リープ
「ほら、ちゃんとシートベルトしろーー」
「パパ、絶対寄ってよ、遊園地、絶対だよ」
「わかった、わかった」
朝から何回確認されたか知れない。後部座席で二人がはしゃいで、前の座席は揺れっぱなしだ。
「こら、お姉ちゃんなんだから、弟を叩かない」
横で妻が怖い声を出す。「まあ、いいじゃないか」と小さく言うと、キッと睨まれた。
「子供たちはお義母さんに預けて、二人だけで行くはずだったのに」
またか。久しぶりの、本当に久しぶりの家族旅行だ。もう一年は出掛けていなかった。今までにも休みはあったが、家でつぶれているか、友達と飲みにいくか、はたまたこっそり、後輩の女の子と遊びに行くかだったためだ。本当は妻のいうように、夫婦水入らず、のつもりだったが、今更二人でなにをするってんだ。とうてい間が持たない――。
「いいじゃないか。子供達も大きくなったら、なかなか旅行なんて行けないぞ。今のうちだよ」
「普段興味もないくせに……」
イラっとして隣を見る。妻は澄ました顔で、窓の外を眺めている。ふてぶてしい態度を叱ろうとするが、もう一つ気になることがあった。さっきからバックミラーに、へばりつくように後方の車が接近しているのだ。
「ちっ、ちけーな」
相手の顔が見えそうなほどに近づいている。注意の意味もこめて、ブレーキを踏んだ。後ろで急ブレーキがかかる。
「ちょっと、やめてよ。高速で」
妻がシートベルトを握りしめて、非難がましく言った。
「やめてほしいのはこっちなんだよ」
後ろでは懲りずに接近を繰り返している。もう一度、ブレーキを踏んだ。
「ちょっと!」
妻が叫んだタイミングで、後ろの車が車線を変更し、俺達を追い越して、前に出た。
今度は向こうが、ブレーキを繰り返す。
「ねえ、どうするの。もう」
妻は語尾を震わせながら、俺の方を睨む。喧嘩を売ってきたのは向こうだろう。
すると、前の車は端によることもなく、急停車した。なんて非常識なやつだ。運転席から降りて、こちらに歩いてくる。
「どうしたの、行かないの?」
子供たちが不安気な顔で問いかけてくる。妻は下を向いてなにも言わない。
俺の横まできた運転手は、窓を叩く。もちろん無視だ。後続の車が赤いランプをともしながら追い越し流れていく。
運転手は運転席側のドアをダンと蹴ると、後部座席の窓を殴りだした。子供たちの怯えた声が響く。
「ってめぇ」
「ちょっと、外出ちゃだめだって」
子供に手を出されて、黙っているわけにいかねぇだろ。
ドアを開け、「おい」と詰め寄ると、運転手は逃げるように、車の前方に移動する。
「煽ってんじゃねえよ。全部映ってるからな」
運転手は自分の車に付けてある、ドライブレコーダーを指差すと、車からスマホを取り出し、「警察だな」と呟く。
「勝手にしろよ。先に煽ったのはてめぇだからな」
「はぁ?」
「やめてよ、あなた」
運転手と言い合いをしていると、妻が助手席から出てきた。車がすぐ横を、ビュンビュン通り過ぎる。
「こっちも撮ってあんだよ。お前の煽りをな」
「もうやめてよ。すみません、ごめんなさい」
「なに謝ってんだ」と言おうとした、その時だ――。
キューー、という甲高い音の後で、バッシャーーン、と落雷のような地鳴りが轟いた。
そのすぐ後で、妻の声にならない叫び声――。
俺は、放心状態になった。何も考えていなかった。ただ、体だけが動いた。ぐしゃぐしゃになった車の、運転席を覗く。
子供達は、両親を心配してか、二人とも、前の席に移動していた。前屈みの体勢だ。姉は意識がある。そのことを、妻に叫ぶようにして伝える。
助手席に回る。小さな首筋に手をやる。脈は――、ある、気を失っているようだが……頭から血が出ている。
再び妻に顔を向け、声を出そうとした――。
「あなた!」
妻の声。背中にうけた、大きな衝撃――。なんだ、なにが……。こんなはずでは――。なぜ、頭が真っ白なんだ。戻らなくては――、俺は何をしている?
「そう。君が望むのは再生なんだね」
見知らぬ少年の瞳に俺の顔が映る。
読んでくれてありがとうございます(*´-`)
これからも応援よろしくお願い致します!