忘れない
僕は長い間、ずっと一人で旅をしていた。
魔法の実を探す旅だ。食べれば何でも欲しいものが手に入るという。
ある時、田舎町で出会った女の子が、僕を見て泣き出した。
どうして泣いているのか聞いても首を振るだけだった。
僕は彼女がかわいそうで、持っていた金貨を分けてあげた。
女の子は泣き止むと、その金貨で素敵なドレスを買うと言って喜んだ。
しばらく歩いていると、大都会に出た。
長身の青年が僕を見て、怒り出した。
なぜ怒っているのか分からなかったが、しばらくしてがっくりと肩を落としてしまった。
僕は彼がかわいそうになって、持っていた金貨を分けてあげた。
青年は、彼女との結婚費用に使うと言った。なぜか、とても悲しそうだった。
その後も歩き続けていると不思議な川が現れた。真っ黒の水が流れる不気味な川だ。
この川を僕は見覚えがあった。
そう、この川の中洲に魔法の実の木があるのだ。
川沿いに歩き、目をこらす。
やはり、中洲に一本の古い木がある。一つだけ赤い実を下げた、細くて折れそうな一本の木。
魔法の実はすぐ目の前だ。
いよいよ僕の旅も終わるのだ。
近くには一人分のボートがあった。僕は迷わずボートに乗った。
その時。
一人の老婆がこちらへ走ってきた。息も絶え絶え、こう言った。
「こちら側から中洲へ渡ると、一番大切な記憶がなくなるよ」
僕は首を振った。
今の僕に、大切な記憶など何もなかったから。
ボートに乗って、漕ぎ始めた。
黒い水の底には何も見えない。
もうすぐだ。もうすぐ、欲しいものが手に入る。
中洲に到着し、真っ赤な赤い実を一つ、もぎった。
それは、懐かしい味がした。
いつか家族で分けて食べた、酸っぱい赤い実の味だ。
僕が欲しいものは、一番大切な記憶だった。
僕がこの川を渡るのはニ度目だから。
一度目に願ったものは、金銀財宝だった。
でも黒い川を渡った時、それを渡したかった家族の記憶を忘れてしまった。
田舎町の少女は僕の孫。
大都会の青年は僕の息子。
河岸に戻って、老婆の手を握った。
ごめんなさい。僕の愛しいひと。
僕が世界で一番愛する、僕の奥さん。
ごめんなさい。僕の愛しい家族たち。
どんなに高価なものよりも大切なもの、大切な記憶。
僕は二度と忘れないと誓った。