49話 王国の狙い
王国の御璽は、鍵のかかった棚にしまってあり、その鍵は国王が肌身離さずつける決まりになっている。
以前エドワードが、自分が国王になった際はあのように武骨な鎖ではなく、もっと細い鎖にしたいと言っていて、どんなデザインがいいかふざけて一緒に考えたことがあるから、マリアベルはそのことをよく知っていた。
もし国王が亡くなっていれば、エドワードが鍵を譲り受けているだろう。であれば、わざわざ偽物を使わなくても、本物の御璽を使っているはずだ。
それにこの手紙にサインしてある名前はエドワードではない。
だから国王は無事なのだとマリアベルは信じている。
「だがこれが王太子の策であったならどうする? いくら領軍と一緒に行くといっても、王国軍が数で圧倒してくればかなうまい。のこのこ捕まりにいくようなものだ」
レナートはエドワードがそれほどの切れ者であるとは思っていなかったが、万が一ということもある。
相手を侮って、誰よりも大切な存在を失いたくはない。
「王太子殿下に、このような策を弄する理由がありません。そもそも手紙に書いてあったように私の持参金が欲しかったのであれば、最初から私を正妃に、愛するお方を側室にすれば良かったのです」
「気が変わって、惜しくなったのかもしれん」
「いえ。それはありません」
マリアベルとの婚約破棄も、エドワードの真面目さの表れだ。
アネットを側室として迎えれば良かったのに、あくまでも愛する人を正妃として迎えることにこだわった。
その誠実さがマリアベルに向けられなかったというだけで、本来、エドワードは善良な人間なのだ。
「しかし、それならばなぜこのような手紙が……。目的が領地でないとすれば……」
難しい顔で考えこんだレナートは、ふと思いついたようにマリアベルを見る。
「サイモンというのは、大使が言っていた通りの男だろうか?」
手紙を見たカルロが大使に尋ねた時の返答は「王太子殿下の乳兄弟ということ以外は、取り立てて目立つところのない男」だった。
マリアベルの記憶の中のサイモンも同じ印象だ。
長い前髪のせいか表情があまり分からず、どことなく陰鬱な雰囲気を持っていた。
「そうですね。王太子殿下の側近の一人ですが、どちらかというとあまり前に出ず、後ろに控えているような方でした」
「わざわざサイモンをマリアベルの婚約者にと書いている理由は分かるか?」
マリアベルは少し考えてから答えた。
「実は、王太子殿下の新しい婚約者の方の教育があまり進まず、私に教育係になってくれないかというお話がありました。もちろんお断りしたのですけれど、もしかしたら私をサイモンの妻とすることで、教育係の任を断れないようにしたかったのかもしれません」
マリアベルは、レナートにそのことを話していなかった。
特に内緒にしていたわけではないのだが、エドワードの提案はあまりにもマリアベルの気持ちを無視したものだったし、その話をしたら、ただでさえ悪かったレナートのエドワードに対する印象が、さらに悪くなりそうだったからだ。
「一体どういう了見でそんな提案ができるのか、まったく理解できんな」
予想通り呆れ果てたレナートに、マリアベルは苦笑する。
「妃教育を終えた私ならば完璧に教えられるだろうとおっしゃって……」
「そんなもの、王宮にも教育係など何人もいるだろう」
「あまり、折り合いが良くなかったようです」
マリアベルが王都から去った後、アネットの話は風の噂程度でしか聞いたことはない。
教育係が何人か続けて辞めてしまったという話だけは聞こえてきていた。
「平民の娘であれば、貴族のマナーすら知らぬだろう。教えるほうも大変だろうな」
平民が貴族の妻になることが、まったくないとは言い切れない。
だがその多くが、慣れない貴族の生活に疲れて心か体を壊すことが多い。
貴族でさえそうなのだ。王族……しかも王太子との結婚となれば、求められるマナーも知識も相当なものだ。
どう考えても、ただの平民には荷が重すぎる。
お忍びで城下に視察に行った際に出会ったということだが、酒場の娘に本気になる前に、なぜ側近が止めなかったのかとレナートは疑問に思った。
もしこれがカルロであったら、命を賭してレナートを止めただろう。
はたして二人の出会いは、偶然か、それとも……。
「あるいは、私を王太子殿下のお子様の乳母にとお考えだったのかもしれません」
「自分の結婚ですらまだ正式に決まっていないというのに、気の早いことだ。しかし、それであれば他の側近でも良かっただろう。なぜ伯爵家の三男に過ぎぬこの男なのだ?」
マリアベルは次期王妃として育てられた、王国内でも力を持つバークレイ侯爵家の娘だ。
たとえ側近といえども、伯爵家の三男程度では到底釣り合わない。
「他の方には、既に婚約者がいらっしゃいましたので……」
「この男にはいなかったのか」
「良いご縁がなかったようですわ」
マリアベルはサイモンのことをあまり知らない。
だからどうして今まで婚約者がいないのかなど、考えたこともなかった。
エドワードの側近とはいえ、伯爵家の三男であるサイモンには継ぐべき爵位がない。
騎士であれば一代限りの騎士爵をもらうことができるが、サイモンは文官だ。
他にエドワードが信頼する側近がいないというならともかく、宰相子息のパーシー・コールリッジや騎士団長子息のブライアン・チェスターたちがいる。
縁を結ぶならそちらと、と考える貴族がほとんどだったのだろう。
「では、このサイモンという男には、共和国との繋がりはないか?」
「共和国、ですか……。いえ、特に聞いたことはありません」
サイモンの両親はどちらも王国の貴族だ。
レント伯爵家の領地は北部にあって、共和国とは離れている。
「そうか、てっきり共和国の工作員ではないかと思ったのだが。……敵の狙いがはっきりしないと、打つべき手も見えてこんな。とりあえず情報収集をして、すぐに向かうか」
「どちらへ向かうのですか?」
「もちろん、ベルの父上を助けに、だ」
レナートはそう言って、ずっと握られたままだったマリアベルの小さな手に、うやうやしく口づけをした。
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