもじ、そして顔には笑顔。
「陽菜、あの子、あなたの彼氏なんでしょう?今度、お家に連れてきたらどうかしら?」母さんは落ち着いた声で言った。「お祭りの時に沙希の面倒を見てくれたお礼も、あの子がくれたプレゼントのお礼も言いたいし」
あたしは凍りついた。顔が、髪のメッシュと同じくらい真っ赤に燃え上がる。
(心臓が止まった。ガーン!)
「か、母さん、彼は…あたしの彼氏じゃないってば!」あたしは叫び、もう少しで通学カバンを床に落とすところだった。
母さんはパチクリと瞬きしたが、その顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんだ。「あら、どうして?とても優しそうな子じゃない」
「だって、あの日、他の女の子とデートしてたじゃない」沙希が言った。その声は純粋だけど、妹特有の悪意がこもっていた。「お祭りの時よ、知ってる?春姉にすっごく似てる子と」
心臓がまた止まった。でも、今度のはもっとひどい。
(デート?!デートって?!ゆうくんと理香ちゃんが…頭が、真っ白になった!)
体がガラガラと崩れて、塵になりそうだった。
「デ、デートじゃない!ただの…クラスメイト!」あたしは何とか叫んだけど、声は裏返って、ほとんど悲鳴だった。
沙希は首を傾げ、世界で一番甘くて毒のある笑みを浮かべた。「本当に、春姉?すごく、くっついてたけど」
(くっついてた?!頭から煙が出た、マジで!ドッカーン!)
「デートじゃないってば!」あたしは椅子から飛び上がって叫んだ。「たぶん…知らない!もういい!」あたしはカバンを掴み、心臓は暴走したみたいにうるさかった。「学校、行ってきます!」
「陽菜、お弁当!」母さんが呼んだ。
「後で取りに来る!」あたしはそう答え、ドアにほとんどつまずきながら家を飛び出した。沙希の笑い声と、百合子が「お姉ちゃん、恋してる!」と叫びながらまた紙を投げてくるのが聞こえた。
「もーっ、沙希!百合子!」あたしは呟きながら走った。頬がまだ燃えるように熱い。
一月の冷たい風が顔に当たったけど、恥ずかしさは消えなかった。デート?ゆうくんが理香ちゃんと?
ううん…ありえない。でも、疑いの種は、重い錨のように心に引っかかった。確かにお祭りの時、彼は彼女と一緒にいた。でも、それは仕事でしょ?彼は…彼はいったい、何者なの?あーもうっ、陽菜、やめて!
あたしは歩道の真ん中で立ち止まった。カバンが肩に重い。ゆうくんのこと、彼が隠している傷跡、怪我を負ってもあの男を追いかけていったこと…それを思い出した。彼は、あの死んだ魚みたいな顔の裏で、危険なことに身を投じている。あたしは、それをただ見ているなんてできない。彼に傷ついてほしくない。死んでほしくない。
カバンのストラップを強く握りしめる。
(あたしが、ゆうくんを守る方法を見つける。何があったって、絶対に…。たとえ怖くても、彼の世界が分からなくても…彼が傷つくのだけは、絶対にさせない。何があっても!)
それが、あたしの新しいミッションになった。




