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第9話「王手」

フラヴィアン・シルバーハンド


 開盟高校の講堂は満員でしたわ。何百人もの生徒たちのざわめきが空間に響き渡り、その音の波が舞台に打ち寄せます。わたくしは自分の席まで歩きながら、一人一人の視線の重みを感じていました。それは期待と、捕食者のような好奇心が混じったものでしたわ。


 わたくしは愚かではありません――その瞬間まで、椿理香が本命だったことは分かっていました。前生徒会は彼女を支持し、ほとんどの生徒は彼女を堅実な後継者、安全な選択肢と見ていましたので。


 ですが今日…今日、わたくしがこのゲームのルールを変えるのです。


 わたくしは自分の席に腰掛けました。隣には、はるちゃん、宮崎くん、そしてみちゃんがこの順で座っています。アリーナの向こう側では、椿さんが相変わらず完璧な様子で、計算された優越感をもって足を組んでいました。彼女の副会長である林颯太は、あの気に障るほどリラックスした自信に満ちた笑みを浮かべ、その隣で直美ちゃんと、知らない眼鏡の少女…鏡白雪がチームを固めていました。


 ざわめきが収まり始めたその時、見慣れた人影が舞台に現れました。兄上…


 彼はいつもの気だるげな姿勢を正し、舞台中央のマイクへと歩み寄りました。


「ごきげんよう」彼の声が響き、講堂は静まり返りました。「開盟高校生徒会選挙、最終討論会へようこそ。司会として、私の役目は全てが予定通りに進むことを保証することです。」


 彼は舞台の両側を素早く見渡しました。その視線が一瞬、鋭くわたくしと交わりました。そして、わたくしには分かりました。彼はただそこにいるだけではない。この盤上の全ての駒、全ての動きを分析しているのだと。


「各候補者には質問に答え、自らの主張を述べる機会が与えられます。討論中は、敬意を忘れないようお願いします。」


 そして彼は、わたくしと椿さんをまっすぐに見つめました。その眼差しは、静かな挑戦状のようでしたわ。


「始めてもよろしいですかな?」


 椿さんは微笑みました。磨き上げられたような仕草です。「ええ、もちろんよ。」


「問題ありませんわ」と、わたくしは腕を組んで言い返しました。


 兄上は頷き、一枚のカードを手に取りました。「最初の質問です。開盟高校の生徒たちの生活を向上させるため、あなたの選挙公約の優先事項は何ですかな?」


 椿さんが先にマイクを取りました。「わたくしの優先事項は、私たちがすでに手にしている安定を継続させることですわ」彼女の声は固く、抑制されていました。「開盟高校はすでに国内有数の学校です。抜本的な改革は必要ありません。現行の理事会の方針が機能し続けることを保証するための、洗練だけで十分ですわ。」


 観客席からざわめきが起こりました。何人かが同意しているのが聞こえます。椿さんも馬鹿ではありませんわね――保守的な層、変化を恐れる者たちに訴えかけているのです。


 わたくしは唇を舐め、マイクを握りました。

「安定と進歩は同じではありませんわ」と、わたくしは空気を切り裂くように反論しました。「確かに開盟高校には名声があります。ですが、それが改善できないという意味ではありません。わたくしの優先事項は、生徒たちにもっと声を与えることです。生徒会の全ての決定が、もっと開かれた協議を経るようにしたいのです。どんな生徒でも、学校の改善案を提案できるように。」


 観客席の何人かが頷いているのが見えました。今は全員の賛成は必要ありません。ただ、彼らの心に疑いの種を蒔けばいいのですわ。


 討論は続き、椿さんは生まれながらにして頂点に立つ者の優雅さと冷徹さで、全ての質問に答えていきました。認めざるを得ません。彼女は手強い。非常に手強いですわ。


 ですがその時、わたくしが予期すべきだった質問、罠である質問が投げかけられました。


 兄上が次のカードを読み上げます。


「次の質問は野党側に向けられています。シルバーハンド さん、あなたの家族は企業セクターで知られており、シルバーハンドの名には多くの論争が伴います。もし当選した場合、あなたの苗字がリーダーシップに影響を与えると考えますか?」


 講堂の沈黙は、耳が聞こえなくなるほどでした。胃がキリリと痛みます。観客の視線がわたくしに突き刺さり、一瞬、思考が停止しました。


 だめ…また同じことの繰り返しは許しませんわ!


 自分の苗字が大きな重荷であることは分かっていました。ですが、こうして公の場でそれを突きつけられるのは、卑劣な一撃でした。ゴクリと唾を飲み込みます。


「そう…ですわね…」わたくしは声を出そうとしました。


 しかし、椿さんは捕食者のように、わたくしの躊躇いを見逃しませんでした。


「それは妥当な指摘ですわね」彼女は、あの静かで毒のある笑みを浮かべながら口を挟みました。「シルバーハンドというお名前は…少々、不信感を招くやもしれません。何しろ、我が国だけでなく、世界中で非常に影響力のあるご家族で、その行動は金融市場で数え切れないほど疑問視されてきましたから。」


 叫びたい。言い返したい。ですが、言葉が出ません。観客席でアレクサンダーが拳を握りしめているのが見えます。兄上は無表情。はるちゃんは心配そうな顔でわたくしを見ています。


 そして椿さんは、わたくしを仕留めたと確信していました。


「生徒会は、特権階級の出身者だけでなく、全ての生徒を代表する者で構成されるべきですわ」彼女は続けました。その声は優しく聞こえましたが、刃のように鋭い。「学校のリーダーシップが、公正で信頼できる手にあることを保証する必要がありますの。」


 彼女は一息つき、首を傾げました。


「シルバーハンドさん、これについてどうお考えかしら?」


 マイクは手の中にありましたが、声は消え失せていました。沈黙が重く、息苦しくのしかかります。頭の中はぐちゃぐちゃです。椿さんの言葉が反響し、観客の視線が火のようにわたくしを焼きます。


 ですがその時、兄上が、相変わらずリラックスした退屈そうな態度で、別のカードを手に取りました。


「フラヴィアン・シルバーハンド」彼が読み上げたわたくしの名前は、挑戦のように聞こえました。「シルバーハンドという名前は論争を呼ぶかもしれませんが、あなたにはもう一つの名前が関連しています。酒井という名前です。あなたのお母様のご実家は、技術分野で広く認知されており、その苗字もシルバーハンドと同じくらいの重みを持つと言う者もいます。あなたの母方のご家族が、あなたの立候補にどう影響するとお考えですかな?」


 息が止まりましたわ。(酒井…)。わたくしを常に裁いてきた女の名前。影のようにわたくしに付きまとってきた名前。彼女の氷のような言葉を思い出しました。


「本当に大事なことで目立てないのなら、あなたに価値などないのよ。」

 

 わたくしを自分の苗字を継ぐに値しないと見なした、あの母親。


 喉が詰まり、パニックがわたくしを支配しようとします。椿さんがそれに気づきました。彼女の目に満足の色が浮かび、最後の一撃を加えようと口を開きました――


 しかし、わたくしが彼女を遮りました。


「わたくしの名前が、二つの信じられないほど物議を醸す家族を背負っているのは事実ですわ」わたくしの声は固く、自分でも驚くほどでした。「シルバーハンド・グループと酒井家は、それぞれの分野で強力です。ですが、わたくしは企業を代表するためにここにいるのではありません。ビジネスの話をするためでもありません。わたくしがここにいるのは、この学校の生徒たちを代表したいからです。自分の名前が重荷になり得ると否定したことは一度もありませんが、一部の方がお考えになるのとは違い、わたくしは名前によって定義される存在ではないのです。」


 わたくしは椿さんをまっすぐに見つめ、力が戻ってくるのを感じました。


「わたくしはフラヴィアン・シルバーハンドです。欠点はありますが、それらに向き合うことから逃げたことはありません。そして、それこそが、わたくしをこの生徒会を率いるに最もふさわしい候補者たらしめているのです。」


 講堂から拍手の波が起こりました。椿さんは一瞬、その完璧な態度を崩しました。彼女の目は細められましたが、すぐに笑みを取り戻し、平静を装いました。


 兄上は彼女の方を向きました。「では、次の質問は椿さんへ。」彼は次のカードを読み上げます。「椿さん、もし当選した場合、会長としての最初の行動は何ですかな?」


 彼女はマイクを取り、自信に満ちた笑みを浮かべました。「最初の行動は、すでに実施されているプロジェクトが維持されることを保証することです。衝動的に行動することはできません。わたくしの焦点は、堅実な環境を築き続けることですわ。」


 まばらな拍手。兄上は軽く頷き、次のカードを手に取りました。「あなたのチームが、対立候補のチームと違う点は何だとお考えですかな?」


 椿さんは軽く笑い、髪を後ろにやりました。「違いは単純ですわ。私たちのチームは、抜本的な変化という空虚な約束に基づいているわけではありません。開盟高校の構造を理解し、すべてを投げ打って学校の名声を危険に晒すのではなく、すでに機能しているものを強化したいのです。」


 さらに拍手。わたくしは歯を食いしばりました。(この女、ゲームのやり方を心得ていますわね。)


 ですがその時、兄上が最後のカードを手に取りました。


 わたくしは彼の目の奥に違う輝きを見ました。(来たわ。わたくしが今日のために用意した切り札が!) 最初の質問は生徒によって選ばれます。あの蛇のような椿さんが、林の影響力を使ってわたくしを攻撃する質問を仕込んだことは分かっていました。そして、わたくしも同じことをしたのです。バレー部とサッカー部、音楽部と放送部の支持を得て。(火には核爆弾で対抗するのですわ!)


 そして彼は読み上げました。「椿さん、あなたの家族が経営する会社は、最近、経営不振により困難に直面しているとのことです。ご自身の家庭内でリーダーシップに問題がある場合、生徒会でのあなたの運営が異なるものであると、どう保証できますかな?」


 講堂は静まり返りました。椿さんはピシッと固まりました。彼女は口を開きましたが、すぐに平静を取り戻しました。「経営上の問題はどんな会社でも起こり得ますわ」彼女は計算された口調で言いました。「それが、生徒会でのわたくしの運営が失敗するという意味にはなりません。学校内での意思決定能力を反映するものではありませんわ。」彼女は深呼吸をして微笑み、満足げにマイクを下ろしました。


 ですが、わたくしはそれで終わらせるつもりはありませんでした。


 再びマイクを握ります。「ご家族が自社の経営すらできないのに、生徒会でのあなたの運営が効率的であると、どうして保証できるのですか?」


 椿さんは凍りつきました。生徒たちがざわざわと囁き始めます。


「わたくしの名前は物議を醸すかもしれません」わたくしは続け、声に力を込めました。「ですが、自分の欠点を否定したことはありません。一方、あなたは完璧な笑顔の裏に弱さを隠そうとします。しかし、生徒たちが望んでいるのは美しい笑顔ではありません。真に彼らを代表する人物です。」


 今度の拍手は、もっと大きかった。椿さんは拳を握りしめましたが、無理に無表情を保っていました。わたくしは彼女を不安定にさせたのです。


「では、自由討論の形式に移ります」と兄上が告げました。「各チームは相手に三つ、直接質問をすることができます。」


 わたくしは微笑みました。さあ、今度はわたくしが攻撃する番ですわ。


 自由討論で、椿さんが正々堂々と戦うはずがないことは分かっていました。そして案の定、彼女はわたくしを狙いませんでした。彼女は、わたくしの仲間を狙ったのです。


「最初の質問は、花宮陽菜さんへ」はるちゃんがビクッと固まりました。「花宮さん、あなたは有能なリーダーだとお考えかしら?結局のところ、ここでわたくしのライバルであるだけでなく、あなたの成績もパフォーマンスも平均以上ではありませんわ。その『能力』で、どうやって運営を保証できますの?」


 この卑怯者!よくも…!


 はるちゃんはゴクリと唾を飲み込みました。「成長を望む者なら誰でも、複数の責任をこなすことを学ばなければならないと思っています」と、彼女は平静を保って答えました。「自分にその能力がないと思ったら、ここにはいません。」


 椿さんは微笑みました。「では、生徒会はあなたにとって、ただの『忍耐力テスト』ということですの?」


 はるちゃんは躊躇しました。あの女は、彼女の言葉を捻じ曲げようとしているのです。「そういう意味で言ったんじゃないってば!」とはるちゃんが言い返しましたが、その声はわずかに揺れていました。


「でも、そう聞こえましたわ。」

 ざわめきが始まりました。わたくしは拳を握ります。


 椿さんは次の質問に移りました。「今度は、宮崎くんへ。あなたのチームは、学校のチームへのより良いサポートを掲げていますわね?」


「ああ」と彼が答えました。


「では、なぜ特別な支援がなくても、男子バレーボール部が地区大会の決勝に進出できたのか、説明していただけるかしら?」椿さんの笑みは毒のようでした。「彼らが助けなしでやれているのなら、なぜ私たちがもっと予算を費やす必要があるのですか?言うまでもなく、学校はすでにチームに多大な支援をしていますわ。これ以上は必要ないと思いますが。」


 宮崎白郎くんは言葉を失いました。彼は答えようとしましたが、椿さんはただ首を傾げ、聞く前に議論に勝ったかのような態度でした。


 そして三つ目の質問。わたくしにはもう、何が来るか分かっていました。


「最後の質問は、星野光希さんへ。」


 みちゃんは短い栗色の髪を整え、椿さんに冷たい視線を送りました。


「あなたは中学時代、生徒会に所属していましたわね?」みちゃんは頷きました。


「では、なぜ今また立候補しているのですか?新しいリーダーシップに道を譲るべきではないかしら?」


 みちゃんは目を細めました。「私が身を引くべきだとおっしゃるのなら、なぜ、すでに学校でご家族の影響力をお持ちのあなたが、同じことをなさらないのかしら?」


 観客席の生徒たちが驚きの声を上げました。椿さんは静かに笑います。


「あなたのチームは変化を望むと言いながら、すでに権力を持っていた人々に頼っています。それは矛盾していませんか?」


 みちゃんはすぐには答えませんでした。(くっ…彼女は私たちを追い詰めていますわ…)


 ですが、今度はわたくしの番でした。マイクを取り、微笑みました。


「さて、椿さん、ご質問ありがとうございます…では、わたくしから。」


 彼女は丁寧な笑みを保ちました。


「最初の質問ですわ」と、わたくしは始めました。「あなたは学校の安定と安全な運営の重要性について語りました。ですが、あなたのチームが継続を支持するのであれば、なぜ二年前にサッカー部の予算を削減し、特定のグループだけを優遇するようなことをしたのですか?」


 椿さんの目に苛立ちの色が浮かびました。それまで無関心だった林くんが、椅子で身を正し、椿さんに疑いの視線を送りました。「それは根拠のない噂ですわ。予算削減は一方的な行動ではなく、集団での決定でした。」


 宮崎くんが身を乗り出しました。「では、なぜサッカー部は新しいユニフォームのために、くじを売る必要があったんだ?」


 椿さんは唇を引き締めましたが、まだ動じません。


「二つ目の質問です」わたくしは、彼女に息つく暇も与えずに続けました。「あなたはこの学校が現状でうまく機能していると言いました。しかし、多くの生徒が、生徒会の透明性の欠如について不満を述べています。安定をそれほど気にかけているのなら、なぜこれまで一度も、下された決定に対する公開監査が行われなかったのですか?」


 椿さんは軽く微笑みました。「それは、生徒会の情報は常に掲示板や学校のウェブサイトで公開されているからですわ。生徒がその情報を探し求めないのであれば、それは生徒会の責任ではありません。」


 彼女の声には軽蔑の色がありました。


 深呼吸をします。そして、最後の一撃。


「では、お答えなさい、椿さん…」わたくしの声は、さらに冷たくなりました。「もしあなたのご家族が、常にこの学校内で影響力を持っていたのだとしたら、この選挙が、彼らのゲームの、ただの駒の一つに過ぎなかったのではないと、どう保証できますの?」


 椿さんは拳を握りしめました。


「わたくしはわたくしですわ。家族によって定義される存在ではありません。」


「では、ご家族の歴史が、あなたの決定に影響を与えないと?」


「その通りですわ。」


「素晴らしい。」わたくしは首を傾げました。「では、なぜ過去五年間、生徒会長は全員、あなたのご家族と何らかの関係があったのか、説明していただけますか?」


 彼女の笑みが凍りつきました。講堂の会話が激しくなります。椿さんは動かずに、答えを考えようとしています。そして――

「フラヴィアン。」


 兄上の声が響きました。しかし、わたくしは続けました。


「もしあなたのご家族が、自らの利益のために生徒会を操ってきたという評判があるのなら、あなたがそのパターンを続けるために送り込まれたのではないと、どうして私たちに保証できますの?」


 椿さんは口を開こうとしましたが、わたくしの声がそれを遮りました。


「ご家族が関与していないと、断言できますの?」

 彼女はためらいました。「わたくしは――」

「外部からの干渉がなかったと断言できますの?」

「もちろんですわ!」

「では、なぜご家族の事業が不振に陥るたびに、あなたの成績も落ちるのですか?」

「それは関係ありません――」

「ご家族の会社に何かあった時、それが運営に影響しないと保証できますの?」

「わたくしは――」

「それが信頼には見えませんわ!」

「わたくし…」

「それで生徒会を治めるおつもりですの?」

「わ、わたくし…」

「保証できますの――」


「フラヴィアン!」


 兄の声は、固く、決定的でした。わたくしは止まりました。

 彼の方を向くと、彼は真剣な顔でわたくしを見ていました。その目は鋭い。


「その種の質問は、討論の範囲を超えています」と彼は言いました。「このラウンドは、一旦ここで終了します。」


 生徒たちの声はマイクに遮られました。椿さんはまだマイクを強く握りしめ、わずかに震えています。彼女は答えられなかった。わたくしは彼女を追い詰めたのです。


 しかし、兄上はわたくしを止めました。わたくしはため息をついて座り、フラストレーションと安堵が入り混じった気持ちでした。


 はるちゃんが横目でわたくしを見ました。「フラヴちゃん…」

「わたくしはただ、誰かが何度もやっているのを見たことをしただけですわ」と、わたくしは呟きました。


「誰?」と彼女が尋ねました。


 しかし、わたくしは答えませんでした。ただ、兄上を見つめました。彼はマイクの前に立ち、討論会を締めくくっていました。無関心で、不動。


 でも、分かっていましたわ。兄上は、わたくしが正しいと知っていたからこそ、わたくしを止めたのです。


___________________________________________________


花宮陽菜


 教室は耐え難いほどの静寂に包まれ、それを破るのは、ぐるぐると歩き回るフラヴちゃんの不安げな足音だけだった。星野さんは退屈そうに窓の外を眺め、宮崎くんは指でテーブルをトントンと叩いている。


「フラヴちゃん、そんなに歩いてたら床に穴が開いちゃうよ」とあたしが言った。


「落ち着こうとしてるんですのよ、はるちゃん!」彼女は必死の形相で振り返った。「わたくし、やり過ぎましたわよね?!」


「そんなことないですよ、フラヴィアン先輩」と宮崎くん。「ただ…ちょっと激しかっただけで。」


「椿さんが何も言えなくなったんだから、それでいいじゃん」とあたしは付け加えた。


 フラヴちゃんはふんと息をつき、机に身を投げ出した。「それでも、勝ったかどうかはまだ分かりませんわ…」


 投票は終わった。でも、結果は明日。誰も家に帰りたがらなかった。


「ここにいても仕方ないですよ」と宮崎くんが言った。「今頃はもう――」


 **ギィ…**とドアが開いた。ゆうくんだった。いつもの気だるそうな顔で、あたしたちを見ている。


「君たち、まだここにいたのか?」


「結果を待っているのです」と星野さんが答えた。


 ゆうくんは溜息をついた。「もし私が誰が勝ったか言うのを期待しているのなら、無駄に待つことになる。知っているが、時間前に明かすのは私の仕事ではない。公式結果は明日だ。さあ、家に帰りなさい。」


 フラヴちゃんはぷーっと頬を膨らませたが、何も言わなかった。宮崎くんがリュックを手に取る。「ボスが言うなら、仕方ないっすね。」


「だから無駄だと言ったでしょうに…」と星野さん。


 あたしはフラヴちゃんのそばへ寄った。「大丈夫だよ」と囁く。彼女は「ええ…」と呟き、ゆうくんの方を向いた。


「あなたはまた、遅くまでここに?」


 彼は小さく微笑んだが、答えなかった。それが答えだった。


 あたしたちは教室を出た。ミステリアスな先生の視線を背中に感じながら。


___________________________________________________


 あたしはヘトヘトで家に帰った。キッチンに入ると、料理のいい匂いがして、カウンターに突っ伏した。


 母さんが、いつもの花柄のエプロン姿で微笑んだ。「おかえりなさい、陽菜。」


「ただいま…」


「それで?選挙はどうだったの?」


「結果は…明日。」


 母さんは「ふぅん」と言って、あたしの前にホットミルクのカップを置いた。あたしは片眉を上げる。


「あたし、もう子供じゃないんだけど。」


「もちろん違うわよ」と、母さんはお茶目に笑った。


 あたしは一気にミルクを飲み干した。その温かさが心地よかった。


「あら、あら。」


「うるさい。」あたしは呟いた。「今日、静かすぎない?」


「百合子は疲れて早く寝ちゃったの。お父さんは仕事に戻ったわ。」


「やっとね」とあたしは溜息をついた。


「あ、沙希は?」


「音楽のレッスンよ。」


 あたしは危うく息を呑むところだった。「えっ?!沙希が音楽のレッスン?!」


 母さんはあたしの頭を撫でた。「私も、長女が生徒会の副会長に立候補するなんて、思ってもみなかったわ。」


 顔がカァッと熱くなる。「ただ友達を手伝ってるだけだってば…」


「なら、その子はとても大事な友達なのね」と、母さんは優しく微笑んだ。


 あたしは何も言えず、ただ微笑み返して、お風呂に向かった。


 お湯に浸かると、筋肉がほぐれていく。でも、頭は休まらなかった。討論会。フラヴちゃんの言葉…


「ただ、誰かが何度もやっているのを見たことをしただけですわ。」


 そして…彼女がゆうくんを見た、あの眼差し。それが頭から離れない。


「ゆうくんが言ってた『立候補』って、そういうことだったのかな?」あたしは呟いた。「いや、彼は参加しなかったって…」


 彼が高校生の頃って、どんな感じだったんだろう?人気者?それとも孤独だった?スポーツは?


 ユニフォーム姿の彼を想像して笑ってしまったけど、ドカンと衝撃的な考えが浮かんだ。


「もう…違うんだ…」


 彼の「ヒーロー」としての過去。彼は普通の学校生活を送れたのかな?


 あたしは湯船に深く沈んだ。「ゆうくん…」


 なんで、こんなに若いのに、彼がもうあたしには理解できない世界の重荷を背負ってるって感じちゃうんだろう?


___________________________________________________


 ジリリリリ!


 目覚まし時計の音に叩き起こされた。


「うわあああ!」


 ガバッとベッドから飛び起きる。パジャマも髪もぐちゃぐちゃで、口の端からよだれがつーっと垂れていた。急いで拭く。あたしはのそのそとバスルームまで這って行って、冷たい水で顔を洗った。


「おはよう、春姉。」


 沙希の声に不意を突かれ、危うく鏡に頭をゴンとぶつけるところだった。


「おはよ…」と、あたしはまだ眠そうに呟いた。


 沙希は、いつもの優しい笑顔で首を傾げた。「結果、楽しみにしてるの?」


 頭がフリーズした。結果。目を見開き、急いで立ち上がろうとして、肩を洗面台にガンッとぶつけた。


「け、結果!今日、結果発表じゃん!」


 沙希はあたしの反応にクスクス笑った。「応援してるからね、春姉。」


 心臓が爆発しそうだった。あたしの妹…いつも無関心な彼女が…応援してくれてる?!目の奥がじんと熱くなった。


「沙希ちゃん…!」


 腕を広げて抱きしめようとしたけど、彼女はひょいと身をかわした。


「あっ――!」


 支えを失い、あたしは床にドシンと倒れた。「うぅ…ひどい…」


「頑張ってね、春姉」と、彼女はバスルームを出て行った。あたしは床に座ったまま、溜息をついた。「あの子ってば…」


___________________________________________________


 学校では、掲示板の前に人だかりができていた。


 結果だ。


 隅っこで神経質に手を握りしめているフラヴちゃんを見つけた。


「フラヴちゃん!」


「見れない…」と彼女は呟いた。


「大丈夫だって!ベストを尽くしたんだから!」


「もし負けたら笑いものになるわ!勝ったら勝ったで、責任が…!」


「あーあ、あんたが怖くて泣いてるとこに勝っても、つまんないんだけど。」


 振り返ると、直美ちゃんが挑発的な笑みを浮かべていた。


「直美ちゃん…」フラヴちゃんが歯を食いしばる。「馬鹿にしに来たの?」


 直美ちゃんは手を差し伸べた。「あちしたちで一緒に見に行こっ。」


 フラヴちゃんはためらった末、彼女の手を取った。あたしは二人の後を追った。心臓がドキドキうるさい。


 人混みが道を開ける。フラヴちゃんが掲示板に近づいた。彼女がピタッと凍りつくのが見えた。その目が輝いた。


 新生徒会役員。会長:フラヴィアン・シルバーハンド。


 世界が静かになった。


「勝った…?」彼女の声は囁きのようだった。彼女はショックで振り返る。「わたくし…勝ちましたの?」


 直美ちゃんが芝居がかった溜息をついた。「負けちゃった…ちぇっ、しょーがないなー」


 一秒の沈黙。そして、フラヴィアンがあたしに飛びかかってきた。


「勝ちましたわぁぁぁ!」


「おめでとう、フラヴちゃん!」


 あたしたちはくるくる回りながら、馬鹿みたいに笑った。落ち着くと、彼女は直美ちゃんにも飛びかかった。


「うわっ!離れろって、うざい!」


 あたしは笑いながら、ふと視線を移した。ゆうくん。


 彼は少し離れた場所で、先生と話していた。そして…彼があたしに気づいた。


 あたしたちの視線が交わる。


 彼は、小さく、口の端で微笑んだ。そして、去っていった。心臓が強くドキッとした。理由は分からない。でも、フラヴィアン・シルバーハンドが新しい生徒会長だ。


___________________________________________________


 教室に戻り、いつもの席に座った。隣には直美ちゃんと魁斗くん。


「じゃあ、これで普通にあちしたちのグループに戻ってくるわけ?」と、あたしは直美ちゃんをつついた。


「んー、まあ、たぶんね…」


 ドアが開いた。ゆうくんだった。


「よし、始めるぞ」彼が言うと、教室は静かになった。「授業は短いが、その前に、大事なお知らせがある。」


 お知らせ?選挙のこと?


「選挙期間は終わった。だから、今から始まるのは…」彼は、劇的に間を置いた。「…夏休み前の、期末試験週間だ。」


 …は?


「どういうこと、期末試験って?」とあたしは呟いた。あたしも直美ちゃんも、サーッと顔が青ざめた。


 ゆうくんは続けた。「選挙に参加していた候補者二人は、十分に勉強する時間があったと思うが、違うかな?」


 彼の意地悪な笑みに、あたしは消えたくなった。


「はぁ?!いつから――?!」


「いつから始まるわけ?!」と直美ちゃん。


 勇太先生は静かに試験用紙を配り始めた。


「今からだ。」


 静寂。


「今!?」と、教室中が叫んだ。


「今だ。」


 あたしはぱちぱちと瞬きをし、世界が崩壊するのを感じた。「で、でも――」


「『でも』はない。机の上には鉛筆、消しゴム、鉛筆削りのみ。試験を始める、諸君。」


 あたしの体はしゅんとしおれた。直美ちゃんが溜息をつく。「勇太先生、あんたのことマジで嫌い。」


 彼は肩をすくめた。「お互い様だな、高橋さん。さて、静粛に。」


 試験用紙が机に置かれた。あたしはそれを、自分の終わりの化身のように見つめた。


 頭の中には、一つのことしかなかった。


(追試決定だぁぁぁ!)

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