7.私のアンリ様
馬上の陛下に進み寄った私は、その足元に跪き、ひれ伏しました。そのまま暗唱していた歓迎の詩句を唱え、手にしていたランスの町の鍵を、私のアンリ様に手渡したのです。
ああ、どんな詩句だったかなどと、お尋ねにならないでください! 翌日には、すっかり忘れておりました。考えてもごらんなさい。その詩句を書いたのは、ランスの市民でも高い教養で知られるお方でした。シャンパーニュの片田舎に育った町娘には、まるで異国の言葉。間違えないように暗唱するだけで必死でしたし、なまりのために笑われないかと、心配でしかたなかったのです。
ええ、それが私のただ一つの台詞でした。そして、ただ一つの小道具であった市門の鍵をお渡しするとき、私は真っ赤になり、手が震えていたのを覚えております。いいえ、台詞のほうは、まずまずしっかり言えたのですよ。
「悦ばしき入城」のことを聞かされたあの晩、母は、鍵と錠前というたとえを使って話しました。アンリ様がお休みになるまでお供をする際、私の身に起こるかもしれないことを説明するときに。
よりにもよって、この瞬間に、私は、その母のたとえを思い出していたのです。
見上げると、陛下はとても優しいお顔で、微笑んでおられました。そして、わざわざ馬から降り、私の目の前に立たれたのです。
「ランスの町の暖かい歓待に深く感銘を受けた。心より感謝する」
そう言って、アンリ様は、私に口づけされました。あの台詞以外、一言も話してはならないと言われていましたので、私はできるかぎり品よくお辞儀をして、行列から離れます。
陛下は気むずかしい方だと思いこんでいたので、私は面くらうばかりでした。皇太子時代、先王フランソワ様の身代わりにスペインの捕虜として過ごされたこと、お妃のカトリーヌ様との関係は穏やかならざることなど、余計なことばかり聞かされていたせいかもしれません。
ただ、後からうかがった話によりますと、アンリ様のご様子は普段と異なり、あれほど愉快そうにされているのを見ることは、久しくなかったのだそうです。その理由の一端が、私であったなら――そのようにうぬぼれたとしても、若い娘の夢想ゆえ、どうぞお許しください。