異世界転移、恋愛禁止ルール
目を覚ましたとき、そこは教室でも、自宅のベッドでもなかった。
青空が、まるで何かの絵画のように高く、澄んでいた。湿った土の匂いと、遠くで鳥が鳴く音。風が草を揺らし、足元の地面がやけに現実味を持って自分の存在を証明してくる。
「……は?」
意味がわからなかった。
確か、俺は——放課後の教室で、いつものようにひとりで残って……それから?
思い出そうとするが、記憶がぶつ切れのまま繋がらない。
「……おい、あんた。目、覚めた?」
鋭い声に振り返ると、そこには、銀色の髪を風になびかせた少女が立っていた。年は俺と同じくらいか、少し上か。冷ややかな眼差しでこちらを見下ろしている。
その姿は、まるでゲームかアニメのキャラクターみたいで——けれど、現実だった。
「立てるなら立て。ここは安全圏じゃない」
「え……いや、誰? ていうかここどこ?」
「質問は後。動けるかどうかを答えろ、民間人」
「民間人って……いや、俺、高校生なんだけど……」
「それをこちらでは民間人と呼ぶ。いいから、黙ってついてこい」
彼女はそう言い残すと、さっさと背を向けて歩き出す。困惑しかなかったが、取り残されるのも不安だったので、俺は重い足を引きずってその後を追った。
====
たどり着いたのは、城壁に囲まれた大きな街だった。
異世界ファンタジーとしか思えない光景。石畳の道に、馬車。屋台には見たことのない果実や道具。服装も中世風の人々が行き交っている。
俺は、異世界に来たらしい。
「……本当に、異世界転移とかあるんだな」
「その認識で間違いない。貴様は召喚対象として、我が王国に転移してきた」
「……召喚?」
ようやく落ち着いた場所、王都の中央にある施設——対召喚者保護区と呼ばれる部屋で、俺は改めて話を聞かされた。
ここはアスフェル王国という国で、隣国との戦争状態にあるらしい。その中で、異界の知性体を召喚し、戦略的頭脳として用いる計画が立ち上がった。その実験第一号が——俺。
「頭脳って……俺、ただの高校生なんだけど」
「知っている。それでも、貴様には適性があると判定された。異界の者は、我らとは異なる発想を持つ。時に、その柔軟性こそが勝敗を分ける」
冷徹に語る彼女——名を、レイナ・グレイウィンドというらしい。王国騎士団のエリートで、俺の護衛兼監視役らしい。
「監視……ってことは、逃げたら殺されるとか?」
「……場合による」
軽く言うなよ。
====
「……でさ。そっちは召喚するの自由でも、俺の意思は?」
「契約は成立した時点で有効だ。だが、実戦には即座に投入されない。まずは基本知識を学び、最低限の訓練を受けてもらう」
「まあ、それなら……」
「その代わり、ひとつ、守らねばならぬ規則がある」
「規則?」
レイナは俺を真っ直ぐに見た。冗談でもからかいでもない、真剣な瞳だった。
「——恋愛は禁止だ」
「……は?」
「恋愛、及びそれに類する感情の発露・関与を禁ずる。特に、貴様のような異界の者が兵士・術士・回復班に感情を抱くことは厳禁である。命令だ」
「え、ちょっと待って。なんで?」
「この世界では、恋情は戦場で最も危険な感情とされている。集中を欠き、判断を狂わせる。戦力の低下に直結する。よって、王国軍内部での恋愛は禁止されている」
「なんだそのロジック……」
突拍子もなさすぎて、理解が追いつかない。
でも、彼女は本気だった。
この世界では、恋愛が命取りになる。だから、徹底的に管理され、監視される。
まるで——軍事国家そのものだ。
「貴様には、近く部隊編成が組まれる。そこに所属する者たちと協力し、作戦に参加せよ。ただし——」
「……ああ、恋愛は禁止だろ?」
「心得ているならいい」
彼女はわずかに頷き、扉の外へと向かった。その後ろ姿を見ながら、俺は思った。
——こんなルール、守れるわけがない。
俺はただの高校生だ。恋愛感情なんて、いつどこで芽生えるかわからない。
しかも、あの騎士みたいな美人が四六時中そばにいるとか……
「……ま、たぶん。そんなこと、ないとは思うけどな」
そのときの俺は、本気でそう思っていた。
でもそれが、あれほど地雷だったなんて——知る由もなかった。
====
その夜、与えられた部屋のベッドに沈みながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
窓の外には、月がひとつ。だけど、形も色も、見慣れたそれとは微妙に違っていた。
確かに、俺は異世界に来てしまったのだ。
帰れる保証なんてどこにもない。
けど、ここで生きていかなきゃならないなら、俺は俺のやり方でやるしかない。
……そのためには、まず、恋愛禁止の意味を、ちゃんと知る必要がある。
それが、命を守るためなのか。
それとも、誰かを傷つけないためなのか。
まだ何もわからない。
でも、だからこそ、知りたいと思った。
「俺に……何ができるんだろうな」
そうつぶやいた声は、風に流され、すぐに夜の静けさに溶けていった。