お姉さんは敵か味方か?
その日、王都の作戦会議室には、いつもと違う空気が漂っていた。
参謀本部から来るという「特使」が、俺たちの部隊に一時配属されるらしい。
(……また面倒な人種が増える予感しかしない)
俺がそう思っていた矢先、会議室の扉が静かに開いた。
「はじめまして。イリーナ・ファルカスと申しますわ。以後、お見知りおきを」
長い銀髪に、深紅の瞳。高貴な佇まいに、どこか妖艶な微笑み。
入ってきた女性は、まるで舞台から抜け出してきたかのような雰囲気だった。
(……なんだ、この圧)
周囲の騎士たちも、思わず言葉を飲んでいる。
「彼女は王国上層部からの派遣だ。諜報・交渉・戦略の面で補佐をしてもらう」
司令官の説明にもどこか緊張が漂っている。
それもそのはず。ファルカス家といえば、王国でも指折りの名門貴族だ。
そんな彼女が、俺の隣に腰を下ろした。
「ふふっ。これが例の異世界人さんですのね。うわさ以上に……興味深いわ」
「……俺のこと、どこまで聞いてる?」
「秘密よ。でも、あなたの情報収集の癖と、ヒロインたちに囲まれている状況くらいは、把握してます」
この女……どこまで本気なのか全く読めない。
「警戒しないで。私は味方よ。少なくとも、今のところは」
「今のところってのが怖いんだが」
「ふふ、そういう警戒心、嫌いじゃないわ。嫌いじゃないけど——」
イリーナはくいっと俺の顎を上げるようにして、顔を近づけてきた。
「——それだけで、戦場も恋も乗り切れるとは限らないわよ?」
「……っ」
くそ、これが貴族の女狐ってやつか。距離の詰め方が尋常じゃない。
レイナやセリナがまっすぐ突っ込んでくるタイプなら、こいつは完全に斜め上からかき回してくるタイプだ。
「私はあなたの戦術眼、興味があるの。だから少し、手合わせをしてもいいかしら?」
「……訓練か?」
「違うわ。情報戦よ。たとえば、こういうの——」
イリーナは紙の束を取り出す。それは、俺がこっそりまとめていた各兵の戦闘傾向メモだった。
「っ……おい、それどこで——」
「ふふ。拾っただけよ。無造作に自室の机に置いてあったわ。鍵もかかってなかったし」
……完全に罠じゃないか。俺の油断を突いて、堂々と探られた。
「まあ、安心して。私はこれを褒めに来たの。とても有益な分析。冷静、論理的、しかも……時折見せる感情の痕跡が、実に面白い」
「……なんだよそれ」
「あなた、自覚ないみたいだけど……かなり誰かを守りたいって感情、にじみ出てるわよ?」
図星だった。
確かに最近、誰かの無事を願って書き留めた記録が増えてきている。
特に、ミリアの回復範囲やセリナの攻撃タイミング。無意識に優先順位をつけていたのかもしれない。
「あなた、優しいのね。でも——それが弱さに繋がることもあるわ」
「……脅しか?」
「忠告よ。恋愛って感情は、戦場じゃ命取りにもなる。ましてこの国では……ね?」
イリーナの目が、一瞬だけ冷たく光る。
この女——敵じゃない。でも、完全な味方とも言えない。
「さて、今夜のうちにもう一度、部隊配置を見直しておきましょうか。あなたと一緒に……私の部屋で」
「は?」
「だって、そっちのほうが静かで、集中できますもの。ふふ、まさか誤解されるようなことにはならないわよね?」
「……お前、わざとやってるだろ」
「さあ、どうかしら?」
イリーナ・ファルカス。
この女が来たことで、恋と戦術の戦場は、さらに複雑な様相を呈していく——