■優填王經第二 ~ 引きこもりについての偈
第二話は、手塚治虫先生の『ブッダ』でもちょっと描かれてたエピソードと思われます。
佛説義足經 優填王經第二
聞如是佛在舍衞國祇樹給孤獨園時有一比丘在句參國石間土室中……
こう聞いた!
ブッダが、サーヴァスティの町(舎衛国)の近くにある、ジュータ林(祇樹)のアナータピンディカ園(給孤独園)にいたころのお話~。
一人の比丘が、コーサラ国(とマガダ国の国境あたり?)の我迹山という山中の岩場の穴ぐらに籠っててさ。
髪、髭、爪は伸びっぱなしで、服は破れて完全にボロボロだったらしいぜ。
そのころ、優填王(ビンビサーラ王、ガンジス川中流あたりにあった強国・マガダ国の王)が領内視察に出て、ガヤー山の近くまで来た。
家来は(地元民に?)道や橋を修理するように命令して、王のところへ戻って申し上げた。
家来「道が整いましたので、ガヤー山へ行くことができます。」
王の一行は、(なぜか)美女の踊り子とかも連れて、馬車と馬でガヤー山へとやってきた。
山につくと馬車を降りて歩くことにし、美女を斥候のように先に行かせ、崖から崖(眺めのいいところ?)へと山中を歩き回ってみた。
すると、岩場の穴ぐらの中に、髪、髭、爪が伸びっぱなし服は破れて完全にボロッボロ!の比丘がいた。その姿は人食い鬼か化け物のようだった。
美女はぶったまげて、「鬼がいます、鬼がいますぅぅぅッ!(泣)」と泣き叫んだ。
王は遠くから「何処に!?」と尋ねた。
美女「あの岩場にある穴の中ですぅッ!」
王は、よせばいいのに自ら退治してやろうと剣を抜いてこの美女を後ろに下がらせ、穴をのぞき込んで比丘を見つけ、問いかけた。
優填王「おまえは何者であるか?」
……そうですね。「誤チェスト」を避けるため、斬りかかる前には相手を確かめなければいけません。(汗)
比丘の答えが返ってくる。
比丘「私はシャモン(沙門、バラモン以外で出家した人)ですョ」
優填王「(はたして本物か偽者か……よし、試してみよう)……では聞くが、シャモンとは何であるか?」
比丘「私はシャカ族のシャモンですョ」
優填王「ホント? それがシャモンの定義であるか?」
比丘「違いますョ」
優填王「???」
比丘「四禅(真理には実態がないという悟り)って解ります?」
優填王「わからんである」
比丘「……じゃ、三禅(心は変化し続けるという悟り)や二禅(感覚とは苦しいものだという悟り)は?」
優填王「わからんである。一禅(自分の身心は汚いという悟り)さえ知らんである」
比丘「実はいま、陛下も私も一禅なのですヨ」
比丘が何を言いたいのか王には理解できず、なんだかマウントされたような気がして感情的になってしまい、後ろにいた黄門(取次ぎ役)を見て
王「このシャモンはだだの俗人で、正しい修行なんかしてない。こんなやつより美女と話してる方がマシである」
と言い、別の家来を呼んだ。
優填王「今すぐ縄を持ってこい。こいつを縛り上げ、首を斬ろうである」
家来は急いで縄を取りに行った。
この様子を見ていた山神(ガヤー山の守護神)は
山神「このままだと、あの比丘は怨みを抱いた死を迎えてまうぜよ! ひとつワイが助けて、この災厄から逃れさせてやらにゃあイカン!」
と思い、大きなワイルド=ボア(野生のイノシシ)に変身して、王の近くに現れた。
お付きの家来はびっくりして
お付き「イノシシです、でっかいイノシシが走ってきます!」
と叫んだ。
王は、巨大で立派なイノシシを見ると汚い比丘のことなんかもうどうでもよくなり、
優填王「よし、このワイルド=ボアをクックド=ボア(料理されたイノシシ)にしてやるである!」
と剣を振るってイノシシ狩りを始めた。
クックド・ボア(フリーSLG『ミスカルキュレーション』より))
比丘は、逃げるイノシシを追いながら遠ざかっていく王様の姿を見て(いるうちに何かに気づいたのか)、籠っていた穴ぐらを出ることにした。
穴ぐらを出た比丘は、やがてサーヴァスティのジューダ林、アナータピンディカ園へとやってきた。
そして、他の比丘たちのためにこのできことを語った。(つまり、穴ぐらの中にいた比丘とはのちのブッダだった?)
ブッダにはこのできごとから、自分や比丘たちが経巻に言葉として残すことでみんなもこの教訓を知ることができるようにしたいと思った。そこで後世の人が学べるよう、この教えが長く後世に伝わるよう、八行の偈で意味を説明し尽くした教え(義の足りた経=義足経)を説いた。
「
♪穴ぐらのような(守られた)ところに閉じこもって
そこから出たくないと執着してる生き物は
目的地から遠く遮られたままだから
智慧(行き方)を得て解放されることは難しいne
♪自分の身体や自分の世界とかにこだわったままで
周りの物質に執着し解放され難いままで
自分が何処から来て何処へ行くのかの法則を見つけられず
それを断ち切る智慧もまた見つけられないyo
♪貪欲は無知や悪意によって
知らないうちによくないゴミを積み上げてしまうne
苦しみや悲しみが何によって起きるのか
よく思索して知ろうとしなさいyo
♪人が生きてて受ける嫌なことや災難が
何故に起きるのかを知ろうとしなさいyo
正しく捨てて、執着はしないようにしなさい
死がどんどん近づいてて命は短いことを忘れないようにしなさいyo
♪この世はもともと苦しいものであって
生死は川のように流れると知りなさいyo
死ぬときにそんな自分の運命を呪うと
死にたくないという欲に従い悪い胎(生き物)へと転生してしまうyo
♪それはまるで、自分から流れをせき止めて
水の少なさで自分から痛みを受けてる魚のようだne
そうなったら身体を捨てて過去現在未来に
再び生まれても何もトクなんかないのだyo
♪智者は善悪両面においてそれを悟り
執着しないようにするものだze
自分自身が救われることにも想い執着しようとせず
悟って苦しみの荒海を渡りなさいyo
♪智者は煩悩が生じる前に抜き去ってしまい
疑いなき真理を行うものだからne」
ブッダがこの義足経(意味を説明し尽くした教え)を説き終わると、比丘たちはみんな喜んだのでした。¥e。
参考:上座部の高僧さんによる、偈の原文(パーリ語)詠唱と、日本語での解説(00:14:45 くらいから)
https://youtu.be/4fiMAlIsgjQ
(注 筆者訳はパーリ語原典からの直訳でなく漢文意訳からの再てきとー訳;なので、内容にけっこう違いが生じていますね;)