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音なき炎陽

 昭和二十年八月十五日、その時代を生きた日本人全てが忘れえぬあの日。誰もが特別な経験をし、そして誰もが特別な想いを胸に抱いたあの日。僕はこれから、僕の八月十五日について話そうと思う。


 当時二十歳であった僕は、当然の事ながら兵隊であった。僕が所属していたのは満州第36部隊奉天派遣中隊第6分隊。その名が示す通り、満州の奉天が任地である。


 その日まで、僕達は分隊長中山昭夫の下で来る日も来る日も対戦車壕を掘っていた。ソ連が参戦し、国境を突破して当地に進攻しつつあるという情報が奉天にまで伝わっていたからだ。しかし大陸の気候というやつは、冬には零下30度以下にもなるくせに、逆に夏は灼熱地獄と化す。よって、連日の屋外での作業は実に過酷であった。


 ところが、その日に限って作業命令が出なかった。僕達は他にする事もなく、かといって、いつ出動が掛かるかもしれないので、何をするでもなく兵舎でただ待っているしかない。その時の事を僕は次のように記憶している。


 とにかく静かだった。兵舎の中も、外も、まるで奉天全体が熱い静寂の中に沈み込んでいるようだった。そして、その静寂の中で、僕達は一滴、また一滴と黙って汗をしたたらせている……


 突然、放送が鳴った。

“今日、正午より重大放送があるので全員営庭に集合!!”

 はっと夢から醒めたような気分だった。だから、つい今しがた放送で聞いた命令の内容がとっさには理解できなかった。


 重大な放送とやらは雑音ばかりで、ほとんどが聞き取れなかった。だから、放送が終わっても僕はいくぶんのん気だった。しかし、誰かれとなく「日本が負けた」「無条件降伏だ」などと言い出したので、しだいに不安がつのってきた。

「馬鹿を言うな!!」

その声にびっくりして振り返ると、丹沢一等兵が相原一等兵と殴り合いを始めていた。それをきっかけにして、敗戦を信じる者と信じない者との間で大喧嘩となった。その場に上官がいれば両者をいさめる事もできたろうが、運悪くその場に居合わせたのは(僕も含めて)一等兵ばかりだった。僕は殴り合いにこそ参加しなかったが、その時点ではどちらかというと丹沢の側だった。敗戦情報は敵のデマだと思っていたのだ。


 そこへ命令が飛んだ。

『徹底的に抗戦せよ。』

 僕らはいぶかった。抗戦をせよ、とは一体何にであろうか。ソ連に対してであるならば、今さらそのように命じられるのは実に不可解だった。なぜなら、僕らも部隊も最初からそのつもりだったはずではなかったか。もしそうでないとするなら、降伏を主張する一派に対して徹底抗戦せよという意味なのだろうか。それはつまり同士討ちをせよという事なのか。

『武装解除して降伏せよ。』

 別の命令が下った。先ほどの命令とは正反対の内容である。ようやく、部隊の上層部が混乱しているのだとわかった。しかしこの事は、丹沢にとっても相原にとっても喜ばしい事ではなかった。


 なぜ上層部がこれほどまでに慌てているのか……答えは一つだった。日本は、やはり戦争に負けたのだ。


 もう誰も喧嘩をする気力などなかった。うなだれた僕らの上に、「日本降伏」という事実だけが霜のように舞い降りてきた。

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