イクセ
ガラガラガラ、と病室の扉が開く。頬を紅潮させた、はにかんだ顔が覗く。
「よお、元気か? って元気じゃねえからここにいるんだったな」
サッカーボール片手にいけしゃあしゃあとものを言う。だけど、僕にはその方が気持ちよかった。
「また無茶したんだな」
膝小僧の少し上に、派手に擦り傷をつけた友人は、はん、と傷口を叩いて見せた。
「なんでもねえよ、それよりほら」
友人は掛布団の上に、買ってきたお菓子や、僕の趣味じゃない雑誌をばら撒く。
水着の女性が胸を強調している姿に、思わず苦笑いがもれる。
最後に分厚いマンガ雑誌がドスッと落ちてきた。
「気になってたろ、アイツが裏切者かどうかって」
「それはそっちだろ。でもありがとう」
友人はさっそく雑誌を開き、続きを探している。ペラペラとめくる音が病室に響いて、他の病人も皆その音に聞き入るように静かだ。
友人は学校の話なんかを僕にはしない。僕が好まないことを、言わなくてもわかってくれる。なぜって、もう行くこともない場所の話なんて、聞いていても退屈だ。
それに今何が流行ってる、とか、こんな出来事が、という話もしない。僕が、「ああ、そう」としか返さないのを知っているからだ。
「あれ、違うみたいだ、フェイクだ、フェイク!」
友人は興奮しながら、絵をこちらに見せる。僕の興味は今や、そう、フェイクの世界だけだ。現実なんて、もう、関係ないのだから。
「本当だ。僕も騙されたよ」
ああだ、こうだと、考察し合い、僕の好きな映画についても語る。
「そういえば、あの映画の主題歌で、女子が踊るらしいね。風の便りで聞いたよ」
「あ? ああ、文化祭な。くだらねぇよ」
たまに友人の実生活へ話を向けてみる。友人は、決まって些細なことのように、馬鹿げたことのように短く答える。僕はそれを聞いて、安心する。ああ、くだらない。この世界はいつまでたってもくだらない。
「それより、次の回が気になるよな」
友人はまた雑誌の表紙を掴む。「そうだね」僕は微笑む。
「はーーい、どいた、どいたーー、検査ですよーー」
看護師さんが検査用具を持ってくる。「またな」と、友人は軽く手を上げ、帰っていった。
「調子はどうだ」
空元気でもなく、素っ気なくもない声の調子で、主治医が僕を見る。
「まあまあですよ」
「そりゃ良かった」
もともとの主治医はやたらと声がでかく、熱血漢のような人で、半年前、「頑張るんだぞ」 と僕の肩を叩き、他の病院へ移っていった。どうやら、こんな田舎ではなく、都会のもっと好条件の病院に引き抜かれたようで、「栄転だ、栄転!」 と他の医者に自慢しているのを盗み聞きした。
そう、僕のことなど、誰も気にはかけない。僕がいなくても、世界は動き続けるのだ。
あたりまえだけど、あたりまえだと実感するたびに、なにか、穴に落ちるような感覚に襲われた。
「もうすぐ手術だな。緊張してるのか」
「まさか」
ドクトル、というあだ名を子供の入院患者につけられている主治医は、ふら、っと診療外にこうしてやってくる、風変りな医者だ。普段は無愛想で、なんのためらいもなく、余命宣告もやってのけるらしいが……。
「先生の方こそ、緊張してるんじゃ? 先生がやってくれるんでしょ?」
僕は、横目で、無感情な瞳に問うてみる。
「舐めるなよ」
「別に舐めてませんよ……、でも、先生、別にいいんですよ」
「なにが」
僕はフッと息を吐く。家族の、友人だった人たちの、顔が浮かぶ。
「先生! 助かるんですよね、お願いしますよ、一人息子なんです! この子がいなければ、生きていけない!」
母の声――。
「母さんを泣かせるな。お前が弱気でどうする。しっかり戦って、勝って、うちの後を継いでもらわにゃ」
父の声――。
「早く良くなるといいね、そしたら、また学校で会おうね」
とっくに顔も忘れた、元同級生の声――。
皆、よく聞けば、僕のことなどどうでもいいと思っている――。
「失敗しても。実験だと思って」
そう言って、ドクトルを見つめる――思わず息をのむ。
今まで見たことがない種類の、怒りの目。針で眼球を刺されたような視線に、咄嗟に目を伏せる。
ドクトルはなにも言わずに、去っていった。
――それから一週間後、手術台の上の僕を、ドクトルが覗き込む。この前の、怒りの目は変わらないが、針は鋭さをなくし、刺しても丸みを帯びていて痛くない、そんな視線が僕の記憶の最後だ。
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