第3話「戦いと静けさ」
竹内勇太
生徒たちの楽しげな会話が待合室に響くが、俺にとっては遠い騒音でしかなかった。椅子に深くもたれ、ただ天井を見つめる。手には、やけに重く感じる訓練用の銃。俺の頭はまだ、ゲームの最後の瞬間に囚われていた。
敗北、か。苦い味だった。
フッとため息が漏れる。もちろん、本物の戦闘じゃない。だが、プライドが少し傷ついた。友美に負けたからじゃない――あいつが優秀な戦闘員だということは昔から知っている。そうじゃなくて、一瞬、集中を切らしたからだ。あいつの単純な挑発に、まんまと引っかかった。
「ププッ…勇太先生、不機嫌な顔してますね!」
不意に声をかけられ、横を向く。高橋さんがソーダを飲みながら、からかうように笑っていた。サーモンピンクの髪が揺れている。
「先生が何かで負けるの、あちし初めて見たかも!」
「…ただのゲームだよ」
俺はそう呟くと、バンッと音を立てて銃をテーブルに放り投げた。
「おっと、随分と必死だな。」
斎藤が、自販機で買った缶コーヒーを手に近づいてきた。
「それにしても、友美さん相手じゃ地獄だったろ。試合の途中、あいつがやったこと見たか?今でも脇腹が痛むぜ!」斎藤はそう言って、撃たれたであろう脇腹をさすった。
フラヴィアンの近くのソファに座っていたミツキちゃんが、存在しない眼鏡をクイッと押し上げる仕草をして、腕を組んだ。
「いえ、お二人を見ていて素晴らしかったですわ。アクション映画のワンシーンのようでした。花宮先輩も、うっとりしていらしたかしら」
彼女はそう言って、楽しそうに赤い髪の少女に視線を送る。花宮はすぐに顔を真っ赤にした。
「そ、そんなことないってば!」
否定しようとしているが、その目には確かな興奮の輝きがあった。(ったく、この女の頭の中はどうなってるんだ?)
「おい、俺は?!」
田中くんが、心外だという顔で自分を指差した。「俺の英雄的な犠牲について誰も語ってくれねぇのかよ!」
「英雄的な犠牲?あんた、ただ馬鹿みたいに突っ込んでって、額を撃ち抜かれただけでしょ」
高橋さんは、そう言って呆れたように目をそらした。
アレクサンダーが片肘をつき、フッと笑う。「少し予測可能でしたね、魁斗先輩。次はあまり身を晒さないようにしてみては。」十五歳の少年とは思えない、やけに分析的な口調だ。
「ああ、そうかい。ずっと隠れてた奴に言われたかねぇよ」と田中くんが言い返す。
それまで黙っていたフラヴィアンが、優雅に脚を組みながらため息をついた。
「少なくとも、何かの役には立ちましたわね。兄上が戦場では怪物で、田中が役立たずだということを学んだのですわ、です」
彼女は、一片の情けもなくそう言い切った。
田中くんは何かをぶつぶつと呟きながら、ふてくされたように腕を組んだ。
その時、待合室のドアが開き、友美が勝ち誇ったような笑みを浮かべて入ってきた。
「私の勝ちですね、先輩。どんな銃弾よりも、そっちの方が痛いんじゃないですか?」
明らかにこの状況を楽しんでいる。俺は目をそらし、吐き捨てるように言った。「せいぜい、その小さな勝利を楽しみなよ」
「ふふ、期待通りの反応です」と彼女は笑った。
友美が隣に座り、俺は他のメンバーが次の試合の準備をしているのを眺めた。特に田中くんは、雪辱を晴らそうと必死だ。
「もう一戦やらないんですか?」友美が、脚を組みながら尋ねてきた。
肩をすくめる。「いや。今日はもう十分だ」
「あら、お疲れですか?」彼女はからかうように、片方の口角を上げた。
「そういうわけじゃない。でも、僕が証明したいことはできた」
「証明?負けたのに?」
「僕が負けてやったんだ」俺はそう言って頭を後ろに倒し、目を閉じた。「本気を出したら、君が泣くことになる」
「ぷっ…馬鹿ですね」彼女はまた笑い、心地よい沈黙が流れた。
友美の視線がアリーナを彷徨う。だが、その目は何も見ていないようだった。その表情には見覚えがあった。鏡の中で、何度も見たことがある。
「本気で僕と戦いたかったんだな?」俺が静寂を破った。
彼女はため息をつき、膝に肘を置いた。「ええ。先輩がどんなに『普通』のフリをしても、ワイト・ガントレットはまだ存在するのか、この目で確かめたかったんです」
チッ…その名前か。俺の表情が硬くなる。「それで、どうだった?」
彼女が、ちらりと俺を見る。「ええ。まだ、そこにいます。先輩がいないフリをしていても」
「もうあの男にはなれない。君も分かってるだろ」
「ええ。でも、簡単に消えないものもあるんですよ、勇太」
仲間たちが帰る準備を始めている。斎藤と恵が先に挨拶をして出て行った。生徒たちはまだ興奮冷めやらぬ様子で、一緒に食事に行くようだ。残されたのは、俺と友美だけだった。どっと疲れが押し寄せる。
二年間。俺がホワイト・ガントレットでなくなってから、二年が経った。ゲート史上最年少のクルセイダー、ジャック・シルバーハンドでなくなってから。だが、本当にそうか?あのゲームでの本能的な動き、思考より先に反応した体…あれはまだ、俺の中に巣食っている。
今の俺は、一体何者なんだ?
「勇太先輩」
顔を上げると、友美が隣で小さく微笑んでいた。
「飲みに行きません?」
片眉を上げる。「君が酒好きとは知らなかったな」
「あまり飲めませんけど」彼女は肩をすくめた。「竹内さんから、先輩がお酒に弱いって聞いて。酔った姿が見てみたくなったんです」
ったく…俺は呆れて目をそらした。「勝手にすればいい」
彼女は楽しそうに笑って立ち上がった。「じゃあ、行きましょうか」
断る理由もなかった。俺も立ち上がる。「分かった。でも、変なことはしないでくれ」
彼女はウインクした。「しませんよ。たぶん」
そうして俺たちは、渋谷の夜の喧騒へと歩き出した。
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花宮陽菜
ゲームの後、カラオケ、ボーリングとはしゃぎ回って、今はファミレスで一休み。冷たいミルクシェイクのストローをいじりながら、あたしたちの女子会はまだまだ続いていた。
フラヴちゃんはいつものように、得意げな笑みを浮かべている。その隣で、直美ちゃんがテーブルに肘をつき、意地悪そうに笑った。
「それで、フラヴちゃん、宮崎くんとはどうなの?」
「さあ、どうでしょう、です。」
星野さんは呆れたように目をそらし、バニラシェイクを一口飲んだ。「そのお答え、あまりに中身がなくて眠くなってしまいましたわ、かしら。」
「話すようなことは何もない、ということですわ、です。」
「ふーん…」と直美ちゃんは歌うように言うと、ターゲットを変えた。「じゃあ、アレクサンダーくんのことはどうかしら?」
星野さんのストローがピタッと止まった。
「彼がどうかしましたの?」、彼女の声は普段より少しだけ高かったが、すぐに平静を装った。
直美ちゃんとあたしはニヤリと視線を交わす。「別にぃ…」とあたしが言いかけると、フラヴちゃんが話を遮り、直美ちゃんの方を向いた。
「あなたの方こそ、直美ちゃん。弟とどういう関係ですの?」、彼女はストローをくるくる回した。「部活の時間、いつも一緒にいるではありませんか、です。」
星野さんが眉をひそめて会話に割って入る。「ええ、そうですわ。アレックスくん、視聴覚技術部であなたたちのことをよく話していますもの。」
「「ふぅーん…」」、あたしとフラヴちゃんは声を揃えた。
「あちし、あんたたちが何を言いたいのか、全然わかんないんだけど」、直美ちゃんはストロベリーシェイクを飲みながら言った。
あたしたち三人は、彼女が何か言うまでじーっと見つめる。彼女はシェイクを飲むのをやめ、瞬きをした。
「何よ?」
「直美ちゃん?」、フラヴちゃんが興味深そうに身を乗り出した。
「あちし?!」、直美ちゃんは追い詰められたように答えた。
「ええ、あなたですわ。」
「あんなチビのこと、好きになるわけないじゃん!」
あたしたちは、ジト目で彼女を見た。「お二人、並ぶと可愛らしいですわよ。まるでノームのカップルみたい、かしら」、と星野さんが挑発した。
「はあっ?!あちしはチビじゃない!」
「でも、二人でいると、お似合いのカップルキーホルダーみたいだよね」、とあたしはコメントした。
直美ちゃんは「むぅ!」と唸ると、いきなりあたしの頬をつねった。
「いひゃい!やめへよ!」
「くだらないこと言うからでしょ!」やっと手を離すと、彼女は腕を組んだ。「別に、アレが小さいって言っただけだし。」
「なのに、いつも一緒にいるじゃない。」
星野さんが首を傾げた。「彼が視聴覚技術部に入ったからですわ。」
あたしは顔をしかめた。「アレクサンダーくんが部活に?!」
「ええ。」
「なんで言ってくれなかったの?」、あたしはフラヴちゃんに尋ねた。
直美ちゃんが肩をすくめる。「あんたも部活入ってないんだから、彼を見かけるわけないでしょ。」
ぐっ…確かに。
「でも、なんでまたその部活に?」
「パソコンに詳しいからですわ。」
「いつから?」
「廉士さんが時々教えているのですよ」、フラヴちゃんがこともなげに言った。
「廉士さん?」
「ええ。彼はIT関係者ですから、アレクサンダーに色々教えているのですわ、です。」
あたしが何か聞く前に、星野さんが口を挟んだ。「待って…あなたたちが話している廉士さんというのは、廉士兄さんのことかしら?」
フラヴちゃんが頷き、あたしの頭はフリーズした。ゆうくんの次は、その親友?!
「花宮先輩、お顔が少し変ですわ。」
「な、何でもない!」
直美ちゃんが、またあの意地悪な笑みを浮かべる。「で、勇太先生は…あっ、ていうか、ゆうくん?」
脳がショートする。「な、なんですってぇーっ?!」
直美ちゃんの笑みがさらに意地悪くなる。「聞こえたでしょ。」
フラヴちゃんが腕を組んだ。「いい質問ですわね、直美ちゃん。わたくしたちの大好きな先生はどうしているのかしら、です?」
もう消えてなくなりたい。顔が火事みたいに熱い。
「勇太さんの、何が?」、あたしは興味ないフリをしたが、声が少し震えた。
「あら、今は『勇太さん』ですの?」、フラヴちゃんが片眉を上げる。「思考の中ではいつも『ゆうくん』と呼んでいるくせに。」
ミルクシェイクでむせた。「なんでそれを知って…?!」、二人が笑う。
「見え見えだから」と直美ちゃん。
「とにかくですわ」、フラヴちゃんは言った。「先日、兄を訪ねてみたのです。ドアを叩き、『兄上、お遊びに行きましょう』と声をかけながら中へ入ったのですが…そこで見たものは…」
「何を見たの?」、星野さんが身を乗り出した。
「兄上はソファに座り、床には食べ物のトレーが散乱していました。胸にコントローラーを抱え、テレビで何かのアニメに完全に没頭しているのです。わたくしに気づくと、口から天ぷらをぶら下げたまま、きょとん、と瞬きをしただけでしたわ。」
シーン…そして次の瞬間、直美ちゃんがテーブルを叩いて爆笑した。
「ブハハハハ!マジで?!あんたたちがキャーキャー言ってる男って、それ?!マジウケる!」
あたしは口を押さえたけど、笑いがこみ上げてくる。星野さんも肩を震わせている。
「わたくしは静かにドアを閉めて、何も言わずに帰ったのですわ、です。」
笑いが収まった後、フラヴちゃんがふっとため息をついた。「あのように怠惰な姿を見ておりますと、兄が元軍人だったことなど、時々忘れてしまいますの、です。」
直美ちゃんが目を丸くした。「軍人?!」
「ええ。しばらくの間だけですけれど。でも、詳細は…その、複雑なのですわ。あれはシルバーハンド家…わたくしたちの父方のしきたりとでも言いましょうか。詳しいことは、わたくしたちにも説明がなくて…です。」
(軍人…?)心臓がドキッとした。神未来タワーで助けてくれた、あのヒーローの姿が頭に浮かぶ。緑のマントのあの人…彼も、軍人みたいだった。(まさか…?いや、同じ人なわけないよね…)
「あーっ!」、直美ちゃんが手を叩いた。「なるほどね、はるちゃん!それで全部繋がったじゃん!勇太が喧嘩強いのも!」彼女は勝ち誇ったようにあたしを見た。「あんたの言う勇太って、ただのイケメンでお洒落な先生じゃないわけだ。元軍人でお洒落なイケメンだったんだ!」
「あたしは勇太のこと、お洒落でイケメンなんて一言も!」
「へぇ、じゃあ、ただのイケメンだとは思ってるんだ?」
「言ってない!」
「でもさ、はるちゃん」、直美ちゃんは話を続けた。「あんた、勇太さんのこと、好きでしょ?」
飲んでいたミルクシェイクが、鼻から逆流しそうになった。
「げほっ…な、なんですってぇーっ?!」
フラヴちゃんと星野さんが、ニヤリと視線を交わした。
「いい質問ですわね、直美ちゃん、です。」
「あ、あたしは…!そ、そんな、どういう質問よ?!」
「正当な質問ですわ、かしら。」
「あんたたち、サイテー!」
あたしは顔を両手で覆った。心臓が、うるさくて、張り裂けそうだった。




