第8話「鮮血に染まる雪」
花宮陽菜
生徒会室は、いつものようにカオスだった。机の上には書類がパラパラと散らばり、半分空のペットボトルがテーブルの端から落ちそうで、隅の扇風機がブーンと唸っている。それが、あたしたちの午後の日常だった。秋の日差しが窓から差し込む中、あたしたちは椅子にぐったりと凭れ掛かって、どうでもいいことを話していた。
文化祭の記憶はまだ新しく、フラヴちゃんは当然のようにからかいのネタにしていた。
「まあ、一ーA組のメイド喫茶のことですけれど、スカートが馬鹿みたいに長くて、半分の子が自分の足に躓いていましたわ!」彼女はクスクスと笑い、完璧にウェーブのかかった黒髪をさらりと後ろに流す。その黄色の瞳が、意地悪くキラリと光った。
宮崎くんは、いつも通り真面目な顔で眼鏡をクイッと押し上げ、話題を変えようとする。「俺としては、二ーB組の射的の屋台はとてもよく組織されていたと思います。彼らの収益は素晴らしかったです」と、彼はまるで官僚の王様のように、手元のファイルをカチッと整えた。
星野さんは、静かに隅の席でレポートをめくっていた。「三ーC組の演劇は、特殊効果をやりすぎていましたわね。もう少しで舞台を燃やすところだったかしら」と、紫色の瞳を書類から離さずに呟いた。
アレクサンダーくんは、壁に寄りかかって「ふん」と素っ気なく一言。典型的な彼だ。この男、真面目すぎて時々ロボットみたいに見える。ゆうくんの、あの集中しててミステリアスな感じの真面目さとは違う。アレクサンダーくんは…なんていうか、全てを真面目に受け止めすぎるタイプ。笑わないし、冗談も言わない。ただ、観察してるだけ。
あたしがクラスの収益に関する書類を見直していると、宮崎くんがコホンと咳払いをして、みんなの注目を集めた。「フラヴィアン先輩…」と彼が口火を切ったが、その声が少し震えていた。
え?
顔を上げると、彼はそこにいた。完全に顔を真っ赤にして、緊張しながら眼鏡の位置を直している。「あの…12月24日に、お台場でクリスマス祭りがあるんですけど…屋台とか、イルミネーションとか…俺と…一緒に行きませんか?」
シーン…と、完璧な沈黙。あたしの持っていたペンがカタンと音を立てて落ちた。星野さんが書類をめくる手をピタッと止める。アレクサンダーくんですら、片眉を上げた。彼にとってそれは、驚きの叫びに等しい。
(宮崎くん、勇者かよ!)
フラヴちゃんはパチクリと瞬きし、最初は戸惑っていたが、すぐに太陽のような笑顔を咲かせた。「クリスマス祭り?素敵ですわね!みんなで行きましょうよ、ね?はるちゃん、アレックス、みちゃん、盛り上がりましょう!」
宮崎くんの心がパリンと割れる音が聞こえた気がした。可哀想に、彼はデートに誘ったのに、フラヴちゃんは持ち前の鈍感さで、それをグループでのお出かけに変えてしまった!彼はそこに突っ立ったまま、ピーマンみたいに真っ赤になって、眼鏡が曇りそうだ。
「も、もちろん…みんなで…最高ですね」と、彼は完全に打ちのめされて、どもりながら言った。
あたしはもう我慢できなかった。隣にいる金髪の不機嫌男にヒソヒソと囁いた。「アレクサンダーくん、宮崎くんを助けてあげないの?彼、ここでライオンの檻に放り込まれてるようなもんじゃない!」と肘で突くと、彼はあたしを鬱陶しい虫でも見るような目で一瞥した。
「僕には関係ない」と、彼は冷たく言い放った。「僕らは同僚であって、友達じゃない」
はぁ?!
「同僚ってどういうことよ?!」あたしは爆発して、腕をブンブンと振り回した。「生徒会で一緒なんでしょ、それじゃダメなの?!」
アレクサンダーくんは腕を組み、その青い瞳がさらに冷たくなった。「僕は馴れ合いが好きじゃないんです、花宮先輩。一人でいるのが好きなんですよ。昆虫観察とか、川で魚を見たり、ハイキングをしたり。こういうのは必要ない」彼は、まるで私たちがごちゃごちゃした騒音源だとでも言うように、あたしたちを指差した。
眉をひそめる。「あなた、考えすぎだって、アレックスくん!もっとアクティブにならないと!ほら、直美ちゃんみたいに!彼女だっておとなしいけど—」
その瞬間、静かだった星野さんがピクッと、ほとんど分からないくらい小さく震えた。マジで、まるで猫の耳が「直美ちゃん」という名前にピクンと反応したみたいだった。
*えぇ?!*あたしは彼女を疑いの目で見た。彼女はすぐに書類に集中し直したが、顔が少し赤くなっている。まさか…
もちろん、フラヴちゃんがこのチャンスを逃すはずがない。「招待と言えば…」と彼女は言い、あたしの隣に身を寄せて耳元で囁いた。「兄上のことをお祭りに誘いたいのでしょう、はるちゃん?絶好の機会ですわよ」。
きゃあああ!
顔がカァーッと熱くなった。「ち、違うってば!」と、あたしはバタバタと手を振って否定した。でも、頭の中では、文化祭の夜の焚き火のそばで、カオ姉ちゃんが「急がないと、ゆうくんにはライバルがたくさんいるんだから」と言っていたのを思い出していた。負けないんだから、ゆうくん!
フラヴちゃんはクスクスと笑い、さらに火に油を注ぐ。「あなたの顔に書いてありますわ、彼が来てほしいって!認めなさい!」
「わ、分かったってば!」とあたしは立ち上がり、必死に話題を変えようとした。「直美ちゃんを誘いたいんだけど、どうかな?彼女、写真撮るの好きだし、お祭りも好きだと思う!」
またピクッと震える。星野さんが一瞬だけ目を上げたけど、すぐにまた書類に視線を戻した。
(確定!あたしの乙女レーダーがビンビンに反応してる!星野さん、誰かに気がある。そして、どうやらそれはアレクサンダーくんみたい!すごい、陽菜、あんたって恋の探偵ね!)
宮崎くんは、会話の主導権を取り戻そうと、コホンと咳払いをした。「祭りは24日の夜8時に始まって、25日の深夜2時頃まで続きます。問題が起きないように、ちゃんと計画した方がいいですね」
フラヴちゃんは、自分が何を言っているのか正確に理解している、あのいたずらっぽい笑顔で、最後の爆弾を投下した。「好きな人とクリスマスイブを過ごすなんて。これ以上ロマンチックなことはありませんわね!」
宮崎くんは真っ赤になって、椅子から転げ落ちそうになった。アレクサンダーくん?完全無表情、氷の彫像だ。でも、あたしは見た。星野さんが、アレクサンダーくんにチラリと視線を送り、紫色の瞳が揺れるのを。彼女がレポートの後ろに隠れる前に。彼女、彼のこと好きなんだ!
胸がキュッとなった。あたし、直美ちゃんとアレクサンダーくんの組み合わせ、結構いいと思ってた。二人とも似てるし、自分の世界を持ってて、彼女は写真、彼は昆虫。でも…星野さんは?彼女の前で直美ちゃんをアレクサンダーくんに押し付けるなんて、残酷すぎる。
あたしは後退しようとした。「やっぱ、直美ちゃんは誘わないかも…」
「そんなことはありませんわ!」フラヴちゃんは**バン!**とテーブルを叩いた。その瞳は純粋な決意で燃えている。「みんな誘うのです!直美ちゃんも、兄上も、そしてあなたのお姉さんたちもです、はるちゃん!」
「沙希と百合子まで?!」あたしは叫んだ。妹たちが引き起こすであろうカオスを想像して。沙希は中学二年生の生意気盛りで、百合子は天使の皮を被った小さな悪魔だ!
突然、星野さんが今まで見せたことのないほど生き生きとした様子で立ち上がった。「百合子ちゃんも来るのですか?また彼女に会えるなんて、とても楽しみですわ!」彼女の瞳が、百合子がポップアイドルでもあるかのようにキラキラと輝いた。
はぁ…フラヴちゃんの決意には逆らえない。あたしはドサッと椅子に倒れ込んだ。クリスマス祭りは巨大なイベントになりそうで、あたしはただ、ゆうくんと二人きりになるチャンスが欲しかっただけなのに…
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お台場はクリスマスの夢みたいにキラキラ輝いていた。あたしは埠頭の端に立っていて、真っ暗な海が街の灯りを反射し、十二月の冷たい風がビュービューとあたしのマフラーを揺らした。時刻は夜九時過ぎ、クリスマスイブ。もう、どこかに消えてしまいたかった。
妹の沙希――短い青髪に緑色の瞳――が、末っ子の百合子を追いかけていた。百合子の赤い髪はツインテールに結ばれ、その緑の瞳はいたずらっぽく輝いている。
「百合子、飛び跳ねるのやめなさい!」沙希はいつものように偉そうに叫ぶ。百合子はケラケラ笑いながら、変な顔をした。あたしは二人の真ん中で、制服姿のまま、退屈そうな顔で考えていた。失敗だ。この二人を連れてきたのは、大失敗だ。
あたしの計画は、クリスマス祭りで輝いて、ゆうくんを落として、一年で一番ロマンチックな夜に告白することだった。でも、この小悪魔たちがいたら?もうゲームオーバーだよ、陽菜。
「お姉ちゃん!」百合子が叫んで、あたしの袖をクイッと引っ張った。「見て、百合子、カモメさん見つけた!」
「ただの太った鳩でしょ」沙希が腕を組んで、フンと鼻を鳴らした。
あたしが爆発する寸前、聞き覚えのある声がカオスを切り裂いた。「リコちゃん!沙希ちゃん!」直美ちゃんだ。サーモンピンクの髪をなびかせ、オレンジ色の瞳を輝かせながら、まるで天使みたいに現れた。彼女は身をかがめて、百合子を抱きしめて甘やかし、沙希の髪をわしゃわしゃと撫でた。沙希は嫌そうなフリをしながらも、口元は笑っていた。「お祭り、準備オッケー?」
「直美姉!」百合子はピョンと跳ねて、彼女に抱きついた。沙希は「うん」とだけ言って、でも、明らかに助っ人が来て安心した様子であとについていく。
「もう行っていい?」あたしは、すっかり疲れ果てて尋ねた。
「もちろん!」直美ちゃんは、からかうようにニヤッと笑った。「でも気をつけてね、はるちゃん。あそこ、ラブラブカップルだらけだよ、マジで」
「やめてよ!」あたしは顔を赤らめながら言い返した。アレクサンダーくんのことでからかってやろうかと思ったけど…*星野さん。*生徒会室で揺れていた彼女の紫色の瞳を思い出して、口をつぐんだ。だめ、陽菜、集中。
直美ちゃんは、あたしの躊躇にキョトンとしていたけど、それ以上は何も言わなかった。
数ブロック歩いて、お祭り会場に着いた。広場はまるでおとぎ話の世界だった。木々に吊るされたクリスマスのイルミネーション、ホットチョコレートと焼き栗の匂い、そして中央には巨大なクリスマスツリーがピカピカと輝いている。人々の笑い声、手をつないだカップル、光る杖を持って走り回る子供たち。告白には完璧なシチュエーション!…ゆうくんを見つけられれば、だけど。
「宮崎くん!」焼き鳥の屋台の近くに、真面目な顔で立っている白い髪の眼鏡の彼を見つけて、声をかけた。彼は振り返り、控えめに会釈した。
「こんにちは、花宮先輩、高橋先輩」彼は百合子を見て微笑んだ。「君が百合子ちゃんだね?」
百合子は満面の笑みを浮かべた。「お兄ちゃん、優しいね!」宮崎くんは真っ赤になって、どうしていいか分からない様子だ。沙希は、全く興味なさそうにスマホをいじっている。
そこへ、残りのカオスが押し寄せてきた。「百合子ちゃーん!」フラヴちゃんの声が響き、彼女は黒髪をなびかせ、黄色の瞳をギラギラさせながら走ってきた。その後ろには星野さん。彼女の暗い栗色の髪と、興奮に輝く紫色の瞳。
二人は百合子をほとんど誘拐するように、まるで珍しいぬいぐるみみたいに甘やかし始めた。「なんて可愛らしいんでしょう、ですわ!」フラヴちゃんが叫び、星野さんは彼女をくすぐる。魁斗くんは、ピンクの綿菓子みたいな髪と、エネルギーに満ちた青い瞳で、隣で笑っていた。
「魁斗くん、この二人をどうにかして!」とあたしは冗談を言った。
「この前、俺のことからかったんだから、今日は自分でなんとかしなよ、花宮さん!」彼はぷくーっと頬を膨らませて、芝居がかった仕草で言い返した。
アレクサンダーくんは、金髪と青い瞳で、いつものように真面目な顔で隣に立っていたけど、魁斗くんとゲームの話をしていた。あの勉強会の日から、二人はすっかり仲良くなったみたい。
沙希とアレクサンダーくんが、少し離れた場所から「早く家に帰りたい」という顔でこの騒ぎを見ているのに気づいた。直美ちゃんが笑う。「フラヴちゃん、あたしたちの弟妹、そっくりだね。いつも不機嫌な顔して」
「本当!」魁斗くんが同意した。「沙希さんとアレックスは、まるで…感情のないロボットみたいだ」
「大げさだよ」アレクサンダーくんは呟いたけど、否定はしなかった。
あたしたちはお祭りの中を歩いた。空気は笑い声と食べ物の匂いで満ちている。直美ちゃんはパシャパシャと写真を撮り続け、光る杖を持った百合子や、巨大な餅を食べるフラヴちゃん、そしてフラヴちゃんの近くに行こうとして見事に失敗する宮崎くんを撮っていた。彼が彼女にホットチョコレートを差し出すと、彼女は「見てくださいまし、みちゃん!巨大なサンタさんがいますわ!」と叫んで反対方向へ走ってしまい、彼は二つのカップを持ったまま、敗北の顔で立ち尽くしていた。可哀想に。
アレクサンダーくんと魁斗くんは、昆虫について熱く語っていた。マジで、*昆虫?!*その間、星野さんは百合子を肩車して、二人は姉妹みたいに笑い合っていた。フラヴちゃんも時々加わったけど、百合子の公式ベビーシッターは星野さんだった。あたしは沙希のそばにいた。彼女は文句を言いながらも、キラキラした飾りのあるショーウィンドウを眺めて、彼女なりに楽しんでいた。素直じゃないんだから、沙希ってば。
夜11時近く、フラヴちゃんがあたしを隅に引っ張った。「はるちゃん、まだ兄上のことを聞かないのですか?気にしていないフリを?」
あたしはぷいっとそっぽを向いて、腕を組んだ。「気にしてないし」
「ツンデレ」沙希が、スマホから目を離さずに呟いた。
「やめてってば!」あたしは真っ赤になって叫んだ。でも…彼女が話題にしちゃった。「分かったわよ、フラヴちゃん。ゆうくんはどこ?」
彼女は躊躇い、笑顔が消えた。「誘ったのですけれど…忙しいと。ごめんなさい、はるちゃん。あなたをがっかりさせたくなくて、今まで言えなかったの。来てくれなくなるかと思って」
胸がズキッとしたけど、無理に笑った。「そんなことで来なくなるわけないじゃない!」
「ツンデレ」沙希は繰り返し、あたしは本気で彼女をたこ焼き屋台に投げ込みたくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜はあっという間に過ぎた。屋台、笑い声、イルミネーション。もうすぐ真夜中で、みんなクリスマスのカウントダウンにそわそわしていた。でも…沙希はどこ?「あたしの妹、見なかった?!」パニックになりながら尋ねた。
アレクサンダーくんが指を差した。「あっちの店の方へ。楽器店を見ていましたよ」
*そうだった!*沙希の音楽への執着。「すぐ戻る!百合子、いい子にしてて!」とあたしは命令した。
「了解!」百合子は両手で敬礼し、フラヴちゃんと星野さん、直美ちゃんは声を揃えて叫んだ。「「「可愛いー!」」」
あたしは店に向かって走った。心臓がドキドキうるさい。キラキラしたショーウィンドウを通り過ぎたけど、沙希はいない。でも、楽器店の窓から青い影が見えた。中に入ると、外の寒さとは対照的に空気が暖かい。そして、彼女はそこにいた。短い青髪、輝く緑の瞳。楽しそうに話している相手は…例の男。伝説の人。ゆうくん。黒髪を低い位置でポニーテールにし、疲れたような金色の瞳、そして教師の制服の上に羽織ったダークなコート。
「陽菜?!」彼は、心底驚いて叫んだ。「ここで何してるんだ?」
「あたしが聞きたいわよ!」あたしは彼を指差して言い返した。「忙しいんじゃなかったの?!」
「僕は仕事中だよ」彼は真面目な顔で言った。「仕事で来てるんだ」
「何の仕事よ?!」あたしの声は、疑いで1オクターブ上がった。彼がいつも言う「複雑なんだよ」っていうのが大嫌い!
「複雑なんだ」彼は、顔色一つ変えずに言った。
*あーもう!*あたしは彼の前にズンと進み出て、怒った顔で、目を細めて彼を睨んだ。「いつもそればっかりじゃない、ゆうくん!」
彼は瞬きもしなかった。「君に説明する義務はないよ、花宮さん」
あたしが爆発する寸前、沙希が割って入った。「うわ、痴話喧嘩だ」彼女は、手で口元を隠して、からかうように笑っていた。
「痴話喧嘩じゃない!」あたしたち二人は、同時に彼女に向かって叫んだ。
「ツンデレ」彼女は、クスクスと笑いながら呟いた。
頭がクラクラした。*だめ、陽菜、今しかない!*あたしは人差し指同士をもじもじと合わせた。「ゆうくん、もしよかったら、あたしたち…」
「あら?花宮さん?」優しい声が、あたしの言葉を遮った。あたしは振り向いた。理香ちゃん。長い赤い髪、金色の瞳、白いコートがすごく上品。カオ姉ちゃんの言葉が、スローモーションで頭に響く。ラ・イ・バ・ル!!!
心臓が止まりそうだった。ゆうくんと彼女、彼女とゆうくんを、一秒間に千回くらい交互に見た。沙希は、ただ景色の一部みたいにそこに立っていた。
「お待たせして申し訳ありません、勇太さん」理香ちゃんは微笑みながら言った。
勇太さん?!彼、竹内って呼ばれるの嫌いだけど、勇太は…理香ちゃん、すごくフォーマル…二人はどういう関係なの?
「あなたたち…ここで何してるの?」あたしはどもらないように必死だった。
「椿さんに付き添ってるんだ」ゆうくんは、平然と言った。彼女は、それが当然だというように頷いた。
「用事はもう済んだ?」理香ちゃんは、さりげなく尋ねた。
胸がギュッとなる。でも、ゆうくんはカウンターの後ろの店員に顔を向けた。「準備はできましたか?」
「はい、お客様!」店員は、カウンターにピカピカの黒いギターを置いた。
沙希は前に飛び出し、真っ赤になって、ブンブンと手を振った。「だめです、勇太さん!受け取れません!」
*はぁ?!*あたしはパチクリと瞬きし、完全に状況を見失っていた。ゆうくんはため息をついた。
「これが僕にできる、せめてものことなんだ、沙希さん。君のお姉さんには、何度も救われたから…どうやってお返しをすればいいか、分からないんだ」
数週間前の記憶が蘇る。あたしが沙希と出かけた時、彼女がこのギターをうっとりと眺めていたこと。生徒会室で、フラヴちゃんに「お金がなくて買ってあげられない」と愚痴をこぼしたこと。ゆうくんはそこにいて、静かに全部聞いていた。彼が…彼女のために買ってくれた?!
心がじーんと温かくなった。「沙希、受け取りなさい」あたしは、しっかりとした声で言った。「プレゼントを断るのは失礼よ」
「でも、春姉…」彼女はどもった。
「受け取るの!」あたしは腕を組んだ。沙希の肩を掴んで隣に立たせ、彼女の頭をぐいっと下げさせながら、あたし自身も深くお辞儀をした。「本当に、ありがとうございます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
四人で店を出た。理香ちゃんはギターを褒め、沙希ととても優しく話していた。その様子に、あたしは不意を突かれた。*理香ちゃんが…こんなに優しく、妹と話しているなんて、想像もつかなかった。*討論会での彼女は、冷たくて計算高い悪役みたいだったのに。
ゆうくんが笑った。「人には、色々な面があるものだよ、花宮さん」
あたしは眉をひそめた。小さな嫉妬がチクチクと心を刺す。「彼女のこと、よく知ってるみたいじゃない。キモい」
彼は赤くなってイラっとしたけど、挑発には乗らなかった。「彼女も僕の生徒だ、花宮さん。僕は自分の生徒たちのことを、よく知っている」
*生徒たちのことをよく知ってる。*その言葉に、不安がこみ上げてきた。理香ちゃんと沙希が、ギターについて笑いながら話しているのを前方に見て、あたしは震える声で尋ねた。「じゃあ、なんで彼女と一緒にここにいるの?」街がスローモーションになり、光が滲んで見えた。雪の結晶が、ゆっくりと、街灯の下で輝きながら舞い始めた。
ゆうくんは躊躇い、その黄色の瞳があたしを捉えた。「言えない」
あたしは目を見開いた。地面が消えていくような感覚。雪はどんどん強くなり、冷たい空気が肌を刺す。あたしは顔を上げて、彼を睨んだ。「ゆうくん、あなた…」
「それに関しては」彼はあたしを遮り、その声は低かった。「僕には、他の女性は目に入らない」
心臓が暴れ出した。*え?!*彼は続けようとした、何かを言おうとしていた、たぶん「君しか見えない」って!でも、彼は止まり、躊躇い、その顔は緊張していた。*言ってよ、ゆうくん!言って!*あたしは、彼が二人の後を追って歩き始めた時、彼の腕を掴んだ。「ゆうくん、あたし!あたしは…」
「久しぶりだな…」冷たい声が、刃のように空気を切り裂いた。
ゆうくんがカチンと凍りついた。彼の目は見開かれた。でも、それは驚きじゃなかった。もっと悪い何か――地獄から悪魔が這い出てきたかのような、そんな表情。彼はサッと振り返った。あまりに速くて、あたしはほとんど倒れそうになった。そして、あたしは見た。一つの笑顔を。それはゆうくんの優しい笑顔でも、先生の疲れた笑顔でもなかった。それは、木村と戦った時に見せた、暴力的で、怒りと生命力に満ちた笑みだった。彼の瞳は、暖かさではなく、死を約束するような激情で輝いていた。心臓が止まった。ゆうくんをこんな風にさせるこの男は、一体誰?
「シルバー…」その声は続き、店の間の影から聞こえてきた。顔は見えない。ただ、背が高く、痩せたシルエット、そして雪のように冷たい声だけ。
彼が振り返ったあの時、あたしが言いたかったことが、こんなにも無意味なものになるなんて、想像もしていなかった。彼にこんな感情を抱き始めてからずっと。
いつも、おとぎ話みたいになるんだって想像してた。何か美しくて、綺麗で、幻想的なものだって。彼があたしの命を何度も救ってくれたヒーローで、あたしが愛する人だってことは知っていた。彼が抱える人生が、トラウマと自己嫌悪に満ちていることも知っていた。
怯えながら、勇太を見て、あたしは初めて本当の彼を見た。先生でもなく、あたしを救ってくれたヒーローでもない。ジャック・シルバーハンド。一人のエージェント。一人のクルセイダー。一人のレッド・ファントム。彼の過去の重みが、雪崩のようにあたしにのしかかる。彼が痛みと怒りを抱えていることは知っていた。でも、これは…信じたくなかった。その瞬間、クリスマスの夜、雪の下で、あたしは気づいた。あたしが夢見ていた勇太とのおとぎ話は、存在しなかった。彼の人生は戦場だった。そしてあたしは、その深淵の深さも知らずに、そのど真ん中に立っていた。
でも、それはあたしが理解できなかった何か、信じたくなかった何か。その瞬間。その夜。あたしは気づいたのだ。勇太の人生が、どれほど血に染まっているのかを。
彼は一歩前に出た。その笑みは広がり、拳は固く握られている。その声は、夜に響く唸り声だった。
「ランフレッド…」




