■鏡面王經第五 ~ 見解の違いについての偈
有名な「群盲、象を撫でる」というコトワザの元ネタとなったエピソードのようです♪
SNSとかでもちょくちょく見る情景ですが、2500年前からあったんですねぇ……
佛説義足經 鏡面王經第五
聞如是佛在舍衞國祇樹給孤獨園衆比丘以食時…
こう聞いた!
ブッダが、サーヴァスティの町(舎衛国)の近くにある、ジュータ林(祇樹)のアナータピンディカ園(給孤独園)にいたときにさ。
比丘たちは朝食の時間のためにそれぞれ器(鉢)をもって町へ入り食べ物を求めたが、ふと思ってこう言ったんだって。
比丘たち「うーん……早く来すぎたなぁ。それじゃみんなで、異教のバラモンの講堂(教室)にでも寄って、ちょっと教えを聞いてみようよ(、参考になる話でも聞けたら有意義な時間つぶしになるだろうからさ)。」
というわけで彼らは異教の講堂に行ってみて、そこの人々と互いに労りの挨拶を交わし、聴衆の場所に座ったのさ。
異教徒でも話を聞いてみたいという人にはお互い、礼儀を示していたのですね。
しかし、バラモンの先生たちは仲間内で言い争いを始めてしまった。
お互いに理解しようとせず妥協しようともせず、感情的になってきて罵倒さえ出て、
バラモンA「俺はこういう法(真理)を知ってる。お前がどんな法を知ってるてんだ!」
バラモンB「ワタシの主張は正しい道に従ってて知合を知る所だ。アンタの主張にどんな道があるってんだ!」
バラモンC「我が道法は美しい行いだ。しかし汝の道法は誰にも好かれん!」
ある意見に続き別の意見が出、後の意見は前の意見を否定する、といった具合で、いろんな主張が重なり合ってお互いにあら捜しをしあう。
バラモンD「キサマの主張は何言ってるのかまったく解らん。さだめし、真理を極めればそこには言葉にできることが何もないってところかw」(皮肉)
バラモンE「それはまさにブーメラン、オンドレの主張こそ!」
といった具合に、舌という戟(長柄兵器の一種)を転がしてお互いに傷つけあい、毒舌ひとつが出ると相手が三倍返しする。まー、とにかくひどい状態。
比丘たちはこの罵りあいを聞いてるうちに、
比丘たち「こりゃアカン、ここの先生たちには証(正しい思想)がない。もう行こっか」
と思い、席を立った。
さて比丘たちはもう一度町に出て食べ物を求め(托鉢)、食べ終わって器を懐に仕舞い、ジュータ林へと還ってアナータピンディカ園へ入った。
そしてブッダに挨拶をして、みなその周囲に座り、見てきたことを語った。
比丘たち「あのバラモン学者たちは学ぶことでかえって自分たちを苦しめてしまってました。いったい、これをどう考えればいいのかわかりません。」
ブッダは言った。
「そのバラモンさんたちは実は、今の一生だけ癡冥(迷い)の中にいるんじゃないんだョ。
「遠い過去、この閻浮(ヤンプティバ、いまいる大陸)に鏡面王って名前の王様がいてね~……。
「ある時、王様は勅使を呼んで
王『わが国内にいる眼の見えない者を全員、宮殿の外に集めるがよい』
「と命令したんだ。使者は即座に勅命を実行した。するとやがて、
勅使『大勢の盲人が宮殿の外へ集まりました』
「と報告した。すると王は大臣を呼んで、
王『この者たちをつれていって、ゾウを示してみるがよい』
「と命令したんだ。
「そこで大臣は、盲人さんたちをゾウさんの厩舎に連れて行った。盲人さんたちは目が見えないから、大臣は一人一人をゾウさんに触らせてみた。ある者は足に、ある者は尾の先に、ある者は尾の付け根に、ある者は腹に……脇に、背に、耳に、頭に、牙に、鼻に、とみんながそれぞれ触って、『ゾウを示して』もらったんだ。
「それが終わると、全員が王のところへ連れてこられた。で、王は一人一人に質問してみたンだ……。
王『お前には、ゾウが何者かはよくわからなかったであろう?』
盲人たち『バカにしないでください、カンペキにわかりましたよ!』
王『ほう……ゾウってどんなやつだ? 答えてみるがよい』
足に触った人『ゾウとは、柱みたいなやつです』
尾の先に触った人『いいえ、掃除のホウキみたいなやつです』
尾の付け根に触った人『違う、杖みたいなやつです』
腹に触った人『ウソ言うな、樽みたいなやつです』
脇に触った人『待て待て、壁みたいなやつです』
背に触った人『え~、なにそれ? 高い崖みたいなやつです』
耳に触った人『どう考えても、箕(大きなザル)みたいなやつです』
頭に触った人『何言ってんだ、臼みたいなやつです』
牙に触った人『お前らみんなバカ? 角みたいなやつです』
鼻に触った人『全員間違ってる、索(太いロープ)みたいなやつです』
そして王の前で、「俺の意見こそが正しい(真理だ)! お前の主張は間違いだ!」と、ゾウについての激しい言い争いになちゃったんだワ。
王はこの様子を見て(ため息をつき)、偈をつぶやいた。
鏡面王『
♪あ~あ……わずかな一言で
ここにいもしないゾウさんがyo~i
人々をお互いを憎みあわせてしまうことを
見ることになるなんてyo~i』」
ブッダは比丘たちに告げた。
「この時の鏡面王とは何を隠そう実は、まだ悟っておらずいろいろ試行錯誤していたころの前世の私なんだ……。そして盲人さんたちは、あの講堂のバラモンの先生たち。無知ゆえに、昔から何度生まれ変わっても無意味な言い争いをしてきた人たちなんだけど、今もまだ冥(迷い)の中にいて、無益な言い争いを続けているんだヨ。」
するとブッダは今日の出来事の意味を、弟子たちが理解できるように語った。
また後世の人のために八行の偈を作って、意味を説明し尽くした教え(義の足りた経=義足経)を長く伝えるようにした。
「
♪無知による主張は結局何にもわかってなくて
太陽でさえその愚かさを照らすことはできないほどsa
『自分はすべて知ってて他の意見は間違いだ』とか言ったって
言い争いになるだけで修行にはならず何も解ることがないne
♪常に自分の学んだことだけが尊いとし
自分の見聞と行いは最高だと言ってsa
自分は優れている、他は劣ってるだなんて
そんな考えは縄で建物に繋がれてるようなものだyo
♪欲にふけることに疑いを持ち、善を致し邪をやめ
蒙(無知)から出て学ぼうと得度してsa
諦(真理)を見聞きし教わり思索して
戒を守ってたとしても、それを自慢しちゃダメだyo
♪学んだことや能力、また行いを
自分のことも他人のことも勝手に評価しちゃアカンのsa
自他が同じくらいとか、あっちの方が俺よりスゲエとか
あいつは俺には及ばないとか、そう考えるのはダメなんだyo
♪すでに得たものも棄てて
こだわらず断ち切ればsa
どんな考え方を見聞きしても
『自分は賢いからよくわかった』なんて思わないんだyo
♪生まれることにも死んでから生まれ変わることにも
どちらにも何も願ったりせずにne
真理を体感して正しく断ち切ったら
何にもこだわずどこにもいないんだyo
♪教わり考え見たり聞いたりしての
邪念は少しも思わずにsa
智慧で真理を観察して見るも考えるも
空しく世を捨てて得たものに従っているyo
♪こうしていかなる教義にもこだわることなく
真理の意味を求めてさえいないでne
ただ真理を求めて戒を守り
人々を限りなく救って自分も帰らないのsa」
ブッダがこの義足経(意味を説明し尽くした教え)を説き終わると、比丘たちはみんな喜んだのでした。¥e。
現代だったらポリコレから障碍者差別と糾弾されそうな内容ですが、古典ゆえ改変せずにそのままご紹介しました。要するに「自分たちもある意味では盲人なのだ、そう思って人生を送りなさい」という平等主義的なたとえ話であって、差別する意図はないと思います。