53話 兄の思い
「……さすがにこの情報はそちらにも伝わっておりませんか」
レナートの威圧を気にする様子もなく、ジュリアンはマリアベルよりも濃い色の金の髪を苛立たし気にかき上げる。
「我らが王太子殿下は、真実の愛を見つけたといってマリアベルとの婚約を破棄なさいました。ですが、新たな婚約者様とやらは妃教育がまったく進まず、これではいつまでたっても王太子妃として認めることはできないと重臣たちに突き上げられたそうです」
「そんなものは、平民の娘を妃にと望んだ時点で分かっていることだろう」
レナートはそう言って鼻で笑う。
マリアベルもその通りだと思う。
バークレイ侯爵家の娘としてそれなりの教育を受けてきたマリアベルですら大変だったのだ。平民であったアネットは、もっともっと大変だろう。
だけれども、その大変さを分かっていて、真実の愛を貫いたのではなかったのだろうか。
「そうですね、本当にそうです。でも王太子殿下にはそれが分からなかった。なにせあの方には、マリアベルが簡単に教育をこなしていたように見えていたようですからね。少しがんばれば平民でも何とかなると思っていたんじゃないですか」
「簡単になど……」
ジュリアンは、呆然と呟くマリアベルを痛ましげに見つめた。
彼は王太子エドワードの婚約者となって以来、バークレイの領地に帰ることもなく、ただひたすらに妃教育に励んでいたマリアベルを知っている。
ダドリー夫人の教育は厳しすぎるのではないかと、父のジェームズが抗議したこともあるくらいだ。
そこで課題がこなせないようであれば考慮するということになったものの、優秀なマリアベルが次々に新しい課題に取り組んでいった結果、これならば大丈夫だろうと言われて、こちらから口を出すことができなくなってしまった。
エドワードもまた優秀だったが、一通り学ぶとそれで満足してしまう。
だからそれ以上の知識は、必然的にマリアベルの課題となった。
対人関係においても、エドワードが自分の側近を好き嫌いで選んだため、マリアベルには苦手な相手でも等しくつきあうようにと指導された。
その結果、ほんの数人を除き、マリアベルの周りには未来の王妃におもねるものしか集まらなかった。
常に王太子殿下に従いなさい。
まるで呪いのようなダドリー夫人の言葉に従順に従っていたマリアベルは、まるで人形のように見えた。
王宮ですれ違うマリアベルが幼い頃の天真爛漫な笑顔を忘れてしまったことに、胸が痛まなかったわけではない。
だが、エドワードの婚約者から解放するわけにはいかなかった。
ダンゼル公爵が王宮で絶大な権力を奮う中、対抗できるのはバークレイ侯爵家のマリアベルしかいなかったからだ。
そのマリアベルの努力を、エドワードは少しも理解していなかったのだろう。
マリアベルもまたそれを知って、傷ついている。
ジュリアンは萎れた花のような様子を痛ましいと思ったが、慰める役目が自分ではないことをよく理解していた。
「ベル。君の努力は無駄ではない。美しいだけの花など、枯れてしまえば何の役にも立たない。完璧な淑女と呼ばれ、いずれ皇帝となる俺とともに並び立てる君という花だからこそ、愛しいのだ」
レナートは壊れものを扱うように、マリアベルの手をそっと取る。
レナートを見上げるマリアベルの翠の瞳が、ランプのゆらめきに合わせて揺れる。
「花は……水がないと枯れてしまいます。ずっと水を注いでくださいますか?」
「君が望むならば、永遠に」
レナートの言葉に、マリアベルは花開いたように美しく笑う。
絹糸のように艶やかな金色の髪も、星の光を閉じこめたようなエメラルドのように輝く瞳も、濡れたように赤く色づく唇も、なにもかもが愛おしい。
レナートは思わず抱きしめたい衝動にかられたが、さすがにジュリアンの目の前だからと自制した。
そこで、マリアベルの手を取ったままジュリアンに質問をする。
「それで、王太子がマリアベルを側室にと望んだというわけか?」
一方、あまりにも親し気な二人の様子に、ジュリアンは驚いていた。
ジェームズから仲睦まじいとは聞いていたが、ここまでとは思わなかったのだ。
突然の帝国の皇太子との結婚だ。どう考えても、あちらに何らかの思惑があってマリアベルを選んだのだろうと思っていた。
だが目の前のレナートは、どこからどう見てもマリアベルと思いを寄せ合っている。
何がどうなっているのかジュリアンにはまったく分からないが、とりあえずレナートから「説明をしろ」という視線を感じたので、王宮の現状を話すことにした。
「その……。皇太子殿下には大変言い辛いのですが、なぜか王宮ではマリアベルが殿下の正式な妃ではなく、側室として嫁ぐという話になっております。その前提で話をお聞きください」
「なんだその戯言は」
「現在の王宮は、ほぼダンゼル公爵が握っていると言っていいでしょう。父と僕が王宮から離れている間に、ずいぶんと様相が変わったようです。我が家の味方であった家も、だいぶ少なくなりました」
マリアベルが王太子から婚約を破棄されたことは、すなわちダンゼル公爵との派閥抗争に負けたとも取れる。
貴族というのは、まず自分の家の存続を考える。
だから抗争に負けたバークレイ家を見限って、ダンゼル公爵に鞍替えした家が多いのだろう。
「ダンゼル公爵は王太子殿下の新しい婚約者であるアネットを養女として迎えました。元が平民ということでなかなか妃教育が進みませんが、擁護する立場です。おそらく自分の娘が育つまでは、妃教育に時間がかかればかかっただけ良いという考えでしょう」
「娘を産んだ側室を後妻にしたのだったか」
「ご存知でしたか」
「バークレイ侯に聞いた」
「父はそこまで……」
ジュリアンは少し考えてから、レナートに向き合った。
「分かりました。父がそれほどまでに殿下を信頼しているというのでしたら、王国の現状を包み隠さずお伝えしましょう」
それを聞いたマリアベルの体がわずかに強張るのを感じたレナートは、そっとその華奢な体を引き寄せた。
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