第2楽章 信長爆誕
天文3年(1534年)6月23日。
尾張国勝幡城、現在の愛知県稲沢市にあった城で一人の赤子が生まれようとしていた。
ビョーン、ビョーン、ビョーン。
厄祓いの鳴弦が一刻ばかり行われていた。
「のうまくさんまんだーばーざらだんかん!」
「臨兵闘者皆陳列在前!しょうっ!」
産室の隣では安産祈願の護摩が焚かれていた。
「お方様!しっかり!」
「お方様!吐いて吐いて吐いて吐いて!息んで!」
「吐いて吐いて吐いて吐いて!息んで!」
「頭が出てきましたよ!」
「吐いて吐いて吐いて吐いて!息んで!」
「フギャー!フギャー!フギャー!フギャー!」
「おめでとうございます!元気な和子様ですよ!」
サッ、ダンッ!
「奥っ!でかしたっ!」
「殿様!おめでとうございまする!」
「元気そうな赤子じゃっ!」
勝幡城主織田弾正忠信秀である。
「名はこれじゃ!」
吉法師、後の織田信長である。
「吉法師の一番家老には林新五郎(通勝)!」
「はっ!」
「二番家老は平手中務丞(政秀)!平手には勝手勘定方を任す!」
「はっ!」
尾張国の守護は斯波氏であったが斯波は京にあり尾張には守護代として織田氏を置いて政治軍事を任せていた。当時の尾張は八郡で構成されており、内、北の半国を織田信安が、南の半国を織田達勝が治めていた。吉法師の父、信秀は達勝の奉行であった。信秀は行政や戦の手腕も優れていてその威勢は達勝のそれを遥かにしのいでいた。
信秀は吉法師の誕生を機に、熱田の近くの古渡に移りは国中の那古野城は吉法師の物とした。
吉法師は成長と比例して好き勝手に振る舞い林通勝や平手政秀ら家老の言うことなどどこ吹く風であった。勉学は津島近くの天王坊で沢彦という僧に習っていた。吉法師は城に戻ると普通の若君と異なりまげは茶せんに結直しまるで頭から天に向けて茶せんが生えているようであった。服は湯帷子を紐で結び右手は肩から出し腰紐には何が入っているのかいくつもの袋をぶら下げて町をぶらぶら歩いてまわっていた。取り巻きは乳兄弟の池田勝三郎(恒興)や前田犬千代(利家)、佐々内蔵助(成政)など十四五人である。連れ立って歩きながら袋からいもや柿などをむさぼり食い天王坊近くの川で魚を獲っては焼いて食う、時には対岸の輩と印地打ちをする、とても普通の若君様とは思えないほどでいつしか大たわけと陰では言われるようになった。
「よいな、できるだけ引きつけてからお前たちは出よ!」
折しも印地打ち(石合戦)の最中、吉法師は犬千代や内蔵助たちに指示をしていた。
「若はどうするのじゃ?」
「わしはきゃつらを引きつけるえ(餌)よ!」
「それは危のうござる!」
「たわけっ!きゃつらの玉が当たるかよっ!」
「それっ、始めたわlol!」
相手方はバラバラと石を投げ始めた、もちろん的は吉法師だ。
吉法師方も応戦して投げている。だがなぜか相手方には届かない。吉法師はじめ、みなどこか弱腰である。
「見てみろ!あのたわけ(吉法師)らは腰がひけておる!」
「休まず一気に投げよっ!」
相手方は調子にのり川岸際まで出てきて投げているが吉法師は韋駄天か妖精パックのように相手方の石をかわし続けている。
その時、葦に身をひそめていた乳母子の池田勝三郎や前田犬千代、佐々内蔵助らが前線に現れ力まかせに石を投げ始めた!
川岸際まで出ていた相手方に次々と当たり敵は総崩れとなった。
「者共!ようやった!大勝利じゃっ!」
そう言うと吉法師たちは大笑いしながら那古野の城に引き上げるのだった。




