登校
桜の花は既にほとんどが散って、新しい葉が東の空から顔を覗かせる太陽に照らされながら、風と共に木漏れ日を揺らしている。
暖かさを感じる春の朝は駅から学校へ歩くのに心地よさを与えてくれている。
何となくいつもより早く起き、電車の時間をいつもより早めた今日は、遠くはない駅から学校までの距離の中でも、周りを歩く同じ高校の生徒の顔ぶれの違いに新鮮さを感じた。
「あ、吉田くん、おはよう」
だから朝の登校時に彼女に会うことも初めてのはずだ。
綺麗な黒髪をポニーテールで纏め、同じ高校の制服に袖を通す彼女は、夕方にいつも一緒に帰る時とは少しイメージが違って感じられた。
何が違うのかはよく分からないけど。
「おはよう、加藤さん」
「今日は早いね。昨日忘れ物でもしたの?」
「いや、なんか今日は早く起きたから、せっかくだし早く学校に来ようかなと」
彼女――加藤ひなさんとは、昨年の2月14日のバレンタインに、彼女の方から告白してくれたことを機に付き合っている。一年生の頃は同じクラスで席が近いのもあって、付き合う前からもよく話をする関係だったが、二年生となった今は別のクラスになって話す機会も少し減った。
だからこうやって少しだけでも話す時間が増えるのはとても嬉しい。
僕と同じくクラスの中心にいるわけではない彼女とは、人間関係や学校生活の悩みなどを共感しながら話が出来る。
それが僕にとっての楽しみで支えでもあった。
「そ、そんな日あるんだ。え、でも今日起きられたなら、これから毎日早起きして一緒に登校しようよ」
「それは無理。普段、部活ある日は特に朝に弱いから」
「じゃあ、部活オフの次の日なら早く来れるってこと?」
「あ、いや、そういうことでは、ないけど……。やば、墓穴掘ったかもしれない」
「それ、私とは朝一緒に登校したくない、みたいに聞こえるんだけど」
ぷくり、と頬を膨らませる彼女はとても可愛らしいが、普段からも表情はとても豊かで、こういう様々な表情をいつも見せてくれる。
朝一緒に登校するのは、彼女のいろんな表情を見るチャンスとも言え魅力的だが
「いや、そういうわけじゃないんだけど、毎朝睡魔と戦闘するという僕のルーティンが崩れちゃうんだよ」
「でも今日はそのルーティンが無くても大丈夫だったんでしょ?」
「た、確かにそうだね」
「認めちゃったじゃん。じゃあ、部活ない日は一緒に登校する。約束だよっ」
「分かった。起きられたら起きて、早めの電車に乗るよ」
「それ、ほんとに一緒に登校してくれるの?」
「僕も分かんない」
本当に実際早起きできるのかも分からないし、出来ない約束はしないほうがいいと思うのだが、
「むぅ、、、私は出来るだけ吉田くんと一緒にいたいのに」
あ、やばい、可愛い。
そんな近くの距離での上目遣い、僕が耐えられるわけがない。
「……ごめん、前言撤回。朝、頑張って早く起きるわ。一緒に登校する」
「それは部活あった次の日も?」
「それはちょっと無理かも。流石に睡魔に負ける気がする」
「しょうがないなぁ、じゃあ、部活ない次の日はちゃんと早く来てね。駅に集合だよ」
上目遣いはやめて、すぐに切り替えて明るくなった彼女の表情は普段からよく見ている笑顔に戻った。
「分かった。とりあえず明日部活ないから、明後日には一緒に登校できると思う」
「りょうかいです!」
敬礼しながら返事をする彼女の表情も、また新しく可愛かった。
「で、今日は楽しみ過ぎて、早く来すぎてしまった、と」
「はい、早く来てくれないかなぁ、と思ってました」
翌々日、何とか睡魔との戦争に勝利した僕は、少しソワソワする心を隠しながら、前々日と同じ時間の電車に乗り込むことが出来た。
うっすらと目の下にクマが覗く彼女は僕と学校まで歩けるのがとても楽しみだったようで、いつもよりも早い時間の電車に乗ったらしい。僕が来るのをキョロキョロしながら待っていた。
こんな関係がきっと僕たちの普通なのだろう、と思う。