少女
「いい、六時になったら、なにがなんでも、ここで待っているのよ。もしパパが駄々をこねたら、遊園地の人に、助けてって言うのよ」
ママは朝からずっと同じことを言っている。でも、ちゃんと聞いていないと、すぐに気づいて怒りだすから、うんうんと頷いておく。
今日は皆お休みの日で、遊園地は混んでいる。車を降りて、ママに手を振る。「気をつけるのよ!」と言いながら、ママはパパに何も言わずに帰っていった。
パパは少し離れた、入口の横で、俯き加減に私に手を振った。走ってパパの元へ行く。
パパとは月に二回しか会えない。ママはそれでも多いほうだと言ってるけど……。
「なにに乗る? 好きなのに乗っていいぞ」
パパは会うといつも優しい。どうして一緒に帰らないのかと聞くと、ママが許さないって言う。ママに聞くと、あなたのためだ、って言うから、よくわからない。
「コーヒーカップ! 黄色の!」
女の子がピンクのカップに乗ってはしゃいでいるのを見つけて、羨ましくなった。
「よし、じゃあパパは目が回るから、ここで見ててあげるよ」
チケットを手に、黄色いカップに乗りこむ。ハンドルを握って、パパを探す。パパは柵に腕をのせ、片手を振った。プルルルル、と音が鳴って、ゆっくり回りだす。ハンドルに力を込めて回すと、景色が回転を速めた。メリーゴーランド、小さなジェットコースター、ピエロの看板も見える。
他の子が乗ったカップと、ぶつかりそうで、ぶつからない。楽しくなってきて、声が出る。
くるくるくるくる、メリーゴーランド、ジェットコースター、黄色い服のピエロ、メリーゴーランド、ジェットコースター、赤い口でニッと笑うピエロ……。
ブーーッと音が鳴って、カップはゆっくり止まる。パパに駆け寄って、手を引く。
「次あれ乗る!」
「えぇ、回る乗り物が好きなんだなぁ、まぁ、メリーゴーランドならパパも一緒に乗ろうかな」
「ホント! あのお馬さんに乗ろ!」
「いや、パパはかぼちゃにするよ」
パパは私の隣のかぼちゃの中に座った。動き出すと、お馬さんが上下に動き、パパはいちいち、首を上に向けたり、戻したりして微笑んでいた。本当にお馬さんが走っているように、観覧車やレストランと景色が動く。
「あれ、もう終わりぃ?」
あっという間に止まってしまったお馬さんを名残惜しく見つめながら、パパに手を引かれて降りた。
「昼も近しい、なにか食べるか」
「やったーー!」
パパの一言で、頭の中はなにを食べるかでいっぱいになった。
「おいしいか?」
「うん!」
焼きそばを食べながら、パパに笑顔で答える。焼きそばの味は、正直ママのほうがおいしいけど、パパと一緒に食べられるからおいしいのだ、とはうまく言えない。
「学校はどうだ? 友達は出来たか?」
「うん、できたよ。算数は嫌いだけど、体育は好きだよ。友達はね、体育が苦手だから、運動会なんていらない、って」
「そんなことないぞ、運動は大切なんだ」
パパはニコニコと私の話を聞いていたが、運動会、という言葉に、ちょっと顔をしかめた。
「パパ、行ってやれなくてごめんな……」
「え? いいよ、だって、友達のパパすごいはしゃいでるんだもん、恥ずかしいよ。あとで、友達も止めてほしかったって」
「――そうか……」
触れちゃいけない話、そういうのがあるのは、ママと話すときも同じ。触れてしまったときの答え方も、教えてもらったわけじゃないけど、わかる。
「さあ、次はなにに乗る?」
パパは、太ももを叩いて、立ち上がった。
いくつか乗り物にのってから、パパと観覧車に乗った。景色が小さくなり、もうすぐ頂上、というところで、パパが口を開いた。
「パパと……暮らしたくないか?」
「え……でも――」
「難しいことは考えなくていい。気持ちが大切なんだ」
「…………」
なんと答えていいかわからず俯くと、同意したと思われたらしい。ずっと遠くまで、お家も学校も、その先まで見えていた風景が遠くなり、パパが、一緒に暮らしたらできることや、どんなに楽しいかを話している間に、一周回り終えた。
「パパ、次会うときはどこへ行く?」
努めて明るく、出口から出ながら振り返る。
「次なんていらないよ」
パパは笑って答えるけど、両手をポケットに入れて、ソワソワしている。
「でも、もうママが迎えにくるよ……」
「放っておけばいいさ」
パパが強い力で、手を取って、引っ張った。どうしよう、もう六時だ……。パパは好きだけど、ママも好きだし、ここでパパの言うとおりにしたら、なんだか悪いことが起きそうな気がした。
「でも、六時には入口にいないと……」
「いいんだよ。パパと一緒に帰ろう」
ぐいぐいパパは、腕を引く。たぶん、駐車場のほうに行くつもりだ。ママと、前に来たときは、ママは車をそこに止めていた。無意識に、遊園地の大人を探す。さっきまでいた掃除をしていた大人は、どこかに行ってしまったのか、見あたらない。お化け屋敷が近いけど、遊園地の大人は誰も立っていない――。
ふと、お化け屋敷の隣に、箱型の建物を見つける。入ったことはないけど、入口に、ピエロが立っていた。ピエロはこちらを向いて、片方の掌を上に向け、こっちにおいで、と招く仕草をしているように見えた。
「さぁ、パパの言うことを聞きなさい」
「やめてよ、パパ!」
なんとか振りほどくと、ピエロに向かって駆けだした。ピエロは両手を広げ、私を受け止めると、手を引いて、箱型の建物に入っていった。「その子を離せ!」とパパの声が追ってくる。箱の中は、鏡の空間だった。たくさんの私とピエロに囲まれて、どこがどこだかわからない。でも、ピエロは慣れた足取りで、右へ左へ迷路を進む。
後ろから、どたどたと足音がして、「どこだーー!」とパパが叫ぶ。ピエロは黒いカーテンをくぐり抜けると、人差し指を口に当て、私に「シーー」と合図した。
鏡の空間でじっとしていると、パパの声はだんだん遠くなり、ついには聞こえなくなった。
「ピエロさん、ありがとう」
私はピエロを見上げて小さく呟いた。ピエロは、私の方に向き直ると、ぎゅっと私を抱きしめてきた。
私もハグし返したけど、いつまでたっても離してくれない――。
「ピエロさん、苦しいよ……」
ピエロは私を押しつぶすように、被さってきたと思うと、口をふさいだ。驚いて、振り払おうとするけど、知らん顔して、私の服に手をかけた。いったいなにをしようとしているのか――。
とにかく、逃げないと。ピエロさんは味方じゃないみたい。誰か、誰か、助けて――。
読んでくださり、ありがとうございます!
今日は大寒! 寒いですね!