序文 訳者かいせつ!
比較文献学によりますと……八万四千ともいわれた(大正新修大蔵経収録では経律論あわせて三千くらいの)膨大な仏教経典は、「第一結集のときにいっぺんに全部できた」という説はただの伝説で、本当は千年以上かけてだんだんと増えていったのだろう、という説が有力となっております。
それならば、一番古い、最初にまとめられた経典はどれなのか? 仏教の原型とはどんな内容だったのか? ……という研究がなされてきました。
古くはチャイナの五胡十六国時代(日本の古墳時代)くらいから、たとえば「五時八教説」などいろいろな考え方が提起され議論されてきましたが、明治以降には「概念や用語の使い方が複雑で特殊、理論が高度で、展開にファンタジー度の高いものほど後代の成立 / 用語が単純で他の経典と共通点の多く、理論がやや未整理で、お話のリアルなものほど初期の成立」という原則で比較研究されるようになりました。
ものが宗教文献で諸説諸派がありますゆえ全ての人が納得できる確定は無理ですが、……いちおう学問としては、南方の上座部仏教に伝わる『お経集|(スッタ=ニパータ)』や『伝えられるべきお経|(アーガマ=ストラ)』と呼ばれる経典が、比較的単純な内容だったり他文献と共通する概念や用語を多く含んでてたりしたことなどから、原型に近いもっとも古い仏典である可能性が高いという結論になりまして。
この辺を中心に、『原始仏教』という概念が提唱されました。
(注:筆者は、これだけを以て「いわゆる『原始仏教』のみが真の仏教」と断言するものではありません。学説は研究の進展により変わることもありますから、将来に大乗仏教の方が原型に近いという定説に戻るかもしれません。また宗教はその時点の学問と必ずしも一致する必要はありません。ただしこの作品では、原始仏教説の肯定を前提として話を進めさせていただきます。)
漢文では阿含経や義足経などの、いわゆる「阿含部(アーガマ)」と呼ばれるカテゴリのお経に『原始仏教』に当たる要素が多く含まれています。
とはいえ阿含経は文量がめちゃくちゃ多いし繰り返しもあってめんどいから今回はパスして、北伝・義足経の全文てきとー訳に挑戦してみました。
南伝・スッタニパータの第四章『八つの詩句の章』と同じ詩句を含むと考えられてるお経で、文献学的にはその部分が仏典の最古層のひとつ、歴史上のゴータマ=ブッダが実際に作った詩句(偈)で、ブッダの生前に直弟子たちも歌ってた、後世の加筆修正が少ない詩句なのではないかという説が有力です。(あくまでひとつの学説ですが)
内容は自分自身の救いを目的とした教えで、いわゆる大乗経典と比べると展開が地味な上に諸概念も未発達的に表現されてるため、かつては「小乗仏教」と呼ばれ、日本では軽視されていました。
が、前述のように文献学的にはお話にリアリティが感じられて仏教の原型に近いと考えられてますし、もしその説が間違ってて大乗仏教が正しかったとしても「お釈迦さんが初級者向きに説いた解りやすい教え」ということにはなりますので、けして無意味ではないでしょう☆
義足経という題名で伝えられた文章のうちどの部分が原型でどの部分が後世の加筆なのかという研究は学者さんたちにお任せすることにして、ここでは単に「教訓をテーマにした詩と、それが生まれた事情を語る物語集」として、多少の解説や筆者の感想も加えつつ全体をてきとーに訳してみたく思います。
ただし「偈」(定型詩とか歌のようなもの)の部分は、上座部のえらいお坊さんでも「このへんのお経は難しくて、あんまり解説したくないw」(大意)みたいに言われたくらいで、我々初心者にもわかりやすく翻訳しようとしたらどうしても長くなりますから、原則、漢文の一行を二行に分けて表記します、、、すみません。
漢訳自体がすでに原文の一行を二行に分けてる場合もあるので、パーリ語(ブッダが話してたと推定されてる古代インドの言語)で一行8語くらいの八行詩だったものが計32行の日本語になっちゃったものもありますが、表現の美しい鳩摩羅什先生訳や学術性の高い玄奘三蔵先生訳などとはレベルが違う、超素人による翻訳な上、テキストにした漢訳文自体が現代の学者さんから「あまりいい翻訳ではない」と評されてたくらいですので、ご勘弁くだされ;
義足経を漢文に翻訳した支謙先生は、他にもいろんな文献を翻訳しててとてもありがたい方なのですが、どうやらトルコ系(あるいはウィグル?)のご出身と思われ、三国志に出てくる呉国の孫権に、子弟の学問教育担当の文官として仕えたという経歴から、複数言語を解する教養人ではあっても中原育ちではなく、漢語ネイティブでなかった可能性もありますね。あるいは、当時の呉の国の知識人たちにイメージしやすいようにと意訳してたら、訳文が正確ではなくなってしまったという可能性も高いでしょう。
ともあれ偈文の正確な内容を知りたい方は、専門の学者先生による日本語訳も複数ありますし、上座部のスリランカ人高僧猊下がスッタニパータの詩句をパーリ語で歌った後、日本語でその意味を解説してくれる動画もYouTubeに上がってますから(「スッタニパータ第四章」等で検索)、そのへんをご参照くださればよいかと。
また、解釈に重要な間違いとかもいくつかあると思いますから、もし見つけたらご教示はいただきたい……のではありすが、「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」と申しますゆえ、公開非難とか論破とか、特定の宗派の立場からの折伏とかの形ではなく、こっそり修正できるようひっそりとお教えくださいませ;
あと、筆者の感想や解説コメントになら構いませんが翻訳部分については、「この主張には納得できない。✕✕経ではこう言ってるし、現実にはこうこうだ」とかのご論破をいただいても基本、翻訳ゆえ内容の改変とかはできないので、その点もご承知おきくださいますよう;
このシリーズは宗教の布教とか文辞研究とかではなく、あくまで古典を翻訳して遊ぶ作品として投稿しているので、そういう方向でお楽しみくださればさいわいです。
では、古代インドの宗教家たちの日常をプリミティブな雰囲気で描いた原始仏教の物語へ、ご一緒に参りましょう~☆
♪帰依仏、 帰依法、 帰依僧! ×3回
呉(時代) 月支(出身) 優婆塞 支謙 漢文訳
令和(時代) 日本(出身) ど素人 阿僧祇 てきとー訳
(何のご縁か出身国名が真逆ですたwww)