ヘデラの力
「皆、早く! 起きて!」
リーグレの足音と慌てた呼び声がする。夢は見なかった。そもそも、私は昏睡状態かなにかなのだから、この、今の世界が夢なのかもしれないが――。
「どうしたの? なにかあったの」
エビーはすでに飛び起き、部屋の扉を開けてリーグレと向き合っている。
ユーニンは欠伸を隠せない。まだ眠そうだ。
「ああ。女の子らしい影を見かけたんだ。お化け屋敷のほうだよ」
リーグレは言いながら、廊下に出る。「おはよう」と、窓の外は暗いけど、ユーニンに声をかける。「うん、誰かの隣で寝たのって久しぶりで、安心してよく寝ちゃった」と照れ笑いを浮かべる。
「私達も早く行きましょう」
エビーはこちらをチラと振り向き出ていった。
廊下に出ると、イクセが階段を下りているところだった。階下のホールには、すでにリープとガーストの姿がある。
「それで、本当に見たんだな」
リープがリーグレに腕組みをして尋ねる。「ほんとだよ」と小さく声がする。
「見つけたら、捕まえるんだよな、俺達と同じような状態なんだろ」
「そうだよ。お化け屋敷は一番奥だ。脇を回っていったほうが、くねくね遊具を縫っていくより早い」
「じゃ、さっそく行こうぜ」
リープは扉を開け放ち、暗闇に突き進んでいく。
「暗いですね、足元、気をつけてくださいね、ヘデラさんも、イクセさんも」
ユーニンは軽やかな身のこなしで、道に突き出る花壇の凹凸を飛び越える。
左側に池が、波紋を広げながら、遊園地の街灯の明かりを反射する。
水面から、時折、目が飛び出ている、やたらとヒレの長い魚のような生き物が、こちらを襲ってきた。それらを走りながら、エビーがリーグレに力を貸し、赤い光で、銃弾のように、弾き飛ばしていった。
池を通り過ぎ、観覧車が見えてきた。くるくる回る、色とりどりのゴンドラの間から、人影のような者が、ふわりとこちらにやってきた。
「よお、リーグレ。何やってんだ、弱虫君」
近づいてきたそれは、形は人型だが、顔は牛の骸骨のようで、ひらひら黒のマントが揺れていた。
じっと見ているだけで、不快感が襲うそれを、私は見ないように、顔を伏せる。それでなくても、気色の悪いものばかりがいる世界で、それは際立った。
「君には関係ない。邪魔をしないでくれ」
リーグレがはらう仕草をすると、ふわりと避けて、ガーストの横にすっと移動し、下から覗き見た。
「人間風情の力を借りないと、なにもできないのかな、お馬鹿なリーグレ君は」
すると、ガーストが、それにグイッと腕を伸ばした。「は?」とそれが、歪むように笑う。
「ガースト、こっちだ」
リーグレが振り返って、掌をひらひら招くように動かす。ガーストは不承不承といった様子で、ゆっくりリーグレに掌を向けた。
――とたん、渦を巻いた黒い煙が、空を覆い、それに被さり、巻き上げた。「ぐわぁぁ」と、背筋も凍る声を出し、それは彼方に飛んでいった。
「君達大丈夫?」
リーグレが申し訳なさそうに、こちらを見た。巨大な船の形をした乗り物を突っ切り、お化け屋敷の正面にたどり着く。どうやら廃病院を模しているらしい。
「ここに……入るんですか」
ユーニンがおずおずと聞く。ひっそりと暗く、まだ入ってもいないのに、身の毛がよだつ。
「雰囲気は抜群だね」
イクセは、たいして怖がるふうでもなく、ふふっと笑った。
「行くぞ。離れるな。迷子は一人で十分だ」
リープが女の子を探しに、スタスタと一人、入っていく。
「あ、こら、リーグレがいなきゃ意味ないっての」
エビーはリーグレの手を引き、幕の間をくぐろうとする。「僕たちも、さあ」と腕を引かれたリーグレに促され、私達も恐るおそる、足を踏み入れた。
「まるで悪夢ですよーー」
ユーニンがぎゅっと私の袖を掴んで嘆く。さっきからほとんど目を開けていないようだ。何回足を踏まれたかわからない。
「それにしても、真っ暗だな。辛うじて、骸骨なんかの仕掛けが光ってるからなんとか歩けるけど」
イクセもユーニンに腕を掴まれ、バランスを崩しそうになるのを、必死にこらえている。
「ガースト君、平気?」
イクセの言葉に、後ろからついてくるガーストは答えない。この場所にあって、ガーストは不気味だ。
時折襲いかかる、白い煙のような敵を、ユーニンがリーグレと追い払っていた。
「これはなに?」
「うーーん、いたずら好きの幽霊達ってとこかな」
リーグレは腕に抱きつくエビーに囁く。
「おい、いたぞ!」
リープの声が遠くから聞こえる。
「待って、一人で行っちゃだめだ!」
リーグレが走り出す。私達も見失わないように、後を追う。
「きゃっ」と短い悲鳴がし、エビーが私の前に、派手に躓いた。さっきの白い煙ではなく、なにか血のように赤い光が混じっている。触れると、ヒリヒリと痛い。
「大丈夫?」「平気よ」私の手を払い、リーグレに力を貸すが、効かないのか、煙は鋭く私達を刺す。
イクセのバリアも、突き破ってきた。「ガースト!」と、リーグレが叫ぶ。
ガーストは大きく溜息をつき、躊躇する様子を見せる。
「ガースト、お願い!」
エビーが真っ直ぐにガーストを見つめる。ハッと息をのむ音が聞こえ、ガーストはリーグレにさっと、腕を差し出す。
大きくうねりを上げた黒い渦が、赤い光を放つ煙を駆逐する。
「今だ、進め!」
リーグレの声に従い、早足の手探りで通り抜ける。
少しだけ開けた空間に、リープが倒れていた。さっきの煙にやられたようだ。
リーグレが「リープ、しっかり」と声をかける。呻き声があがったので、そこまで重症ではないようだ。
「見て、あれ」
エビーが指さす方向に、白い裾のようなものが見えた。
「出てきて。あなたを探しに来たの」
エビーの呼びかけに、物陰に隠れようとしていた影は動きを止める。
「僕を覚えているかな、君をこんなところに迷わせてしまって、ごめん」
リーグレはそっと一歩踏み出し、謝った。よく見れば、裾から細い足が覗いている。足の甲が向きを変え、私達のほうへ、つられて、半身がにゅっと現れた。
――女の子……ではない。それは、老婆の姿をした、しかし人間のおばあちゃんのような温かみの欠片もない、なにかだった。近づいてはならない、そんな空気を纏っている。
「皆、下がるんだ。イクセ、バリアを」
イクセは老婆から視線を外せないでいる。「イクセ!」とリーグレに叫ばれ、ようやく我に返ったように、訳も分からず、といった様子で腕を出す。
リーグレは皆を包み込むバリアを張った。直後、老婆が口を大きく開けた。大きく裂けた口から、なにか、虫か、エビーが出したような弾丸状のものか、そんなものが大量に吐き出される。
バリアに叩きつけられる。バン、ガシャン、と頭上で砕ける音がする。
「ダメだ、もたない。あれは疫病神の一種だ! イクセの受容じゃだめだ、ガースト!」
私の横で縮こまっていたガーストは、このままでは自分も無事でいられないとばかり、バリアを見上げ、リーグレに力を貸した。黒い渦が、とぐろを巻き、老婆に襲いかかる。
――やった、老婆の体が飲み込まれた、かに見えたが、一度小さくなった影は、爆発したように、吹き飛ばされ、私達ももんどりを打つ。ベッドの脚に頭を打つ。
「リーグレ、私の力を!」「わ、私も!」エビーとユーニンがそれぞれ赤い弾丸と、黄色い閃光をリーグレから放つが、老婆の攻撃に吸収されてしまう。
「来るぞ! イクセ、踏ん張れ!」
すでに息切れ、片膝をついたイクセは、どうにか腕を上げる。老婆が、息を思い切り吸い込むようにし、一呼吸おいた。
「リーグレ……どうにか……」
リープも、リーグレに抱えられながら、手に力を込めている。リーグレがぎゅっと握り返す。
老婆がブハーーとさっきにも増して、大群の攻撃を放つ。
そのいくつかは、リープの力で跳ね返る……が、老婆はものともしない。イクセは両膝をつき、もう限界のようだ。
――そんな光景を前に、私は何の感情も湧かない。別に、どうなろうが構やしないし――。
「ヘデラ! 君の力を僕に! 僕に預けろ」
私の力? リーグレを見返す。悲し気な顔。どう見ても幼いただの男の子。私なんかを頼ってくる。誰にも、何も望まれない私に――。
気づいたら、リーグレに手を差し伸べていた。前の世界で、何度もこうしたっけ。
辺りが真っ白に、光に包まれて、なにも見えなくなった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
引き続き、応援よろしくお願い致します!