第二話
まさか同じクラスになるとは・・・。
学期末の試験で、次年度のクラスが決まる。名門校であり学力重視なので、クラス分けは成績順となる。私もクレアも成績最上位のクラス。特に私は帝国で嫁入りを目指さねばならないので、必死に今年も死守した。この学院は、王族だからと忖度は一切ない。我が国の王子―――アンドリュー様は、編入となるため、難易度のかなり高い編入試験を当然受けたはずだが、まさか成績最上位クラスに入るとは思っていなかった。
我が国の教育レベルもそこそこ高いとは言え、帝国は更に高い。なので、王子が優秀とは聞いていたが、あの親だ。最上位クラスだとは思わなかったのである。
ちなみに、この学院では、成績至上主義であり、身分差も男女差も考慮しないため、王族でも皇族でも、◯◯王子、◯◯殿下、のように身分のわかる呼び方は控えるのが通例で、家名ではなく名前呼びを優先し、全員◯◯様で呼び合うのである。仲良くなれば愛称で呼び合うが。
クラス分けの張り出された紙を掲示板で確認した私は、教室に入り、授業の準備で教科書をカバンから取り出していた。教室を見回すと、アンドリュー様は、クレアの婚約者である帝国第二皇子のアルフィー様や、同じクラスの令息と歓談されているようで、ついついそちらの方を見入ってしまった。自国の王子を間近で見るのは初めてだったので興味本位で見入ってしまったのは仕方ない。すると、突然くるりと振り向いたアンドリュー様と目が合い、こちらに近づいてきた。
「君がソフィア様だね。アンドリューだ。我が国の令嬢が同じクラスとは名誉なことだ。よろしく頼むよ」
「え‥‥、あ、はい。光栄にございます」
我が国の男―――王子が、格下の令嬢に、この学院の通例を弁え、女性を◯◯様呼び。しかも私を?!
モリス様のこともあったので、呆気に取られ、言葉に詰まった恥ずかしい挨拶を返してしまう。また後で、とにやりと笑ったアンドリュー様は、颯爽と皇子達の方へ戻って行った。
「ふーん。あれが例の王子様なのね」
クレアがいつの間にか隣にいて、探るようにアンドリュー様を見ていた。「ええ」と私が答えたところで、先生が教室にいらしたので、それ以上話は続かず私達は授業を受けた。
父は、常々、あの馬鹿げた王家の子育て方針により、今代の王子―――アンドリュー様も、もれなく恋愛観が残念に育ち、茶会や夜会で、品のない女達に愛想をふりまいていると嘆いていた。なので、当然、あのモリス様の二の舞いになると思っていたのに、私をソフィア様と呼んだことに驚いた。
帝国含め周辺国は、王家の残念な恋愛観の植付けで毎度品のない王妃が選ばれることを知っているので、王国の王族や貴族に“一般的な貴族女性の在り方”を話題には出さない。話題に出せば、王妃を馬鹿にしていることに直結してしまうからだ。なので、王国の王族も貴族の殆どが周辺国に嘲笑されていることを気付きもしない。誰も指摘しないから当然だ。
家名ではなく名前呼びを優先し、全員◯◯様と呼ぶこの学院の通例を一応説明はするだろうが、初日からアンドリュー様が、私へのソフィア様呼びを許容した事を考えると、誰かが“指摘”した可能性がある。我が国の恥を‥‥‥。
あの爽やかな笑顔の下で、何をお考えでいらっしゃるのだろうか、と考えると冷や汗が出てしまう‥‥。
当然、私とクレア含め、学院の女性陣は、モリス様の前例があるので、いくら王子とは言え、アンドリュー様を常々警戒していた。
ところが、一週間経ってもアンドリュー様は、紳士な態度を崩さなかった。
これはますます誰かが“指摘”した可能性がある‥‥‥。我が国の恥を。
恥とは王妃様、つまりアンドリュー様の御母上だ。心情を思うとお可哀想ではあるが、よくよく考えれば、考えを改め、モリス様のように、教養のある女性を娶って下されば、我が国が馬鹿にされることもなくなり、時代錯誤な女性蔑視も軽視もなくなる可能性があるわけで、良い傾向ではないかと私は思ったのである。
そんなふうに平和に過ごしていた放課後。最悪な場面でアンドリュー様と遭遇してしまった。
授業が終わり殆どの生徒が寮に帰っている中、その日は、私としては珍しく課題に必要な教科書を教室に忘れて、誰もいないだろう教室に慌てて戻っていたところだった。この時間の校舎にはあまり立ち寄ったことがなく、いつもと違う静寂と日が落ちて薄暗い廊下は特に不気味で恐ろしい。少し足早に、でも淑女らしくいそいそと私は足を進めていた。
やっと教室に辿り着き、扉を開けたと同時にどんっと大きな音がして、同時に罵倒する声で圧倒されたのである。
「くそっ!ここの女共は可愛げがない!!私を誰だと思ってるんだ!!!」
呆気に取られた私の前方には、教卓を蹴飛ばしただろう、後ろ姿のアンドリュー様がいた。
これは不味いと思った。まだ私に気付いてはいらっしゃらないようで、どうやって気付かれずに退散するか、思案するが驚きすぎて体が動かない数秒の間に、ギイイイと、私が開けた扉が音を立ててしまったのである。
なので、逃げられず、ばっと振り返ったアンドリュー様と目が合ってしまい逃げることが叶わなかった。
鋭く射抜くような目で直視され、私はびくりと肩を震わせ、身動きできない。謝るべきか、どうすべきか思考が纏まらずただびくびくと時が過ぎる。多分、数秒なのだが、何時間にも感じる時が経過し、アンドリュー様がこうおっしゃった。
「ちょうどよい。ソフィア様話をしようではないか」
この場面でその呼び方っ!怖い。怖すぎる。泣きそうになりながらも我が国の王子。私の身分では逆らえず、震えながらか細い声で「‥‥はい」と答え、アンドリュー様に促されるまま、椅子に座ったのである。
「さっきは見苦しいところを見せたな。だが、おまえも思わんか?ここの女性は少々可愛げないのではないか、と」
お怒りのアンドリュー様は威圧的にそうおっしゃる。
「郷に従えと言うからな。モリス兄に、留学前、帝国での女性の扱いを散々言われその通りにしているのだが、それにしても皆、可愛げがなさすぎるのだ」
モリス様がお話しされてたのか!そういえば、モリス様のお母様は王の妹君。アンドリュー様とは従兄弟で仲がよろしいのだわ。でも、この様子だと、帝国での女性の扱い方は話はしているが、我が国の恥は知らない様子。
「笑い方も堅苦しいし、愛嬌がない。話しかけても近寄っても来ない」
そりゃまともな淑女教育受けてますもの!王妃様や我が国の女性みたいに歯を見せて満面の笑顔でなんて笑わないですし、女性から男性に極端に距離を詰めたり、ましてや体に触れようとする下品なことはこの学院というか、我が国以外の女性はされませんよ!
こんな調子で、延々とアンドリュー様の話は続き、流石に最初の恐怖はだんだん薄れ、私は早く解放されないかとイライラしていた。ちらりと時計を見やると、そろそろ夕食の時間。教室から寮の食堂は遠いので、早く食堂に行かないと夕食抜きになりそうで、話すタイミングを図っていた。
アンドリュー様が、はあああと大きくため息を吐かれ、ここだ!と私は思い声を出した。
「アンドリュー様、そろそろ夕食です。食堂に急がれませんと間に合わなくなりますわ」
「ああ、もうそんな時間か。長居させたな」
思ったより、あっさり解放され、私はやっと肩の荷が降りたのだが、この日だけで終わるものではなかった。どうやら、長時間愚痴に付き合い、学院でも少ない自国の民。聞き上手で、同調したと思われたのか、それから何度も放課後に教室に呼び出され愚痴を聞き続けることになってしまったのである。
かれこれ、一月もそんなアンドリュー様に付き合わされ、私は正直うんざりしていた。そして今日も放課後呼び出されていたのだが、もうすぐ、この学年になっての初めての評価試験。貴重な放課後をこんなことに奪われたくなく、いつもよりイライラしながら話を聞く。相手は王子。不敬にも仲良くなったとは言えないが、さすがに一月も付き合ったので、少しは話を遮ってもいいだろうと思い、タイミングを見つつ、私は勇気を持って話したのだ。
「アンドリュー様、大変申し訳無いのですが、評価試験の勉強をしたいので、今日は寮に戻ってもよろしいでしょうか?」
「試験?ああ、もうすぐだったな。戻るのはいいのだが、ソフィアは女性なのにそんなに勉強してどうするのだ?」
「‥‥‥」
そうだ。この王子様は、女性は教養などなくてもよく、愛嬌さえあればと思っていらっしゃるのだ。さて、ここはどう答えるべきか悩みどころである。なんせ、アンドリュー様は、反論なく愚痴に付き合う私を、自分に同調した考えをしていると勘違いなさっている。ちなみに私のことは仲間と思われたのか、気に入られ、同意なく今や呼び捨てだ。
「学ぶことが好きになってしまったのです‥‥‥」
捻り出した私の答えはこうだ。あくまで私個人が、愚かにも学ぶことが好きだっただけで、王国の女性達と同調していないのは私個人が悪いのだ、という意味合いで答えたのだ。好きになってしまったので仕方ない、と。なので、申し訳無さそうに、目線を落とし、肩を落としてそう答えた。
「‥‥‥そうか。寮に戻るか」
いつもこの呼び出し後は、一緒に寮棟へ歩いて戻り、その間もずっと愚痴を聞かされるのだが、この日はなぜか、アンドリュー様は何かをお考えなのか、寮までずっと一言も話をされなかった。なんだか気まずかったのだが、あれ以上、身を守る回答は思いつかず、この沈黙が私のせいかもわからず、なにより、評価試験の勉強に時間を割きたかったので、気にしないでおこうと一旦思考を追いやることにした。評価試験は私の帝国への嫁入りに関わる。アンドリュー様ばかりに時間を割いている余裕はないのだ。
幸いにも、その後は呼び出しもなく、勉強時間を確保でき、無事に試験を終えることができた。
私の試験結果は、まずまずで、ホッとしたが、アンドリュー様の成績に驚いた。なんと、ずっとトップだったクレアの婚約者である帝国第二皇子のアルフィー様を抜き、一位なのだ。二位がアルフィー様で、三位がクレア。ここまでアンドリュー様の頭が良いとは思わず本当に驚いた。
なので、その日、久々に放課後呼び出された私は、アンドリュー様を褒め称えた。
「私はな、一度読み聞きし、覚えたことは忘れない。だから学ぶことは苦ではないのだ」
おおう。そうか、アンドリュー様は所謂“天才”の部類だったのか。愚痴ばかりでうんざりな面もあるが、自国の王子がここまで出来の良い方なのは素直に嬉しい。
「だが、学ぶことを好きだと思ったことはない」
なぜだか、決意したかのように強めの口調でアンドリュー様がそうおっしゃる。
「ソフィアは、学ぶことが好きになってしまったと言ったな。私は驚いたのだ。女性が学ぶことが好きなどと言うのは初めて聞いたし、女性には教養など不要だと思っていたからな」
最初、なんだろうと思ったが、そういえば試験前にそういったな、と思い至った。そして、アンドリュー様がまさか私の言葉に驚いていたとは思いもよらなかった。
あの場で、身を守るべく発した私の「学ぶことが好きになってしまったのです」という言葉。私の場合、学ぶ目的は帝国への高値で売れるための嫁入りなのだから、好きか嫌いかで言えば好きな方ではあるが、学ぶのが好きで、というのは大半嘘である。
少し罪悪感を覚えつつ、アンドリュー様の続く言葉に耳を傾ける。
「王国の王子は、王国の学院卒業後に外交デビューするのが普通だが、今回私は留学しているから少し早いが、最近帝国で外交をし始めたのだ」
そういえば、試験明けすぐに帝国の王宮で皇家主催の夜会があったとクレアが言っていた。
「今回は、大陸の複数国の王や代理の王族達でいくつか話し合うべきことがあったから、夜会前に話し合いが持たれたのだ。私も父の代理で参加した。するとな、その話し合いに、王妃や王太子妃を伴っていたのだ。しかも、驚くことに、女性にも関わらず、知識を持ち彼女たちは意見を出し、話し合いに参加していたのだ」
わわわわわ。これは不味い。アンドリュー様は、王国の女性への価値観では有り得ない場面を目撃してしまったのだ。
「その後の夜会でも、挨拶をしたり話をした女性たちの話す内容が、どの女性も知性のあるものだったのだ」
不味い不味い不味い。頭の良いアンドリュー様だ。これは気付いてしまったのかもしれない‥‥。
「我が国の母、いや、王妃は外交には出ない。夜会には出るが‥‥‥。女性たちも‥‥‥。帝国での夜会で出会った女性とは話の内容が全く異なるのだ。帝国だけじゃない。法国の法皇の皇女も、西の王国の王妃も、共和国の大使の奥方も。どう考えても、皆、女性が学んでおるのだ」
「‥‥‥」
「ソフィア、もしかして、女性が学ばないのは我が国だけなのだろうか?」
「‥‥‥」
どうしよう、どうしよう。何も言えない。本当の事を言えない。言えば不敬になり、王妃様―――アンドリュー様の御母上を馬鹿にしたことになってしまう。
しかも、知れば、知ってしまえば、王国が他国にどう思われているかもアンドリュー様なら気付く。いや、既にある程度気付いているのだろう。さっきから私を見ている目は疑っている目だ。この目は、私に自分の辿り着いてしまった考えを“確認”しようとしている疑いの目だ。私が嘘をつくか否かを疑っている。なので、既にアンドリュー様の中の答えは出て確信している。
まさか、私の一言が、アンドリュー様に疑いを持たせ、間の悪いことに、それを確信させる話し合いや夜会の場が重なってしまっていたとは。
つまり、これは逃げられない―――
「アンドリュー様、今から私がお話しすることを不敬に問わないとのお約束を頂きたいのです」
決意した私は、なけなしの勇気を振り絞って言った。言質を取らねば身が危ない。
「‥‥約束しよう」
言質は取った。私は息を整え、それでもばくばくする心臓を感じつつ、この国がやっと変わるかもしれない唯一の可能性に飛びつこうと決めた。取り繕ってはいけない。はっきり言わねば。もう五代も続いている悪習を変えるのだ。
「我が国は、長年、他国からお飾りの王妃がいる国だと嘲笑されているのです」
「!?」
「女性に教養がないおかげで、我が国は、他国からは、あの国に娘を嫁に出すな、と言われております」
「!!!!?」
「臣下として申します。アンドリュー様の代で、王国を変えていただきたいのです」