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■老少倶死經第六 ~ 老いと死にについての偈

どんどん難しくなってまいります;

誰だ、「小乗仏教は初心者向け」とか言ったやつは……あ、オレか?;


「偈」とは文章を一回読んで終わりというものじゃなく、本来は毎日のように詠唱して自分の思考パターンに影響与えるようにしたり、また理屈ではなく感覚レベルまで深めて瞑想のテーマとするためのもの……てきとー訳にどこまでそういう要素を残せたか自信ありませんが、原文にはすごく深い意味があって、翻訳するうちにその辺がわかりにくくなってしまいます。

でもできるだけがんばって、できるだけ主旨は残したままできるだけ解りやすいように訳してみます!

 

 佛説義足經 老少倶死經第六


 聞如是佛在娑掃國城外安延樹下時有一行車人出城未到安延樹……


 こう聞いたよ!

 ブッダが、サオの町(娑掃国)の近く、アニャンの樹(安延樹)の下にいたときなんだけどさ。(瞑想してたのかな?)


 ある人が荷車を引いて町から出てきたんだけど、アニャンの樹の近くに行く前に、車輪の中央部がぶっ壊れてしまい、座り込んで悲しんでいたんだって。


 ブッダはその時、器を持って阿難あなん(アナンダ)を従え、食べ物を得るために町へやってきた。

 そして、道で荷車が壊れ、持ち主が地べたに座り込んで悲しみ悩んでいる姿を見た。

 そして(アナンダに)優檀ゆうだん経を説いたんだって。


♪荷車と同じように

   平らな道を捨ててよくない道を行っちゃうとsa

 よくない状態になり

   車輪が壊れるのと同じように問題に悩まされるんだよne


♪法(真理)の正しさから遠ざかり 

   よくないことにこだわってしまい痛い目に遭ってsa

 愚かにも死生の苦を味わい

   またも車の要(中心部)が壊れて悩むことになるのだよne」


 さて、ブッダは町に入った。


 町ではちょうど、一人の梵志バラモンが亡くなってた。彼は120才という長寿だったがとうとう亡くなってしまったのだった。

 それとは別に、ある裕福な家の子も、わずか7歳で亡くなっていた。

 両家は葬儀の行列を行っていた。ともに五色の旗を持ち、女子供たちもまげを解いてざんばら髪になり、親族たちは声を上げて泣き涙を流していた。


 ブッダはアナンダに

「なんの集まりだか、悲しそうな声を上げて痛ましいネ」

 と尋ねた。アナンダは事情を聞いてきて前記のように述べた。

 するとブッダは、こうなった理由とその意味を知り、弟子たちにそれがわかるように、また後世の人のためにも八行の偈を作って、意味を説明し尽くした教え(義の足りた経=義足経)を長く伝えられるようにした。


♪この身体ってばもう命短し

   百年しないうちにとっとと死んでまうne

  もしも百年以上生きたとしても

    老化と死去からは離れられる人はないne


♪座して(瞑想して)よく考えなきゃ

   得たいという愛から憂いが生まれるのが人生だってsa

  愛憎をすべてよく分析すれば

    誰にも寛げる家なんかないんだyo


♪死の海に漂流しないですむ場所はない

   いくら『これは私のモンだ』と愛して集めたってsa

  智慧を以てよくよく考え真実を観れば

    自分の物なんて最初から無いし自分も誰かの物じゃないyo


♪この世で夢を見るように楽しくても

   目が覚めればそんなものもう見ることもできるもんかyo

  この世であらゆることを貪ったって

    そこから離れればもう見ることもできるもんかyo


♪名高き人もいずれ去り

   善も悪も過去になればもう見ることもできないのsa

  田園だろうと世を棄て神のみぞ知る所へ行けば(もうなくなり)

   名前以外には何も残らないyo


♪愛し貪ることをやめない者は

   悲しみ憂い、他人に嫉妬したりし続けるのsa

  尊い者は愛することをやめ持ち物を棄てることで

    恐怖から遠ざかり安穏できる場所を見つけるんだyo


♪そんな欲求のない真実を悟った比丘は

   この身を離れ壊れていきたいとむしろ考えるyo

  心の動きを止め心の動きを観察し

   とどまりない世界の変転の中から消えることを望むyo


♪欲求を止めて尊い行いをする人は

   愛することも嫉むことがないからne

  悲しむことも心配することもなくて

   濡れても汚れないことは蓮の華のようだyo


♪執着しなくなり考えたり見たり聞いたりしても

   邪にならず愛することもせずにsa

  また解脱しようと必死になったりも特にせず

   貪ったり欲望に流されたりで汚れることもないyo


♪蓮の華が泥水の上に在っても

   泥に汚されてないようにsa

  尊い人は世の中にいても聞いたり見たりしたことに  

   影響されないことがまだ生まれてない者かのようなんだよyo」



 ブッダがこの義足経(意味を説明し尽くした教え)を説き終わると、比丘たちはみんな喜んだのでした。¥e。

 



さて……だいたい全体の1/3あたりまで来ましたが、翻訳できてるのはこのへんまでなので、続きはしばし月日をいただくことになろうかと思います。このあとの話はいつか完成させて投稿したいと思います。

期待してくださってた方……ほとんどいないんじゃないかという気もしますけれども、もしおられたらすみません。しばらくお待ちください~、、、

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